12月の活動

12月の活動

 写真は、実家近くからの景色です。年末年始を故郷(富山県入善町)で母と過ごすため、二学期の成績入力後は特に多忙で、充実した12月となりました。
 半年ぶりの穴窯焼成や小旅行は冬休みならではの楽しみでしたが、年内に「レトランしれ」の看板をお届けしなければと思っていました。そんな中、お願いしていた寝室・工房以外家中のクロスの張替えが、施工業者さんのご都合でこの時期となり、慌てました。額や物の移動や拭き掃除、作業中は家中が建築現場のようでした。寝る前にも、起きてからすぐにも(寸暇を惜しんで)工房で鑿を揮い制作しました。頑張れば半月で刻字作品ができるんや!とわかったのですが、この自信?はよいことなのかどうか、、。年賀状は何とかプリンターで作成、例年のことですが、宛名書きは実家でお正月になってからです。

河野通一回顧展

河野通一回顧展 河野通一回顧展
河野通一回顧展 河野通一回顧展 河野通一回顧展

 神戸市灘区にある「原田の森ギャラリー」で、河野通一回顧展が行なわれました。書家として書道教師としてご活躍され慕われた河野さんは、書のグループ「墨翔」の中心的メンバーでした。学生時代から家族ぐるみの交流があり、幼かった娘の手をひいて中国旅行にもご一緒したご恩ある先輩です。息子さんや書家仲間が残された作品の整理を行ない、回顧展が実現しました。
 写真1枚目の「通」は学生時代の作品、右側のシミは阪神淡路大震災でできたものだそうです。この時期の作品から亡くなりまでの多くの作品の中で、交友のあった仲間(写真2枚目は篆刻家の井谷五雲さん)が集い語り合い、故人を偲びました。

淡路島・鳴門市

淡路島・鳴門市 淡路島・鳴門市 淡路島・鳴門市 淡路島・鳴門市 淡路島・鳴門市

 12月22日(金)、「大塚国際美術館」(鳴門市鳴門町)を目指して、「明石海峡大橋」(写真1枚)から淡路島を縦断し「大鳴門橋」を渡りました。四国徳島県に入ると間もなく、名画を陶板で再現したという珍しい美術館に到着です。
 世界26カ国160余りの美術館が収蔵する西洋名画約1000点が原寸で常設展示されています。最初の展示「システィーナ礼拝堂」(写真2枚目)からスタートして、鑑賞ルートは約4kmとのことでした。まだ見ぬゲルニカ(写真3枚目)などの多くの作品の中に、パリやイタリヤで見た作品もありました。手に触れて間近で鑑賞することができました。

淡路島・鳴門市 淡路島・鳴門市 淡路島・鳴門市 淡路島・鳴門市 淡路島・鳴門市

 翌日は、淡路島の郷土芸能の人形浄瑠璃を「淡路人形座」で鑑賞し、おっ玉葱のオブジェがある「うずの丘 大鳴門橋記念館」(写真1~3枚目)に行きました。ここからも臨めた「鳴門海峡」の渦潮を見るため、「うずしおクルーズ」に乗船しました。至近距離で荒々しい渦潮を見ることができました。

レストラン「しれ」の看板

レストラン「しれ」の看板

 「風と土のふれあい芸術祭in伊賀」の活動のご縁から、これまでに2つの看板を制作させていただきました。1つは「ようこそ霧生へ」、霧生地区の三差路、「メナード青山リゾート」の大きな看板の隣に立っています。もう一つは「ゆめ倶楽部」、地元のブルーベリー畑の建物に掲げられています。

 3つ目となる依頼がありました。霧生地区にある古民家和風レストラン「しれ」の看板です。「しれ」はレストランがある辺りの地名から付けたそうです。「創作料理しれ」「割烹しれ」などは字配りがし易いと思いましたが、「そらへあがってだ~こ!」と入れてほしいと言わた時は、ちょっと戸惑いました。この地方の方言で、そうぞ上がってください!という意味だそうです。気取らないシェフの想いが詰まっていることを知り、平仮名ばかりの看板に挑戦です。

レストラン「しれ」の看板 レストラン「しれ」の看板
レストラン「しれ」の看板 レストラン「しれ」の看板 レストラン「しれ」の看板

 上の段は、彫り終わった「しれ」です。板の表面には「拭き漆」を何度か施し、「しれ」の文字は白いアクリル絵の具を塗りました。「そらへあがってだ~こ!」は何色がいいか、いろんな方々の意見を聞き、群青色にしました。裏に墨で落款を入れました。

レストラン「しれ」の看板

 右下に印を入れ、板の裏や側面に透明のウレタンを3度塗り、仕上げました。板の横幅は150cm、レストランの前庭に飾られると聞いています。板や表札は、役に立つのであれば嬉しい仕事です。

 鑿は、筆と同じように私の大事な道具となりました。木という素材が、紙や墨と同じように自然のものだからでしょう、扱っていて気持ちがいいです。書と違うのは、工芸は工程が多いことですが、何より、鑿を打つ時の音が好きです。

小型の穴窯

小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成

 滋賀県陶芸の森(甲賀市信楽町)にある一番小さな穴窯(通称ビードロ窯)を、穴窯仲間5人でお借りして焼成するのは、今年6月に続き2回目です。
 12月9日(土)、窯詰めを行ないました。今回は、少し大きめの五角形の植木鉢(写真1枚目、藁を巻いています)、高さ30cmくらいの面取りのある花器、一重口の水指2点を作りました。焼き直しの水指や小物作品も加えました。写真5枚目は、窯詰め修了後、窯の口を閉じ、バーナーを設置したところです。

小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成

 焼成時間は24時間程度、夜通しの窯焚きです。写真3~5枚目は「引き出し」の様子です。予めメンバー5人が1点ずつ、引き出してみたい作品を引き出しやすい位置に置いていました。窯を焚いている最中に作品を引っ張り出し、急冷することで独特の景色を試しました。今回も「松灰」を投入しました。

小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成 小型の穴窯焼成

 12月16日(土)、窯出しを行ないました。1枚目の写真が、窯の扉を開けた時の状態です。順番に出していき(写真2~4枚目)、反省点など意見を出し合いました。前回より変化に富んだ作品が取れたと思います。下の写真は、今回焼成した私の作品です。

水門町

水門町の紅葉 水門町の紅葉 水門町の紅葉 水門町の紅葉 水門町の紅葉

 東大寺大仏殿の西の一角、旧県知事公舎を右に見て歩く先には若草山が望めます。「吉城園」~「戒壇院」までの「水門町」界隈は、お茶のお稽古の時に毎週のように歩く私のお気に入りの道です。
 写真は、「依水園」(1~4枚目)と、その隣にある「吉城園」(写真5枚目)です。紅葉と共に「敷き松葉」が、冬の露地に風情を添えていました。霜柱の養生として苔の保護にもなっているそうです。

室生

室生 室生 室生 室生

 12月3日、紅葉はまだ見れるかなと思いながら、「女人高野」といわれる国宝寺院「室生寺」(宇陀市室生)を訪ねました。大学時代に一度だけ訪れたことがあり、石段の下から見上げた朱塗りの五重塔は杉の木立に囲まれ息をのむような美しさ、あの日の感動は忘れられませんでした。平成10年の台風で倒壊寸前になった時は心が痛んだものです。再び会えた!と懐かしい気持ちがしました。
 さらに、五重塔の横から400段近い急な傾斜の石段を登り、空海を祀る奥の院御影堂まで行きました。紅葉に包まれた金堂や本堂の建築と仏たち、階段は合計700段もありました。何と山深く静寂なお寺なんだろうと思いました。

室生 室生
室生 室生 室生 室生

 室生寺から判り難い山道を2kmほど登った高台に「室生山上公園芸術の森」があります。旧室生村出身の彫刻家井上武吉の構想を引き継いだのは、ダニ・カラヴァン、周囲の環境や都市などの景観と同化した環境造形的な野外作品で知られるイスラエルの彫刻家でした。アートと自然を活かす公共事業として、2006年に完成した宇陀市立の公園です。スケールの大きな現代アートが雄大な山林に溶け込み、7.8haの広大な空間全体が放たれた美術館のようでした。

奈良女子大学書道部「墨攻展」

奈良女子大学書道部「墨攻展」 奈良女子大学書道部「墨攻展」 奈良女子大学書道部「墨攻展」
奈良女子大学書道部「墨攻展」 奈良女子大学書道部「墨攻展」
奈良女子大学書道部「墨攻展」 奈良女子大学書道部「墨攻展」 奈良女子大学書道部「墨攻展」

 12月2日(土)~4日(月)まで、奈良女子大学書道部の一番大きな行事である「墨攻展」を行ないました。会場は、国の重要文化財に指定されている「記念館」の2階講堂、4年ぶりです。昨年の佐保会館の3倍広いよ!会場の規模に負けない作品の数とグレイドを!と呼びかけました。
 前日の搬入は、講堂にある椅子を4つの島に集め、周囲と十文字に通路を作り、パーテーションの運搬・設営など、部員全員が協力して慣れない展示作業を行ない、夜遅く完了しました。

 写真は会場の様子です。順に、会場正面左と机上展示、正面舞台の展示、正面右のお軸作品と机上展示。2段目は、入り口左(顧問の尾山慎先生の作品なども)、入り口右(大仏書道展出品作品)の様子です。大きめの作品は夏の合宿で主に制作、そのほか折帖を使った共同作品などが並びました。

H1法話グランプリ2023

H1法話グランプリ2023 H1法話グランプリ2023 H1法話グランプリ2023 H1法話グランプリ2023

 12月2日(土)、「もう一度会いたいお坊さんを選ぶ!H1法話グランプリ2023 ~宗派を超えて8名の僧侶の方々による法話の共演~」が開催されました。会場の「なら100年会館」大ホールは満席、読経と、太鼓とバイオリンの演奏が響く中、オープニングです。奈良女書道部員2名が「釈迦如来」と揮毫しました。「宗派を超えた」との趣旨を書体にも反映させ、この4文字を隷書・行書・草書・楷書で書きました。その大きな用紙の下部に画家 森秀和さんの即興画(オレンジの線に人と人が手をつないでいる)が描かれました。

H1法話グランプリ2023 H1法話グランプリ2023

 「釈迦如来」は、会場のバックを飾る看板のようなものだと思っていましたが、さにあらず、この度のイベントを見守るご本尊としての役割だったとわかって、厳粛な法要が営まれた時には感動しました。登壇者(お坊さん)の法話も審査員の方々の講評も説得力があり、私は会場の隅からワクワクしながら見ていました。

11月の活動

11月の活動
11月の活動

 先月開催された「大仏書道展」には、奈良学園高一の芸術科書道選択者全員が応募しました。今年は、5名も入選しました。(上の段の写真)
 中一の書写の授業は、二学期からは「行書」の学習をしていました。自分の名前の「行書」を学ぶことは書写の大事な課題だと思って、一人ずつ本人の前で名前のお手本を書きました。下の段の写真は、今月末に書いたカレンダーです。二字句だけでなく、名前も作品の一部だと指導しています。

11月の活動 11月の活動 11月の活動 11月の活動

 コロナ前同様の秋の行事が続きました。
 そんな中で、身近にある五重塔や若草山を眺めると、観光客になったように新鮮な思いになったり、古都奈良で日常を送る幸福を感じます。写真1・2枚目は興福寺五重塔です。改修工事が始まっています。また、猿沢池の柳が枯れてしまったため、何とも寂しい景観ですね。

 写真3・4枚目は、実家で用事があり富山に帰省した時のものです。ちょうどこの時季に帰ることができ、近くのお寺「浄蓮寺」で、二季咲きの珍しい桜「越の福重ね」が咲いているのを見ることができました。遠く高い山々は雪に覆われています。
 12月も引き続き行事が目白押しですが、故郷富山と第二の故郷奈良の文化や自然が励ましてくれるような気がします。

那谷寺

那谷寺 那谷寺 那谷寺

 11月26日(日)、富山の実家から奈良に戻る途中、紅葉が見事だと聞いて「那谷寺(なたでら)」(石川県小松市)に立ち寄りました。那谷寺は「開山1300年 高野山真言宗別格本山 霊峰白山を信仰する自然智の森」とのことです。
 山門(写真1枚目)をくぐり、左に行くと朱塗りの金堂「華王(ケオウ)殿」、続いて「書院」があり、その奥に広がる庭園「琉美園」(写真2枚目)の池正面中央には、岩面が阿弥陀三尊のような自然石がそば立っていました。さらに参道を行くと、息をのむような奇岩山が現れます。その中腹には朱色の鳥居がいくつも続く、名勝「奇岩遊仙境」(写真3枚目)です。高台にある「楓月橋」からの眺望は、水墨画を見るようでした。他に、「大悲閣(本殿)」「三重塔」「鐘楼」などが雄大な自然に包まれるように建ち、起伏のある広い境内の一面に緑輝く苔も印象的でした。

福井

福井 福井 福井 福井 福井

 11月22日、富山に帰省する途中、福井で一泊しました。ホテルはJR福井駅前、目の前の西口駅前広場には福井のダントツブランド恐竜の動くモニュメントがあり、駅舎の壁面も恐竜のイラストで飾られていました。ここから5分ほど歩いて「福井城祉」に行きました。
 福井城は、徳川家康の次男で越前福井藩初代藩主 結城秀康(写真3枚目)が築城し、17代にわたって福井松平家の繁栄の舞台となったお城です。天守閣は焼失されていましたが、天守台下に「福の井」という井戸跡があり、本丸の西側に屋根付きの橋「御廊下橋」が復元されていました。美しい石垣と広大なお堀の姿から、当時の規模をうかがい知ることができました。

福井 福井 福井

 福井に立ち寄ったのは、名勝「養浩館庭園」の紅葉を見たいと思ったからでした。「福井城址」の北東1kmほどの所にあります。元福井藩主松平家の別邸で、江戸時代初期から中期の廻遊式林泉庭園です。城下を流れる水路から引き込んで玉砂利のある池を中心に、数寄屋造りの建物も当時の資料を基に忠実に復元されていました。建物内部も公開してあり、かつての藩主と同じように座敷に座り、ゆったりと風景を眺めることができるのが、この庭園ならではの醍醐味といえるでしょう。

円柱・音羽地区の散策

円柱・音羽地区の散策 円柱・音羽地区の散策 円柱・音羽地区の散策
円柱・音羽地区の散策 円柱・音羽地区の散策

 「いがぶら(伊賀をぶらりと体験する小さな旅)」のイベントの一つ「地元を知り尽くしたガイドと巡る 晩秋の丸柱 陶工の話と山里ウオーキング」に、行楽日和となった11月21日(火)、この近くに別荘を持つ友人と参加しました。コースは、私にも馴染みのある丸柱地区ではなく、その南側の音羽(おとわ)地区でした。
 写真1枚目は、土鍋で有名な伊賀焼窯元「長谷園」の10連房の登り窯、写真2枚目は「みの石地蔵」です。市道からはこの大きな杉の木しか見えませんが、案内されて川沿いの旧街道(道なき道)に下りると、杉の根元が大きな摩崖仏を蓑のように抱き込んでいました。往時の人々はここを行き交い、手を合わせたのでしょう。この地の歴史を伺いながら「不思議七地蔵」「音羽城跡」登り口へと歩き、「西音寺」で休憩。この辺りはあぜ道もどこもかしこも整然と草が刈られており、のどかで素晴らしい景色でした。写真4枚目は、「日々窯」の穴窯、写真5枚目は「佐々神社」です。約6kmの散策の後、地元の食材で地元の方々手作りの昼食をいただきました。

穴窯焼成の作品作り

穴窯作品作り 穴窯作品作り 穴窯作品作り
穴窯作品作り

 来月上旬に、陶芸仲間5人と「滋賀県陶芸の森」の小さな穴窯を借りて、このメンバーでは2回目となる「穴窯焼成」を行なう予定です。穴窯用粘土に大原土と黄の瀬をブレンドして硬さの調整(写真1枚目)から取り掛かりました。今月下旬に帰省するので、それまでに成形を済ませたいと思うと多くはできませんでしたが、背の高い花器1点、一重口と蓋付きの水指2点、五角形の少し大きめの植木鉢2点を作りました。
 帰省中に乾燥させて、奈良に戻ってから素焼きをしました。この5点と同じくらいの量の焼き直しの作品を一緒に焼成する予定です。

名張藤堂家邸跡

名張藤堂家邸跡 名張藤堂家邸跡 名張藤堂家邸跡 名張藤堂家邸跡 名張藤堂家邸跡

 11月12日(日)、「風と土のふれあい芸術祭」(伊賀市腰山)に家族が来てくれました。会場に行く前に、武将が好きな孫が喜ぶと思って、城下町名張市に残る近世上流武家屋敷「藤堂家邸跡」を訪ねました。津藩藤堂家の一門で江戸時代から明治維新まで11代にわたり、名張に居を構えた藤堂宮内家の屋敷跡です。旧邸図を見ると、現存する建物はごくごく一部ですが、「豊臣秀吉朱印状」「朱具足(写真3枚目)」、書状や兜などの文化財と共に公開されていました。
 「風と土のふれあい芸術祭」に参加されている名張市の陶芸家 角谷英明氏は、ここで陶芸展をされたそうです。さぞ素敵な空間となったことでしょう。是非見に行ってください、とお勧めくださったのです。

登り窯の窯出し

登り窯の窯出し 登り窯の窯出し 登り窯の窯出し 登り窯の窯出し

 11月11日(土)、「滋賀県陶芸の森」で「登り窯」の窯出しがありました。私は水指作りの講座で作った信楽風の水指と、大急ぎで作った茶碗を3点、焼成してもらっていました。
 写真1~3枚目は、焚き口の煉瓦を取り払った時の、火袋の中の様子です。順に窯出しが進んで、ようやく奥の方にある私の水指が確認できた時に撮ったのが、写真4枚目です。水指は上部の蓋と口にのみ灰が掛かっていて、胴の部分は白っぽくクッキーのような状態でした。12月の「穴窯」で焼き直したいと思います。
 作業の後、ここから2kmくらいの所にある「みはる窯」を訪ねました。

みはる窯

みはる窯 みはる窯 みはる窯 みはる窯

 滋賀県甲賀市信楽町の山手には代々続く窯元が点在しています。「登り窯」は山の斜面を利用して築かれたためですが、現在は「穴窯」や「ガス窯」などによる焼成が多いようです。信楽の窯元の一つ「みはる窯」は、3代目神崎継春先生、息子さんの4代目秀策先生と、奥様で現代アート作品を陶で作る桝本佳子先生の3人の工房です。かつて使われていた「登り窯」の内部がギャラリー(写真1~3枚目)になっていました。

 神崎家の広い敷地内には、窯場、作業場、住居、ギャラリーがあり、その一角に、先生を慕う陶芸愛好家グループ「みはる陶森会」の「穴窯(写真4枚目)」があります。「陶森会」の解散に伴い、中心になって活動されていた松本陶剋さんが、これを改築してサイズを小さくし、新たに「みはる陶秀窯」を築かれます。この作業に穴窯仲間としてお手伝いすることになり、11月11日、神崎先生にご挨拶に行きました。

法話グランプリのリハーサル

法話グランプリのリハーサル

 2年に一度、「H1法話グランプリ」が行なわれているそうです。今年12月2日、奈良100年会館で開催され、そのオープニングに「釈迦如来」と大きく揮毫してほしいという依頼が奈良女書道部にありました。書道部は、この時季イベントが立て込んでいましたが、4文字だけなら2人で大丈夫!と励まして、お引き受けしました。

法話グランプリのリハーサル 法話グランプリのリハーサル 法話グランプリのリハーサル

 10月9日、大和郡山城ホールでオープニングのリハーサルが行われました。オープニングを飾るのは、太鼓とバイオリンの荘厳な響きです。この二人の奏者の方々は共に僧侶をしながら演奏活動をされているそうです。演奏する曲の作者もお坊さん、企画運営の皆さんも全てお坊さん、でした。
 舞台左に吊るし上げる形で用紙が用意されるので、背中を舞台に向けます。かつて東大寺大仏殿の揮毫之際に使ったオレンジ色の5mの布をたすき掛けにして、背中に大きなリボンを付けました。オレンジ色のバケツを方々探してもなく、ピンク色のバケツはあったので、本番ではリボンとバケツ共にピンク色にしようと思います。

池坊花展

池坊花展 池坊花展 池坊花展 池坊花展

 写真1枚目は、東大寺と春日大社の間の浮雲園地からの風景、左が若草山、右の建物が「奈良春日野国際フォーラム甍」です。11月3日、この建物の別館の会議室で、旧知の坂口順子さんが「池坊総華督拝受記念の花展」を開催されたので出かけました。活けられている季節の花々は美しく、枝は伸びやかで大胆かつ清楚な風情だと思いました。花器も豪華なものでした。
 同席した池坊の本部の方が「正倉院展」に招待してくださいました。池坊は頂法寺(京都にある通称六角堂)の住職が家元を兼ねており、お寺と奈良博は繋がりが深いとのことでした。

風と土のふれあい芸術祭in伊賀2023

風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀

 かつて私も属していたNPO法人「Arts Planet Plan from IGA (伊賀市青山)」が、「風と土のふれあい芸術祭」の実行委員会の主たる運営を担っていましたが、2021年の法人解散に伴い、主催が「矢持住民自治協議会」に移行しました。「風」は地域外の人やモノ、「土」は地元の人やモノ、その交流を目的として協力して開催していましたが、地元主導の開催には準備に時間がかかりました。会場となる旧矢持小学校(伊賀市腰山)の耐震の問題などもあったようです。

 11月5日~12日、ようやく3年ぶりに開催することができました。アーチストインレジデンス(作家滞在型制作公開)・アートフェア(いろんなお店やワークショップ)・地元の食材で地元の方が作るランチなどは無く、私達法人が積み上げてきた「芸術祭」の規模には及びませんでした。作品の展示「かたち展」と、地元を舞台にした映画の上映会が開催されました。

風と土のふれあい芸術祭in伊賀 風と土のふれあい芸術祭in伊賀 風と土のふれあい芸術祭in伊賀 風と土のふれあい芸術祭in伊賀 風と土のふれあい芸術祭in伊賀

 チラシ作りや会場の展示計画など、元法人の事務局メンバーに協力の依頼があり、私もこれまで通り会場入り口の看板を書きました。

 搬入を終えた4日の懇親会(前夜祭)に、校庭で彫刻家 森田耕太郎さん企画のイベント(写真2~5枚目)が始まりました。「煙散霧消 ーFibonacciに感謝ー 」というタイトルで、夜の校庭に炎と煙が立ち込めました。この様子は映像作品となり、また、翌日からの「かたち展」のインスタレーション作品でもあるという趣向です。
 地元の藁を地元の方々と共に束ねたそうです。まさに風と土のふれあいです。それをフィボナッチ数列を利用して配列、中央から燃やしていきました。お酒を酌み交わしながら久しぶりの再会を喜び、この様子を見に行ったり眺めたりもし、和やかに夜が更けていきました。

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風と土のふれあい芸術祭in伊賀

 「かたち展」の参加者はチラシの裏にあるように30名ほどでした。これまでの半数でしょうか。写真はその展示の一部です。
 順に、昨夜の森田耕太郎さんの作品、ライブパフォーマンスも行なわれたもりたいよしこさんの「宇宙の響き」の作品の一部、大きな動物の皮にご自身のお子さんをモチーフに描かれている作品は屋外に5点展示、作者は神戸ビエンナーレのペインティングアート展で大賞を受賞された新鋭作家 佐藤紘子さんです。4枚目は動物を焼き物で制作される角谷真人さんの木彫レリーフ「孔雀」、5枚目は立体作品が展示された教室です。

 私は、近作の中の1点「二十四節気陶磁印蛻(インゼイ)」の折帖の作品と、その元になった24顆の印を丸い鏡の上に置いて展示しました。長くやってきた書と工芸的な表現である陶磁印が、私らしい表現を代表するものだと思ったからです。

風と土のふれあい芸術祭in伊賀 風と土のふれあい芸術祭in伊賀 風と土のふれあい芸術祭in伊賀

 前夜祭があった日は、遠方からの参加者は現地に宿泊される方もあり、私もミックストメディアの播間多月弥生さん・彫刻家の播間公次さんご夫妻と一緒に地元の方が用意してくださった民家に宿泊しました。翌日、「風と土のふれあい芸術祭」に協賛してくださっている「メナード青山リゾート」提供の霧生温泉に入り、セージなどが満開の広大な「ハーブガーデン」でひと時を過ごしました。
 自然豊かな伊賀の山間部で、年に一度ですが、暖かい地元の方々や多方面でご活躍のアート仲間とお会いできることは、私の創作活動の大きな励みとなっています。

奈良女子大学の学祭

奈良女子大学学祭 奈良女子大学学祭 奈良女子大学学祭 奈良女子大学学祭

 11月2日(木)~4日(土)は、奈良女子大学の学祭が行なわれました。何年振りかで、予約の必要もなく入場自由となりました。書道部は、野外ステージの「書道パフォーマンス」に加えて、新しい試みですが、模擬店を出しました。手作りの「おみくじ」と「ご朱印」です。
 ご朱印は、お正月・連休・お盆に東大寺大仏殿のご朱印書きのバイトを書道部員が担ってきたので、その経験を活かし、手作りの印(写真3枚目)も作りました。自由に「押し」の言葉をその場で書くというのが受けたのでしょう、行列ができました。思いがけない大きな収益となりました。

奈良女子大学学祭 奈良女子大学学祭 奈良女子大学学祭
奈良女子大学学祭

 部員総出で取り組んだ「書道パフォーマンス」です。1枚目は「ゆく秋の大和の国の薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲」、佐々木信綱の和歌です。2枚目は、古都奈良で筆を執り、想いを世界へ、と部長自らが文言を作りました。下絵は、本番用紙のみに予め描いて臨みます。溌溂としたステージとなり、部員たちの達成感が伝わってきました。

10月の活動

10月の活動 10月の活動 10月の活動

 コロナ前の行事の再開に伴い、秋の行事とその準備に追われていました。そんな中で、ランチや散策の折に撮った写真です。1枚目は「北山十八間戸」(奈良市川上町)、鎌倉時代に作られたハンセン病の福祉施設、細長い棟割長屋です。この向かいに、中国薬膳のお店があります。写真2枚目もこの近くの、国の重要文化財 旧奈良監獄(旧奈良少年刑務所)の門です。2026年にはホテルとなるそうです。写真3枚目は、旧奈良知事公舎をリノベーションしてできたホテルの入り口です。

10月の活動 10月の活動 10月の活動

 写真1・2枚目は、お茶のお稽古で使われていた水指です。一重口末広のこのような水指を、12月の穴窯焼成で作ってみたいと思いました。

第14回大仏書道大会

第14回大仏書道大会 第14回大仏書道大会 第14回大仏書道大会

 平城遷都1300年を記念して始まった「大仏書道大会 書くことは楽しいin奈良」は、14回目となりました。10月28日(土)・29日(日)、東大寺大仏殿西回廊(写真1枚目は外観)を会場として「大仏書道展」を開催、入選作品100点の展示をしました。
 行楽日和の週末、この日から奈良博では「正倉院展」も始まり、奈良には多くの観光客が訪れています。奈良観光も兼ねてでしょうか、遠方の入選者のご家族や指導者の方々にもご来場いただき、また、他の書展は退屈だけど、この作品展はいつも楽しみにしているという常連さんも増え、嬉しく思っています。

 大仏殿では「東大寺開山良弁僧正1250年遠忌」の慶讃法要の1つとしてミーシャさんのコンサートなどが行なわれたばかりでした。大仏殿前に高く組まれたパイプ(写真3枚目)が残っているのを見て、盛大な法要だったのだと思いました。法華堂では、奈良時代に初代別当となった良弁僧正坐像(国宝)がこの時期のみの期間限定で特別公開されていました。

第14回大仏書道大会

 入選作品のうちの7点の特別賞には、私の講評を作者のコメントの横に展示しました。それぞれの作品の見所などを解説し、読んでいただくと、どのような観点でこの作品を選んだか、大仏書道展の趣旨をお伝えできるのではないかと思っています。
※講評
(右上)Phat-佛 (左上から)古事記かえるの歌
(下の右から)フンコロガシになりたい道標 般若心経メダカの努力の価値

第14回大仏書道大会 第14回大仏書道大会 第14回大仏書道大会 第14回大仏書道大会 第14回大仏書道大会 第14回大仏書道大会

 会期中の2日目に、同じく東大寺大仏殿西回廊で「席書会」を行ないました。審査委員長の森本公誠 東大寺長老の講和の後、「華厳唯心偈」の写経と自由作品を1枚揮毫し、大仏様に奉納するというものです。
 参加者とそのご家族の方々は、大仏の基壇に登らせていただけます。短い読経の後、ぐるりと大きな蓮弁を間近に一回りしながら大仏様を拝します。奈良らしい有意義な行事だと自負しております。

書道パフォーマンス(ロータリークラブ)

書道パフォーマンス(ロータリークラブ) 書道パフォーマンス(ロータリークラブ) 書道パフォーマンス(ロータリークラブ) 書道パフォーマンス(ロータリークラブ)

 10月28日(土)、奈良県コンベンションセンターで、国際ロータリー第2650地区 第5組 インターシティミーティング、テーマ「ロータリーに女性の力を」が開催されました。今回のホストを担当された奈良東ロータリークラブの依頼で、その後、JWマリオットホテル奈良で行なわれた懇親会のオープニングで、奈良女書道部員6名が書道パフォーマンスを行ないました。
 中央2行のテーマが引き立つように、上下の文字情報をいかに整然と書くか、また、乾杯の前ですから、チームワークを発揮して手際よく交代で早く書く必要がありました。

上野天神祭

上野天神祭 上野天神祭 上野天神祭 上野天神祭 上野天神祭

 伊賀上野には、長い間、月に一度の法人活動で行っていましたが、国重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産に登録されているという有名な「上野天神祭」に行く機会がなく、10月22日(日)に初めて行きました。3日間繰り広げられる3日目の「神幸祭」の行列を、友人宅(アートスペースいが)近くから見物しました。
 先頭の巨大な「御幣(写真1枚目)」から続いて、ほら貝と太鼓の音と共に「鬼行列」、ひょろつき鬼(写真3枚目)に小さな子供たちは泣いていました。続く「ダンジリ行列」はそれぞれの町から9基、「しるし(練物)」が先導します。十字路での方向転換は万力を使っていました。城下町の伝統を誇りに思って、若い人からお年寄りまで住民総出で守り伝えているんですね。

書道部の活動

書道部の活動 書道部の活動 書道部の活動 書道部の活動

 奈良女子大学書道部の後期の活動が始まりました。今年の学祭は11月2日(木)~4日(土)、に書道パフォーマンスを部員全員で行ないます。また、2つの外部団体からの書道パフォーマンスの依頼もあり、こちらは有志が担当します。月曜日の部活以外にも放課後集まり、活発に準備を進めています。

ジャポニアホテル伊賀上野城下町

ジャポニアホテル伊賀上野城下町 ジャポニアホテル伊賀上野城下町 ジャポニアホテル伊賀上野城下町

 伊賀は江戸時代の面影を残す城下町、その歴史や文化、伝統工芸や食をぶらりと体験する「いがぶら」は、魅力あふれるイベントです。その一つ「文化財建築で愉しむ優雅な午後 IGAMONO特別アフタヌーンティー」に参加し、中庭を眺めながら伊賀焼の器に盛られたスイーツとお茶をいただきました。会場は、国の登録有形文化財「栄楽館」の建物、現在は「ジャポニアホテル伊賀上野城下町」となっています。
 伊賀焼の水指や芭蕉に因んでお軸などが飾ってありました。写真3枚目は、辻本史邑(奈良県出身の書家、1895年-1957年)の書「永楽万宝」、史邑の篆書体の作品は珍しいと思いました。

まさんど窯

まさんど窯 まさんど窯 まさんど窯 まさんど窯

  「滋賀県陶芸の森」の講習会で知り合った平金昌人さんは、大阪から信楽町朝宮の茶畑を臨む古民家に移住され、茶陶「井戸茶碗」のみ作陶されている陶芸家です。民泊もされているので、穴窯仲間と宿泊させていただき、まさんど窯の見学(写真1枚目)とゲストハウスとなっている古民家で陶芸のお話を伺い、夜は信楽焼き窯元特製の露天風呂に入りました。食事は、まさんどさんの作品やコレクションの古伊万里や作家さんの器に盛られています。写真3枚目は、朝食です。
 素敵な井戸茶碗を1点分けていただき、後日、お茶を点てました。とても味わい深く、 私のお気に入りのお抹茶茶碗の一つとなりました。

まさんど窯

 まさんどさんが撮ってくださったものです。朝宮の自然に溶け込んだお茶室でもある広間の縁側で、作品を愛でながら、まさんどさんの作品も生き方もかっこいいね、などと歓談しているところです。

大仏書道展の審査

第14回「大仏書道大会」チラシ
大仏書道展の審査

 NPO法人奈良21世紀フォーラム主催の第14回「大仏書道大会 ー書くことは楽しいin奈良ー 」の準備を進めています。全国の高校生・大学生・大学院生 これに準ずる年齢の若者を対象に、テーマに沿った独創的な作品を募集、1394点の作品が寄せられました。
 10月3日に奈良交通本社ビルの法人事務所にて「予備審査」、9日に共催している朝日新聞社の奈良総局にて「本審査」を行ないました。審査は技術優先ではなく、メッセージ性重視の観点で選びます。毎年どんな作品が届くか、楽しみです。想いや願いの詰まったコメントを読みながら、納得したり感心させられたり、審査員の感想や意見を交わしながら、東大寺大仏殿西回廊に展示する入選作品100点を選びました。

水指作りの講習

水指作りの講習 水指作りの講習 水指作りの講習 水指作りの講習

  10月1日、「滋賀県陶芸の森」の講座「水指作り」に参加しました。これまで、自己流に作っていたので、口と共蓋の作り方を学ぶためでした。ご指導くださったのは地元信楽の陶芸家 六代目上田直方先生です。写真1~3枚目は上田先生の手元を撮ったもの、思っていた以上に手びねりのひも状の粘土は太く、手数の少ないざっくりした作り方でした。細かく注意してもらいたかったのですが、それでいい、それ以上撫でつけない、とおっしゃって、、、できたのが写真4枚目です。
 同じテーブルの私の向かい側で作陶されていた参加者の方で、すごく手際が良い方がおられました。後に、井戸茶碗の作家さん平金昌人さんだと知り、親しくお話しするようになりますが、この時に出会いました。

水指作りの講習 水指作りの講習 水指作りの講習

 この講座の作品は、大壺作りの講座ほか多くの作品と共に、陶芸の森の「登り窯」(写真1枚目)で、職員の方々によって24日~29日の6日間焼成されました。写真2・3枚目は、10月26日(火袋の焼成最終日)に窯焚きの見学に行き、撮ったものです。高温になった窯の中で、私の作品がどの辺りにあるのかはわかりませんでした。

9月の活動

9月の活動 9月の活動

 奈良学園の私の授業は9月4日(月)から始まりました。
 写真は、高一芸術科書道の一学期に学んだ王羲之『蘭亭序』の臨書作品です。二学期初めの2時間で、名前の印(篆刻作品)を補刀をして仕上げ、色紙に押しています。その後、「大仏書道展」に向けての創作作品を制作中です。この作品のサイズは半切二分の一、2.5cm角の大きい方の印を押して出品します。

9月の活動 9月の活動 9月の活動

 父の十三回忌法要のため、実家の富山県入善町に帰省しました。お寺は魚津市にある長円寺ですが、母が高齢のため自宅で執り行いました。北陸は真宗王国、我が家も真宗門徒です。この日は、お寺から「阿弥陀如来」のお軸(仏様)が運ばれてきました。仏壇には、母が育てた庭の花やお供えをしました。
 地元では、9月1日から紅ズワイガニ漁が解禁され、店頭に並んでいました。蟹は私の大好物です。おやつにお腹一杯食べるのが、実家での楽しみの一つです。写真3枚目は、入善町出身の画家 前田常作氏の作品「花マンダラ塔」です。実家近くの入善町役場前の広場に設置されているので、通るたびに目にしていましたが、夜になる と光ることを知り、カメラに収めました。

8月の活動

8月の活動 8月の活動 8月の活動

 頼まれていた「表札」「金継ぎ」「姓名印7顆」を仕上げ、お盆前後の半月くらいを故郷 富山県入善町で過ごしました。母の元に姉弟一家や親戚も集まり、お墓参りをするのが習慣です。写真1枚目は、母の畑仕事がおぼつかなくなり大きくなってしまった胡瓜で作った馬、これに乗って先祖さんが帰ってくるのよ、と孫に話しました。
 写真2・3枚目は、隣の黒部市の高台にある「くろべ牧場 まきばの風」に行った時のもの、動物と触れ合い、牧場オリジナルのプリンやアイスをいただきました。なだらかな黒部川扇状地に広がる入善町と黒部市、その山手から、北に広がる富山湾を一望することができます。故郷の絶景の一つです。

 今年の夏は、特別な猛暑でした。富山もフエーン現象で暑い所です。汗をぬぐいながらお出かけもしましたが、クーラーの効いた家の中でのんびりできた日が、今年は一番夏休みらしかった!と思えてなりません。

書道部の合宿

書道部の合宿 書道部の合宿 書道部の合宿 書道部の合宿
書道部の合宿 書道部の合宿 書道部の合宿 書道部の合宿

 8月25日~27日、琵琶湖畔の「ユースホステル和邇浜(わにはま)青年会館」(滋賀県大津市和邇)にて、奈良女子大学書道部の合宿を行ないました。和邇浜は琵琶湖の西岸ですが、湖の東岸「さざなみ街道」を通り、「琵琶湖大橋」を渡って向かいました。雄大な湖岸を走るドライブでした。
 1回生~3回生20名、4回生1名、日帰りでOG2名の参加がありました。主に12月に学内の「記念館」で開催する「墨攻展」の作品の制作、加えて、係からは共同作品の提案もあり、「大仏書道大会」の出品作品、名前の印の制作など、食事と入浴以外は書くことに没頭する3日間でした。写真4枚目は合評会の様子、写真6枚目は今年の部Tシャツです。花火もバーベキューも企画され、ワイワイと楽しそうでした。連日深夜まで書いている学生たちに付き合いましたが、来年からは、歳だからと言って早く寝ようと思いました。

書道部の合宿 書道部の合宿 書道部の合宿 書道部の合宿

 合宿の前日か後は、近隣の観光をすることにしています。今年は合宿の後、レイクビューホテル「びわ湖大津プリンスホテル」に泊まりました。お部屋の窓から琵琶湖を180度見渡すことができ(写真1・2枚目)、湖岸を散歩して水に癒されました。
 翌日は浜大津から遊覧船「ミシガン」に乗船して、琵琶湖南部を周遊しました。船の動力となっている赤いパドル(写真3枚目)が水しぶきを上げていました。奈良ホテルのような桃山様式の外観の建物(写真4枚目)は「元琵琶湖ホテル」、ミシガンクルーズで寄港した「柳が崎湖畔公園港」脇に移築され、現在は文化施設「びわ湖大津館」となっていました。内装はモダンな洋風、ホテルだったら是非泊まってみたいと思いました。

白川郷

白川郷
白川郷 白川郷 白川郷 白川郷 白川郷 白川郷

 8月8日、富山に帰省する往路、合掌造りの集落で知られる「白川郷」(岐阜県大野郡白川村)を訪ねました。宿泊した合掌造りの民宿(写真2枚目)は、城山展望台の真下にあり、写真1枚目は、翌日の朝食前に、展望台から撮ったものです。宿泊客のほとんどが海外の観光客でした。
 山々の風景と溶け合った民家は100棟余り、農業や茅葺き屋根の葺き替えにみられる共同労働「結(ゆい)」の精神で実際に生活されいるそうです。いくつかは公開されており、その広くて重厚な骨組みの2階に登ると、眺望も良く、民具や蚕を飼っていた様子の展示も見ることができました。近隣からのものも含め古民家25棟が移築し保存されたいる野外博物館「合掌造り民家園」も見学しました。合掌造りの集落群のほぼ全域は、徒歩で観光することができました。

金継ぎ

金継ぎ 金継ぎ 金継ぎ 金継ぎ 金継ぎ

 「金継ぎ」は、月に2~3日のペースで私の工房に仲間が集まってくださるので、地味な作業ですが、おしゃべりしながら楽しく行なうことができています。主に、大事な日常食器の修復です。私は、自作の陶作品の再生や田上のコレクションの朱泥の茶壺の修復などをしています。高騰している金だけでなく、真鍮、銀、色漆で仕上げることもあります。
 写真は、陶器屋さんから依頼された湯呑みサイズの小さな天目茶碗です。写真1枚目は「麦漆」で割れたパーツをくっつけたところ、写真2枚目は「さび漆」、その後、中塗りを何度かした後、金で仕上げました。

「ゆめ倶楽部」の看板

「ゆめ倶楽部」の看板 「ゆめ倶楽部」の看板
「ゆめ倶楽部」の看板 「ゆめ倶楽部」の看板

 伊賀市霧生にある「四季の森 やもち ゆめ倶楽部」からブルーベリー畑が今年は8月1日開園!というDMをいただき、8月5日(土)に慌てて看板をお届けしました。写真1・2枚目は、板の裏に書いた落款です。看板の板を預かってから出来上がるまで3年近くも経っていたのに、お届けするのものんびりしてしまいました。
 このブルーベリー畑は地域の皆さんのボランティアで運営され、建物はその収益で建てられたそうです。広い園内には、鳥除けにもなる色とりどりの風車(作家さんの作品)が回り、自然とアートが融合した農場です。この日作業をされていた20名近くの方々と看板が飾られることになる建物の前で集合写真も撮りました。皆さんが喜んでくださって、役に立つことをとても嬉しく思いました。

富田林市・太子町

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 大阪府東南部に位置する富田林市に大阪府で唯一の重要伝統建造物保存地区があると聞いて、一度行ってみたいと思っていました。猛暑の中、江戸時代の雰囲気が今に残る富田林寺内町を散策しました。
 写真4枚目は、町の中核寺院である「興正寺別院」の表門から見た本堂、屋根の修理が行なわれていました。写真5枚目が、このお寺の「鼓楼」、城之内筋と堺筋に面した角にあり、寺内町という歴史的な街並みを象徴する建物です。

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 元造り酒屋だった「旧杉村家住宅」(国の重要文化財)は、大規模商家の遺構として公開されていました。写真1枚目は土間のある1階内部です。太い木と細い木で組み立てられたおしゃれな「親子格子」、床の間の書壁画(老松)は狩野派の絵師によって描かれ、また、アールヌーボー調の螺旋階段などもある、古い町屋の伝統にモダンな意匠が取り入れられた興味深い建物でした。
 明星派の歌人 石上露子の生家でもあり、ゆかりの書簡などの展示もありました。写真6枚目は、2階から見た母屋です。

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 日本三大不動の一つ「滝谷不動明王寺」(写真1枚目)と、「龍泉寺」を訪ねました。「龍泉寺」は、ひっそりと森の中に建つ山寺で、鎌倉時代中期の手法が残るという仁王門、木造金剛力士像、国の名勝に指定されている浄土式庭園がありましたが、夏草が生い茂り荒廃しているという印象でした。

 富田林寺内町から南に7km、標高278mの嶽山(だけやま)山頂にある「亀の井ホテル富田林(嶽山温泉)」に泊まりました。豊かな自然に囲まれたお宿で、最上階(5階)にはカウンターと椅子のある展望室があり、雄大な金剛山地と大阪平野を一望することができ、夜景も素晴らしい所でした。

富田林市・太子町 富田林市・太子町 富田林市・太子町 富田林市・太子町 富田林市・太子町

 富田林市の東、奈良県と隣接した太子町は、日本最古の官道「竹内街道」のある歴史ロマンに富んだ町、4つの天皇陵と聖徳太子廟は梅の形のように点在しています。写真1枚目は女帝「推古天皇陵」です。御陵からの景色(写真2枚目)を眺めながら、飛鳥時代に想いを馳せました。
 続いて、聖徳太子の墓所のある「叡福寺」を参拝しました。朱塗りの南大門をくぐると白砂の境内が広がり、太子廟は、奥に見える原生林の森にありました。写真3枚目は正面、4枚目は右側、円墳の丘の周辺は「結界石」(写真5枚目)によって二重に囲まれていました。昔も今も太子を慕う人は多いのでしょう、空海、日蓮、親鸞などの高僧が参籠した記念のお堂や塔なども多くありました。

富田林市・太子町 富田林市・太子町 富田林市・太子町

 写真1枚目は、「大阪府立近つ(ちかつ)飛鳥博物館」です。難波宮からみて奈良明日香村周辺は「遠つ(とおつ)飛鳥」というそうです。この階段状の建物は安藤忠雄氏の設計です。ご自身の代表作だそうで、日本芸術大賞を受賞している建物です。
 この辺り全体は遺跡の宝庫、館内には、古墳の情報が詰まっていました。聖徳太子の横穴式石室や仁徳天皇陵の復元模型、多くの埴輪、石棺(写真3枚目)や修羅(三ツ塚古墳出土、木製の巨石運搬具)などが展示されていました。

富田林市・太子町 富田林市・太子町 富田林市・太子町 富田林市・太子町 富田林市・太子町

 博物館の展示の終盤に「鹿谷寺(ろくたんじ)石塔」の復元模型(写真1枚目)がありました。それが石窟寺院の遺構だと知って、太子町にある!そんなに遠くない!とわかると、本物を見たいと思いました。石窟寺院は、インドのエローラ・アジャンタ、中国の雲崗を訪れたことがあり、石窟寺院は大陸のもので、日本には摩崖仏はあっても岩盤を削り出した寺院があるとは思ってもみなかったからです。
 南阪奈道路沿いに車を停め、写真2枚目の階段を、見たい一心で「鹿谷寺跡」を目指して登りました。塔の高さは5.1m(本来は8mの規模)、継ぎ目のない十三重塔です。初層に舎利孔(写真4枚目)がみられ、上部は破損していました。

表札

表札 表札 表札 表札 表札
表札

 金継ぎ仲間の木曽谷さんがお家を新築され、正方形の板に、名字を漢字とローマ字で書いてほしいという依頼を受けました。これまで墨書や刻字で表札や看板を作ってきましたが、筆で紙にローマ字を書くことはあっても、刻字をしたのは初めてでした。しかも、そんなに大きくはない空間に、漢字3文字とどう調和させようかと思案、とてもいい勉強をさせてもらいました。

7月の活動

7月の活動

 奈良女子大学書道部は、新年度新入部員を11名迎え、1回生~3回生23名で活動しています。合宿の日程や宿も決まりました。また、外部2団体から書道パフォーマンスの依頼を受け、学祭での書道パフォーマンスも人数が多くなったので2つするとしたため、この秋の書道パフォーマンスは4つとなりました。写真1枚目は、いつもは座り机を出して練習している和室に毛氈を敷き詰め、書道パフォーマンスの文言を初めて書いてみた時の様子です。私のダメだし炸裂でした。

7月の活動 7月の活動

 奈良学園中一が一学期の最後に書いた楷書による校訓「至誠力行」です。二学期からは、行書の学習をします。

入善町

入善町 入善町

 夏休みとなった7月中旬、実家の富山県入善町に帰省しました。写真1枚目は、入善の海上に設置された風力発電の風車です。沖合の水深10~12mの海域の、沿岸から600m~900m辺りに、3基建設されていました。稼働すると、風車3基で年間10,100トンの二酸化炭素削減効果があるそうです。写真2枚目は故郷の自慢の特産品、夏の風物詩「ジャンボすいか」です。

入善町 入善町

 母は長年お茶の教室をしていましたが、高齢のため、教室を閉じ、全てのお茶の団体の役職を辞退することにしました。写真2枚目は、7月の広間の茶室の床です。私の作品「海」と、弟の作品「フウラン」(夏に花が咲くという)を飾り、子供達で教室の方々をお迎えしたいと思いました。

豊島

豊島 豊島 豊島 豊島

 一学期の成績を入力した後、今年は瀬戸内海の2つの美術館に行く予定でした。1つは豊島にある「豊島美術館」、もう一つは犬島にある「精錬所美術館」でしたが、雨の影響で新幹線が遅れたこと、島に渡る船の運航も心配なため、犬島は断念しました。豊島を訪れるのは2回目、信号もコンビニもスーパーもない豊かな自然とアートの島は、変わっていませんでした。

 写真1枚目は「豊島美術館」の入り口、左奥の丸くて白い造形物を目指します。緑に覆われた遊歩道を進み、柱一つない白いアートスペースには裸足で入ります。展示物はなく、コンクリートの円形の建物と自然環境を取り込んだ空間全体がアート作品です。天井にある2ヵ所の開口部からは、周囲の風の音や鳥の声、刻々と変わる光と影が差し、足元には「泉」が誕生します。(中は撮影ができません。写真3・4枚目はポストカードです。)

豊島 豊島 豊島

 7月9日、昨年オープンした「エスポワールパーク」に泊まりました。写真2枚目は、部屋の窓から見える瀬戸内海と「海のレストラン」の建物です。写真3枚目は、施設内にあるショップに置かれたいたテーブル、島の形をしていました。
 「海のレストラン」で、穏やかな海に沈む夕日を間近に見ながら、特産の蛸や魚介、オリーブやレモンなどを使ったイタリヤ料理をいただきました。

豊島 豊島 豊島 豊島

 翌日も雨模様でしたが、レンタサイクルを借り、島を一回りしました。写真1枚目は、青木野枝さんの作品です。海や棚田が一望できる高台、神社の広場にある貯水タンクの傍にあり、周囲の木々と融合した鉄の彫刻です。写真2枚目は、島の食材を使ったお料理が好評の「島キッチン」、大きな屋根のある半野外の開放的なレストランです。
 写真3枚目は島の南にある民族文化財の「片山邸」、写真4枚目はそのあたりで自転車を停め眺めた景色の一コマです。

豊島 豊島 豊島 豊島

 家浦港近くに戻り、「針工房」と「豊島横尾館」を見学しました。写真1枚目は、「横尾館」入り口、赤い色ガラスと高さ14mの円塔が特徴的です。民家3棟を改修して、母屋、倉、納戸として独特の展示空間となっており、絵画作品を展示、円塔にはインスタレーション作品が展開されていました。写真2枚目は母屋と池のある石庭、母屋のガラス張りの床下には川が流れ、鯉が泳いでいました。使用もできるトイレ内も横尾忠則作品と化していました。

6月の活動

6月の活動 6月の活動 6月の活動

 奈良学園高校一年の芸術科書道の授業は、篆刻をしています。作品に押すための姓名印を、大小2顆制作中です。写真1・2枚目は、「布字(石印材に朱墨と墨を使って字入れ)」をしているところです。ここまでは慎重に、刻す時は「印床」を使わず石を握り、印刀は「握刀法」で持ち、大胆に1本の線を2回で引いて刻すようにと指導しました。写真3枚目は、一部刻し始めた日の印面です、一学期中に完成できるといいのですが。

6月の活動 6月の活動

 写真1枚目は、「奈良県民族博物館」(大和郡山市矢田町)のある「大和民族公園」のしょうぶ園です。時季が遅かったのか、以前より花数が少なくなっていました。
 写真2枚目は、庭の「ウワミズサクラ」、この時期の色合いが好きです。もう少しすると実は黒っぽく熟し、噛むと甘いですがほとんど種です。

 6月15日、満70歳のお誕生日を迎えました。孫も交えて子供たち一家が集い、お祝いしてもらいました。家族や仲間を大事にし、これからも変わらず健康でいたいものだと思います。

小さな穴窯

小さな穴窯 小さな穴窯 小さな穴窯

 「滋賀県陶芸の森(信楽町)」のこれまでの講習会で顔見知りになったMさんにお誘いを受けて、元「粘土カフェ」の仲間3人も一緒に計5人で、「陶芸の森」にある一番小さい穴窯(通称「ビードロ窯」)を焚きました。一人粘土20kg程度の作品を持ち寄り、窯詰めと焼成を2日間でするというもの、Mさんの得意とする「松灰」を飛ばすというやり方を学ぶつもりで参加しました。

 私は12kgしか手持ちの粘土がなく、またそのくらいしか作る時間がありませんでした。写真1・2枚目は、梅雨の晴れ間に、濡れ縁で乾燥中の作品です。3枚目は素焼きの様子です。

小さな穴窯 小さな穴窯 小さな穴窯

 6月24日9時から「窯詰め」が始まりました。短時間の焼成のため、焼き直しもいいよ、とのことでした。写真1枚目は、追加に持参した私の焼き直しの作品の一部です。
 午前中で手際よく窯詰めは終了(写真2枚目)、写真3枚目は、焚き口を作っているところです。

小さな穴窯 小さな穴窯 小さな穴窯 小さな穴窯

 写真1枚目は、まだ窯の温度が低い頃の窯の中です。窯焚きは、埃っぽく暑い中での汗まみれの肉体労働ですが、薪窯の魅力を知ってしまった私達は、この火を見るのが大好きなんだと思います。始めはバーナーを使い、その後廃材で800℃(素焼き程度)に温度が上がってからは、赤松を使い還元焼成で焚いていきました。
 写真3枚目は、夜の穴窯を煙突側の少し小高くなった所から撮ったものです。この時も、煙突からの炎を頼もしく見つめていました。写真4枚目のお揃いの前掛けは、陶芸家松元洋一氏の「青䖸窯」の窯焚きの時に着けるものです。松元氏を偲んで、また彼に守られているような気持ちでした。

小さな穴窯 小さな穴窯 小さな穴窯 小さな穴窯 小さな穴窯

 陶芸の森には、大きな狸が焼成できる巨大な「灯油窯」は元より、薪窯は大中小の「穴窯」以外に「登り窯」「イッテコイ窯」「トレインキルン」など様々な窯があり、講座で使っていない時には一般に貸し出しされ利用することができます。貸し出しの予定が詰まっていたため、窯出しは予定より早く6月29日(木)に行ないました。
 写真1枚目は、焚き口を開けた最初の窯の中の様子です。2枚目は、お掃除した後の窯、サイズがわかると思いますが、とても手ごろな大きさです。同じメンバーで、今回の反省点を踏まえ、12月にまた焚くことになりました。

和菓子講習会

和菓子講習会 和菓子講習会 和菓子講習会 和菓子講習会

 6月22日、和菓子作りの先生(写真1枚目中央、その左手奥に助手の先生)を拙宅にお招きして、講習会をしていただきました。生徒は金継ぎ仲間の5人です。茶の湯には欠かせない和菓子、お二人の先生は茶道のご指導もされています。6月の季節に相応しい「夏椿」と「若鮎」を作りました。

 手順としては、「若鮎」の中に入れる「求皮(ギュウヒ)」から先に作り、「夏椿」を作り、「若鮎」の外の皮を焼いて包む、というものでした。写真は「夏椿」です。釣具の浮きを使って(写真3枚目)窪みをつけるところがポイントです。

和菓子講習会 和菓子講習会 和菓子講習会 和菓子講習会 和菓子講習会 和菓子講習会

 「求皮」の材料は餅粉・砂糖・水飴・水です。和菓子専門店は蒸して作るそうですが、電子レンジを使って何度か混ぜながら手軽に作ることができました。外の皮を小判型に焼き、細く切った「求皮」を置いて形を整えます。熱した金属製の箸(写真5枚目)で、尾びれ・えら・目を入れて、「若鮎」の出来上がりです。
 お抹茶を点て、今日の和菓子の由来などを先生から伺いながら美味しくいただき、和やかな時を過ごしました。

京都大学書道部の書展

京都大学書道部の書展 京都大学書道部の書展 京都大学書道部の書展 京都大学書道部の書展 京都大学書道部の書展

 堺町画廊(京都市中央区)から歩いて、建仁寺(京都市東山区)に向かいました。s観光客が多いので(写真1枚目は鴨川縁)、四条大橋の混乱を避け、どんぐり橋を渡りました。
 建仁寺の2つの塔頭で、京都大学書道部恒例(131回)伝統ある初夏書展が行なわれていました。奈良女の書道部員も行くといいのですが、私が参考になりそうな作品や展示の仕方を写真に撮っておくことになっていたのです。会場に相応しい堂々とした作品、創作には漢詩が多用され教養が反映されていました。海外の方への説明でしょうか、会場では日本語より英語や韓国語が飛び交っていました。

田所尚美 個展

田所尚美 個展 田所尚美 個展 田所尚美 個展 田所尚美 個展

 田所尚美さんの個展が4年ぶりに開催されるというので、6月10日、久しぶりに京都の堺町画廊(地下鉄 烏丸御池から東に徒歩5分)を訪ねました。私達は作品を通して出会いました。そして、かつて伊賀市の元藩校で私にとっては大がかりなコラボ展をした時は、彼女の空間をデザインする力で大いに助けられたものです。
 堺町画廊は、町家の通り庭と台所が展示スペースになった趣のある画廊で、彼女の作品に相応しい会場だと思いました。 陶作品によるインスタレーションが2つの空間に展開していました。彼女の想いが託された小さなパーツが繁殖するように置かれた空間に身を置き、来館者はそれぞれに思いを巡らせます。

染め織り体験

染め織り体験 染め織り体験 染め織り体験

 ご近所の真下家の家庭菜園(真下農園)は100坪以上あり、いつも旬のお野菜をいただいています。その農園一面にカモミールの花が咲き終えようとしている頃、金継ぎ仲間の一人で染織家の吉川千賀子さんがそのカモミールをいただいて、染めをするのが恒例になっています。
 6月8日の金継ぎの集まりを「草木染め」に変更して、ご自宅にお邪魔しました。写真1枚目は、リビングにある千賀さんの織り機です。お庭で、思い思いに持ち寄ったTシャツ、スカーフやレースなどを、私はウールのショールを染めさせてもらいました。

染め織り体験 染め織り体験 染め織り体験 染め織り体験 染め織り体験 染め織り体験

 染織用鍋を火にかけている間、「裂き織り」でコースターを作らせてもらいました。仕上がりは12cm四方の少し大きめを希望しました。先ず、たて糸をその幅に張り(長さはコースター4枚分)、よこ糸は着物地を「裂いて」使います。私はベージュ系の明るい色の生地です。千賀さんの指導で、2名で交代でよこ糸を通していき、3時間くらいかかったでしょうか。自宅に戻って「ふさ」の始末をして、裂き織りコースターが2点出来上がりました!

5月の活動

5月の活動
5月の活動 5月の活動

 5月の連休に開催が恒例となったグループ「墨翔展」は、年間を通して私の一番大きなイベントとなっています。よい仲間に恵まれ、日頃お会いできない方々とも歓談できる大事な交流の場であり、幸せな3日間でした。その後、実家の母が高齢のため一週間余り帰省していると、5月はあっという間に過ぎてしまいました。

 写真1枚目は、奈良学園書道室のスライド式の黒板です。高校1年生の芸術科書道では、一学期前半は、書道史上最も有名な「王羲之」の『蘭亭序』の臨書をしました。最後に、色紙とうちわに「臨書作品」を作った日(5月15日)に撮ったものです。この後中間考査、一学期後半は篆刻(姓名印2顆の制作)をします。
 下の段の写真は、野イチゴです。ご近所の空き地に群生しています。赤い実は食用にもなり、かわいいのでお部屋に飾りました。

宇奈月

宇奈月 宇奈月 宇奈月 宇奈月

 地元の旧友と宇奈月温泉郷(黒部市)に行きました。実家から車で25分の所です。写真1枚目は、宇奈月温泉駅(富山地方鉄道本線の終着駅)の橋上駅舎です。駅前にある噴水は、温泉の湯を使っており湯気が上がっています。この光景は、私が子供の頃と全く変わっていません。
 ここからも見える所に「モーツアルト」という喫茶店(写真2枚目)があります。マスターは高校時代の同級生、3人でミニ同窓会のように話が弾みました。

 駅から徒歩5分の所に「セレネ美術館」があります。写真3・4枚目は作品の一部です。荘厳な黒部峡谷の姿や大自然の営みの素晴らしさを絵画を通して感じることができる美術館でした。

故郷 入善

故郷 入善

 5月20日、中間考査休みを利用して故郷入善町に帰省しました。入善町は富山県の東部、北陸自動車道を走行し黒部川を越えた所です。
 写真は、入善スマートインターを降りる少し手前で、夕日が綺麗だったので撮りました。田植えが終わった水田が、オレンジ色に輝いていました。

故郷 入善 故郷 入善 故郷 入善 故郷 入善 故郷 入善

 実家に帰ると、床の間のお軸を掛け替えるのが習慣となっています。禅語「山これ山 水これ水」(私の作品)を掛けていましたが、連休のグループ展で発表した万葉集「この夕 降りくる雨は彦星の 早漕ぐ舟の櫂の散りかも」の作品を飾りました。季節の先取りです、次に実家に来るのは七夕の後だと思ったからです。写真3枚目は、脇床の作品です。
 写真4枚目は小間の茶室に飾っていた棟方志功の版画です。棟方志功は戦時中富山に疎開ていたので、作品を見る機会は少なくありません。こちらも私の近作に掛け替えました。七夕を詠んだ俳句「七夕や 心もとない 朝ぐもり」、小ぶりで少し華やかな軸装です。

故郷 入善 故郷 入善 故郷 入善

 入善町の沖合に、着床式洋上風力発電施設として建設された「SEP船」を見に行きました。全長142m世界最大級の大きな作業船です。3000kw級の洋上風車3基が設置されるそうで、この日、1基の風車を見ることができました。この大型風車は海面からの高さが152m、羽根が回転する円の直径は133mだそうです。
 工事は8月末まで、9月から一般家庭約3600世帯分の電力が供給される予定とのことです。風が強いこの地域の海洋に、このような風のエネルギーを利用した発電ができることは素晴らしいと思いました。

金継ぎ仲間の和菓子作り

金継ぎ仲間の和菓子作り 金継ぎ仲間の和菓子作り 金継ぎ仲間の和菓子作り

 写真1枚目は、庭から見た工房です。
 ここに物づくり大好き(食べるのも大好き)な仲間が集まり、おしゃべりも楽しみながら、金継ぎをしています。写真2枚目は、仲間の一人のシーサーのような置物、数ヶ月かけて奇麗に欠けの修復ができました!3枚目の写真は作業中の器、左のケースは乾燥用(湿度60~75%)の室(むろ)です。

金継ぎ仲間の和菓子作り 金継ぎ仲間の和菓子作り 金継ぎ仲間の和菓子作り 金継ぎ仲間の和菓子作り 金継ぎ仲間の和菓子作り

 金継ぎ仲間5人のうちのお2人は、和菓子教室に通っておられます。この日は材料(写真1枚目)を用意してくださって、皆で和菓子を作りました。お抹茶も点てて、楽しいひと時を共に過ごしました。

第38回「墨翔展」

第38回「墨翔展」

 5月3日(水・祝)~5日(金・祝)、「墨翔展」を開催しました。「墨翔」は書壇に属さない書作家集団です。私はこの仲間との交流を励みに制作し、このグループ展は最も大事にしている発表の場です。
 今年から、「墨翔の仲間」として参加していたメンバー(私も)全員、「墨翔」の同人となりました。従って、グループ展の名称が「墨翔とその仲間展」から「墨翔展」となりました。総勢12名で行ないました。

 会場は、「奈良県文化会館」が改築休館中のため、初めて「八尾市文化会館プリズムホール」3階にある展示室をお借りしました。プリズムホールは近鉄大阪線「近鉄八尾」駅から200m(徒歩5分)の所にあり、中央が吹き抜けになった地下2階5階建て、大きなホールなどを備えた立派な施設でした。

第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」

 写真は、会場風景の一部です。大阪で開催したため、初日には会場を埋め尽くす来場者の方々で賑わいましたが、その時の様子を写真に撮る余裕はありませんでした。写真2枚目は、初日を避けて来てくださった仲間たちと歓談しているところです。バックは、私の展示コーナーです。

 私の担当壁面は8.4mです。その左の壁面は、五節句の一つ「七夕」をテーマにした書と陶作品、右の壁面は、刻字作品「ゆめ倶楽部」を中心に展示しました。※プロフィール・ごあいさつ

第38回「墨翔展」

 左の軸装作品3点は、表具にも作品の意図を反映できるよう「吉川春陽堂」さんのご主人と相談して、裂(きれ)や形式を決めました。一番左『万葉集』を万葉仮名と現代文で書いた作品は、彦星が織姫に逢うために舟で天の川を渡るという内容、夜空を思わせる黒い裂は珍しいのだそうです。「逢」は、青墨の墨色に合わせて紺2色の裂を用い、茶掛け風の仕立てです。「七夕や 心もとない 朝くもり」は、女流俳人の草創期に活躍した高橋淡路女(あわじじょ)の句、朝は曇っているけど晴れるよね⁈ という恋心に想いを寄せて書き、七夕飾りのような文人表装にしました。
 5つの額装の作品は「星いっぱい」と題し、篆書体で書いた星達です。マットをそれぞれ五色の短冊の色(紫・白・赤・黄・緑)にしました。中央の竹製「掛け花入れ」も自作です。

第38回「墨翔展」
第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」

 中央の刻字作品「ゆめ倶楽部」は幅140m、5つの文字は、筆順が判るように刻しています。板の表面を電動サンダーで整えて「拭き漆」を何回もしたので、木目のきれいな作品となりました。木の持つ力、その魅力を見てもらいたいと思って、この壁面には工芸の作品のみを並べました。

 右の「掛け花入れ」は、昨年末にトレインキルンで焼成したものです。ご近所の空き地に群生している野イチゴを生けました。左の「掛け花入れ」2点は、穴窯焼成の作品です。長い方のカーブは窯の中で自然にできました。これらを吊るしている大きめの「スイハツ」は、骨董品屋さんで見つけた古材で、「拭き漆」し、釘を2つ打って再生したものです。拙宅の玄関口にある黒竹を生けました。

第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」

 机上展示の作品です。こと座・わし座の一等星のVega(織女星)・Altair(牽牛星)は、墨のにじみで表現しました。それぞれの星座を象徴する「糸巻の香合」と「牛の文鎮」を添えました。旧作の「辰星」「星」と刻した磁印も並べました。その右の「竹の花入れ」には、庭に咲いていたフタリシズカと野の花を生けています。これらの陶作品は、七夕に因んで作陶し、3月に信楽の穴窯で焼成したものです。

第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」

 昨年の墨翔展を見届けるかのように、搬出の2日後に亡くなった河野通一さんの作品8点です。大好きなお酒の詩や日記のような自詠の言葉を、何枚も書かず一気に仕上げておられました。その根底にあるのは、徹底した臨書によって培った線の力です。拓本などの中国古物を収集し愛で、真摯に古典に向き合う姿が、今も目に浮かびます。※プロフィール

第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」
第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」

 墨翔展は38回を数えていますが、当初からのメンバーは3人となりました。写真1枚目は、この先輩の方々の展示コーナーの様子です。写真2~4枚目は濱上哲さんの作品の一部、親友の河野さんを偲んで書いた「雪月花の時 最も君を憶う(おもう)」「般若心経」などです。
 下の写真1枚目はお坊さんらしい中西玄匡さんの作品の一部です。「蓮」「雲」がお好きなようです。大きさがわかるように立ちました。写真2・3枚目は合評会中の早崎蘇石さんと作品の一部、反戦を謳った「時代遅れのロックンロールバンド」は、昨年末の紅白歌合戦で印象に残った歌詞ですね。

第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」
第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」

 私と同じくらいの歳のメンバーは、私を入れて4名です。上の段は、遊び心があり、様々な工夫が楽しい小川奇石さんの作品の一部です。
 下の段の1・2枚目は東ティモールの独立運動以前からその活動にかかわって平和活動を続けておられる文珠幹夫さんのプロフィールと作品の一部です。専門が物理学のため科学者の言葉の引用もあり、解説付きで見るのがお勧めです。3・4枚目は学生時代からの親友 倉下真澄さんの作品の一部です。彼女は絵も書も得意で、どの作品にもその言葉のメッセージに相応しい絵が主張することなく、書を引き立てるように添えられています。

第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」 第38回「墨翔展」

 墨翔のお若い方々(20代~30代後半)は、就職・結婚・出産など生活の変化で久しぶりの参加の方や参加されていない方もあり、今回は4名でした。写真1・2・3枚目の3人は、元今宮高校「書画部」の方々です。あまり時間を掛けず自在な筆致で次々と、絵や文字、自分の言葉を綴るスタイルです。写真4枚目は、小さなお子さんを育てながら高校の書道教師をされている方の「駆けまわる」、よく制作時間があるな、と感心します。怠け者の私は、個性豊かな墨翔の仲間の方々から、たくさんの刺激をもらっています。

4月の活動

4月の活動 4月の活動 4月の活動

 実家から奈良に戻った翌3日は、海外の方に自宅で「書道体験」を行ないました。奈良女書道部は4日から、奈良学園の授業は10日から始まりましたが、5月の連休に行なう「墨翔展」の作品制作が中心の毎日を過ごしました。

 刻字の作品に「拭き漆」を3回、文字はアクリル絵の具を塗り、赤い色漆で落款印(写真3枚目)を入れました。書作は、表具屋さんに言われたぎりぎりの日までかかりました。次回からは、もう少し余裕を持って取り組みたいものです。

4月の活動 4月の活動

 お茶のお稽古は、どんなに忙しい時でも気持ちが落ち着く時空です。4月になると、釜は風流な「吊り釜」となり、武者小路千家では「吊り釜」に「旅箪笥」(写真1枚目の奥)の組み合わせで、お点前をすることが多いようです。季節の先取りでしょうか、床には菖蒲に香風と書かれたお軸、先生の奥様のご実家に伝わったという小ぶりの鎧と太刀が飾られていました。
 この度の「墨翔展」のテーマに「五節句」の1つ「七夕」を選んだのは、お茶のお稽古の度に、床の設えやお道具の取り合わせ和菓子などに、日本独特の季節感を感じているからなのでしょう。

奈良女子大書道部「May展」

奈良女子大書道部「May展」 奈良女子大書道部「May展」 奈良女子大書道部「May展」 奈良女子大書道部「May展」
奈良女子大書道部「May展」 奈良女子大書道部「May展」

 4月25日~5月29日まで、奈良女子大学正門前にある「旧鍋屋交番(奈良市きたまち鍋屋観光案内所)」(写真1枚目)にて、恒例の「May展」を行なっています。
 新2・3回生11名が春休み中から準備した共同作品を中心に、新4回生1名(色紙)と私の作品(磁印)、計11点を展示しています。四畳半ほどの狭い空間ですが、古風な窓を活かして、壁面には半切のお軸3点、葉っぱを吊るした作品など、毛氈の上には(下の段の写真)、各自の好きな言葉を書いた折帖、自用印などを並べました。新緑をテーマとした内容で、全体に緑色を基調にしています。

茶会 in 吉城園

茶会 in 吉城園 茶会 in 吉城園 茶会 in 吉城園 茶会 in 吉城園 茶会 in 吉城園

 4月23日、吉城園(奈良市水門町)の茶室(写真1枚目)で、友人のお茶の先生の喜寿を祝うお茶会があり、ご相伴しました。写真2枚目は、茶室からのお庭の景色、写真3枚目は、そのお庭に下りて撮ったものです。
 お軸の文言をはじめ、長寿を寿ぎ、新緑の季節に因んだ取り合わせでもてなしてくださいました。「四君子」の蒔絵のある炉縁に、この月だけの「透木釜」が掛けられ(写真4枚目)、奥田木白の「翁」の香合、「寿棚」、お菓子は「紅白」の和菓子と落雁「京楽寿」、「花筏」の茶碗 など、お濃茶席とお薄席に、点心が用意されていました。心に残る久しぶりの茶会でした。

書道部の日帰り合宿

書道部の日帰り合宿 書道部の日帰り合宿 書道部の日帰り合宿 書道部の日帰り合宿

 4月4日・5日、奈良女子大学内にある合宿場で「日帰り合宿」を行ないました。4月25日~大学正門前にある「旧鍋屋交番」で行なう「May展」の作品と看板づくり、3年ぶりで新入生向けに行なわれる「部活紹介」の舞台発表の準備です。
 「May展」は、新緑がテーマです。半切の仮巻きに数名の作品を貼る共同作品のお軸3点などの制作で、藤の花を描いたものもあります。看板は、先ず用紙にアイロンを掛け、テーマに相応しい四葉のクローバーをモチーフに、部員で分担して作成していました。

桜さくら

桜さくら 桜さくら 桜さくら

 写真1枚目は、願わくは花の下にて春死なん、と詠んだ西行です。4月のお茶のお稽古に行くと、桜と旅を愛した西行法師のお軸が掛けられていました。

 毎年3月末から故郷富山県入善町に帰省します。昨年の今頃だと、桜の蕾は固かったのですが、今年は、北陸路も実家周辺も桜が満開でした。写真2枚目は、4月1日、隣の朝日町との境を流れる舟川縁の桜並木です。
 写真3枚目は、この桜並木と残雪に輝く立山連邦を遠景から撮ったものです。同じ頃に、私が帰省していたことを知らなかった地元の友人が送ってくれました。また、同じこの朝日岳を望む景色を2月に撮った写真も送ってくれました。美しい故郷、忘れてないよ、と返信しました。

桜さくら 桜さくら 桜さくら

 実家に滞在中、町内にある2つのお寺を訪ねました。2010年に新品種として発表された「コシノフクカサネ(越の福がさね)」という桜を見るためです。写真1枚目は「念興寺」(入善町舟見)、写真2枚目は「浄蓮寺」(入善町上野)の一本桜です。重ね重ねの喜びが感じられると名付けられたこの桜は、晩秋と春に開花する二季咲きの品種で、特に晩秋の開花に見応えがあるそうです。5枚の一重から6~12枚の半八重咲きが混在し、花付きがよく散り難い、咲き始めは白、満開後に紅色となるそうです。2種類の花弁と、ピンクの濃淡が確認できました。

 写真3枚目は「入善乙女キクザクラ」、100枚以上の花びらを付ける(花弁が極端に多い)桜です。国指定天然記念物「杉沢の沢スギ」林(入善町吉原)の枯れたスギ株の上に生育しているのを植物調査の際に見つかった新品種です。ソメイヨシノより開花時季が遅いのですが、今年は咲いていました。

3月の活動

3月の活動 3月の活動 3月の活動

 3月の授業は1日まで、成績を入力すると、一月程の春休みになりました。春休みの課題は、「墨翔展」の作品づくりです。今年のテーマを「七夕」と決めてからは、陶作品の焼成、取材した星座や七夕に因んだ故事や歌を書いていました。他に、刻字の看板「ゆめ倶楽部」を予定しています。
 めったに見ないテレビですが、野球好きの知人の解説でワールドベースボールクラシック21日の準決勝・22日の決勝戦を観戦、墨をすりながらです。書作2点を表具屋さんに持って行き、穴窯の窯出しが済んだ後、月末に帰省しました。

 写真3枚目は、早春の庭に真っ先に咲いた「スイセン」、穴窯焼成の花器に生けました。後の壺は、昨年、信楽の登り窯で焼成したものです。「サンシュ」「椿」、続いて「モクレン」が咲き始め、桜は例年より早くあちこちで満開ですね。お水取り(東大寺修二会)が終わったら春が来ると言われている通り、庭の木々も芽吹き始めました。

3月の展覧会

3月の展覧会 3月の展覧会 3月の展覧会 3月の展覧会

 昨年急逝した旧友の陶芸家 松元洋一氏の遺作展が、毎年恒例の「奈良工芸の粋」展(奈良新聞社主催)に併設されて開催されました。作品の大きさがわかるように隣に立ちました。会場は「依水園」(奈良市水門町)、庭園(写真2枚目)からは、1月末に山焼きが済んだ若草山と南大門が臨めます。

 写真3枚目は、海外の観光客で賑わう桜満開の東大寺境内です。南大門に隣接した「東大寺ミュージアム」、その地下にある展示室で、若い頃からお世話になっている土家利之先生の教室展があったので訪ねました。ご指導されている東大寺勧学院の書道講座の方々や先生の作品は、言葉を大事にした自由闊達な表現で、先生の人柄と書くことの楽しさが伝わる展示でした。

3月の展覧会

 「磯部南海雄(みなお)展」(会場:滋賀県立美術館ギャラリー)の作品の一部です。行った方が、めちゃくちゃよかった!スケールの大きさに圧倒された!気迫がすごい!と、たくさん写真を送ってくださいました。磯部氏は1942年生まれ、80歳を超えても意欲的です。行きたかったけど行けなかった、、、 行くべきだったと後悔した展覧会です。

穴窯焼成「窯出し」

穴窯焼成「窯出し」 穴窯焼成「窯出し」 穴窯焼成「窯出し」 穴窯焼成「窯出し」
穴窯焼成「窯出し」 穴窯焼成「窯出し」 穴窯焼成「窯出し」

 3月26日(日)、信楽にある「陶芸の森」で穴窯焼成の「窯出し」がありました。あいにくの小雨模様でしたが、参加者のほぼ全員の参加があり、職員の方の慣れたご指示で手際よく、次々と作品が出されました。写真1枚目は焚き口を開けた景色、写真4枚目は窯のやや後方の棚、右下に横になっているのは、私の竹の花入れです。
 焚き口の近くの作品は焦げやビードロ釉などの窯変があり、窯の奥にある作品まで、信楽特有の赤褐色の緋色がみられました。土に含まれている長石や石英などの細かな石粒が白く粒々と出ている肌合いにも独特の暖かみがあります。窯の中ほどの中段辺りにクッキーのように白っぽく焼けた作品(また焼き直せばいい)がありました。窯詰めの仕方に問題があり火が回っていないようだ、と学習することができました。

穴窯焼成「窯出し」 穴窯焼成「窯出し」 穴窯焼成「窯出し」 穴窯焼成「窯出し」 穴窯焼成「窯出し」

 この度は粘土7.5kg分で、竹の花入れ2点、掛け花入れ2点、香合と牛2点を作り、残りの粘土で茶碗と脚付きの小皿を作りました。寝かせて窯詰めをした花入れの一つは、窯の中で歪んでしまいました。亀裂が入った所は漆で繕い、こんな竹もありかな、と思って眺めています。茶碗と小皿の一部は焼き直ししようかと思います。

墨翔の集会

墨翔の集会 墨翔の集会 墨翔の集会

 3月25日(土)、大阪府立市岡高校書道室に「墨翔」のメンバーが集まり、5月の連休に開催する「グループ墨翔展」の最終打ち合わせと、作品の見合いをしました。
 「墨翔展」は、指導者の影響力が強い社中展ではなく、担当するスペースに持ち寄るだけのグループ展でもないので、集会は大事です。先輩達からもお若い方々からもよい刺激をもらって、私なりのプレッシャーを感じます。テーマや書きたい言葉はいくらでもあって、取材したり構想を練っている時、墨をする時間も筆を執っている時も楽しいのですが、この書に表具代をかける値打ちがあるか、交通費をかけて見に来てもらえるような作品か、と思うといつまでも未完成です。

刻字の板

刻字の板 刻字の板 刻字の板

 「ゆめ倶楽部」の刻字の板に、「電動サンダー」を掛けました。板を切り出した時ののこぎりの機械の跡でしょうか、全面に規則正しい縦筋が入っていました。(写真1枚目)
 文字を彫り出す前に、この作業をすればよかったのだと気付きましたが、縦筋は思った以上に取れ難く、お天気のいい日に半日掛かりで奮闘しました。筋が消えた後、番手の細かい「木工用布ヤスリ」で磨きました。木目が一段と美しく、木の味わいが感じられました。

刻字の板

 板の表面(文字以外の余白)には、「拭き漆」をしました。写真は1回目です。3回くらい「生漆」で拭く予定です。その後、文字の部分には白いアクリル絵の具を塗り、右下の印は赤い漆で描いて、仕上げます。

穴窯焼成「窯焚き」

穴窯焼成「窯焚き」 穴窯焼成「窯焚き」 穴窯焼成「窯焚き」 穴窯焼成「窯焚き」 穴窯焼成「窯焚き」 穴窯焼成「窯焚き」

 信楽の「陶芸の森」の穴窯焼成は、15日~「あぶり」(写真1・2枚目)が始まりました。私は18日(土)~「窯焚き」に参加しました。行った時には、温度計の温度は前も後も1200度を越えて安定していました。夜通し交代での作業ですが、初めてお会いする方々とも陶芸仲間としての交流がスムーズで、和やかに歓談しながら薪をくべました。
 よく19日(日)の日の出前、辺り一面に雲海(写真4枚目は、ごく一部)が見られました。写真5枚目は、その頃の窯を、後方から撮ったものです。この日の窯閉じは、予定より6時間ほど早く10時半ごろでした。写真6枚目は、窯を閉じる前の窯の中の様子です。ゆっくりと焚き口を閉じ、煙突は閉じずに開けたままなのには驚きました。信楽特有の緋色(スカーレット)が出るのは、そんな冷却の仕方によるものなのかもしれません。

伏見稲荷・二条城

伏見稲荷・二条城 伏見稲荷・二条城

 今年度の成績入力も済み、穴窯焼成の作品を完成させて窯詰め後の3月15日、梅は終わっているかな、桜はまだだなと思いましたが、京都に出かけました。昨年12月に伏見稲荷を訪れた時は「四つ辻」(写真1枚目左中央の現在地、クリックしたら大きくなります)まで登り、いつか頂上を極めたいと思っていました。帰りの参道にも鳥居が立ち並び、森林の中を快適に歩くことができました。

伏見稲荷・二条城 伏見稲荷・二条城 伏見稲荷・二条城 伏見稲荷・二条城

 二条城は京都市民茶会など何度か訪ねていましたが、何度見ても「二の丸御殿」の障壁画は豪華絢爛、将軍が住んだ大規模な御殿が残っていて中を見て歩けるなんて、時を忘れます。二之丸庭園→本丸庭園→天守閣跡から清流園へと早春の二条城を散策しました。ソメイヨシノの開花はまだでしたが、カンヒザクラ・ケイオウザクラが咲いていました。

穴窯焼成「窯詰め」

穴窯焼成「窯詰め」 穴窯焼成「窯詰め」 穴窯焼成「窯詰め」 穴窯焼成「窯詰め」 穴窯焼成「窯詰め」

 信楽にある「滋賀県立陶芸の森」では様々な一般向け陶芸講座があり、これまで年に一度くらいでしょうか「ラク焼き」「ミニ窯づくり」「野焼き」「大壺づくり」に参加したことがありました。「穴窯」は伊賀の法人活動(粘土カフェ)でやっていたので、信楽の「穴窯焼成」に参加させてもらうのは初めてです。作陶の指導はなく、決まった粘土をもらいます。2月中に作陶、自宅の電気窯で素焼きをして、3月11日・12日は、いよいよ窯詰めでした。
 窯は大人4人くらい入って中で作業できるくらい大きく、窯の形状は奥の方がつぼまった蝋燭型で傾斜もあり、窯の壁が非常に厚いと思いました。どこの穴窯も様々なことがそれぞれ違うので、とても勉強になります。この日は、職員の方のお声がけで、参加者20名ほどの作品を詰めていきました。三分の二程度詰めたところ(写真5枚目)で一日目の作業は終了し、2日目は職員の方で詰めてくださるというものでした。

穴窯焼成の作品

穴窯焼成の作品 穴窯焼成の作品 穴窯焼成の作品 穴窯焼成の作品

 「滋賀県立陶芸の森」(甲賀市信楽町)の穴窯焼成の作品です。写真1枚目は素焼きの窯詰めの様子、2枚目はその焼成後です。竹の花入れ、筒花入れ、香合(写真3枚目)、残りの粘土で作った脚付きの小皿などです。写真4枚目は、乾燥中の作品、牛、茶碗などです。具象の牛は、初めての挑戦でした。文鎮にでもなるでしょうか。

東大寺二月堂修二会

東大寺二月堂修二会
東大寺二月堂修二会 東大寺二月堂修二会 東大寺二月堂修二会

 3月1日から東大寺二月堂修二会の本行が始まりました。写真1枚目は、この日、お松明が上がる様子を「良弁杉」越しに遠くから見た時に撮ったものです。
 8日の昼間にも二月堂を訪れました。根っこの付いた竹は寄贈されたもので、毎日堂上する練行衆の足元を照らすための松明の竹、これを担ぐ「童子」が、毎朝、杉葉を用いて松明を作ります。この日は、数日かけて作っていた「籠松明」(写真3枚目)の仕上げの日でした。また、13時ごろになると、少しのご飯の入った和紙の包みを持って「食堂(じきどう)」から出てこられた練行衆は、次々と「生飯(さば)投げ」をされました。

東大寺二月堂修二会 東大寺二月堂修二会 東大寺二月堂修二会

 3月最初のお茶の先生のお宅のお床の設えも、修二会に因んだものでした。お軸は上司海雲師(第206世東大寺別当)の「華厳」、須弥壇に供えられた二月堂椿の造花が生の椿の枝に挿して飾られていました。花器は私の作で、赤い漆で繕ったものです。奈良では、この時期のみ、二月堂の椿を模した和菓子が楽しめます。

2月の活動

2月の活動

 奈良学園中学校1年生の「行書」の色紙です。2学期から「読みやすく早く書くため」の行書の学習を始め、3学期からは、各自が好きな四字句の行書体を辞書で調べ、名前も行書で入れて、2月末、色紙に仕上げました。
 大人の方から行書で名前を書いてほしい、とよく頼まれますが、義務教育の間に行書の学習をすることは欠かせないという信念を持って指導しています。もう墨をすって筆を持つ機会がない生徒も多いことでしょう。たとう紙の題箋には「時年十三(時に年は十三)」と書いています。

 5月の連休に行なう「グループ墨翔展」の今年のテーマは「七夕」です。ネットで七夕伝説、星座、 七夕を詠んだ俳句・和歌・童謡を検索、図書館で本を手に取って見ていると、想いや構想が広がる ばかりです。幼い頃、短冊に「字が上手になりますように」と書いたことがありました。今は、夜空の ロマンに重ねて「♪ 時間よ止まれ ♪」と書こうかな。

七夕に因んだ陶作品

七夕に因んだ陶作品 七夕に因んだ陶作品 七夕に因んだ陶作品

 昨年の「二十四節気磁印」の折帖の作品は、時間をかけた大作でした。これに続けて、季節の移り変わり(暦)を題材にした書作や陶作品を作りたいと思い、「雑節」「五節句」を検討していました。取り掛かりが遅く、シリーズでは無理とあきらめ、「五節句」のうちの一つの「七夕」をテーマに、5月の連休にある「グループ墨翔展」で発表したいと思っています。
 3月に「滋賀県立陶芸の森」の穴窯焼成に参加するので、七夕に因んだ陶作品を制作中です。「竹」の花入れ2点、織姫をイメージした「糸巻」の香合、牛飼いだった彦星をイメージした「牛」2点です。拙宅から2.2kmの所にある「植村牧場」(奈良市般若寺町)に牛を見に行きました。

漆繕い

漆繕い 漆繕い 漆繕い 漆繕い 漆繕い

 私の工房に金継ぎ仲間が集まって、一緒に作業をしています。写真2枚目は、接着用に使う「麦漆」です。このくらいの粘りかしら?もう少し生漆入れたほうがいいかな?などと検討し合い、迷った時はいくつかの本や検索した動画を見たりします。漆繕いは地味で細かい作業ですが、いろんな情報交換もしながら楽しい時間を過ごしています。
 写真3枚目は、急須の取っ手の繕い、麻布で補強し、時間をかけて生漆を何度も塗り緑色の漆で仕上げました。写真4枚目は「さび漆」の乾燥中、5枚目は室(むろ)の中で乾燥中の「中塗り」の器です。

梅づくし

梅づくし 梅づくし 梅づくし 梅づくし 梅づくし 梅づくし

 写真1~3枚目は、お茶の教室の床飾りです。2月は、お軸も香合も和菓子も、梅づくしでした。まだ寒さ厳しく寒風の吹く時季に小さいながら凛として咲く梅の花、もうすぐ春の訪れですね。
 写真4~6枚目は、拙宅に飾っているお軸です。小さな家なので床の間はなく、中国のように壁にかけています。今年の2月は観梅に出向くことができませんでしたが、庭の梅などと共に家にいて鑑賞していました。

墨翔の集会

墨翔の集会

 2月4日、大阪府立市岡高校書道室で、墨翔の集会がありました。この日は、5月の連休に行なうグループ展の会場(初めて使う八尾プリズムホール展示室)の見取り図を元に担当壁面の割り振りを行ない、当日の当番や来年の会場の候補を出し合うなどの話し合いをしました。
 また、今回から「墨翔の仲間」も墨翔の同人となり、全員が「グループ墨翔」のメンバーとして活動することになりました。従って、「墨翔とその仲間展」は、「グループ墨翔展」と改名されました。

1月の活動

1月の活動

 年末年始は、故郷富山県入善町で一人暮らしの母と過ごしました。写真は、「富山県美術館」からの景色です。美術館は富岩(ふがん)運河環水公園の中にあり、この日は雪の立山連邦を雲間に望むことができました。富岸運河は、富山湾まで続く5.1kmの運河、周辺は親水公園として散策路が整備され、野鳥の観察舎や野外劇場、世界一美しい眺めといわれたスターバックスコーヒーなどもあるのどかな地域です。

 8日に奈良に戻りました。奈良学園の三学期は、中学入試があり、その前の授業はリモートで行なわれ、私の授業は18日から始まりました。

1月の活動

 「睦月」とは、よく言ったものです。これまで実施されなかった新年会があり、パソコンの先生、着付けの先生、友人や子供・孫たちが集いました。また、中国・台湾の大学の後期授業が2月20日頃から再開されることを受けて交流のある研究者が赴任されるので送別会を行ない、お泊り客もありました。写真は、田上が属している金石書学の研究会(『文人伝』を刊行中)の様子、今月は拙宅であった時のものです。
 来客の食事づくりに追われ、アップルパイも何度か作りました。制作などの時間が取れませんでしたが、食を共にしながら歓談できるようになったことを嬉しく思います。出会った人を大事にし、私自身も成長したい、希望をもって過ごした1月でした。

初釜

初釜 初釜 初釜 初釜 初釜

 1月28日(土)は、3年ぶりにお茶の教室の新年会と初釜がありました。庭園の美しい日本料理店「夢窓庵」(奈良市水門町)で懐石料理、直ぐ近くの先生のお宅に移動して、お抹茶をいただきました。私の着物は両袖に日本刺繡、裾にぼかしのある訪問着、この日は着付けてもらいましたが、今年こそは和服を一人で着て、お茶のお稽古や美術館に出かけることができるようになりたい、と思っています。
 お菓子は順に、新春に相応しい「梅・白い落雁はウサギ」「練りきりの松」「辻占(つじうら)」です。辻占は、金沢の銘菓で、占いの小さな紙がねじられたお菓子の中に入っており、おみくじのように各々読み上げては場が和みました。

初詣で

初詣で 初詣で 初詣で 初詣で 初詣で

 元旦の雪の晴れ間、実家から徒歩5分ほどの所にある「入善神社」に母と初詣でに行きました。奈良に戻った翌日は、「東大寺大仏殿」の参拝、そして御朱印を書くお手伝いをしました。大仏様のお座します空間にいるだけで清々しく、今年も守られ平穏な日常が送れるような気がしました。
 写真3・4枚目は「住吉大社(全国にある住吉神社の総本宮)」です。生家がこの辺だった友人の案内で、混雑を避け11日に参拝しました。ご祭神は、写真4枚目の左奥から第一本宮、第二本宮、点前に第三本宮、第四本宮はその右横に立ち並ぶ配置です。力強さが伝わるこれら本殿4棟は国宝で、「住吉造」と称される神社建築史上最古の特殊な様式だそうです。
 写真5枚目は、延期になっていた孫の七五三参りの時のもの、22日、娘と息子一家共々8名で「春日大社」に詣でました。

富山の美術館

富山の美術館 富山の美術館
富山の美術館 富山の美術館 富山の美術館 富山の美術館

 実家に帰省中の5日は珍しく雪も降らないお出かけ日和、富山市にある2つの美術館を訪ねました。
 1つ目は、゛アートとデザインをつなぐ゛をコンセプトにした「富山県立美術館」、5年前にオープンしました。運河を利用した環水公園の中にあり、富山県の木材やアルミを使ったガラス張りの外観です。美しい風景を見ながら、多彩な世界の近現代のアート、ポスター・椅子などのデザインコレクションを楽しく鑑賞しました。

富山の美術館 富山の美術館 富山の美術館 富山の美術館 富山の美術館

 県美からバスで南に3km、写真1枚目は富山市の中心街にある複合ビル「TOYAMAキラリ」(「ガラスの街とやま」を象徴する「富山ガラス美術館」)前の風景、立山連峰の雪景色が美しく映えていました。
 館内には、開放的な市立図書館、カフェやショップもあります。クールな外観に対して、内部は天窓からの優しい光が館内の木々にぬくもりを与えており、この独特の建築は、やっぱりそうです、隈研吾氏の設計でした。2階から6階までの各展示室を鑑賞するごとに、この吹き抜けの空間に出るようになっています。写真5枚目は、ガラス彫刻家デイル・チフーリ氏のインスタレーションです。

正月の床

正月の床 正月の床 正月の床 正月の床

 季節に応じたお軸などで床飾りを構成するのは、楽しい作業です。実家にあるお軸やお道具を色々出して眺めたり、その作者のことを調べたりしていると時間がいくらあっても足りません。

 写真1枚目は富士・松・梅に、「霊嶽沖天」という讃のある前田黙鳳作のお軸、右の色紙は父の描いた「天神様」です。この色紙は、7日に干支の「卯」(写真4枚目)に掛け替えました。
 写真2枚目は、小間の茶室の床です。「慧日破諸闇(慧日は諸の闇を破る)」と書かれた東福寺管長だった福島慶道師の書を選びました。今年こそ、仏教のお力で諸々の闇(災害やコロナ禍など)を吹っ飛ばしてほしと思い、仏手柑(写真3枚目)と共に飾りました。

年のはじめに

令和五年 年のはじめに

 癸卯の歳が始まりましたね。年が明けてから宛名書きを始めて投函した年賀状です。(クリックしたら大きくなります。
 書は卯の篆書体、印は全て磁土で制作、一番右は三角に近い不定形の印面に何ヵ所か最低限のカットを入れただけで作ったウサギです。

 昨年は、2月に旧友で陶芸家の松元洋一氏、5月に書の大先輩の河野通一氏、10月に中国文学者の横山弘先生を亡くしました。書・陶、その周辺の師や仲間は私の宝物で、皆さんとの交流の中で育てていただき、今の私があります。いつもそばにいて尋ねるつもりの方々を次々失い、甘えてばかりはいられない歳になったことを自覚しています。変わらぬご指導よろしくお願いいたします。