7月の茶の湯
刻字作品
喜光寺
奈良大学博物館
墨翔の集会
清水直子展
井上博道記念館
穴窯の看板
加太・友ヶ島
正木美術館
6月の活動
刻字作品
6月の茶の湯
長谷寺
田中冬二
関市・美濃市
志賀直哉旧居
楽焼き焼成
サッカー奈良クラブ
茶碗と蓋置き
5月の活動
浄瑠璃寺
楽焼き
5月の茶の湯
空海
宇治
鈴木悠斎花札展
4月の活動
1枚目の写真は、友人が送ってくれた春日大社「万葉植物園」の藤です。境内には古くから藤が自生していたそうで、藤原氏ゆかりの花です。園内には早咲きから遅咲きまで20品種200本の藤が植栽され、2週間もの間楽しめるとのことでしたが、実は行きそびれていました。写真2枚目は、家の庭に月末から5月のはじめの一週間ほど咲くニセアカシヤの花です。
梅が春を告げ、桜を愛でていると間もなく、チューリップや藤も咲き、着実に季節が移って行きますね。授業がないので新学期の準備に追われることもなく、墨翔展が8月に延期になったこともあり、いつになくのんびり過ごしていました。
ふうせんかずら
無人・シェア型書店「ふうせんかずら」は、通常は暗証番号で入店をするという新しい形の書店ですが、4月20日~5月6日まで、均一古本市が開催されていて、多くのお客様で賑わっていました。
会期中の4月29日、「小さな本屋」を出店している友人が、お店のテーブルを一日だけ借りて有人のお店を出し、古本や雑貨の販売を行ないました。私にもお声をかけてくださり、「蔵書印」にも使える平仮名1文字の「磁印」を置いてもらいました。一日お店に居ましたが、いろんなジャンルの本を見ていると、退屈することはありませんでした。
平城宮跡東宮庭園
4月28日、子供達家族が集まり、孫の入学祝と私たちの退職記念に、奈良ロイヤルホテル扇滝(写真1枚目)でお食事をしました。その後、平城旧跡の東にある「東院庭園」に行きました。L字型の池を中心に、貴族たちが宴会や儀式を行なったという迎賓館のような古代の庭園で、平成10年に復元されました。写真4枚目は、石の庭です。
奈良女書道部「May展」
奈良女子大学書道部は、入学式には勧誘のビラ配り、積極的にサークル紹介なども行ない、1回生8名の入部がありました。今年度は、1~3回生25名と共に活動します。
写真は、新年度最初のイベント「May展」の様子です。会期は4月23日(火)~5月27日(月)10:00~16:00まで、会場は旧鍋屋交番(奈良市きたまち鍋屋観光案内所)です。部員一同、和気あいあいと制作しました。見てくださった方々からも書を楽しんでいる様子が伝わると、好評でした。
入善
叔母の四十九日法要のため、17日~21日まで帰省していました。ちょうど「にゅうぜんチューリップロード」開催中で、「見てこられぇ」と親戚のものが勧めるので、母や弟と一緒に訪れました。チューリップは入善の町の花でもあり、球根は町の特産品です。この時期に帰省することがなかったので、初めて見ました。面積・本数が日本最大級とか、、、残雪の北アルプスを背景に鮮やかでした。
奈良に戻る途中、名神高速道路「八日市インター」から、東近江市立「永源寺図書館」に立ち寄りました。書のグループ「墨翔」の先輩の友人磯部南海雄(書)と、中野亘(陶)の二人展をしていました。
写真1枚目の手前にあるのは「桜灰釉水指」、3枚目の書「常・楽・我・浄」は、今展のテーマでした。書も陶作品も独創性に富み、帰ったら「墨翔展」の作品に取り掛からなければ、と意欲が湧きました。
一乗谷朝倉氏遺跡
4月16・17日、富山に帰省する途中、福井市にある「一乗谷朝倉氏遺跡」を訪ねました。写真1・2枚目は「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」で撮ったものです。栄華を誇った戦国城下町の全体像が予習できました。
この日は、遺跡から5km程東にある「ルポの森」(写真3・4枚目)に泊まりました。自然あふれる森の中の宿泊施設で、ジビエ料理が美味しく、森林浴のような天然温泉もありました。
一乗谷は、福井市街から東南約10kmの所にあります。戦国大名朝倉氏が築いた中世都市の跡が、東側の山際によい状態で埋まっており、遺跡発掘が進められ整備されていました。写真1枚目は、朝倉館跡(やかたあと)の入り口、堂々とした唐門です。
広大な敷地の中には、15ヵ所以上の庭園跡が確認されたそうです。そのうちの4つの庭園が国の特別名勝に指定されていました。滝石組に巨石を配した庭園や、石組の庭、平庭や枯山水など、美しい庭に投影される美意識と文化は、当時の京都のように華やかだったことが偲ばれました。
館跡の川と道路の向かい側には、平面復元地域と、塀に囲まれた重鎮の武家屋敷や庶民の町屋が立体復元された「復元町並」がありました。当時の礎石や石垣がよい状態で残っていたからこそ実現できたとのことです。
写真1枚目は「下城戸(しもきど)跡」、谷が最も深い地点にある巨大石で築かれた城門です。高さ5m近くあり圧倒されました。スケールがわかるように前に立って、見知らぬ人に写真を撮ってもらいました。
写真2・3枚目は、「西山光照寺跡」の石仏群です。一乗谷周辺には、石仏石塔が6000点以上あるそうです。一乗谷は、石に守られ、石を配して華やかな景観を作り出していました。無数の石仏からは人々の深い信仰心と歴史が感じられました。
みはる陶秀窯
4月7日、信楽町の窯元「みはる窯」の敷地内に築窯中の「みはる陶秀窯」の作業に参加しました。この日は、「土打ち」をしました。竹で組んだ窯の上部を厚紙で覆い、作業土に古い煉瓦の割ったもの(シコ)を混ぜ、それを全体に叩きつけて、厚い壁を作りました。表面を耐火モルタルで整え、この後、内部の修正を行ない、乾燥させるとのことです。
4月の茶の湯
お茶の先生のお庭の桜です。4月6日のものです。庭の奥の方がどこまであるのかわからないくらい広く、依水園の庭と一部接しているそうです。
8日は、お釈迦様の誕生日、右手で天を指し、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と唱えたという誕生仏が飾られていました。4月のお茶のお稽古は、2日とも着物で行きました。
佐保川・若草山
「奈良県図書情報館(奈良市大安寺)」は佐保川縁にあり、桜のシーズンは特に眺めがいいのです。また、「大佛記念鐡道公園(奈良市法連町)」のしだれ桜(写真3枚目)も圧巻です。そこで、4月5日の夕刻から、図書情報館を出発して大佛鐡道公園までの3~4kmくらいの道を歩きました。夜も更けるとぼんぼりが灯されている川縁もありましたが、桜が咲いていなければ歩くことはなかったかもしれんません。
この時期の若草山ドライブウエーも桜が美しく、車ですが、夜間も山頂からの眺めを楽しむことができます。写真4枚目は、この日の若草山からの夜景です。
奈良女書道部の日帰り合宿
奈良女子大学書道部は、昨年末に代替わりコンパを行ない3回生は引退、その席で新しい部長や係が決まりました。新入生の入部が決まるまで、2・3回生17名で活動しています。
4月3日~5日は、学内の合宿場で「日帰り合宿」をしました。4月末から開催する「May展」の準備です。会場の「旧鍋屋交番」は小さなスペースなので、共同作品や小品の作品を制作中です。看板が完成し、記念館裏の広場と正門前に設置しました。
合宿場の隣に、奈良高等女子師範学校・奈良女子大学の同窓会所有の「佐保会館」があります。旧暦の雛祭のこの時期、収蔵されている「郷土人形や雛人形」の展示が行なわれていました。担当の方が、たくさんのお人形を展示するための段々になっている木組みを、裏に回って見せてくださいました。建築物のように立派のもので、番号や記号に従って何日もかけて組み立てるのだ、とおっしゃっていました。
京都府八幡市
淀川の3つの支川(木津川・宇治川・桂川)は、八幡市(やわたし)付近で合流しています。4月2日、木津川と宇治川に挟まれた「背割堤」の桜を見に出かけました。京阪電車「石清水八幡宮」駅から北に歩き、「さくらであい館展望塔」から左に続く1.4kmの桜のトンネルを往復しました。満開には少し早いようでしたが、歴史のある桜並木なのでしょう、太い幹が堂々としていました。
駅に戻り、レンタサイクルを借りて、3km程南にある「松花堂庭園」へ行きました。途中「安居(あんご)橋」「善法律寺」「正法寺」などを通りました。
広大な庭園内には竹林が残り、たくさんの椿、梅や桜などの中に、「松隠」「竹隠」「梅隠」の3つの茶室(写真1・2・3枚目)などが点在していました。下の段の写真は、松花堂昭乗が隠居後に住んだという「松花堂」、茶室のような広さ二畳の草庵でした。
駅に戻り、ケーブルで男山の山頂にある国宝「石清水八幡宮」に参拝しました。松花堂昭乗もここの僧侶を務めました。現在の社殿は、徳川家光によって造営されたそうです。午前中に歩いて散策した「背割堤」を、眼下に望むことができました。
3月の活動
3月6日、奈良学園に最後の成績を入力に行きました。1枚目の写真は、お掃除を済ませ、備え付けの硯や毛氈も片づけて、椅子を上げた状態の書道室です。
写真2枚目は校舎の入り口、その玄関の入り口に掛けてある私が制作した刻字の看板の前で、記念に写真を撮りました。下の子供が3才になった年の4月、私は39才でした。その時から、31年間も勤めさせていただきました。同僚や友人と退職祝いのお食事会をし、プレゼントもいただきました。
母の姉が100才で亡くなり、3月上旬に帰省していました。葬儀会場から、まだ雪に覆われた美しい朝日岳などの山々を臨むことができました。母の実家は曹洞宗、木魚、鐘、シンバルが鳴り響き、3人の僧侶による輪唱のような読経でした。
3月は退職、葬儀、大阪にいる孫(娘の子)の卒園式15日、姪(弟の子)の結婚式31日、と冠婚葬祭が続きました。写真3枚目は、姪の結婚式場「アカガネリゾート京都東山」の起伏に富んで広い庭、弟の結婚式で着た和服を再び着てみました。節目の年の年度末でした。
3月の茶の湯
写真1枚目は、富山の実家の茶室で、お抹茶を点てているもうすぐ小学生になる孫です。お抹茶自体は苦~い!と言っていましたが、点てるのは楽しそうでした。
写真2~4枚目は、先の楽焼き講座でご一緒した友人のお茶碗3点です。私は、気に入ったものができませんでした。眺めているより、お茶を点てて見ると楽茶碗の素朴さが引き立って、いいものですね。居合わせた別の友人も茶の湯を嗜むので、自作のお茶碗が作りたいと言って、次の講座には3人で参加したいね、と盛り上がりました。
入江泰吉旧居の写真
30日、東京在住の奈良女子大学書道部のOGが奈良に来て、「入江泰吉旧居」に行きたいと言うので、一緒に訪ねました。写真1枚目は室内です。ここで、写真集を見ていた時、1枚の写真に目が留まりました。桜満開の中の東大寺大仏殿(写真2枚目)です。どのあたりから撮った風景か、察しが付きました!
若草山ドライブウエーの中腹から同じアングルで撮ることができると思い、彼女と向かいました。写真3枚目は私が撮っているところ、撮った写真が4枚目です。桜はまだ蕾でしたが。
姫路
3月25日、日帰りで姫路に行きました。よく利用するアパレル店「みなとのてんらんかい」の本店を訪ねたいと思ったからです。イギリスの田舎の暮らしに魅せられたオーナーこだわりの建物、リバティプリントの洋服や雑貨が豊富にあり、ヴィンテージの家具のあるティールームでブリティッシュスタイルのランチをいただきました。
姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」を散策しました。国宝「姫路城」を借景として造営され、平成4年に開園したそうです。池泉回遊式の広大な日本庭園で、屋敷跡の地割りを活かして、「御屋敷の庭」「茶の庭」「流れの平庭」「松の庭」「竹の庭」など9つの趣の異なった庭園群で構成されていました。茶室や庵などの建物や渡り廊下、塀や門も、江戸時代の趣を感じさせる景観でした。
姫路城です。好古園の隣とはいえ、それぞれが広いため好古園を堪能していると、姫路城の中に入る時刻に間に合いませんでした。周囲を歩いて、美しく雄大な佇まいを眺めました。
3月の活動
昨年末に頼まれて制作した刻字作品が、古民家レストラン「しれ」の前庭に飾られた写真が送られてきました。板も立派でしたが、立派な屋根付きの枠に吊るされてありました。看板としてお役に立ち、お客様が目に留めてくださりようなら、嬉しいことです。
楽焼き
3月10日(日)、「滋賀県陶芸の森」の楽焼きの講座に参加しました。ご指導くださるのは、地元信楽の陶芸家 奥田英山先生です。紐づくりではなく、粘土の塊から窪みを付け(写真1枚目)成形していきます。高台の作り方や、重くならないようにカンナで丁寧に削って作る方法を学びました。
素焼きは陶芸の森で済んでおり、 24日(日)、茶碗に施釉し(写真1枚目)、焼成を行ないました。この日は、若い3人の先生がご指導くださいました。写真3枚目の籾の入った缶に、焼成間もない作品を入れて燻すと、表面に変化が出ます。
朝日町ふるさと美術館
3月17日~23日まで、娘と孫と一緒に帰省していました。施設でお世話になっている母と、しばらく家で暮らします。
実家のある富山県入善町に隣接した朝日町の町立「朝日町ふるさと美術館」で、郷土作家企画展として、弟 石田歩の高校時代の美術の恩師の遺作展「追悼 湯口敏明展ー教え子たちに囲まれてー 」が開催されていました。湯口先生と弟を含む教え子の画家4人の美術館収蔵作品が展示されていたので、母も一緒に出かけました。
写真3枚目は、美術館の向かいにある国指定史跡「不動堂遺跡」です。縄文時代中期の集落遺跡は公園のように整備され、保存公開されている竪穴式住居は国内最大級の大型の建物だそうです。
小さな本屋
近鉄奈良駅から南に600mほど歩いた所(奈良市東城戸町)に、新しいスタイルの書店「ふうせんかずら」があります。無人ときどき有人・約60組の書店が出店中のシェア型書店です。オリジナル雑貨や美味しいものも販売されます。
図書館司書でもあった本好きの友人が棚主となりました。コースターほどの大きさの看板を刻字で作りました。「小さな本屋」です。どうぞ覗いてみてください。
東大寺修二会
東大寺二月堂修二会の本行は、3月1日午前1時頃に行なわれる「受戒」から始まり、「日中・日没・初夜・半夜・後夜・晨朝」に悔過作法が、14日の深夜まで毎日繰り返されます。
1日19時、初夜の行法のために上堂する練行衆の足元を照らすお松明が上がるのを、三月堂あたりから見た後、二月堂の局(写真1枚目は、その扉)で美しい声明をしばらく聴聞しました。写真2枚目は二月堂舞台からの景色です。
写真3~5枚目は、5日、二月堂舞台下芝生の北側の階段「登廊」近くから撮ったものです。練行衆12人のお坊さんを補佐する童子(どうし)という世話役が一人ずつ付き、参籠宿所で寝食を共にしています。この童子がお松明を担ぎます。毎朝、自分が持つお松明も作るそうです。
童子の一人が、私の息子(写真1枚目)です。担いでいるお松明は、「達陀(だったん)」の行に使うものです。兜のような帽子を被った「火天」が持ち、お堂の中で燃えさかる松明です。3本あるうちの1本を、12日夕方南側の階段から二月堂に運んでいました。
写真3~5枚目は、この日の「籠松明」です。いつもよりひと際大きく直径1m程あります。杉の葉やヘギ、杉の薄板で細工して、何日もかけて作られるそうです。
12日の「籠松明」が上がった後、一旦家に戻り仮眠して、再び二月堂に向かいました。
13日午前1時半ごろから3時頃まで「お水取り」の行が行なわれます。深夜にもかかわらず、多くの参拝者の見守る中、練行衆と蓮松明を持った童子の行列が南側の階段を下りて「閼伽井屋(あかいや)」に向かいます。雅楽が奏でられ(写真2枚目)、厳かに行列は進み、お香水を汲みます。お香水の入った桶は、榊を飾った担い台に乗せられ、駆士によって3往復して二月堂に運ばれました。
大和郡山城
2月3日~3月10日まで大和郡山城で開催されている「第21回大和郡山盆梅展」に、3月5日に訪ねました。大和郡山市内の愛好家が育てた「盆梅」120鉢が、お城の櫓の中に展示されており、外の枝垂れ梅も咲いていました。樹齢を経た梅が室内に飾れるサイズで鑑賞することができ、迫力がありました。
写真3枚目は極楽橋、城内の柳澤神社を通り奥へ進むと天守台があり、さらに登ると展望施設が整備されていました。写真4枚目は、天守台展望施設からの眺めです。眼下の城下町と、平城京大極殿、薬師寺、若草山までが一望できました。
2月の活動
昨年6月に70才になったので、非常勤講師ですが来月末で退職です。2月28日が、最後の授業でした。6限の終わりに中一D組さんの一人が、せいの!と声をかけ、奈良学園の校歌を歌ってくれました。高一の皆からは色紙に寄せ書きをもらいました。
書道教室の片付けと掃除のために少し教室に残っていると、なんで辞めるの?と言って生徒が訪ねてきます。定年?60才?と言うので笑っていました。写真1枚目は、書道教室の落書きです。音楽の先生に、書道教室の前で写真を撮ってもらいました。
駐車場に昨年植えた梅の花が咲きました。リビングからも眺めることができ、春を告げる嬉しい開花です。椿もスイセンも咲いたので、生けました。
例年は「墨翔展」の作品作りの時期ですが、8月に延期になったので、テーマをこの頃気持ちが向いている「茶の湯」と決めただけで、平面構成の構想を練ってぼんやり過ごしていました。制作途中の刻字「知足」と、頼まれている「みはる陶秀窯」の看板も展示しようと思います。
2月の茶の湯
茶席は、季節の先取りだそうですが、お茶のお稽古に行くと、床にはお雛様のお軸と奈良の一刀彫の雛人形が飾られていました。お玄関には菅原道真のお人形(写真4枚目)、受験シーズンに因んで置かれていたようです。
春らしい色目の着物を着て行きました。写真5枚目のバックと水屋袋は、染織家の友人 吉川千賀子さんの手作りです。バックの裏地には私の道行きの残り裂を使い、取っ手は帯締めです。1月の初釜、ピアノのコンサート、珠光茶会、2月のお茶のお稽古の3回とも和服で出かけました。着物と帯や小物の取り合わせも楽しく、今年からやっと、自分で着るようになりました!
二月堂椿
東大寺二月堂修二会の際に、十一面観音に捧げられる造花の椿は、紅花染めの深紅・白・クチナシで染めた黄色の和紙でできています。息子が修二会の童子をしているので、煤けた造花をいただくことができ、生木の椿にさして、この時期に飾っています。友人やお茶仲間に差し上げると喜んでくださり、思い思いに飾っておられるようです。(写真2・3枚目)
写真4枚目の菓子皿(写真5・6枚目は、その箱書き)は、彫刻家 水島石根(いわね)さんの作品です。木彫・ブロンズ・テラコッタに乾漆の彫刻、陶芸も絵画も手がけられる方です。木津市鹿背山(かせやま)に工房があり、大らかな作風に感動したものです。
京都北野
毎月25日は、京都「北野天満宮」の縁日で市が立ちます。上七軒界隈を歩くだけで古都の風情が感じられ、ワクワクしました。2月25日は、梅の花をこよなく愛した御祭神 菅原道真公の祥月命日で、特別な祭典が斎行される日、境内は梅が咲き誇っていました。古道具屋さんで竹の籠を買いました。
ランチの後、「楽美術館」に行きました。一緒に行った友人2人とは来月、滋賀県陶芸の森の「楽焼きの講座」に参加する予定だったので、食い入るように楽茶碗を眺めました。そして、ここから今出川まで歩く途中にある「虎屋」さんでお汁粉もいただき、久しぶりの京都を満喫しました。
奈良町家シンポジウム
「珠光茶会」のイベントの一つ、23日(金・祝)、奈良公園バスターミナルのレクチャーホールで「奈良町家シンポジウム」があり、友人と行きました。神津朝夫氏の基調講演と、近代の茶室や個性豊かな茶室の紹介を通して、茶の湯文化の豊かさと未来を考えるデスカッションでしした。
その後、奈良国立博物館にある「八窓庵」の見学、いつもは博物館側から庭越しに見ている茶室ですが、杉皮を竹で押さえて葺いているだけの「大和葺き」の露地門から入りました。元は興福寺の大乗院門跡にあった江戸時代中期のもので、織部好みの多窓式の茶室です。
写真1枚目は、腰掛待合あたりからの眺め、博物館の新館を背景に心字池にかかる橋と茶室が水面に写っています。入母屋造り茅葺の屋根も美しく、一度、中で一服いただきたいと思っていますが、未だ叶いません。
和菓子作り
木曜日に月2・3回、「金継ぎ女子会」をしていますが、いつもおしゃべりが弾んで、なかなか金継ぎに取り掛からないうちに、お弁当の時間になるのが常です。この日も、近くの家庭農園に「蕗のとう」をもらいに行き、和菓子作りをして、お抹茶もいただき、金継ぎもするという盛りだくさんの一日でした。
この時期の奈良の和菓子と言えば「二月堂椿」、和菓子教室に通っているメンバーが、このキッドを用意してくださいました。赤い花弁2枚と白い花弁3枚、黄色い花の芯になるところには、ご飯しゃもじを当てて模様を付けます。庭の椿の葉っぱをあしらい、梅の上絵のある扇型の自作の盤皿に盛りました。
みはる陶秀窯
信楽にある「みはる陶秀窯」の築窯が進んでいます。今日は大事な作業!と動員が掛かり、18日(日)の参加者は8名でした。割った竹で窯上部のカーブを組み、結束バンドやひもで固定していきました。以前活動していた「粘土カフェ」の築窯の時は、木組みで天井のカーブを作り、耐火煉瓦を積みました。信楽の古い作り方なのでしょう。いよいよ穴窯の形になってきました。
中之島美術館
2年前に開館した中之島美術館に、15日、初めて足を運びました。大好きな「モネ」の展示でした。オランジュリー美術館で圧巻の睡蓮を見ていたのですが、同じ対象を時間や季節や天候によって変化する様子を描き留めた「連作」を見て、改めてモネのこだわりを感じました。これが後半生に多くの睡蓮を描き残すことに繋がるのだと思いました。睡蓮など一部の絵画の撮影ができました。
第十回 珠光茶会
奈良の冬の行事として定着した「珠光茶会」、今年も2月6日~12日の7日間、奈良市内の寺院などを会場に、三千家はじめ茶道7流派の各茶会、ツアーやシンポジュウムが開催されました。
8日(木)には、法華寺の「光月亭」で遠州流によるお濃茶とお薄の釜が掛けられ、友人と参加しました。ちょうど法華寺の庵主様がご正客のお席に、ご相伴することができました。半東さんは日本語が達者な外国の方でした。写真は、法華寺「本堂」です。
10日(土)は、建築士と巡る「ならまちの茶室」散歩 に参加しました。最初に「奈良町にぎわいの家」で煎茶をいただき、徒歩で1km余りを解説付きで奈良町界隈の町家や寺院の茶室、お座敷の茶室空間を見学しました。「奈良町からくりおもちゃ館」の欄間(写真2枚目)、「西村邸」(写真3枚目)、「十輪院」にある「頻婆果亭(ひんばかてい)」(写真5枚目)など、また露地や庭も興味深く、茶の湯の意匠がいたるところに隠されていたりして、楽しく豊かな気持ちになりました。奈良町には、古くから生活に溶け込むようにお茶の文化があったのですね。
1月の活動
1月11日、半月ぶりに奈良に戻り、三学期の授業は1月17日からでした。写真1枚目は、高校芸術科書道、「楷書」2回目の黒板です。漢字の5つの書体のうちの「楷書」を、書体の変遷の順番通り最後にもってきて、主に唐の四大家の書風を学習しました。中一の書写は、「行書」の学習のまとめとして、好きな四字句の作品づくりに取り掛かりました。
写真2・3枚目は、昨年12月の穴窯焼成の花器と水指です。赤く実を付けた庭の万両を生けました。例年なら、書のグループ展「墨翔」の作品づくりを始める時季ですが、8月に延期になったため、のんびりしてしまい、テーマは「茶の湯」がいいかなぁ、と漠然とした構想を練り始めたところです。
1月27日、奈良の伝統行事「若草山焼き」が行なわれました。写真は、山腹で松明のお世話をしていた息子が送ってくれたものです。私は山麓間近で見たことがありませんが、自宅付近からも例年にも増して今年はダイナミックに燃えていることがよくわかりました。慰霊や平和を祈る想いが圧巻の炎に託されているようでした。
1月の茶の湯
新年の志の一つが、なるべく休まず、お茶の教室に通って茶の湯を楽しむこと!です。昨年から着付けを習っていましたが、意を決して、今年からお茶の日は和服で行く!と決めました。たくさんある和服がもったいないのと、織や染に興味があるからです。お稽古の帰りに着付けを習った友人宅に行って、チェックしてもらいました。
写真は1月のお茶の教室の時に撮ったもの、新年らしい設えです。武者小路千家お家元のお軸「壽色」、炉縁は普段のものと違って「黒塗蒔絵」でした。干支の龍の香合、おめでたいザクロの香炉や「仏手柑」が飾られ、お菓子は鶴や梅などでした。
猿沢池の近くにある「ホテル&ギャラリー天平ならまち」(奈良市樽井町)に、知人の日本画展を見に行きました。そのロビーに茶室が展示されていました。作者は建築家 橋口新一郎氏、奈良晒(さらし)の麻糸を使った織物の茶室で、中には、西大寺の「大茶盛」のお道具が置いてあり、茶碗・茶筅・茶杓は特大です。茶室は元々解体、移築して使われることも多いそうです。このような奈良の伝統を活かした茶室を、庭やビルの屋上などで使ってみると楽しいでしょうね。
みはる陶秀窯
昨年11月から、みはる窯(信楽の窯元、神崎家)の敷地内にあった「みはる陶森窯」を改築して、「みはる陶秀窯」を築くプロジェクトに参加しています。「陶秀窯」の「陶秀」は、主宰する松本陶剋さんの「陶」と、神崎秀策先生の「秀」から名付けたそうです。
メンバーは10名、毎週週末の一日が主な活動日、2名~6名程度が集まって解体作業は年内に済み、元の窯より小さい穴窯を築こうというものです。5月頃を目標に完成した後は乾燥させ、初窯焚きは10月の予定です。
写真は、1月21日(日)の作業に参加した時の様子です。元の窯の壁面の内側に耐火煉瓦を積んでいきました。写真3枚目は取り崩した窯の天井部分から焚き口あたりを撮ったもの、写真4枚目は作業の最後に焚き口から内部を撮ったものです。
独立書展
「 国立新美術館」全館を使って、1月11日~2週間、「独立書人団」最大規模の展覧会が行なわれていました。会場の設営展示作業も担当している大学時代からの友人に4年ぶりに会い、案内してもらいました。久しぶりに大規模な書の団体展を見ました。※海外向けのポスター
写真1枚目は大石千世さん(私より10才年上で、独立書人団を代表する女流書家)の作品「臨」、足を止めて見入った作品です。キャプションには「At The End of Life 母の命を見つめている その深く澄んだ世界を5本の線に凝縮」とありました、、、なるほど力のある線です。2枚目は友人の作品です。3枚目は「主」、以前「主人公」と書いた時にこのような古文の「主」を試みていたので親しみを感じました。超大型の作品もありました。
独立書人団の創立者 手島右卿は、高校の頃から私が最も魅力を感じていた書家でした。その語録の一部が会場の所々に掲載されいました。今もなお新鮮で、初心に返ったよう気持ちになりました。
根津美術館
1月10日、根津美術館(港区南青山)を訪ねました。茶道具をはじめ、「燕子花屏風」など国宝7件ほか日本・東洋の充実した古美術が収蔵されています。本館ホール(写真1枚目)は、庭園に面した南側壁面は全面ガラスで、ガンダーラの弥勒菩薩立像や中国の石仏が常設展示されています。この日の企画展は、「華麗なる日本染織の世界 繍(ぬい)と織 」でした。
根津美術館を訪れるもう一つの楽しみは、まさに都会のオアシスと言われる庭園の散策です。園路は飛び石から石畳に改められたそうです。池を中心とした日本庭園の樹木は自然そのまま、起伏に富んだ小径を進んでいくと、石仏・石塔・石灯籠などが点在し、田舎風の建物や茶室が配されています。冬の庭園に縁起物としてよく見られる「稲藁ぼっち(写真4枚目)」が所々に置かれていました。庭園を眺めながらランチをいただきました。
東京へ
年末年始の2週間を富山の実家で過ごした後、最寄り駅「入善」から「あいの風とやま鉄道」に乗り約30分「糸魚川」(新潟県最西端)へ。写真1枚目は、交通の難所「親不知・子不知(親知らず子知らず)」(糸魚川市西部)辺り、車中から日本海を撮ったものです。断崖絶壁を鉄道が走り、北陸自動車道はさらにその北、海の上(海上高架橋)を通っています。
写真2・3枚目は、糸魚川駅ホームから撮ったものです。北側は日本海が望め、糸魚川市街地です。反対側は北アルプスの峰々がそびえ立っていました。ここで、新幹線に乗り換えて、東京へ向かいました。
東京の親戚に用事があり、2泊しました。写真2・3枚目は、六本木の交差点から撮った「六本木ヒルズ」です。久しぶりの東京なので、ビル街が新鮮でした。ついでに訪れたいと思っていた「国立新美術館」(写真4枚目)・「根津美術館」が徒歩圏にある港区西麻布のホテルに泊まりました。バスで渋谷・新橋に出るのも便利です。
辰年のお正月
小間の茶室に、母の好きな利休百首の一つ「稽古とは 一より習い 十を知り 十よりかへる もとのその一」を掛けました。福本雅一先生の奥様が織られた紬に書いたものです。床や玄関に、新年らしい作品を飾りました。
「一富士二鷹三茄子」などおめでたい意匠のお茶碗(写真5枚目)を選んでおいて、お客様にもリビングのテーブルで気楽にお抹茶を点てて差し上げました。金沢の友人が送ってくれる「辻占」のお菓子は、中から小さな札が出てくる仕掛けが楽しく、会話が弾みました。
干支の辰年の動物「龍」の文字は、どの書体も造形的に面白いと思います。文字は書くより打つ時代になり、表も裏にも手書きの文字がない年賀状も多くなりましたね。私はパソコンが苦手なので、宛名は墨をすり毛筆で書きますが、ペンの文字でも短いメッセージが書いてあると嬉しいものです。
書やアートに関わる方々との交流が多いので、筆文字、木版画、篆刻など、1つの作品として鑑賞できる年賀状をいただきます。写真2・3・4枚目は一部です。
年のはじめに
甲辰(コウシン、きのえのたつ)の歳が始まりました。昨年は、5月に新型コロナウイルス感染症が5類感染症に移行し、2019年以前の姿を取り戻しつつある中で、書や陶芸などの活動が活発に再開しました。
60年前の甲辰の年には、東京オリンピックがありました。私は小学校5年生でした。屈託のないあの頃のことは鮮明に覚えていますが、月日の経つのは早いものです。70歳代になったのですから、少しのんびりとしたペースで過ごしたいと思っています。(年賀状をクリックすると大きくなります。)
元旦の朝、 実家の庭には雪が積もっていましたが、冬の北陸には珍しく晴れていたので、母と徒歩5分くらいの所にある「入善神社」に初詣に行きました。道路のセンターライン上には融雪パイプがあり、水温が高い地下水で散水しているので、歩く道には雪は積もっていません。神社の幟には「善が入ってくる神社」とありました。(写真3・4枚目は、奈良にいる家族が送ってくれた元旦夜明け前の東大寺大仏殿です。)
家に戻り、くつろいでいる夕方4時頃、長い揺れがありました。津波の心配があるというので、高台にある親戚の家に非難し、翌日、家に戻りました。周辺の被害はありませんでしたが、能登地方の惨事には心が痛みます。ご近所でも「おめでとうございます」の新年のご挨拶を聞くことはありませんでした。震災を身近に感じる年明けとなりました。