12月の活動
奈良学園の私の授業は、6日まででした。写真1枚目は、二学期の終わりに毎年書いているカレンダーです。高一は、「隷書」「草書」の学習にそれぞれ4時間しか当てられなかったのですが、直筆で書くことと、回椀法で筆を動かすように、と指導しました。お手本なしでのびのびとした作品を書いてくれたと思います。中一は行書の二字句です。
写真2枚目は、奈良女子大学書道部3回生(6名)の共同作品3幅です。この学年は、自由な活動ができない時期が長くありましたが、10月以降、年明けの「如月展」に向けて積極的に取り組んでくれていました。13日には、2回生2名、1回生7名に係の引継ぎがありました。
コロナ禍の中で、新たな楽しみとなったのが、庭の手入れです。写真1枚目の路地は、2年前、膝ほどの雑草が生い茂り、丸い敷石(臼)の存在感はありませんでした。庭の落葉樹は葉をすべて落とし、新芽を付けています。
喪中のハガキが届く時季です。これまでは、親が比較的高齢で亡くなった報告が多くあり、そんな齢になったな、と思っていました。今年、小中学校時代の友と、高校時代生徒会で一緒だった友が亡くなり、二人の奥様からハガキが届いた時は、その現実に寂しさが一層募りました。病で同年代のご主人をなくした友も3人ありました。また、仲の良かった東京の従妹が、8月、10日間の自宅療養を強いられコロナで命を落とした時は、憤りを感じました。私に時折、遣る瀬無い気持ちが襲ってきます。
年賀状を寒中見舞いにしようかと思ったくらいでしたが、希望をもって生き、良い報告ができる新年にしたいです。
アケビの蔓で
自然にあるものを活用してものづくりをするのは、キットを買って作るより面白いものです。穴窯仲間でステンドグラスが専門の後藤裕子さんの別荘(ログハウスのアトリエ)は伊賀市槙山にあり、周辺の野山に豊富な材料があります。
アケビの蔓で籠を編みたい、と仲間が集まり、木工も手掛ける後藤さんに、それぞれの作りたい大きさの木枠を作ってもらい、編み方の指導もしていただきました。事前にアケビの蔓をたくさん採っていましたが、籠を編むのに最適な蔓は直径3ミリ、小さな節もカットして、なるべく長く必要です。先ず、底を編み(写真1・2枚目)、木枠に沿って編んでいきます。ざっくりした野菜籠のつもりでしたが、思ったより大変でした。一日の作業では口のところができず(写真4枚目)、年明けに仕上げます。
アケビの蔓の太いのは、巻いてリースの輪(土台)を作りますが、こちらは簡単です。ここに、野山から採取してきた山帰来の赤い実や松ぼっくり、ヒノキやヒイラギの葉を適当に付けます。買ったのは、針金だけです。写真2枚目の材料で、写真3枚目のクリスマスリースができました。写真4・5枚目は、後藤さんのリースです。
トレインキルン焼成 その2「炭化焼成」
滋賀県陶芸の森の講座「トレインキルン焼成」は、2つの違った焼成方法で行なわれ、2回目は「炭化焼成」でした。窯詰めは12月3日、横焚き(間焚き)の時に薪が落ちる所を空けて、棚板を置いています。実験的に色んな粘土の作品が入っています。
この度の蓋は、棚板を重ねた上に「3号珪砂」を敷き詰めました。繰り返し使え、断熱ブランケットより安価、SDGsの精神が反映されています。
翌4日10時頃から、焚き始めました。穴窯の時は赤松だけを使っていましたが、杉などの廃材を燃やしているのに、容易に1300℃(温度計の温度ですが)になる構造が不思議でなりません。これまでの穴窯焼成では温度が上がらなくて苦労し、1250℃を記録した時には抱き合って喜んだことを思い出していました。
窯全体が高温になったところでファイヤーボックスを閉じ(写真2枚目)、3ヵ所から赤松による横焚き(写真3枚目)が深夜から続きました。5日12時に窯を閉じる前に、バーベキューで使うタイプの炭を投入(写真5枚目)、窯の中はきらきらと細かい光で包まれました。
今回も、26時間程度の短時間の焼成でした。1週間後の窯出しの様子です。釉薬は掛けない焼き締めの焼成ですが、粘土によって、どこに置いたかによって、様々の焼き色が現れました。ご指導くださった篠原先生は、火や煙が窯の中のどこを通るかを考えながら窯詰めをする、穴窯焼成と同じ焼き上がりを期待する窯ではない、短時間で焼成でき、焚き方は自由に色々試せる、皆さん是非活用してください、とおっしゃっていました。
陶芸の森には、ガス窯、大・小・ミニの穴窯、登り窯、再現された金山窯の他に、スイッチバック式角窯、いってこい窯などがあり、講座で使用する以外に、貸し出しもされています。トレインキルンは、燃料や労力の面で優れている薪窯なので、日本でもこれから普及していくと思いました。
この度のトレインキルン焼成の私の作品です。写真1枚目は「冷却還元焼成」、右2点には藁を巻き、白っぽいのは磁土です。写真2枚目~は「炭化焼成」、下が五角形の植木鉢は窯詰めの時の場所によって胎土の焼き色も釉状も様々、藁も景色として残りました。写真4枚目は、野焼きの焼き直しでしたが、前の方に置いたので灰がかかって全く様子が変わりました。
急な参加で急ぎ成形し、好奇心で勉強不足のまま訳も分からず参加したのですが、陶芸好きの仲間と共に作業するのですから楽しいのは穴窯と一緒、よい経験になりました。
京都東山
2学期の成績入力を済ませた12月10日、久しぶりに京都を訪ねました。写真1~4枚目は、「東福寺」大伽藍の一つ 方丈の「八相の庭」です。順に、南庭、西庭、北庭、東庭、重森三玲の代表作です。かつて、個人宅(奈良市の白水庵)の庭園で見た三尊石などの石組が独特で力強く、印象に残りました。これが三玲の作庭の魅力を間近に感じた最初でしたが、この時からの念願だったこの空間に身を置くことができて、幸せでした。古典を踏まえ独創的なものづくりをすることの醍醐味を体感しました。
境内は、紅葉のピークが過ぎた平日のため人混みもなく、開放的な気分で、往く秋を満喫しました。
東福寺の塔頭は25寺あるそうです。その1つ 関白一条家の菩提寺「芬陀院(通称 雪舟寺)」にある雪舟庭園「鶴亀の庭」を見に行きました。この庭(南庭、写真1枚目)は、一石の補充もなく重森三玲により復元され、この時さらに東庭も三玲が作庭したそうです。
写真2枚目は、2畳中板逆勝手の茶室です。それに続く小間の丸窓からの庭も一幅の絵画、風情のあるものでした。鎌倉時代からの茶席と庭のある空間、そこで人々が共に過ごした時間に想いを馳せました。
遅いランチを「半兵衛麩」でいただいた後、東山界隈を散策、夕刻からライトアップされた「高台寺」に行きました。密を避けるためか、順路の矢印があり回遊式になっていました。写真1枚目の建物は開山堂、この建物の両側に2つの池が配され、鏡面に映りこんだ景色は四季を通して美しいことだろう、と想像して見ました。
写真2枚目~は、伏見城から創建当時に移築された2つの茶室です。唐傘を開いたような屋根のある「傘亭」と、珍しい2階建ての「時雨亭」です。高土間廊下で繋がっていました。昼間の佇まいも見たいな、中に入ってそこからの景観を見たいな、と思いました。
11月の活動
庭の楓が色付き初めました。自生のニセアカシヤの大木の落葉は8月末から始まっていましたが、ここへきて、草刈りよりも根気のいる庭の掃除が毎日の日課となっています。ハナミズキ、サンシュユ、白クモクレンなどの落ち葉が、掃いて抱えて山のように集めても、すぐにまた降ってくる、、、そんな季節です。
一方、コロナ感染症の減少と共に、イベント開催が増え、出かける機会が多くなりました。「森川杜園展」(奈良県立美術館)では、彫刻の偉業の中でも特にこの度は、超越技法が発揮された名宝の模造作品に注目しました。滋賀県陶芸の森に三往復、その間、伊賀焼の窯元「長谷園」(伊賀市丸柱)の蔵出し市(写真2枚目は母屋の入り口)の見学、「いがぶら」の薬膳彩り寿司(伊賀めぐみ草庵)にも参加しました。また月末には久しぶりに電車に乗って、甲子園のギャラリーに行きました。甲子園球場の蔦が、きれいに手入れされていました。
滋賀県陶芸の森(甲賀市信楽町)の講座「トレインキルン焼成」に穴窯仲間と応募したものの、こぞって落選でした。ところが、キャンセルが出たとのことで急遽参加させてもらえることになりました。信楽へは、京都の南 加茂町→和束町経由で、車で1時間5分です。
窯詰めが思ったより早く終わった12日、帰途、海住山寺(木津川市加茂町)に参拝しました。この辺りには「南山城十一面観音巡礼」でも知られる様々な観音像が存在します。以前から会いたかった本堂と奥の院の2体の十一面観音立像(木造、平安時代)を間近に拝しました。小ぶりの木造四天王像(鎌倉時代)や曼荼羅なども特別展示させていました。本堂の左にそびえる五重塔(国宝、鎌倉時代)は朱塗りのせいか楚々とした佇まいでした。
「粘土カフェ」の最終活動
NPO法人「Arts Planet Plan from IGA (伊賀市伊勢路)」は今年5月に解散、今年度は清算活動をしています。私が主担当をしてきた陶芸グループ「粘土カフェ」は、すでに薪棚の撤去と不要な木材の処分も済み、11月20日に「粘土カフェ」としては最終の活動を行ないました。
この日は、メンバー全員に古くからの仲間も加わり8名で、活動拠点「MORITAI造形アトリエ」への感謝の気持ちを込めて、薪棚跡の斜面と穴窯周辺の整備をしました。その後、今年1月に焼成した穴窯の作品を各々持ち寄って、茶話会もしました。
15年間の「粘土カフェ」の活動に集まった陶芸を愛好するメンバーは、彫刻、漆芸、ステンドグラス、木工など専門分野は様々、お料理の上手な方、土木、左官や溶接技術のある方、藁や籾を提供してくださる方など、どんなピンチの時も助け合い、労力と知恵と情報を提供しあった仲間たちです。人とのつながりは、今後も大事にしていきたいと思っています。 ※「粘土カフェ」のこと
トレインキルン焼成 その1「冷却還元」
滋賀県陶芸の森の講座「トレインキルン焼成」に参加しました。成形指導はなく、赤土6kgをいただきました。植木鉢などを作り、自宅の電気釜で素焼きをしました。写真2枚目~は、11月12日(金)の窯詰めの様子です。上から詰め、棚板で蓋をし、ブランケット(白い毛布のような断熱材、耐火度のあるセラミックファイバー)を被せます。
トレインキルンは、アメリカではポピュラーな薪窯だそうです。穴窯が地面と一体になっているのに対して、コンクリート基礎の上にコンクリートブロックを一面に敷た上にあり、名の如く機関車をイメージさせる細長い形です。講師の篠原希先生(写真3枚目)は信楽在住の陶芸家、アメリカクラフトスクールとの交流から、ユタ州立大学(USU:Utah State University)での研修でトレインキルンを体験され、その知見を陶芸の森で生かして参加者と築窯、この度2回目の焼成とのことでした。
トレインキルンの大きな特徴は、比較的短時間での焼成が可能なこと。合理的な構造で引きが強く、火の流れが独特で、器の表面に効果的な景色を生み出すそうです。11日夕方6時に行くと、朝~10時間程度の焼成で温度計は容易に1300度近くを記録していました。広く大きな焚き口は上部にあり、背の低い私にはちょっときつい。しかし、節があって割り木にできない木材や廃材も投入でき、環境に配慮した焚き方ができるようです。火袋ではなく、ファイヤーボックスと言ってたな、、、。写真2枚目は、「引き出し」による先生の実験的な作品です。
深夜、横からの間焚き(写真3・4枚目)も行ない、後部の温度も上がった翌朝6時、ダンパー全開で冷却還元を開始、予定では16時までと聞いていたのですが、朝9時頃で窯を閉じました。なんと短時間(24時間)!100時間焼成の穴窯しか経験のない私は、こんな焼成で、どうなることかと思いました。
1週間後の窯出しの様子です。陶芸に詳しい常連さんの参加者の方々から、珠洲焼(すずやき)やー!と歓声が上がりました。珠洲焼は、強還元炎焼成・くすべ焼きなどの技法を用いたもの、確かに燻したような焼きに、火と煙による窯変のある作風もみられました。
10月の活動
行事の延期や部活動の制限のある中にあって、「大仏書道展」を今年も開催できたことに感謝し、嬉しく思って協力していました。
写真は、奈良学園高校1年生書道選択者の篆刻作品です。名前を刻した2顆の印は、作品作りに必要です。「隷書」の臨書を通して、その技法を学習中で、これから大仏書道展用に用意していた画仙紙で、隷書体による半切三分の一の創作作品を作ります。漢の時代の通用文字が今も使われている資料や、私が隷書で題字を書いたポスターやチラシも見せて、興味をもって取り組んでくれたらと思っています。
季節は一気に秋へ、コロナ感染者数が激減したこともあり、基礎疾患のある友人が久しぶりに訪ねてくれました。奈良公園にも国内の観光客が少し戻ってきたようで、明るい気持ちになる10月でした。
伊賀市ミュージアム青山讃頌舎(写真1枚目)で、伊賀焼の陶芸家 小島憲二さんの展覧会(写真2・3枚目は展示作品の一部)があり、会場で作家さんとお話ができたのも新鮮なことでした。写真4・5枚目は、信楽が舞台のテレビドラマ「スカーレット」の撮影用のセットです。信楽に陶芸材料を買いに行った時に立ち寄った「旧信楽伝統産業会館」に展示されていました。また、オペラ(伊賀市文化会館)と、ピアノコンサート(郡山城ホール)の舞台鑑賞ができたのは2年ぶりになるでしょうか、静かに芸術の秋を楽しみました。
毎年10月に、伊賀市の中山間部の廃校になった小学校を舞台に開催していた「風と土のふれあい芸術祭」は、今年の開催を見送ることになりました。昨年は、コロナ禍で地元のほとんどの行事が中止される中、対策を講じて実施することができましたが、今年は、地元組織の現状や諸事情を熟慮し検討した結果です。
芸術祭実行委員会は、このまま終わりにしたくはない、次年度以降については、リニューアルを含め装いも新たに検討していきたい、と前向きに考えています。
刻字「ゆめ俱楽部」の揮毫
伊賀市霧生にある「四季の森 やもち ゆめ俱楽部」 ブルーベリー園は、地域の皆さんで運営されています。一度行ったらまた行きたくなる所で、私も友人達を誘い、毎年摘みに行っています。
写真1枚目は園内にある「夢想庵」、その看板は地元の画家 上田(かみだ)保隆さんの揮毫によるものです。この夏、この建物に隣接して2つ目の建物(写真2枚目)ができました。この建物(写真の中央上部)に、「ゆめ倶楽部」の扁額を掲げたいと、幅140cmの変形の板を預かっていました。やっと取り掛かりました。これから、文字の籠字を板に写し取り、刻字作品として仕上げたいと思います。
第12回「大仏書道大会」
今年も「大仏書道展」を開催することができました。主催は、「奈良の伝統文化の伝承と新しい文化の創出」をキーワードに様々な取り組みを行なっておられるNPO法人「奈良21世紀フォーラム」です。平城遷都1300年祭の年から始まったこのイベントですが、発足当時から企画運営に協力し、はや12回目となりました。私のやりがいのあるボランティア活動となっています。
新型コロナウィルス感染症対策としての高校生のワクチン接種がまだ充分でないため、奈良県教育委員会ともご相談し、昨年に続き「席書会」は中止となりました。 ※事業内容 ※募集要項
大仏様に日本の未来を祈願する、奈良の思い出、など5つのテーマで書作品の公募を行ない、全国の高校生大学生から寄せられた作品の中から100点を、10月23日(土)・24日(日)、東大寺大仏殿西回廊に展示しました。西楽門から入る西回廊は、若草山や大仏殿を間近に臨む開放的な空間です。奈良女子大学の書道部員が受付などをしています。
見てくださった方々からは一様に、感動した!という声をいただきます。今年は、コロナ禍にあっての想いや願い、感謝の気持ちを書いた作品が多くあり、若い方々の考えに希望を感じた安心した、と言ってくださったり、もっと多くの方に見ていただけるといい、足を運ぶ人が少ない、2日ではもったいない、と励ましの言葉もいただきました。観光を兼ねて遠方から見に来てくださる応募者もありましたが、会場に足を運ばなくても鑑賞できるようにネットで作品を配信するといい、と書道部員からの提案があり、検討したいと思いました。
写真は、今年の応募作品の代表(特別賞7点)です。自らの言葉を漢字仮名交じり文や平仮名で綴った作品、想いのこもった漢字一字二字の作品、筆や墨の機能を発揮し、若者らしい表現です。この7点だけ、毎年、講評を書いています。左から、蓮の花と共に、飛躍、ソーシャルディスタンス、私の佛を育てたい、ときにはのんびり、鴻志、道、です。
来場された入選のご家族から、この子の講評も聞かせてください、と請われて嬉しく思いました。また、全部の講評が聞きたい、という方もあります。私の拙い言葉より、100点の作品が、見た後のどなたにも展覧会の趣旨を伝えているだろうと自負しています。 ※出品票に記されたコメントのいくつか ※特別賞以外の作品93点
奈良女子大学書道部
奈良女子大学は、10月から後期が始まり、課外活動は(2時間までなど)規制は続いていますが、外部講師の入構ができるようになりました。写真は、オンライン学祭に向けての書道パフォーマンス練習の様子です。
今年度、2回生2名、1回生7名の新入部員がありました。前期は、3回生が中心となって、ラインやzoomも活用しながら、自主的に取り組んでくれていました。合宿を2年続けて行なえず、記念館での展覧会はできませんが、これまでやってきたことを伝達しておきたいと思ってできるだけ集まって活動した、と聞いて嬉しく思いました。延期となっている「May展」を名称を変えて、年明け1月末~2月に行ないます。その展示に向けて、活発な活動を行なっています。
「大仏書道展」の審査
第12回「大仏書道展」の作品締め切りは、9月30日でした。コロナ禍で授業や部活の制限があり、応募が少ないのではと心配しましたが、北海道~熊本県までの79校から1141点、寄せられました。(多い年は2000点以上でした。)常連校からの応募がいくつかなかったこと、奈良県下の応募が減ったことは寂しく思いました。
予備審査を10月1日(金)、本審査を3日(日)に行ないました。審査員一同、こんな楽しい審査はない、と言って、今年はどんな作品を書いてくれているか、と期待しながら臨んでいます。写真1枚目は、審査委員長の東大寺森本公誠長老と作者の想い(コメント)を読んでいるところです。1点も入選しなかった学校が20校以上あり、次回も出していただけるか心配ですが、作者のメッセージを汲み取りながら、大仏書道展の審査基準に基づいて、入選作品100点(うち特別賞7点)を選びました。※審査基準 ※新聞記事2つ
9月の活動
二学期は、奈良県下の公立学校の夏休みが延期され、奈良学園も授業の制限がありました。この時期、毎年、「大仏書道展」に向けて高校生の書道選択者全員が創作作品の制作をしていますが、授業時間が確保できず、応募できませんでした。篆刻作品(名前の印)2顆をほぼ刻し、これから補刀をして仕上げるところです。
写真3枚目は、中一の書いた校訓「至誠力行」です。これを最後に楷書の学習を終え、行書の指導を始めています。
奈良文化財研究所平城宮跡資料館の夏期企画展「奈良を測る -森蘊(おさむ)の庭園研究と作庭-」は、遺跡と化した庭園の発掘・地形測量をもとにして、かつての空間を復元整備、作庭するという興味深いものでした。写真1枚目は、この会場を出ると、平城宮跡大極殿院に復元中の南門が見えたので、近くまで歩き、撮ったものです。鉄骨の覆屋とも呼ばれる素屋根は、次の東楼の復元のため、10月4日までに東側にスライド(曳家)されるそうです。
依水園(奈良市水門町)にある寧楽美術館では、「加藤慈雨楼 -磁印凛々-」 が開催されています。京都清水の陶工の家に生まれた慈雨楼は、園田湖城に入門、磁印による篆刻作品の制作と中国古印の研究をされました。
6年ほど前、陶芸家の加藤輝雄先生のご自宅に伺うまで、失礼ながら、お父様が加藤慈雨楼とは存じ上げなかったのです。『漢魏晋蕃夷(ばんい)例 漢魏六朝蕃夷印譜』2冊(昭和61年刊行)も家にあり、眺めているだけですごい業績だと私でもわかるものだったのですが。その時、手に取って見せていただいた貴重な資料や磁印作品の数々が、この度、寧楽美術館に寄贈されました。その記念展です。
漆繕い
工房では、次々と漆繕いの作品を仕上げています。写真1枚目はさび漆の研ぎの様子、陶器店から片口の欠けの金継ぎ(写真2枚目右)を頼まれました。丁寧な出来上がりを心掛けるので、とても力が付くように思います。日常食器や抹茶茶碗などは金で仕上げ、花器や水盂(写真5枚目右)などは真鍮粉で仕上げてみました。また、色漆を用いて、欠けやヒビのどこを修正したのかわからないように仕上げることもしています。写真は完成したものの一部、まだ途中のものがたくさんあります。
8月の活動
7月末に、1人暮らしの母の元(富山県入善町)に帰省、8月1日に奈良に戻りました。終戦間近の8月1日は、富山大空襲のあった日です。師範学校で寄宿舎生活をしていた母は、山手に避難、翌日戻った時には鉛筆一本なかったそうです。実家では、バイ貝やタラなど地元でとれた魚を食べるのが楽しみで料理をし、母が手の届かない所のお掃除もするのですが、聞いておかなければいけない話を今のうちにもっとしたいな、と思いながら故郷を後にしました。
写真は、眺めただけですが、父が育った魚津市経田の漁港と、その東に続く黒部市石田浜です。
書道部の合宿は今年もできず、会議はリモートとなりました。写真1枚目は、「トレインキルン焼成」の窯出しの見学(滋賀県立陶芸の森)に行った時のもの、写真2枚目は、東大寺龍松院筒井家所蔵の拓本展(奈良大学博物館)のものです。
書斎や工房では、古い作品の整理など片付けをしている時間の方が多く、締め切りに追われることがないので、篆刻、書作、陶作品の漆繕いなど途中のものばかりがいっぱいになりました。古道具屋さんでみつけた古材を、木工作家の友人宅でベルトサンダーで整えて「拭き漆」をしたり、古いお盆の修復も試みています。ご近所からいただく夏野菜が豊富で、一日がかりで料理をする日もありました。この夏「赤しそジュース」は好評でした。
どうかおとなしい雨と風を、と願っていました。雨の降らない日は、庭の水やりです。枯れないでねぇ~などと山野草たちに話しかけるので、ホースは使わず、お風呂の水も再活用してバケツとジョウロで20回くらい、汗だくの作業です。また、手間がかかるのが庭と駐車場の空地に群生するバナナ(芭蕉)です。木ではなく多年草の彼らは、この時期、葉は1枚3m位にもなり、地下茎でやたらと増えるので、ここに生えないでー!と、小さいうちに何度も刈り取りらなければなりません。
中旬から響くツクツクボウシの声、やりきれない暑さの中でも、草木の勢いに変化があることを感じます。落ち着かない世情をよそに、自然界は和暦通りの「秋立ちぬ」です。静かな夜、虫の音を聴いています。
正暦寺「のびのび写経の会」作品展
「錦の里」と呼ばれる正暦寺(奈良市菩提山町)では、毎月8日、神聖な本堂の中で「のびのび写経の会」が行なわれています。そのメンバーと、住職はじめ3名のお坊さんによる書作展が、8月27日(金)~29日(日)、奈良県文化会館B展示室で開かれました。この度は10回記念だということで、田上鐡牛と私にも賛助出品の依頼があり、鐡牛は朱書き『般若心経』、私は蓮如様と明恵上人の言葉を書いた作品を、一緒に並べてもらいました。
会場は3つのコーナーから成り、1室目は巻子や軸装の「写経」とその中の文や語句による作品(写真1枚目)、2室目は寺宝の「古文書」3点の展示(写真2枚目)、3室目は折帖や額装の「臨書作品」(写真3枚目)です。書壇の会場とは趣の異なる空間となっていました。
正暦寺は、992(正暦3)年に建立されました。写真は、この度公開された古文書のうちの1つ、正暦寺の歴史を記した『和州(大和の国)菩提山寺龍華樹院記』です。(菩提山は山号、龍華樹院は院号)作者の百拙元養は、書画をよくする学僧で煎茶人としても知られた江戸時代の黄檗宗の僧侶です。この書の訓読と口語訳を、田上の研究会で作成しました。
冒頭(写真1枚目)に大字4文字「万古霊踪」(永遠なる聖地)とあり、写真2枚目はそれに続く部分です。写真3枚目は長い長い巻子の最後の部分「・・・ 時 寛延二年(1749) 竜飛 己巳 蕤賓月(ずいひんげつ、5月) 山城州 海雲山法蔵禅寺 嗣祖比丘 百拙養 撰并書(撰し併せて書す) 暮齢(老齢)八十又二(82歳)」とあります。元養は、5月にこの書を残し、9月に亡くなっています。美しい文と筆致、いくら見ていても飽きることがありません。
富山県高岡市
お盆を避けて7月末から故郷(富山県入善町)に帰省、その往路、雨晴海岸(富山県高岡市)の民宿に一泊しました。雨晴は、大伴家持も好んで訪れた景勝地、家持の万葉歌「立山に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし」を万葉仮名で書いた時から、富山湾越しの立山連峰を見たいと思っていたのです。 ※雨晴海岸のポスター 翌日は、高岡市内を周りました。 ※高岡のポスター
民宿はオーシャンフロント、眼前の海は遠浅の海水浴場で、左になだらかに能登半島が連なり、対岸のあの辺りが入善か、、、あいにく曇っていて立山連峰の稜線がかすかに見えるだけでした。民宿のご主人曰く、3月末〜5月の連休までが雪を頂く立山連峰を望むのにいい、とのことです。翌日も曇り空、写真1枚目は、近くの「道の駅」展望デッキから撮ったものです。ちょうどJR雨晴駅10:30発の電車が通過しました!
写真1枚目は、雨晴「道の駅」から西1.4kmの所にある重要文化財「武田家住宅」です。間口、奥行きともに21mに及ぶ豪農住宅で、このあと訪ねる「勝興寺」本堂の余材で建てられたそうです。太い梁組、竹簀子(すのこ)天井、ちゃのまの大きな自在鉤と小壁の三段化粧貫など、230年経った今に当時の農家建築様式を伝えています。蚕を飼うような広い2階部分に、屋根を拭く茅を収納していたそうです。また、自然を利用した庭も広く、幕末明治の偉人の書画が当たり前のように飾られていて驚きました。
ここから伏木方面へ、南東4km程の所にある「高岡市万葉歴史館」と、家持を祀る大伴神社のある重要文化財「氣多(けた)神社」(写真5枚目は本殿)を訪ねました。万葉歴史館には、館長をされている坂本信幸先生(奈良女子大学名誉教授)の明快で読みやすく書かれた万葉集の垂れ幕がいくつもありました。
越中の国守として高岡市伏木に赴任していた家持は、奈良とは違う自然や風景に心動かされたことだろう、と天平の昔に思いを馳せました。
さらに東南1km程の所にある重要文化財「勝興寺」は、奈良時代の越中国庁跡に展開する浄土真宗本願寺派の大規模な寺院です。昨年11月、23年掛けて12棟全ての保存修理工事が完了、江戸時代の壮麗な伽藍が蘇りました。巨大な本堂は、少し縮小した西本願寺のようでした。写真1〜3枚目は、唐門・書院内部・式台門です。
伏木は、江戸時代後期になると北前船寄港の地として発達、日本海側屈指の貿易港として栄えた港町です。「勝興寺」近くに、廻船問屋本江(ほんごう)屋 旧秋元家住宅を利用した「伏木北前船資料館」があり、北前船で栄えた町の歴史を物語る様々な展示物がありました。中庭越しの土蔵の屋根の上には、「望楼」が設けられてあり、伏木の町を一望できました。船の着くのが見えたら、さぞ賑わったことでしょう。
高岡市街を車で通ると、野ざらしの大仏が現れます。日本で3番目に大きい高岡大仏です。小学生の頃に家族で行った時の写真が残っています。半世紀以上も経って、今度は私が娘と孫を連れていました。
大型遊具もある「おとぎの森公園」(写真1枚目は、その一部)で娘と孫が遊んでいる間、私は一人、その近くにある国宝「瑞龍寺」に参拝しました。※寺の看板 壮大で整然とした伽藍の佇まいは、言葉にならないくらい美しいものでした。写真2枚目は、山門から緑の芝生に映える仏殿です。曹洞宗の寺院ですが、山門に掲げられた山号「高岡山」の扁額には「黄檗隠元書」とあり、黄檗宗の隠元禅師の伸びやかな揮毫です。続いて法堂(写真4枚目)と進み、参拝者のほとんどいない静けさの中、回廊を歩いていると暑さも忘れ、平穏な心境に包まれました。
ここから車で1時間弱で、実家に着きました。
6月・7月の活動
6月、草木は元気に茂り、庭に自生の「ウワミズサクラ」の大木はたわわに実を付け、鳥が啄んでいました。
雨上がりの平日、「依水園」(奈良市水門町)に行きましたが、来園者はほとんどありません。園内や隣接する「吉城園」との境を流れる川の水量が増しているせいでしょうか、水音がいつもより大きく感じられて心地よく、ひと時の涼を得ました。コケやシダの緑の美しさは、いうまでもありません。写真4枚目は、この界隈の散策中に撮ったものです。
一学期の授業は、6月末で終わりました。中一の書写は硬筆と毛筆による「楷書」の学習、高一の芸術科書道は『蘭亭序』臨書の後、「篆刻」を始めていました。7月に出席日数の少ない高校生の補講をしただけで夏休みとなり、おうち時間が充分にあるコロナ禍での2度目の夏、到来です。
奈良国立博物館の特別展「奈良博三昧」に行くと、閑散としているバスターミナルと東大寺の間(博物館前)を歩く修学旅行の高校生一行と遭遇、思わず写真を撮りました。バックに若草山、手前には鹿、、、以前からの当たり前の光景ですが、新鮮でした。
仏教美術の聖地「奈良博」、そのコレクション満載の展示でした。美しい仏像、仏画、仏教儀礼の工芸品の数々、書跡では最澄の手紙(後期展では空海の書)・日本書紀・紫紙金字の古写経などの名品を一度に見ることができました。( 館長さんが替わったからでしょうか、館蔵のものだからでしょうか、写真撮影が可能でした。) 埴輪の犬(写真4枚目)がとても大きいので、素材も年代も違うのですが、オルセー美術館で見た「白熊」を思い出しました。海外の美術館に自由に行ける日が待ち望まれます。
「二十四節気」の磁印
写真は、「二十四節気」の磁印、作り直したいものもありますが、24顆揃いました。他にも、一字のものや図象印など制作中です。石印材の補刀は、印泥を付けて押し、その印影を見て行ないますが、磁印は、スタンプインクを付け鏡に映した状態を見ながら補刀しています。
写真左から、春(立春~穀雨)、夏(立夏~大暑)、秋(立秋~霜降)、冬(立冬~大寒)です。これから施釉して、本焼きをします。四季をテーマに、これらの印を使った折帖の書作品を作りたいと思っています。
茶摘み~和紅茶
奈良市東部は自然豊かな里山、この地区の5つの公民館では、食・農・技をテーマに「プチ田舎暮らし」体験講座がいくつも企画されています。7月21日(水)、その1つ田原公民館の「和紅茶」に友人と参加しました。市街地から車で20分ほどの近さですが、少し標高もあり風はさわやか、県道から少し入ると緑の茶畑があちらこちらに広がり、心和む景観です。
講師は、「田原ナチュラル・ファーム」代表の福井佐和先生、自然農法でお茶を栽培されています。一度やってみたかった「茶摘み」初体験の後、「奈良県大和茶研究センター」で製茶の工程を見学、同じ茶葉を蒸すと「煎茶」、発酵させると「紅茶」になること、年1回だと思っていた「茶摘み」は用途に応じて年4回できることなどを知りました。その後、公民館に移動、あらかじめ一日乾燥させた茶葉が用意されてありました。ハサミでカット(写真3枚目)、この時から発酵が始まっているそうです。次は、袋に入れて「手もみ」、それが茶色く発酵すると、こげないように乾煎りして(写真4枚目)出来上がりです。自分で摘んだ茶葉でも「和紅茶」ができました!煎茶と紅茶の中間のような味わいです。自作の急須で入れました。
薪棚の解体
アート系NPO法人Arts Planet Plan from IGA (伊賀市伊勢路)の解散に伴い、その清算活動として、陶芸グループ「粘土カフェ」と穴窯仲間の有志が集まって、6月20日に廃材の処分(写真1枚目)、7月18日に薪棚の解体などの作業を行ないました。「粘土カフェ」の穴窯は、近隣からご提供いただく間伐材(赤松)の再活用を趣旨とした活動でしたが、今後焼成することがあれば、業者さんの薪を購入して行なうので、薪棚の役割が終わったというわけです。
薪棚は、石垣の斜面に単管と角材で作りました。しばらく屋根のない時期もあったこと、薪500束を薪棚いっぱいに積み上げるまで、暑い時も寒い時も、仲間と共に薪割りに汗を流したことを思い起こしていました。1回の焼成(100時間)で、薪棚はからっぽになるのです、、、。 思い出の詰まった薪棚、ちょっと寂しい気持ちでした。
ミゴ箒
私の工房で金継ぎを一緒にしている友達が、私の「ミゴ箒」を見て、かわいい!作りたい!というので、半日かけて、先ずミゴ取り(写真1枚目)をしました。夢中で作業をし、昨年末にいただいていた藁の全部のミゴを取りました。
別の日にお弁当持参で集まってもらって、一日がかりで作りました。ミゴを30本ずつにくくったもの(写真2枚目)7束で、1つの箒ができます。私は合計4つ(写真3枚目の右)になりました。身近にある自然素材を活用したものづくりの楽しさを満喫、手作りの道具をそばに置いて使えるのは嬉しいことです。
梅雨の晴れ間の女子旅
4月の五條市ツアーの次の仲良し女子会の県内散策は、橿原市今井町~!雨のため延期して6月1日となり、午前中は、途中の田原本町にある「唐古・鍵遺跡史跡公園」「唐古・鍵考古学ミュージアム」と、バラが咲き誇る「おふさ観音(橿原市)」にも立ち寄りました。
唐古・鍵遺跡は、2000年前の弥生時代の日本最大級の環濠集落跡、広大な公園となって復元がされていました。環濠は幅8m、深さ2m、この巨大な環濠の外側には、さらに5~8条の外濠を有しムラを守っていたようです。写真1枚目は、復元された建物の柱群とシンボルの楼閣です。ミュージアムでは、楼閣の元になった土器の破片(写真2枚目、壺の胴部)や、自然の褐鉄鋼を容器として入っていたヒスイ勾玉(写真3枚目)など豊富な出土品の展示があり、弥生時代の生活文化を知ることができました。
写真1枚目の明治建築は「今井まちなみ交流センター」、コロナ禍の影響で閉館中でしたが、ここに駐車し、入り口に置いてあったパンフレット(マップ)を見ながら歩き出しました。
「今井町」は、全国最大規模の重要伝統的建造物群保存地区、寺内町から商業都市として栄え、今なお大半の民家が江戸時代以来の伝統様式を保つ美しい町です。二階に家紋のようなものがあるのは、今井町スタイルでしょうか。写真5枚目は、町の西端にある「今西家」、その脇には環濠が復元され、城郭のような豪壮な佇まいです。重要文化財9件、県および市指定文化財6件もあり、事前予約をすれば建物内部の見学ができることを行ってから知ったので、私達はほとんどの通りという通りの町並みをくまなく見て歩きました。町家でのランチと休憩もしながら、歩くこと6km以上でした。
5月の活動
3回目の緊急事態宣言が近隣の府県で発令され、必要な外出(会議など)で伊賀に2回行きましたが、あとは自宅周辺で静かに過ごしていました。
写真は、奈良国立博物館なら仏像館(旧館)の西側です。ならまちの散策とセットにすると、ここに出ます。聖徳太子1400年遠忌の特別展「聖徳太子と法隆寺」が開催されていました。新館全体を使った大規模な展示は評判通り見ごたえがあり、時間をかけて見たのですが、会期中にもう一度行きたいと思っています。
昨年の4月から、庭の手入れが日課となり楽しみとなっています。写真1枚目は、工房からの景色です。実家、友人宅、ご近所やお茶の先生のお庭から、つわぶき、春蘭、シダ類などの山野草や茶花になりそうな植物をたくさんいただき移植しています。ユキノシタは可憐な花をつけ、ワイルドストロベリーは毎日収穫できます。 また、楓はこれまで紅葉の時期しか注目しなかったのですが、4月に花が咲き、その後、プロペラのような実を付けることを知りました。(写真4枚目)
「NPO法人Arts Planet Plan from IGA」の解散
NPO法人Arts Planet Plan from IGA (伊賀市伊勢路)は、5月15日(土)の総会において、事務局が法人の解散を提案し、出席者の総意を得て了解されました。本法人は、2001年から準備し、翌年登記され、約20年の活動でした。
私は2005年のワークショップ「穴窯づくり」から参加、翌年から事務局員として、主に陶芸グループ「粘土カフェ」を担当してきました。会議や議事録の作成は苦手なままですが、「風と土のふれあい芸術祭」、実技講習会や研修旅行など、私の約15年の法人活動は、様々なジャンルのアートとの出会いにワクワク、新しい経験、楽しい交流と学びの場と時が与えられ、恵まれたものでした。
今年度は、清算活動の年となります。4月から穴窯周辺や薪棚の片づけを始めています。予定していた5月の活動は中止となりましたが、5月28日、薪棚に残っていた赤松の間伐材をもらっていただきました。(写真2枚目)
4月の活動
新年度の奈良学園中学校・高等学校の私の授業は4月7日から、対面で行なわれています。奈良女子大学書道部には2回行った後、コロナ感染症増加のため、26日から課外活動全面禁止となりました。また、正門前にある旧鍋屋交番(奈良市きたまち鍋屋観光案内所)の閉館に伴い、書道部の「May展」は延期となりました。部員たちはリモート茶話会を実施、今年は新入部員がありました!
伊賀で15年来活動してきた法人は、解散に向けての準備をしています。今年度の「粘土カフェ」の活動は、穴窯関連の不用品の処分と薪棚の解体から始めています。18日、薪棚が半分なくなりました。(写真1枚目)
5月の連休に行なっていた書のグループ展「墨翔」が昨年に引き続き中止となったこともあり、作品づくりはのんびりペースです。書斎では、頼まれた名前の印をいくつか刻しました。篆刻の時は、スタンド式の拡大鏡を使っていますが、目の老化もあり、長時間の作業ができません。篆刻にも陶の繕いにも読書にも飽きたら、庭の手入れをしています。鳥は鳴き、落葉していた庭の楓が青々と葉をつけています。
磁印の布字
旧作「四季の印」という季節の印を押した短い折帖の作品を発展させ、二十四節気の二字句「立春」からの印(24顆)などを用いた書作品(長い折帖)を作ろうと思っています。写真は、素焼きしたオブジェに布字したところ、すべて不定形の磁印です。
お茶の教室では、掛け軸などの設え、お花や和菓子など、毎回その季節の取り合わせを目にしています。また、昨年から自宅で過ごす時間が増えたことで、庭の草木の手入れが日課となり、季節の移り変わりをゆっくりと味わうようになりました。図書館で、二十四節気、和暦、旧暦などと日本人の暮らしや歳時記をテーマにした本を借りて読むうちに、この書作の構想は広がるばかりです。
故郷の桜
新学期が始まる前に、故郷(富山県入善町)に帰省していました。写真1枚目は、隣の朝日町との境を流れる舟川(小川の支流)べりの桜、約1.2kmの並木です。写真2枚目は、その遠景です。立山連邦の残雪をバックに、川沿いに280本の桜、手前に菜種油を取るための菜の花畑、球根を取るためのチューリップ畑が一度に楽しめ、「あさひ舟川 春の四重奏」として定着したスポットです。※案内の一部
写真3枚目は、新品種の桜「入善乙女キクザクラ」です。国指定天然記念物「杉沢の沢スギ」(入善町吉原)の枯死したスギにのって生育、自生の菊咲き性品種は極めて稀とのことです。1つの花に100枚以上の花びらを付け、開花後に花びらは白からピンクに変化するそうです。例年の開花は4月中下旬なので愛でる機会がありませんでしたが、4月6日、今年は咲き始めていました!
春の女子旅
ランチと観光を楽しむ女子旅第3弾は、4月1日、柿の王様「富有柿」の産地 五條市へ行きました。奈良市内から車で1時間ちょっとで、美しい瑠璃色をした音無川(吉野川)を眼下に望む「榮山寺」に着きました。私達4人の他に参拝する人はなく、桜が散り始めた境内はひっそりとしていました。写真1枚目は、法隆寺の夢殿に似たお堂、国宝「八角堂」です。内陣の柱や天蓋には、天平時代を代表する極彩色の仏画が残っているそうです。その写真の展示はありましたが、中は公開されていませんでした。(4月25日~特別拝観あり)
江戸時代の街並みが残る五條新町通りにある「源兵衛」(写真2枚目)で、地場の野菜をふんだんに使ったコース料理をいただき、周辺を散策しました。帰途は、モンブランが有名な洋菓子屋さん「ラ・ペッシュ」(吉野郡大淀町)と、ライトアップ中の「壷阪寺」(高取町)にも立ち寄り、暗くなるまで春の一日を満喫しました。
3月の活動
今年度の私の授業は3月3日まで、成績入力を済ませると、ひと月ほどの春休みとなりました。法人の定例活動(毎月第三土日)で伊賀に滞在した以外は、自宅周辺で過ごし、日に日に芽吹く庭の草木の手入れを楽しんでいました。
写真1枚目は、東大寺修二会の時に二月堂本尊の十一面観音に供えられた造花の「椿」6つ、椿の枝に挿しています。赤・白・黄色の3色に染められた和紙が使われており、お籠もりされる僧侶の手作りです。花入れは、お松明に使われた竹(童子として参籠した息子の作)です。玄関には、修二会の木版画(宮田渚先生の作)も飾り、お松明の燃え残った杉の葉を置いています。とてもいい匂いがします。
来客のあった時は、お抹茶を出すことがありますが、和菓子は東大寺修二会の時期だけ奈良で作られる「二月堂椿」(お店によって「糊こぼし」「良弁椿」)です。
奈良女子大学書道部「書道パフォーマンス」
今年度の奈良女子大学の課外活動は全面禁止の期間も長くあり、緩和された現在も制約は厳しいままです。昨年秋の「大仏書道大会」の時は一日2時間程度の許可が下り、搬入と受付のお手伝いをしましたが、それ以外の活動はできませんでした。私は外部者(講師)のため学内に入構できず、リモートでの指導を、とのことです。
JC(奈良県青年会議所)から3回目となる「書道パフォーマンス」の依頼を受けました。大学との交渉の末、活動を学外で行なうことで申請し、一定の条件の元で許可されました。部員達と久しぶりに集まりました。有志3人が、JCの今年のスローガン「Active Change」などの揮毫に真剣に取り組みました。この度の作品(3m×4m)は、JCの例会会場の舞台に展示され、本番の様子は撮影・編集されて会のオープニングに上映されることになっています。コロナを吹き飛ばすくらい元気なパフォーマンスになっていると思います。
漆による繕い
書斎では、「二十四節気」の印24点(磁印)の制作を始めたばかり、工房では、自宅用の食器の欠け(写真1枚目)や穴窯作品のヒビの漆による修復の最中です。写真は一部です。砥いだり、さび漆で埋めたり、中塗りをしたりと、複数の作品の乾き具合に応じて、あれやこれやの作業ですが、集中力の乏しい私には向いているようです。また、グラインダーではできない細かい削りは、ルーターを使うようになりました。ルーターは、磁印の補刀にも使えそうです。
今年1月で金継ぎ教室は卒業しました。教室でご一緒した仲間が不定期に私の工房に集っています。おしゃべりしながら楽しく繕い作業をする日もできました。
東大寺修二会
奈良に春を告げると言われる「東大寺修二会」は、戦乱や火災に見舞われても途切れることなく続けられ、今年で1270回目!コロナ禍の中で様々な対策が講じられ、練行衆の方々は、前行の「別火(べっか、2月20日~)」の前2週間はホテルで隔離生活を送り、臨まれたそうです。3月1日~の本行期間は、二月堂周辺は立ち入り制限や通行止めがあり、11日まではお松明が上がる時間帯に入場制限が設けられ、12日~14日は映像配信のみという体制で、行は厳修されました。
写真1枚目は、奈良博物館の特別展「お水取り」で展示されていた「籠松明」です。3月9日(月)に参拝した時には食堂(じきどう)に立てかけられて(写真2枚目)、12日の出番を待っているようでした。参拝者は例年よりはるかに少なく、二月堂に向かって左側の階段のすぐ近くから、お松明とその後に続く僧侶を間近に拝することができました。いつもより静寂なので、加供奉行(かくぶぎょう)さんの掛け声、僧侶の差懸(さしかけ)の音が響き渡っていました。
参拝の自粛を呼びかけて行なわれた今年の修二会の様子は、本行の期間中YouTubeでライブ配信、また、12日~14日は東大寺二月堂への立ち入りは禁止され、奈良の映画監督 河瀨直美さん撮影のライブ映像を、野外スクリーンや奈良の旅館などと自宅で見ることができるように配慮されていました。
「籠松明」が上がり、深夜には「お水取り」が行なわれる12日、私は奈良公園バスターミナル レクチャーホールにいました。18時半~その日の行が終わる翌朝4時頃までの中継を、200インチの大画面で見せてもらいました。お松明はいろんな角度から様子を捉え、堂内での行法は西の局からの映像でした。人数制限されたホール内は心地よく、お堂の特等席にいるようでした。この日は、春の嵐というような強い雨風のため、野外スクリーンは建てることができなかったそうです。撮影終了後、東大寺から駆けつけて来られた河瀨さんとゲストのミニトークもありました。
中一の行書学習
写真は、中学一年生の行書による色紙作品の一部です。与えられた手本を見て書写するのではなく、各々が選んだ好きな四字句の行書体を『三体字典』で調べて書いたものです。添削はしましたが、これまでの行書学習の成果です。生徒の中には、もう墨を磨ったり筆を持つ機会のない子もいることでしょう。吊るせるようになっている「たとう紙」の題箋には、中に書いてある四字と、その下に誰が何歳の時に書いたかが判るように年齢も入れました。「〇〇書 時年(ジネン、時に年は)十三」、誕生日前の生徒は「時年十二」です。
2月の活動
奈良県私学の中学高校の入試前2日間は、コロナ感染症予防のため生徒は登校せず、奈良学園はリモート授業が行なわれました。芸術科は、他の授業に振り替えてもらったので、富山に帰省しました。コロナ禍でサンダーバードは減便されており、緊急事態宣言が出ているためか自由席の車両に乗客は数人だけでした。電車での移動は久しぶりだったので、乗換えた京都駅と金沢駅のシンボルが新鮮に映りました。
実家での翌日は快晴で、白銀の立山連邦が美しく輝いていました。こんな明るい陽ざしは北陸の冬には珍しいことですが、この日の翌日朝起きると、一夜にして辺り一面真っ白でした。私は今年の雪が多いことを心配していたのですが、高齢の母が庭を見て「きれいでしょ」と言いました。雪が当たり前の故郷でした。
春の到来が待ち遠しい2月、庭には上旬から「椿」「ロウバイ」が咲き、今「サンシュユ」が満開です。
出かけた折々に、梅が目に留まりました。着々と春の足音がします。写真2枚目は「大和文華館」の梅、約80本あるそうです。特別企画展「大人の嗜み(たしなみ) 立花・鉄砲・古画鑑賞」の展示で、鉄砲術の秘伝書を初めて見ました。金銀泥下絵を施した華麗なもので、これが江戸時代の大人の嗜みなのかと、ただただ驚きでした。
写真3枚目は、「京都御所」の梅です。御所には、通年一般公開されるようになってからは初めて参観しました。御所を取り巻く「京都御苑」には「梅園」があり、御所より賑わっていました。写真4枚目は、御苑の南、九条邸跡 (写真5枚目、庭園に建つ「拾翠亭」)の北側にある銘木「黒木の梅」です。遅咲きのため蕾でしたが、濃い紅色の八重咲きの梅の開花を想像しながら、立派な樹を見上げました。※黒木の梅の看板
ギャラリーヒルゲート
京都の寺町通りにある「ギャラリーヒルゲート」で、弟夫妻の個展がありました。1階は「石田歩展 -トロッコ島の断片- 」、写真のようにたくさんの工作とスケッチが並び、興味津々に覗き込む人で会場は密になっていました。2階は、「石田真弓展 -MY COLLECTION- 」、昨年3月で美術教師を退職して、ほしかった時間ができたそうです。ここも来場者がいっぱいでした。
この展覧会のチラシは、二人の娘でテレビ局で美術を担当している石田由ちゃんが作りました。仲のいい家族のおかげで、子供のころから好きだった「図画工作」を60歳を過ぎてもできるのでしょう。本人は、真面目に遊んでいるのだそうです。※トロッコ島のつくり方、トロッコ島の遊び方
わら細工
2月21日、NPO法人Arts Planet Plan from IGA(伊賀市伊勢路) の造形ワークショップ「わら工芸」に参加しました。法人の土地柄、地域の方から「わら」を提供してもらうことができます。あらかじめ材料を各自が準備して集まり、テキストを見ながら、参加者7名で「ミゴ箒」や「釜敷き」を作りました。
私は「ミゴ箒」に挑戦しました。写真1枚目の奥が頂いたわら、手前がたくさん取った「ミゴ」です。ミゴとは、稲穂からモミを取った先の部分(実・後という意味?でしょうか)。わらの「茎」に節があり、1つの節から1枚の「葉」が茎に巻きつくようについており、一番上の節の上部が固くしっかりしたミゴです。1本のわら(茎)から、1本のミゴが取れます。このミゴを束ねたもの(写真2枚目)を、麻の色紐で綴じて「ミゴ箒」になります。作業を通して、いままで気が付かなかった稲の構造がわかりました。ミゴを取った後の柔らかいわらで、色々な「わら細工」ができるようです。
冬の金沢
大阪・富山間を走っていたサンダーバードは、北陸新幹線が開通してから、金沢までとなりました。故郷富山への乗換駅となった金沢に、「国立工芸館」が、昨年10月、移転オープンしたと聞いていたので、2月4日、帰省の折に途中下車して、金沢の中心街 香林坊に泊まり、翌日は工芸館などを周りました。
東京にあった国立近代美術館の工芸館は、旧近衛師団司令部庁舎(重要文化財)の建物でクラシカルで趣がありました。金沢の建物も、2棟の明治期の建物、旧陸軍の施設を移築改修、外壁や窓枠などが建築当時の色に戻して再現されて立派です。開催中の特別展「うちにこんなのあったら展」では、デザインと工芸の両方が楽しめました。また、金沢出身の漆芸家 松田権六(人間国宝)の仕事場が復元されてあり、制作の記録映像に見入りました。
工芸館に隣接した「いしかわ赤レンガミュージアム」も、堂々とした赤煉瓦造りの建物です。第1棟・第2棟は「石川県立歴史博物館」、第3棟は「加賀本多博物館」、旧陸軍兵器庫だったそうです。写真2枚目は、辰巳用水に使用された石管(三代藩主前田利常が造らせた導水管)を再現した記念の造型です。ワラが巻かれて、冬仕様になっていました。
ホテルからこのあたりまでは、レトロな建築を見ながら、ぶらぶら歩いて30分ほどでした。写真3枚目は旧制第四高等中学校本館の建物を活用した「石川四高記念文化交流館」、写真4枚目は旧石川県庁舎本館を活用した「しいのき迎賓館」です。
この度は、「21世紀美術館」や「兼六園」は傍を通るだけで(写真1枚目は、雪吊り)、金沢城の石垣沿いにお堀通りを歩いて、これまで行っていなかった長町武家屋敷界隈に向かいました。写真2枚目は、途中にある「尾山神社」の神門です。和漢洋の三様式を混用した異色の門で、第一層には戸室石積みの3つのアーチが架かり、第三層は四方がギヤマン張り(ステンドグラス)で、夕刻には照明が灯り色艶やかな美しい光を放つそうです。
藩政時代の面影を残す長町武家屋敷界隈は、風情ある景観です。石畳と土塀が続き、土塀を背に流れる用水が、安らぎを漂わせていました。写真3枚目は「坂口邸長屋門」、写真4枚目は「こも掛け」、写真5枚目は唯一屋敷内部が公開されている「武家屋敷跡野村家」のお庭です。立春は過ぎたものの肌寒い、凛とした冬の金沢でした。
1月の活動
「窯焚き」から戻った翌8日は、今年初めての授業でした。思いっきり窯を焚いて帰って、生徒と大好きな書道ができて、こんなに幸せなことはない!そんな新年の幕開けでした。
全国公募の書道展「大仏書道大会」に入選した作品と賞状・記念品が届いていました。 昨年秋、高校芸術科書道選択者全員が応募、4時間程度の時間しか充てられませんでしたが、部活だと思って、思い切り自己表現を!と取り組ませたものでした。写真は、入選作品5点をホールに展示した様子です。
その後しばらくは、仕事などで動いている時以外は、眠くて眠くて仕方がありませんでした。 穴窯の「窯焚き」中は初日だけ寝ましたが、後の5日間は仮眠程度だったのです。年を取ると、疲れが長引くのでしょう。「初詣で」は、遥拝で済ませていました。南を向いて「東大寺」「春日大社」、東を向いて「浄瑠璃寺」、西を向いて「般若寺」「奈良豆比古(ならづひこ)神社」に、手を合わせていました。
「窯出し」までの一連のイベントが無事に済み、お預かりしていた作品の発送も済ませた1月24日(日)、「正暦寺(奈良市菩提山町)」に行きました。この日は、夫が所属する「文人研究会」が寺宝の古文書の解読をしたご縁で、研究会メンバーが招待されていたので、私も同行しました。
雨の中でしたが、住職の大原さんは広い境内を案内してくださいました。写真2・3枚目は、整備された「竜神平」からの景色、続く山並みは竜のよう、眼下に客殿を望むことができます。特別に、秘仏「薬師如来倚像(いぞう)」(白鳳時代の金銅仏、腰掛けたお姿です)を拝することができました。とっておきの「初詣で」となりました。
穴窯焼成の作品
写真は、穴窯の火袋に置いた作品3点の素焼きと焼成後です。1つ目は焚き口脇、2つ目と3つ目は火袋正面に置きました。タタラ作りで成形した1つ目と2つ目の花器は、つなぎ目にヒビが入った状態で出てきました。漆で繕いができるか、やってみようと思います。3つ目の水指は、本体と蓋の間にかましたお団子もろとも灰がたっぷりかかり、一体になっていました。一生懸命に高温で焚いた記念の作品です。
写真1枚目は、鉢の中に藁で作った座布団を敷き、その上に片口を載せて窯詰めしたものですが、くっついて出てきました。写真2・3枚目の茶碗3点は、逆さまに窯詰めしました。こちらも支えとの間に藁の座布団を置きましたが、すぐに燃えてしまったようです。内側に少し団子の一部が残っています。写真4・5枚目は、少し大きい高台付きの皿です。この上に、大きな藁の座布団を作って載せ、1つ作品を置いていました。こちらは2つに剥がれました。藁の効果があまりでなくて、裏の方が面白く焼き上がりました。
60点ほど入れた作品の一部です。赤土は、友人の陶芸家からいただいた南蛮手、味わい深い焼き上がりになりました。白土は、西浦商事さんのブレンドです。
写真1・2枚目は、書作の脇を飾る花入れです。一番長い掛け花入れは50cm、まっすぐにしか作れませんが、焼成の段階で自然に曲がって出てきました。片口と脚付きの小皿は、赤土・白土それぞれたくさん作りました。いつもは、水滴・印盒や筆置きなどの文房具を制作していましたが、お茶道具(下の段の写真)に挑戦中です。
寒中見舞い
私にとっては大きなイベントだった「穴窯焼成」の窯出しが終わり、やっと年が明けた気分です。年末に作陶・窯詰め、新年早々の窯焚きを行なったので、今年の年越しは特別なものになり、年賀状を出すことができませんでした。やっと寒中見舞いを作りました。節分か春節までには届くように、これから印刷して、宛名書きをしようと思います。
本年も よろしくお願い申し上げます。
窯出し
新年早々に実施したNPO法人Arts Planet Plan from IGA(伊賀市伊勢路)の 陶芸グループ「粘土カフェ」主催の「第10回穴窯焼成」の窯出しを、1月17日(日)に行ないました。
写真1枚目は、窯を開けたところの様子です。火袋に置いた作品(写真2~5枚目)は灰まみれになっていました。作品と棚板などがくっついているものもあり、タガネではつりながら、丁寧に出していきました。
窯から出した作品は、火袋、前の棚、中の棚、奥の棚、と順番に並べていきます。写真1枚目の手前の方が火袋に置いた作品、写真2~4枚目は、前の棚に置いた作品の一部です。変化に富んだ作品が取れました。
写真1枚目は中の棚、2枚目は奥の棚の様子です。高い温度帯で長時間焼成したので、藁を巻いた効果があまり出ませんでしたが、奥の方までしっかり焼けていました。
窯から出した中の棚の作品の一部(写真1~3枚目)、奥の棚の作品の一部(写真4・5枚目)です。参加者全員でそれぞれの作品を鑑賞し、感想を聞き合う時間を設けました。粘土によって表情が違うこと、奥まで灰がかかっていてびっくりしたなどという声がありました。
午後は、棚板や支柱、窯の中をグラインダーなどできれいにする作業をしました。この日の参加者は、21名でした。
窯焚き
短くなった私の冬休み中に、NPO法人Arts Planet Plan from IGA 陶芸グループ「粘土カフェ」主催の「第10回穴窯焼成」を実施することになりました。年末の窯詰めの後、3日間は家に居ましたが、新年1月2日、活動拠点「MORITAI造形アトリエ(伊賀市伊勢路)」に行きました。翌3日朝8時に、窯焚きの火入れをするためです。写真1枚目のように、アトリエ一帯には雪が残っていました。
3日は、早朝から温度計の設置などの準備をし、お米・お酒・お水・お塩を備えて、予定通り火入れをしました。いつもは大勢集まって、焼成の無事を祈り献杯をしていましたが、安全な人手を確保しながらも密を避け、前泊は私のみ、早朝は2人の寂しいスタートでした。
その後は、翌朝まで4人で、交代で焚き火のような窯焚きをしました。素焼きをしていない作品もあり、最初12時間は100℃まで、さらに12時間は350℃までと、温度を抑えながら、木っ端で焚いていきました。この温度帯では、まだ焚き口から作品を確認することができます。(写真3~5枚目)
2日目朝からは、徐々に温度を上げていきました。グラフに書いた予定曲線より少し高い温度帯で500℃位になったところで、木っ端はなくなり、焚き口からの薪の投入となり、下の空気口を小さくしました。(写真1枚目)
3日目朝4時半、目標温度の1200℃になりました!窯当番は、薪の投入に力が入ります。この間、取り付けている2つの温度計の前の方の表記が出なくなったら、アトリエの薪スト―ブの扉のガラスが外れそうになったり、薪ストーブの薪が足りなくなったり、、、穴窯にアクシデントは付き物です。温度は後の温度計のみの記録となりましたが、仲間の協力で薪ストーブのガラスは固定され、雑木の枝をたくさん運んでくださる方もありました。参加者17名のグループラインがあり、窯の様子を写真と共に送ったり、お天気情報やヘルプのメッセージが、その場にいない人やこれから来る人にも届いて便利でした。
1200℃以上の温度帯をキープしたまま、順調な窯焚きが続きました。私たちが間伐材で作った薪約230束の他に、この度は業者さんの薪を130束購入しました。そのプロの薪の威力でしょうか、安定した温度帯での窯焚きを行なうことができました。
写真1枚目は、リラックスしてるやん!と、薪の投入の合間の窯当番私達3人を撮ってくださったもの、今回の窯焚きならではのシーンです。写真2枚目は窯の傍で暖を取るための焚き火、火遊びは楽しいね、と夢中になります。写真3枚目は陶芸専攻の留学生(大学院生)と私です。この度は、作品を入れている学生さん達は自粛でしたが、ご自分の意志で参加してくれました。居合わせた人たちと、余裕のポーズで写真を撮ることもありました。
5日目の朝、薪がなくなって、予定より2時間半ほど早い9:35、窯を閉じました。1200℃以上の温度帯での窯焚きが52時間続いていました。写真1枚目は窯の正面を閉じたところ、写真2枚目はその直後、煙突を閉じるところです。火が噴出しているところを用意していた土で埋め、沈静した窯の様子が写真3枚目です。小雪舞う中での作業、窯閉じとお掃除に参加したメンバーは9名でした。
前泊を含めて6日間の参加者は、のべ 57名でした。夜の人手の足りないところに行きますよ、と言ってくださった人、朝いないの、というと遠方から早朝に来てくださった人、夜通し朝5時まで焚いてそのまま出勤された人、また、3時間だけでも来てくださる方が8名もあり、力を出し合って行なうことができました。体調に自信がない方の自粛、なにより安全第一を呼びかけました。ここまでは怪我もなく無事に終了でき、ホッとしています。