12月の活動

12月の活動

 奈良学園2学期の書道の授業は、12月7日まで、その後、成績入力を済ませると、ひと月余りの冬休みになりました。写真は、高一の「大仏書道展」入選作品と、行書で校訓を書いた中一の作品、ホールに展示しました。

 11月末から急いで作っていた「トレインキルン」の作品の素焼きをし、仲間と焼成を楽しみ、京都や大阪など近隣へ出かけました。海外旅行は叶いませんが、コロナ前のように様々なイベントや活動が始まった2022年でした。
 月末になって慌てて年賀状を作成、自宅のプリンターで印刷し、それを持って、27日から故郷富山に帰省しました。

大阪城公園

大阪城公園 大阪城公園

 大阪城は、車窓から見るだけで行ったことがありませんでした。クリスマスイブに、シアタードラマシティ大阪でミュージカルを見ることにしていたので、この日の昼間、大阪城公園に行きました。
 公園に隣接する「ホテルニューオータニ」最上階のレストランから「大阪城ホール」や「大阪城」を眺めながら、ランチをいただきました。その後、大阪城港〜なにわ橋あたりまで大川を往復する水上バス「アクアライナー」に乗船、水都大阪を川面から眺めました。緑とビルと橋の水辺風景でした。写真2枚目は、多くの橋の中で一番美しいと思ったもの、その奥に桜宮橋も見えました。

大阪城公園 大阪城公園 大阪城公園 大阪城公園 大阪城公園

 公園内は歩くにはとても広いので「ロードトレイン」に乗りました。写真1・2枚目は、その車窓から撮った巨石とお城です。終着は「極楽橋」(写真3枚目)です。
 大阪城はとても豪華で、天守閣内の展示も充実していました。写真5枚目は、天守閣からの眺めです。眼下に「青屋門」、「大阪城ホール」、ランチをしたホテルや姪が勤めている読売テレビのビルも確認できました。

トレインキルン「窯出し」&工房見学

トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学

 12月10日・11日の土日に焼成した「トレインキルン」の窯出しが、18日(日)にありました。珪砂と棚板を取り除き、前の段から順番に作品を運び出し、並べていきました。
 列車のように長い窯の中を炎がどのように流れるかは、棚のどこにどんな作品を置くか「窯詰め」によって決まる、炎の流れを作っていくように、とご指導いただいていました。ただ、焼き上がりを見るまではわかりません。炎が上部にあまり行っていない、場所によっては釉薬が溶ける温度になっていない、サマ穴に作品を詰めたことで引きが悪かったのではないか、など様々な反省と次の課題がみつかりました。

トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学

 アメリカ発の合理的な薪窯「トレインキルン」の焼成は、短時間で窯変の面白さを体験できるところが魅力です。どうなるかなぁ入れてみようか、と焼き直しの作品も実験的に手軽に試してみることができました。
 写真は、私の作品の一部です。水指の2つ目は、前回の焼き直しです。香炉は、京博の茶の湯展で見た物がイメージにあります。透明釉をかけた茶入れ、掛花入れは緋色が綺麗に出ました。香合も焼き直しです。

トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学 トレインキルン「窯出し」&工房見学

 午後、窯出しを終えた仲間3名と、「陶芸の森」から信楽インター方面へ車で5・6分の所にある陶芸家 篠原希先生の工房を訪ねました。焼成の報告も兼ねていました。
 写真1枚目は、工房に続く「てまひまうつわ」(奥様の日にち限定カフェ)の前にて。白い枠のある横長の窓からは、中に入ると(写真2枚目)、粘土が取れる山の景色が一望できます。ここで、粘土の特性にこだわる先生の陶芸にかける熱い思いを伺いました。意欲的な取り組みをされている様子を、気さくに話してくださいました。カフェにはたくさんの作品が展示されており、廃材を利用した棚や4人のお子さんと共に作られた自慢の空間もあり、工房には、 いろいろな粘土(原土)や蹴ロクロもありました。

「青䖸窯」の年末お掃除

「青䖸窯」の年末お掃除 「青䖸窯」の年末お掃除 「青䖸窯」の年末お掃除 「青䖸窯」の年末お掃除 「青䖸窯」の年末お掃除

 陶芸家の友人 松元洋一氏が2月に急逝し、3月末の49日法要「偲ぶ会」に全国のファンや窯焚きのお手伝いをした多くの方々が集ったと聞いていました。(私は川上村での穴窯に誘われていて不参加、窯焚きの方に行け!と言われるだろうと判断したからでした。)

 それから9ヶ月、写真は、年末の松元氏の工房「青䖸窯」の様子です。工房のお掃除をしたい!という気持ちが重なり、九州から来た元内弟子さんが粘土や薪の引き取りも兼ねて3日ほど奈良に滞在されている間に、有志7名が集まった時に撮ったものです。
 元々綺麗好きで、常に整えられた工房でした。素焼きや乾燥のままの作品が一窯焚く分(写真1・2枚目)残されており、無念さが募ります。大規模な穴窯の周りの土は、なんと野生の鹿が食べて基礎が剥き出しになっていました。焼成の儀式で、お酒と塩を撒いていたからだそうです。往時のあの活気は、関わった人達の胸に刻まれて残ることでしょう。

トレインキルン焼成

トレインキルン焼成 トレインキルン焼成 トレインキルン焼成 トレインキルン焼成 トレインキルン焼成

 「滋賀県立陶芸の森」の新しい窯「トレインキルン」は、アメリカで講習を受けられた信楽在住の陶芸家 篠原希先生と一般の参加者の手によって、昨年造られたアメリカではポピュラーな窯です。この時の講座に参加されたメンバーは集まって、この窯を借りて何度も焼成を楽しんでおられたようで、12月の焼成に誘ってくださいました。私は、昨年末に篠原先生の講座(冷却還元と炭火焼成)を体験、「トレインキルン焼成」は3度目でした。

 写真は、「窯詰め」の様子です。トレインキルンは薪窯でありながら、「窯詰め」〜「窯閉じ」までが2日でできるという合理的な構造です。参加者11名は、10日(土)朝10時に集合して、持ち寄った作品を詰めていきました。窯の上部を棚板で塞ぎ、珪砂を敷き埋めて、15時ころ「窯詰め」が完成しました。

トレインキルン焼成 トレインキルン焼成 トレインキルン焼成 トレインキルン焼成 トレインキルン焼成 トレインキルン焼成

 「窯焚き」の様子です。最初はバーナーを使いましたが、まもなく焚き口から薪を投入、温度が1200℃を越えたところで「横焚き」(写真5枚目)です。穴窯とは違っていろいろな焚き方が短時間でできる、と篠原先生がおっしゃる通り、1日目の15時〜翌日15時までの24時間の焼成でした。
 100時間(5日間)焚き続ける「穴窯焼成」しか経験のなかった私には驚きと共に、新たな学びに興味が尽きません。日帰りの人もあり、夜は4人ずつ交代で仮眠をとりましたが、それが一晩だけですから体が楽で、手軽に挑戦できます。穴窯とは作品の狙いは異なりますが、これから日本でも取り入られていく薪窯となることでしょう。

トレインキルン焼成 トレインキルン焼成 トレインキルン焼成 トレインキルン焼成

 「陶芸の森」は、雄大な自然の中にあります。「美術館」、ショップや人気のレストランを備えた「信楽産業展示室」、アーティストインレジデンスなどを受け入れる「創作研修館」などの施設と、陶作品が点在する広大な広場があり、陶芸をしなくても家族連れやグループで訪れる自然公園のような所です。その一角には、大・小・ミニの「穴窯」「登り窯」「スイッチバックキルン」ほかの窯があり、貸し出しもされます。写真1枚目中央の大きな屋根にあるのは、再現された「金山窯」です。
 滞在した2日間の間、トレインキルンの窯の近くで、穴窯焼成(写真2枚目)、耐火煉瓦でできた簡易窯によるオブジェの焼成(写真3枚目)、七輪陶芸(写真4枚目)が行われていました。

冬の京都

冬の京都 冬の京都 冬の京都 冬の京都

 紅葉のピークが過ぎた12月9日(金)、冬の京都を訪ねました。
 最初に、JR奈良線「稲荷」駅直ぐ前にある「伏見稲荷大社」へ、お稲荷さんの総本宮です。写真2枚目奥は楼門、写真3枚目はご本殿です。朱に彩られた明るく開放的な境内には、たくさんの修学旅行の生徒さん達や海外の観光客が訪れていて、初詣にはどんなにか多くの人出で賑わうことだろうと思いました。「千本鳥居」をくぐり、眺めのいい「四ツ辻」あたりまで登りました。稲荷山の標高は233mもあり、本格的な「お山めぐり」は後日となりました。

冬の京都 冬の京都 冬の京都 冬の京都

 南禅寺界隈に移動し、国の名勝「無鄰菴」を訪ねました。山縣有朋の別荘だった建物と庭園が公開されています。写真1枚目の左の洋館には、日露開戦前に外交会議が行われた部屋がありました。右の建物が母屋、写真2・3枚目は母屋からのお庭の様子です。
 明治の大公共事業 琵琶湖疏水開通に関わった有朋は、この庭の奥にある滝口にサイフォンの原理を利用して琵琶湖疏水を引いています。その軽快な流れは、周囲の喧騒から隔離された空間に、静かな里山の風景を作り出していました。写真4枚目は庭園内にある三畳台目の茶室、藪内流の「燕庵」を模したそうです。

冬の京都 冬の京都 冬の京都

 歩いて、京セラ美術館の前を通り、「ヨルモウデ」仕様にライトアップされた「平安神宮」に行きました。提灯を持ち、光の演出で彩られた境内や東神苑を歩きました。写真3枚目左は、池にかかる橋「泰平閣」、その高欄の付いた楼閣の頂の鳳凰がくっきりと映し出されて、幻想的でした。この回廊の両側にあるベンチに腰を下ろして、風景を堪能しました。

吉川千賀子展

吉川千賀子展 吉川千賀子展 吉川千賀子展 吉川千賀子展 吉川千賀子展

 12月2日、「奈良町にぎわいの家」(奈良市中新屋町)の蔵ギャラリーを訪れました。染織家 吉川千賀子さんの個展「織りの風景」が、「奈良町にぎわいの家」の企画展として開催されていました。吉川さんは、私の工房で金継ぎを一緒にしている仲間のお一人です。
 趣のある築110年の蔵に、草木染めの帯・バック・マフラーなどが展示されていました。野山や道端の草、庭の選定後の枝や畑の収穫後の茎や葉などを用いて、それを煮出した液で糸を染め、自然がもたらす色を布に織っておられます。写真1枚目は蔵ギャラリー入り口、写真5枚目は別室に展示された織り機などです。

11月の活動

11月の活動 11月の活動 11月の活動

 茶人の正月ともいわれる11月には、「炉開き」が行なわれます。私が通う教室では5日(土)のお稽古日は、普段洋服の方も和服で来られ、「ぜんざい」がふるまわれる特別な日です。
 写真は、この日の床のしつらえです。お軸の絵は、武者小路千家の若宗匠が6歳の時に書かれた敦煌の飛天です。中国旅行に同行された時のもので、近年になってお軸に仕立てられたそうです。珍しい一幅を拝見することができました。嬉しいことに、真っ赤に熟すたくさんの小さな果実をつけたビナンカズラが、私の掛け花入れに生けられていました。

11月の活動

 写真は、11月13日の大仏池です。小雨にけむる山々や大仏殿も風情があって、美しい古都の秋です。

 11月中旬、奈良女子大学書道部で少し遅くまで残っていたメンバー全員がコロナウィルスに感染してしまい、私も一週間ほど寝込み、その後も倦怠感が続くという事態となりました。大学からは活動自粛などの指導はなく、ぎりぎり「墨攻展」の搬入日(25日)からほぼ全員回復し、延期することなく「墨攻展」を開催することができました。

奈良女子大学書道部 「墨攻展」

奈良女子大学書道部 「墨攻展」 奈良女子大学書道部 「墨攻展」 奈良女子大学書道部 「墨攻展」

 奈良女子大学書道部の学内展の名称は、これまで墨の香りの「墨香展」でした。元々は部員のラインの打ち間違いですが、音通する「墨攻展」と改めました!墨の攻撃、という意気込みを込めています。

 写真2枚目は会場となった学内にある「佐保会館」です。奈良女子高等師範学校・奈良女子大学の同窓会である佐保会が所有する同窓会館で、国の登録有形文化財の建物です。この2階のホール(200m2)をお借りして、11月26日(土)~28日(月)10:00~16:00(初日のみ14:00~)、3年ぶりの開催が実現しました。
 写真3枚目は、ホールにあるヤマハ製(製品番号967番)のピアノ、110年前のものだそうです。前板には品のいい彫刻が施され、全面左右に蝋燭台がある文化財級の貴重な楽器に、同窓会の歴史を感じながら、部員たち共々弾かせていただきました。

奈良女子大学書道部 「墨攻展」 奈良女子大学書道部 「墨攻展」 奈良女子大学書道部 「墨攻展」 奈良女子大学書道部 「墨攻展」

 会場の様子の一部です。コロナ前に学内にある「記念館」講堂で行なっていた時より規模は小さいでしたが、1回生~3回生までの部員全員が初めての展覧会に挑みました。
 1枚目は入り口側(軸装の作品)、2枚目は正面左手側(大仏書道展の作品など)です。3枚目はホール正面、机上展示として横物や折帖の作品など、中央のスクリーンには活動の様子を画像で投影しました。写真4枚目は正面右手側(額装の作品)です。主に、9月上旬に行なった2泊3日の合宿で書いたものです。

奈良女子大学書道部 「墨攻展」 奈良女子大学書道部 「墨攻展」 奈良女子大学書道部 「墨攻展」 奈良女子大学書道部 「墨攻展」 奈良女子大学書道部 「墨攻展」

 作品のごく一部の紹介です。1枚目は階段ホールに展示した共同作品、紅葉をイメージした葉っぱはぶらぶらしていて、思い思いの語句が書かれています。2枚目は宋代の蘇東坡の作に黄庭堅が書いた「跋文」の臨書、3枚目は「木簡」の再現ですが、文の内容は中国の小説の一場面という凝ったものです。4枚目の「竹林」は、独創的で楽しい表現ですね。5枚目は中国戦国時代の「石鼓文」の一部をアレンジした作品です。

奈良市水門町

奈良市水門町 奈良市水門町 奈良市水門町

 授業が午前中で終わった7日(月)、ならまちで薬膳に茶粥のついたランチをいただき、水門町にある「寧楽美術館」に行きました。秋季展は「雑器から茶器へー焼き締めとその源流ー」でした。釉薬をかけない焼き締めや茶器は、私が興味深く思っている分野です。また、重要文化財の田能村竹田「亦復一楽帖(またまたいちらくじょう」の一図が毎回特別展示されるのが恒例で、どの部分が見れるかも楽しみでした。
 美術館は「依水園」(写真1・2枚目)に併設されています。写真3枚目は、「依水園」のお隣にある「吉城園」の苔の庭です。両庭園とも始まったばかりの紅葉が、緑の中に映えていました。美味しいものを食べる&美術鑑賞&お庭の散策をすることは、私の最も好きな時間の過ごし方です。

和歌山

和歌山 和歌山 和歌山 和歌山

 11月6日(日)、書のグループ「墨翔とその仲間」のメンバーで和歌山市在住の書家 小川起石さんの個展「 小川起石の書展 書はほぼ点と線でできている 」を見に、和歌山に行きました。会場は地元が生んだ書の大家 天石東村先生を記念するホールがある「和歌山県書道資料館(和歌山市西汀丁)」です。
 小川さんは、40年近く前に天石東村先生に請われて札幌から和歌山に活躍の場を移されました。恩師の記念館での個展を特別に感慨深く思っていらっしゃることは、書壇を離れてからの墨象作品を含む70点もの作品から、容易に伺い知ることができました。

 写真は、私が気に入った作品の一部です。1枚目は「〇△□シリーズ」の一つ、書き切らないところがすごい。2枚目は絵のような「明」、淡墨の丸(篆書の日)と濃墨の直線(行書の月)の対比が妙。3枚目はデザイン化された「叫」、4枚目は一つ一つの点の形と線の長さによって表現された「記憶」と題された作品です。どの作品も筆墨の特性を生かした独創的な小川さんワールド、見る人に優しく語りかけます。

和歌山 和歌山 和歌山 和歌山 和歌山

 「和歌山城」は平山城ですが、和歌山市駅から南に1km歩くと右手に「書道資料館」が、左手にお城が見えていました。写真1枚目は、天守閣から撮ったものです。写真2枚目は城郭内にある「二之丸庭園」と「西の丸庭園」を結ぶ斜めになっている橋「御橋廊下」、写真3枚目はこの廊下の窓から撮った天守閣です。
 西之丸庭園(写真4・5枚目)は、江戸時代初期の池泉回遊式の大名庭園です。一部のもみじの色付き始めた様子から、もう少しするとどんなにきれいだろう、「紅葉渓庭園」とも呼ばれていることがよくわかる風情でした。

京都大原「宝泉院」

京都大原「宝泉院」 京都大原「宝泉院」 京都大原「宝泉院」 京都大原「宝泉院」

 11月4日(金)、京都大原の里にある「宝泉院」を訪ねました。「三千院」の参道から、さらに奥に「勝林院」本堂があり、「宝泉院」はその塔頭、元は宿坊だったそうです。その一室で若い陶芸家 吉田瑞希さんが個展をされていました。
 写真1・2枚目は、「宝泉院」の山門、写真3・4枚目は境内南側にある枯山水のお庭「宝楽園」の一部です。紅葉の見ごろには少し早いようでした。

京都大原「宝泉院」 京都大原「宝泉院」 京都大原「宝泉院」 京都大原「宝泉院」

 吉田瑞希さんとは、彼女がまだ大学生だった頃から穴窯焼成の活動を通して10年来の交流があります。今回2回目の個展です。前回の京都大丸でも好評だった「鍾馗さん」(屋根の上などにみられる疫病退散の守り神)は大小サイズは豊富にあり、料理の映える白と黒のシンプルな器と共に展示されていました。
 寺院ならではの趣のある室内には、珍しい陶板をあしらった囲炉裏があり、部屋の向こうには滝の流れる庭が広がっていました。

京都大原「宝泉院」 京都大原「宝泉院」 京都大原「宝泉院」

 客殿に足を進めると先ず目に入ってくるのは、堂々たる松(樹齢700年の五洋の松)です。その右手側には竹林が広がっていました。2連式の水琴窟(写真3枚目)もあり、それぞれ違った音色を聴くことができました。「額縁の庭園」と称されている癒しの空間です。
 皆さんは毛氈の上に座って鑑賞されていましたが、私は少し離れたところから全体を見ていました。この後の紅葉真っ盛りの頃に行った友人の話では、人がいっぱいでこのような写真が撮れなかったそうです。お抹茶をいただいた後も、しばらくこの場を立つことができませんでした

書道パフォーマンス

書道パフォーマンス 書道パフォーマンス 書道パフォーマンス 書道パフォーマンス
書道パフォーマンス

 3年ぶりに奈良女子大学の学祭が一般公開で実施され、初日の11月3日、書道部は「書道パフォーマンス」を行ないました。兼部している部員以外の1回生~4回生の有志16名で行ないました。
 書いた文章にも「・・・先の見えぬ日々が続くこともあった。数々の困難を乗り越え・・・咲き誇れ・・・輝く未来に」とあるように、3回生は入学した時からリモートの授業で、部活動ができない時期が長くあり、学生らしい部活動が緩和されたのがこの4月からでした。私の技術指導は充分ではありませんでしたが、部員達のチームワークが発揮され、願いと想いの籠もったパフォーマンスとなりました。終始さわやかな笑顔の部員たちでした。

10月の活動

10月の活動
10月の活動 10月の活動 10月の活動 10月の活動

 コロナ前のように書道部の活動が緩和され、また比較的暖かくお出かけの機会も多い10月でしたが、中間考査中で授業のない週に、富山に帰省しました。写真1枚目は、黒部インター近くから撮ったものです。中央に見える新幹線の向こうの遠くの山々には、新雪が積もっていました。季節は、確実に進んでいきますね。

 下の段の写真は、実家の茶室で撮ったものです。1枚目の面取りの水指と、2枚目の細水指が手元から離れ、母の生徒さんが使ってくださることになったので、名残惜しく思って写真に残しました。間もなく、11月からのお稽古のために、風炉を片付け、炉を切るところ(写真3枚目)でした。床のお軸を変えるのは高齢の母には難しくなり、月をテーマにしたものを下ろし、晩秋の設えにしました。

10月の活動 10月の活動

 「落鮎の身をまかせたる流れかな」は、子規の句です。鮎はさわやかな初夏の訪れとともに旬を迎えるイメージでしたが、 秋の産卵時期に川を下る鮎(落ち鮎)をいただく機会が2回ありました。メスは卵を抱え、初夏にいただく鮎とはまた違ったおいしさでした。味覚の上でも、季節の移り変わりを感じることができました。

奈良女子大学書道部の活動

奈良女子大学書道部の活動 奈良女子大学書道部の活動 奈良女子大学書道部の活動

 10月から後期の授業が始まった奈良女子大学の書道部は、3年ぶりに実施される学祭(11月3日~5日)の初日に行なう「書道パフォーマンス」の練習を始めています。
 部員が作った「咲き誇れ」の詩を、紙面(天地3m×幅5m)に構成し、音楽に合わせて担当を決めて書いていきます。1回生~3回生の部員全員が初めてのため、4回生にも声をかけ3名の参加、院生のアドバイスもいただきながら、仲良く楽しそうに活動していました。できること自体が嬉しいのでしょう。放課後から遅い時は夜9時まで、私もダメ出し係として付き合っていました。

第13回「大仏書道大会」

第13回「大仏書道大会」

 10月29日(土)・30日(日)、東大寺大仏殿西回廊を会場に、第13回「大仏書道大会 ―書くことは楽しいin奈良― 」を開催しました。写真は、西回廊の入り口「西楽門」辺りから、回廊越しの大仏殿を撮ったものです。

第13回「大仏書道大会」 第13回「大仏書道大会」

 お天気に恵まれた両日、正倉院展も始まり奈良には観光客が増え、大仏殿には修学旅行の団体さんも多く参拝されていました。大仏書道展にも、関西圏以外に静岡や広島などからも観光を兼ねてでしょう、ご家族や指導者の方々なども多くご観覧くださいました。奈良女子大学書道部員が交代で受付などのお手伝いをしています。私も、ご来場くださった皆さんと、共に楽しい時間を過ごさせていただきました。

第13回「大仏書道大会」
講評
第13回「大仏書道大会」
講評
第13回「大仏書道大会」
講評
第13回「大仏書道大会」
講評
第13回「大仏書道大会」
講評
第13回「大仏書道大会」
講評
第13回「大仏書道大会」
講評

 会場には、入選作品100点に作者自身のコメント(出品票)も一緒に展示しています。どんな想いや願いで制作したかを、ご観覧の皆さんが読んでくださるのが嬉しいです。うち特別賞7点には、私の講評も添えました。講評を読んでくださると、作品を選んだ審査員の想いや大仏書道展の趣旨が伝わると思います。

第13回「大仏書道大会」 第13回「大仏書道大会」 第13回「大仏書道大会」 第13回「大仏書道大会」 第13回「大仏書道大会」

 会期中の2日目10時から、大仏殿西回廊において、3年ぶりとなる「席書会」を行なうことができました。短い「華厳唯心偈」の写経と自由作品1点を書き、大仏殿基壇に登壇させていただき、大仏様に奉納するという奈良らしい催しです。審査委員長の森本長老の読経と説明もあり、貴重な体験となったことでしょう。奈良女子大学書道部員は7名参加しました。

「ゆめ倶楽部」の刻字

「ゆめ倶楽部」の刻字 「ゆめ倶楽部」の刻字 「ゆめ倶楽部」の刻字

 伊賀市の山間部 矢持地区で行なってきた「風と土のふれあい芸術祭in伊賀」の実施はここ2年見送っていますが、これまでの長いお付き合いから、地域の方々で運営する「四季の森 やもち ゆめ倶楽部」のブルーベリー畑にできた建物の看板を頼まれていました。板は1年以上も前に預かっていましたが、ゆめという仮名文字が気に入らなくて、そのまま刻さずに置いていました。
 看板だと思わないで、刻字の作品だと思って好きなように書こう、と思い直しました。表面にペーパーをかけていると木の香りがして癒されました。のみの音は、父にも届いているだろうか、、、私にも船大工や宮大工だった父方の血が流れているようで、木と向かい合う時間は楽しいです。

「大壺づくり」のその後

「大壺づくり」のその後 「大壺づくり」のその後 「大壺づくり」のその後 「大壺づくり」のその後 「大壺づくり」のその後

 9月に受講した滋賀県立陶芸の森の講座「大壺づくり」の作品は、他の講座や作家さんの作品と共に、「登り窯」の焚き口に並べて焼成されることになっていました。講座の受講生は見学程度で参加の必要はなく、陶芸の森の職員の方によって行なわれました。

 写真1・2枚目は、窯詰めの様子です。私の作品が真ん中にあるよ、との連絡を受けて、急遽、信楽経由で帰省することにして確認しました。口が頑丈にできていたので、薪があったても大丈夫そうだったので中央に置いたのだと、後で知りました。
 実家から奈良に戻る途中、再び信楽経由で陶芸の森に立ち寄ると、窯焚き(写真3枚目)の最中でした。焚き口を閉じる少し前の高温になった火袋の中(写真4枚目)を見学できました。この後、第一室、二室、三室へと横からの薪の投入となったようでした。
 10月30日の窯出しには、他の行事と重なって行けなかったのですが、参加した友人が窯出しの様子を撮った動画や私の大壺(写真5枚目)を送ってくれました。

十津川村

十津川村 十津川村 十津川村

 秋のイベントが続く忙中の閑、奈良の南部 豊かな自然が広がる十津川村の「ホテル昴」に泊まりに行きました。源泉100%掛流しの温泉です。途中、「谷瀬のつり橋」に立ち寄りました。渓谷に沿って連なる深い山々、眼下に十津川が流れ、村一番の観光スポットです。巨大なつり橋は川面からの高さが54m、長さ300m近くもあり、眺望抜群の空中歩行でした。

十津川村 十津川村 十津川村 十津川村

 翌日は、日本の滝100選の一つ「笹の滝」に行きました。車を停めてからは山深い渓流の奥へ奥へ、木の根が張りめぐる道に森の生命を感じながら歩くと、静寂な自然の中に川音はだんだん大きな轟となりました。岩のトンネルをくぐる、その先に落差32mの清く冷たい瀑布、その激しく雄大な滝の流れは、大きな岩肌に白糸の神秘の世界を創っていました。

京都国立博物館と伏見

京都国立博物館と伏見 京都国立博物館と伏見 京都国立博物館と伏見 京都国立博物館と伏見

 私の工房で金継ぎを楽しむ仲間4名と一緒に、10月13日、特別展「京(みやこ)に生きる文化 茶の湯」が行なわれている京都国立博物館に行きました。今年は、千利休生誕500年にあたるそうです。京都に息づく茶の湯の歴史と茶人たちの美意識の粋を集めた展示で、陶磁器や書画・屏風など多くの名品がテーマごとに系統的に鑑賞することができました。3時間、腰掛けて休む時間も惜しくて見入りました。
 その後、蔵どころ伏見で遅いランチ、酒蔵を改装したお店で昼間から呑む仲間たちです。界隈を散策しました。

「大仏書道展」の審査

「大仏書道展」の審査 「大仏書道展」の審査
「大仏書道展」の審査 「大仏書道展」の審査 「大仏書道展」の審査

 今年も「大仏書道大会」(主催:NPO法人「奈良21世紀フォーラム」)を開催します。高校生・大学生を対象に募集した「大仏書道展」の作品は9月30日が締め切りでした。全国から1463点の応募があり、10月4日(火)に奈良21世紀フォーラム事務所で「予備審査」を行ない、8日(土)に朝日新聞社奈総局で「本審査」を行ないました。
 どんな作品が送られてくるか、毎年審査が楽しみです。100点の入選作品(うち特別賞7点)を選びました。予備審査では、どこの学校からも本審査には少なくても1点は残しますが、本審査は作品本位のため、1点も入選していない学校が何校もあります。どうぞ、来年も出してくださいますように!

「墨翔」の集会

「墨翔」の集会 「墨翔」の集会 「墨翔」の集会 「墨翔」の集会

 10月1日午後からは、京都三条から京橋と鶴橋で乗り換えて、近鉄八尾に向かいました。次回の「墨翔とその仲間展」は来年5月の連休に行なう予定ですが、いつもの会場「奈良県文化会館」が2023年5月から休館になるため、「八尾市文化会館プリズムホール」3階にある展示室をお借りすることになったからです。会場の下見を兼ねて、打ち合わせをしました。
 「プリズムホール」は中央が吹き抜けになった地下2階5階建て、大きなホールなどを備えた立派な施設でした。近鉄大阪線「近鉄八尾」駅 中央北出口から右へ200m(徒歩5分)の所にあります。

松谷武判・神野立生 二人展

松谷武判・神野立生 二人展 松谷武判・神野立生 二人展 松谷武判・神野立生 二人展

 10月1日、2月以来久しぶりに京都へ、寺町通りにある「ギャラリー ヒルゲイト」を訪ねました。「松谷武判(たけさだ)・神野立生(かんの りつを)ーパリで出会った二人展ー」開催中のこの日は、会場に松谷さんが在廊されているとのことで、お話がしたくて旧友と一緒に会いに行きました。※新聞記事の1つ
 フランスの文化施設と京都市が主催するイベントもあり、この二人展が実現、パリから奥様もご一緒に西宮のご実家に一月ほど戻っておられている、とのことでした。多くのフアンが詰め掛ける中、ポンピドーセンターやニューヨークの個展の様子、若い作家を支援する財団のことなどを伺いました。私が若い時に知っていたころの松谷さんとお変わりなく気さくで穏やかな人柄、85歳になられても意欲的で謙虚な創作への想いには、敬服しました。

9月の活動

9月の活動 9月の活動

 9月5日(月)から二学期の授業が始まりました。高校生の芸術科書道の授業は、篆刻作品の補刀をして名前の印2顆を仕上げた後、「大仏書道展」の作品に4時間を充てて仕上げました。中一の書写の授業は、新しく「行書」の学習を始めました。

 昨年5月に解散した NPO法人APPfIの元事務局員は、月1回程度、活動の拠点「MORITAI造形アトリエ」集まって清算活動を行なってきました。先月、最終号となる「アトリエニュース」の編集が完了、私は「粘土カフェ」の思い出を中心に執筆しました。想いの詰まった最終号はとうとう6ページとなりました。元会員や関わっていただいた方々約100名にお送りしましたが、その宛名書きは、手に取っていただけるようにと、私が毛筆で揮毫させてもらいました。※アトリエニュース76号

 8月に行なった里帰り個展の礼状は、会場に足をお運びいただいた方一人一人にお送りするべきところですが、慌ただしさにかまけて遅くなり、簡単なハガキを作成して一部の方にお送りしました。気が付くと、秋も深まり、駐車場に生い茂った芭蕉(写真2枚目)も、これまでかと思うほど勢いのピークです。

大壺づくり

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 9月10日・11日の土日は、滋賀県立陶芸の森の講座「大壺づくり」に参加していました。昨年末に参加した陶芸の森の講座「トレインキルン焼成」の講師 篠原希先生に、器(食器は作りませんが)の口が難しいですね上手く作れません、と相談をした時に、「大壺づくり」で指導している、と参加を勧めてくださったからです。

 講座は、古信楽の大壺の資料が用意されて作り方の理論的な説明から始まり、自由な作陶会ではなく教育的なご指導でした。写真2枚目のように、4つの段階で一段階ずつ(粘土の重みで変形しないように)外に出して乾かしながら、手び練りでボディを成形していきました。写真4・5枚目は篠原先生の成形の様子、6枚目は先生の大壺です。

大壺づくり 大壺づくり 大壺づくり 大壺づくり 大壺づくり

 写真1枚目は、私の一日目でできた大壺です。もう少し下の方を上の方に上げたかったのですが、コロンとしてしまいました。口の周りを乾かないようにラップで包み、ボディを乾燥させました。

 2日目は、いよいよ口づくりのご指導でした。「N字口」の丁寧な技術指導(写真2枚目)があり、ボディに対してどのような口がよいか(写真3枚目は先生のバリエーション)、あるいは口がない方がいい場合もあるとおっしゃって、サンプルを口の所に置いてみて、離れた位置から壺全体を見て口の形状を決めていきます。写真4枚目のようになりました。写真5枚目は、お隣の参加者(レストランのシェフ)の大壺、いい感じです。
 これらの大壺(10点)は、登り窯の焚き口の所に窯詰めされて10月末に焼成されるとのことです。どのように焼き上がるか楽しみです。

書道部の合宿

書道部の合宿 書道部の合宿 書道部の合宿

 9月2日~4日、奈良女子大学書道部は3年ぶりとなる合宿を桜の名所吉野山の宿坊「竹林院」で行なうことができました。参加した1~3回生12名全員が合宿は初めて、応援に駆け付けたOGの参加は宿泊2名・日帰り2名でした。
 一日目は旅行気分で楽しそうでしたが、2日目の夜は全員が夜中2時頃まで書き続け、明け方まで書いている学生もありました。そのひた向きさが嬉しくて付き合いました。写真3枚目は、作品に応じたサイズの印が必要なため、篆刻の指導をしているところです。

書道部の合宿 書道部の合宿 書道部の合宿 書道部の合宿 書道部の合宿

 竹林院の庭園「群芳園」は、当麻寺中の坊・大和小泉の慈光院と共に大和三庭園の一つです。吉野山の自然の景観も借景として取り入れた池泉回遊式庭園で、写真2枚目は庭園から檜皮葺の本館を見下ろして撮ったものです。写真右の渡り廊下の先にある広間をお借りしていました。
 写真3・4枚目は、合評会の様子です。各々が自分の作品の解説や制作意図などを発表し、お互いに学び合います。合宿で書いた作品は、11月の学内展(墨香展改め墨攻展、今年は佐保会館)で展示します。

岸和田

岸和田 岸和田 岸和田 岸和田 岸和田

 夏休み最後の一日となった9月1日、だんじり祭りで有名な城下町岸和田を訪ねました。岸和田出身の現代美術家 塩田千春さんの個展が、岸和田市政施行100周年を記念して行なわれていたからです。会場の「市立自泉会館」は岸和田城の北にあり、元紡績会社の倶楽部施設として設立されたそうで、昭和初期に流行したというスパニッシュ様式の建物でした。
 インスタレーション、立体作品は、家がテーマとなっており、ヴェネチアビエンナーレ国際美術展の設置風景を記録した映像も観ることができました。

岸和田 岸和田 岸和田 岸和田 岸和田

 写真1枚目の岸和田城は、「自泉会館」から「五風荘」まで(徒歩5分)の途中、お城の北東(後方)を撮ったものです。財閥の旧邸宅「五風荘」も「自泉会館」同様有形文化財の建物、母屋でお食事をいただき、茶室、いくつかの門や景石など見所が凝縮された回遊式日本庭園を散策しました。写真2枚目は、印象に残った「船津橋御門」です。

 写真3枚目はお城の正面です。天守閣の前には、重森三玲氏により作庭された庭園「八陣の庭」が広がっていました。地上を歩いて360度どの方角からも鑑賞できるだけでなく、上空から俯瞰した眺めも意識して設計されていました。写真5枚目は、天守閣から撮ったものです。また、デザインのテーマとなった諸葛孔明の「八陣法」とは、敵を攻める陣形ではなく、平和確立のため外敵から守る陣形だそうです。この独創的なデザインには、三玲氏の平和への願いも込められていたのですね。

8月の活動

8月の活動 8月の活動 8月の活動 8月の活動

 念願だった故郷での個展を開催することができ、準備の時も、会期中も、その後も、こんなに幸せなことはないという気持ちでした。
 実家に滞在中は、お茶を点てて家族や旧友と歓談したり、富山湾の海洋深層水で浄化した新鮮な牡蠣を提供するレストラン「入善 牡蠣ノ星」(写真3・4枚目)などへも行きました。暖かい人々と、立山連峰からの豊かな雪解け水に守られた故郷を自慢に思いました。
 下旬に奈良に戻ってからは、秋のイベントに向けた準備と、個展のお礼状を書き始めています。

外礒秀紹展

外礒秀紹展 外礒秀紹展 外礒秀紹展 外礒秀紹展 外礒秀紹展

 彫刻家 外礒秀紹(とのいそ ひでつぐ)先生のこれまでの作品を一堂に展望できる展覧会が、尼信会館(尼崎市東桜木町)で行なわれており、故郷から奈良に戻ってすぐに訪ねました。
 外礒先生に初めてお目にかかったのは、私が本格的に穴窯を始める契機となった「造形ワークショップ穴窯づくりに挑戦!」(2005年、主宰:伊賀市のNPO法人APPfI )に参加した時の講師としてでした。先生は陶芸家ではなく陶彫作家、粘土の他に石や金属も素材とした野外彫刻を制作されており、当時から人気の彫刻家でした。その後も気さくに接していただき、神戸空港など作品が設置された現場を訪ねたこともありました。先生の半生は、ブレることなく一貫した創作態度で、たくさんの大がかりな作品を生み出してこられました。マペット(コンペ用の模型)や設置現場の写真を目の当たりにして、改めて敬意と感動を覚えました。※会場にあったご挨拶

里帰り個展

里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展

 8月6日(土)~14日(日)、故郷(富山県入善町)の「入善町民会館」にて、「里帰り個展 ー書・陶・磁印・漆繕いー」を行ないました。私は、高校卒業と同時に故郷を離れましたが、地元の友人の応援もあり、実家で一人暮らしの母が歩けるうちにと思って、コロナ前から計画していました。

 「入善町民会館」(写真1枚目)は、コンサートホール「コスモホール」、町立図書館、中央公民館を併設した文化施設です。実家から300mの所にあります。
 写真2枚目はチラシを作ってくれた姪と、写真3枚目は会場の入り口で母と、この階段を上がった2階が会場です。受付に、時節柄、お抹茶の接待は見合わせました、と案内しました。お茶室も借りていたのですが、このことだけが心残りでした。※ご挨拶 ※恩師や知人友人からいただいたお花

里帰り個展

 写真は、会場(2階)和室側から撮ったもので、右の方に吹き抜けになった回廊、左の方はギャラリースペースです。続く和室2間とその玄関スペースにも展示したので、搬入は早朝から丸一日かかりました。地元の友人の応援はありがたく、総勢8名で壁面ごとの見取り図を元に分担して進めました。
 こんな広いところに、なんとたくさんの作品を並べたことでしょう、見に来てくださった方々も、ここに並んでいる作品は全部一人の方の作品?と驚かれたようでした。

里帰り個展
里帰り個展 里帰り個展

 吹き抜けになっている回廊スペースの展示です。向かって左側(写真1枚目)は、額装の書作ばかり6点と、短めの垂髪(スイハツ)に掛け花入れ3点です。※右から4点目、古材に飾った掛け花入れ
 正面(写真2枚目)に、書作6点と、ビードロ釉が掛かった掛け花入れ2点です。中央には、1つ大きなものと思って、伊賀市島ケ原の旧本陣に展示した「やすやすと 出でていざよふ 月の雲」(幅・天地ともに少し切って、幅4m)を掛け、左右に比較的近作を並べました。一番左の赤紫の紬に書いた作品は2本のタペストリーだったものを、今回「のれん」に仕立てました。
 写真3枚目は、向かって右の和室側、軸装の書1点、大好きな書体「金文」で書いた「陰陽」です。

里帰り個展

 ギャラリースペースです。通常は可動式のパネルを用いて展示することが多いようですが、空間を区切らず開放感のある展示スペースにしたいと思いました。右側の壁面のみレールがないのでパネルを置きましたが、個性的な6つの窓も生かし、机上展示を3ヵ所設けました。

里帰り個展
里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展

 上の段の写真は、ギャラリーの右側、磁印のコーナーです。壁面は、工房の看板「野の百合工房」の刻字作品から始まり、磁印を用いて作った額装の作品の他に、足を付けて皿にもなる陶板や吊るせるようにした鉢に、「呉須」で文字を書いた作品も並べました。
 机上には、一番右に「自用印」を紹介し、近作の「二十四節気陶磁印蛻(いんぜい)」の折帖、図象印も混ぜて押した「十二支」の折帖、平仮名の磁印による「いろは歌」の作品と続きます。それぞれの印は、丸い鏡に載せました。

里帰り個展 里帰り個展
里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展

 上の段の写真2枚はギャラリー正面、窓のある側の様子です。左側には、母の依頼で弟が制作した裏千家愛用の「御園棚」を持ち込んで、近年興味をもって作り始めた茶道具を並べました。著名なお茶人さんが来られて、お抹茶茶碗などのアドバイスをいただき、最後に「書は好きです」と言ってもらったことが忘れられません。壁面の書も茶掛けになりそうな「水に月」「喫茶去」、右には後立山を詠んだ和歌などを掛け花入れと共に並べました。

 下の段の写真1枚目は、このコーナーの一番左に展示した穴窯焼成の掛け花入れで、「てんとう虫」がついています。金具を付ける穴をやり替えたため、要らない方の穴を「さび漆」でふさぎ盛り上げて、色漆を用いて作ったものです。初日には手が回りませんでしたが、母が作っている畑の胡瓜を採った日に、その先のところをもらって生けてみました。てんとう虫と畑の緑、こんな遊び心が私の持ち味として伝われば、嬉しいのですが。
 写真2~4枚目は、彫塑台(写真1・2枚目の隅など)に置いた穴窯焼成の作、私のお気に入りの3点です。

里帰り個展

 ギャラリーの左側の壁面を、ギャラリー右の方から撮ったものです。天地190cmの少し大きな書軸を3点、畳2枚の大きさの屏風「十二支」、その下に呉須で文字を書いた鉢3点、取り合わせた垂髪(スイハツ)も持っている中で一番長い165cmのもので、柳5本でできています。
 一番左・一番右の作品は、茶の湯に因んだ文言「花月」・「花は野にあるように」、一部顔彩を用いて、共に紬に書きました。左から2つ目は、禅語「惺々著(セイセイジャク)」、禅の書『無門関』第十二則より引用、目を覚ませ!ぼんやりするな!の意です。

里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展
里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展

 ギャラリー中央の机上に、主に書に繋がる陶作品「文房具」を並べました。写真1枚目は、手前に磁土で作った硯(磁硯)、奥の方に見えるのは、水盂(スプーンで硯に水を注ぐ)・水注(片口)です。写真2・3枚目は水滴(水差し)の一部、写真4・5枚目は印盒(印泥入れの蓋物)、続いて文鎮、筆置きです。文房具は他に、・筆筒(筆立て)・筆洗など、磁土で作って上絵を施したものと、穴窯焼成のものがあります。
 金継ぎのある作品、上絵をした、ハートをモチーフにした小物も並べ、野焼き焼成は社会的な活動として作品と共に紹介しました。旧作のボタンやアクセサリーなどは、使っていただける方、気に入った方にもらっていただきました。

里帰り個展

 ギャラリーから和室に入る正面に刻字作品を掛けました。故郷を思って書いて刻した「山川草木」です。文字は胡粉、余白は拭き漆で仕上げています。その下に、この作品の官房印として使った「磁印」も展示しました。

 和室は通常、展示スペースとして使われることはなかったようでしたが、入り口と、和室2間を仕切っていた全てのふすまを撤去して、和室玄関から続く1つの和の空間を作りました。吹き抜け回廊、ギャラリーに続く、3つ目の展示場です。

里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展

 ベンチもあるタイル張りの玄関スペースの作品です。写真1枚目は和室入り口左の棚、上がりかまち左側(写真2枚目)は、小ぶりの屏風と陶作品4点です。
 写真3枚目は和室入り口右の棚、書は蓮如様の言葉「明日は御座なく候」、真宗門徒の多い土地柄のため人気でした。この棚には、穴窯焼成の作品に金銀・色絵で上絵を施した試作4点を並べました。今となってはこんなこともやってたんだ、と振り返って懐かしく思います。写真4枚目は「不二」、吹き抜け回廊右に1点お軸を展示した、その反対側に当たります。

里帰り個展 里帰り個展

 上がりかまちの右側から上がった和室2室は、合わせて42畳あります。正面に巻物「おくの細道抄」を展示しました。全景を撮った写真がないため、準備中のものです。下絵を画家の弟に描いてもらった共同作品で、伊賀市の史跡「崇廣堂」(藤堂藩の藩校跡)企画のコラボ展の時のものです。
 写真2枚目は、本来は16mあるうち展示できた最後の方、芭蕉さんが新潟県市振から富山に入って詠んだ「わせの香や 分け入る右は 有磯海」の句をギリギリ見ていただくことができました。この歌碑がいくつかここで詠んだとばかりにどこそこにあること、富山の人のおもてなしが悪かった話など、芭蕉談義に花が咲きました。

里帰り個展
里帰り個展 里帰り個展

 和室入って右側の床です。畳2枚分ある右のスペースには、中央に「華」、還暦(中国では華甲)の歳に書いた作品です。そのことを書いた「箱書き」と、これを書くために用いた筆(中学2年生の時に買ってもらった思い出の筆)も並べました。両脇の4幅は、紬に書いた「利休百首」からの4首です。

 写真2枚目の筒花入れ2点を掛けている板は、搬入ぎりぎりまで「拭き漆」をしていたものです。その下の3点(写真3枚目)は、穴窯焼成の近作、左から「仏手柑・ザクロ・桃」おめでたい果実の蓋物、私としては珍しい具象作品です。その左の棚に並べた作品は上から、織部釉水盂・水注、穴窯焼成の水注・ピッチャー、金襴手の皿・湯呑み、蓋のある磁硯です。

里帰り個展
里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展 里帰り個展

 和室入って左側の床です。書作(共に禅語)、文字のある皿、陶作品(漆繕いをしたものが半数)で構成しています。これら一連の作品群が、私が表現したいと思って取り組んできたものです。そこに「磁印」「刻字」が加わると、私の全てです。色んな事をしているように思う人は多いのですが、核にあるのは幼いころから親しんできた書だと思っています。
 一番左に吊るしている磁土で作った盤皿には呉須で草書体の「花」を模様のように書き、その下に写真では隠れていますが、穴窯焼成の皿を置いています、甲骨文字で「十二支」を書きました。文字・粘土・漆は、いつも私の身近にあり大事な表現手段となりました。

里帰り個展

 和室入って左に毛氈を敷き、リバーシブルになっている「衝立」、奥に「風炉先屏風」を置き、陶作品を並べました。「衝立」に書いた中央の文字は「座」、床に飾った「主人公」などと共に『無門関』十二則シリーズの一つです。「風炉先屏風」は、いくつかある故郷シリーズの一つ、大伴家持が立山を詠んだ歌を万葉仮名で書いたものです。
 陶作品は、左に秋草文の蓋物3点・磁硯、穴窯焼成の壺・皿・花器、呉須の皿、奥の方に茶道具を並べました。

 書や陶芸が好きな人、茶の湯や篆刻に親しんでいる人、恩師や旧友をはじめ多くの地元の方々に見に来ていただきました。遠方の友人や従妹が地元の方に声をかけてくださり、一度来てくださった方がまた他の人と来てくださったり、メディアでも取り上げられたことを嬉しく思っています。

 この「里帰り個展」は、子育てが終わってからこれまで、私は何をしてきたかを振り返る良い機会となりました。只々人との出会いに恵まれ、私は自由に時間を使うことができる環境にあったのです。導いてくださった皆さん、応援してくださる皆さんに感謝します。

7月の活動

7月の活動 7月の活動 7月の活動

 「里帰り個展」の準備のうち、会場のどこの壁面に何を展示するか、全て自分の作品でコーナー毎に空間を作っていく作業は楽しいものでした。先月作った会場の「見取り図」を元に、吹き抜け回廊は壁面3ヵ所、ギャラリー壁面は3ヵ所と机上展示2ヵ所、和室2室は床2ヵ所と畳の上2ヵ所の100分の1の平面を作り、その上に書作などの寸法を測り100分の1にして切ったものを載せていきました。しかし、チラシの発送の追加や、作品の荷造り(写真)、キャプションの作成などは、会期が近づくにつれて楽しむ余裕がなくなりました。作品は、トラックのチャーター便で送ることになりました。

7月の活動

 写真は、会場の最終点検と会場の外に出す看板の依頼などのため帰省した時に撮った黒部漁港(黒部市生地)です。ちょっと変わった漁港で、漁港の向こう側に集落が見えるのは、内陸側に漁港があるからです。港口には、両岸の集落を結ぶ橋をくぐることができない漁船の出入りに対応して「旋回式可動橋」がかけられ、歩行者用の「海底トンネル」もある珍しい漁港です。

7月の活動

 個展会場「入善町民会館」のエントランスは、回廊になっており、彫刻作品が並んでいます。その回廊入り口に設置された看板です。お任せしたところ、チラシがそのまま看板用に拡大されていて、びっくりしました。室内用の看板(60cm×180cm)は手書き、こちらもチラシのイメージで書きました。

個展に向けて

個展に向けて 個展に向けて

 8月に予定している「里帰り個展」のチラシができました!テレビ局で美術を担当している姪に、載せてほしい文字情報と、いくつか作品の写真を送り、好きな写真を自由に使って作成してほしいとお願いして任せました。地元の美術館、新聞社、放送局、母校などの高校の書道部美術部、書道用品店、恩師、親せきや友人などにお送りする作業に追われています。※ご挨拶文の一部、友人用

個展に向けて

 「里帰り個展」の作品は、 手元にあるこれまでの作品の中から展示します。新しいもので、書・磁印はこの5月のグループ展に出した作品、陶作品はこの3月の穴窯で焼成したものです。写真は、7月上旬の庭です。この庭を眺めながら、時には雨音も心地よく感じつつ、陶作品の「漆繕い」や、掛け花を吊るすための板に「拭き漆」をしていました。

個展に向けて 個展に向けて 個展に向けて 個展に向けて

 写真1・2枚目は、陶作品「文房具」コーナーに展示する「文鎮」4点の修復です。金が高騰しているので、真鍮で仕上げました。写真3枚目の板は骨董屋さんで見つけた古材、ぐい呑みなどの小物が載っていた元色紙掛けのようでした、釘を2つ付け、つの型と細長い花器を2点飾ろうかと思います。写真4枚目はいただいた瓢箪型の杉、共に「拭き漆」を施すと、木目が美しくなりました。

神戸

神戸 神戸 神戸 神戸 神戸

 一学期の成績を出した後の2日間を、神戸で過ごしました。自宅から車で1時間半程でJR新神戸駅です。最初の目的地はここから徒歩15分の「布引の滝」、水の流れをたどるハイキングで、さらに「布引ハーブ園」を目指しました。

 緑豊かな山道を歩き出すと4つの滝に迎えられ、暑さを忘れる癒しの音と風景です。見晴らし展望台からは大都会が一望でき(写真3枚目)、この日泊まるホテルもみつけることができました。ロープウェイ「風の丘中間駅」までは、途中の「布引貯水池」の雄大さに一息付きましたが、急な上り坂もあり、汗だくで駅に到着すると、そこはすでに広大なハーブ園の中でした。写真4枚目は、ハーブ園山頂のレストランでいただいたランチの前菜、どの草花も食べることができます。
 帰りは、「ハーブ園山頂駅」からロープウェイの空中散歩を楽しみつつ「ハーブ園山麓駅」まで移動しました。市街地のすぐ近くに滝のある山が迫っている地形、山から見下ろす港町神戸の景観に感動を覚えました。

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 宿泊した人工海上都市「ポートアイランド」のホテルからは、市街地と六甲山を一気に堪能でき、急に襲った雷雨の景色も朝の景色(写真1枚目)も美しく新鮮でした。2日目は、真紅のアーチ橋(神戸大橋)を渡って、ハーバーランドで食事とショッピングを楽しみ、メリケンパークやポートアイランドを眺め、赤レンガ倉庫周辺を散策しました。神戸のシンボル ポートタワー(写真3枚目の中央)は、リニューアル工事中でした。

 写真4・5枚目は、神戸港内をぐるっと一周するクルーズの船上から撮ったものです。乗船すると右手に、壮大な川崎・三菱の両造船所の大きなクレーンがいくつも立ち並び、大型船や海上自衛隊の潜水艦の修理や建造の様子を間近に見ることができました。また、神戸大橋がダブルデッキ(二階建)タイプであることもよくわかりました。

6月の活動

 奈良学園一学期の私の授業は6月末まででした。中一(書写)の授業は、硬筆と毛筆で「楷書」の学習をしました。教科書にはありませんが「永字八法」で書法を伝え、校訓「至誠力行」(写真1枚目)を書きました。写真2枚目は、学内にある今井凌雪先生の書です。高校生は、『蘭亭序』を臨書して古典から学ぶことを伝え、「篆書」の学習の後、篆刻(名前の印2顆)を始めています。

 奈良女書道部の活動は、 コロナ前のように合宿・学祭での書道パフォーマンス・墨香展に向けて活発になってきました。家では、8月に予定している「里帰り個展」のチラシの準備、展示用の板に拭き漆をしたり、漆繕いをしていました。また、6月は誕生月のため、お食事会やコンサートに何度か出かけました。

矢田寺

矢田寺 矢田寺 矢田寺

 梅雨の晴れ間の6月10日、アジサイとお地蔵様で有名な「矢田寺金剛山寺」(大和郡山市矢田町)を訪ねました。矢田丘陵の中腹にある矢田寺からは、眼下に奈良盆地ののどかな風景が広がっていて、汗をかきながらも登った甲斐がありました。広い境内には4つの僧坊、多くの重要文化財があり、アジサイは5分咲きくらいでした。
 境内の一画に小さいながら立派な神社(写真3枚目)がありました。「春日神社本殿」とあり、一間社春日造、檜皮葺、桁行2.8m、梁間1.5m、室町時代末期の建築様式を伝えているそうです。

5月の活動

5月の活動 5月の活動 5月の活動 5月の活動

 連休に行なった「墨翔とそのなかま展」を見届けたかのように、7日朝、墨翔の中心的なメンバーの河野通一氏が亡くなりました。2020年4月の台湾での個展には仲間と伺うつもりでしたがコロナで中止になり、その後の交流が途絶えたことも持病を悪化させたのではないかと思います。若い頃から親切にしていただきました。このところ早すぎる別れが続き、悲しいです。

 5月後半の中間考査休み中に帰省し、8月に「入善町民会館」(富山県入善町)で開催予定の「里帰り個展」の手続きと、会場の下見をしました。写真は左から、2階に続く階段と吹き抜けになった回廊の展示スペース/階段を登ったところに広がるギャラリー、個性的な窓が6つあります/和室二間の玄関スペース/21畳の和室の床、畳二畳分の幅と奥行きがあります。壁面の寸法、フックの位置や数などを確認し、見取り図を作成しました。この図を元に、どこにどの作品を展示して空間を作っていくのかを考えるのは、とても楽しい作業です。

5月の活動 5月の活動

 実家のある入善町は、黒部川が形成した広大な扇状地にあり、黒部市と隣接しています。写真の赤いアーチ橋は(写真では川は写っていませんが)黒部川中流にかかる「愛本橋」です。黒部市宇奈月町にあり、実家から車で20分程の所です。小学生だった時、家族4人でこの橋に来て、私達姉弟は画板に画用紙を広げ夏休みの宿題を、両親もスケッチブックに写生をしていた日のことを思い出していました。
 かつて黒部川は河道が移動する暴れ川だったので参勤路の難所だったと聞いています。下流部を避けて北陸街道の上街道に架かる「旧愛本橋」は全長63mの刎橋(はねばし)だったそうです。資料を見るとその姿や構造が素晴らしいです。

墨翔とそのなかま展

墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展

 5月3日(火・祝)~5日(木・祝)、奈良県文化会館1階B展示室にて、3年ぶりとなる「墨翔とそのなかま展」を開催することができました。書グループ「墨翔」は、作品を見合う集会を持ち、交流を大事にしてきたので、集えない状況が続き、実施が延期になっていました。今展で、「墨翔展」としては37回を数え、私が参加したのは、「・・・その仲間展」となった7年前からです。主力メンバーに体調を崩している方があり、若いメンバーには生活の変化で参加されない方があったため、この度は9名で行ないました。
 連休中はお天気も良く、奈良公園には観光客が増え、会場にもたくさんの方々にお越しいただきました。ありがとうございました。

墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展

 私のコーナーです。この度のテーマは、色です。鈴鹿市に1軒だけある墨屋さんが作っている「竹煙墨」、また「青墨」などを使って、墨の濃淡やにじみによる色の表現です。一番右の「紅梅や・・・」の句は、紅梅の「ピンク」枝々の間に広がる早春の空の「ブルー」、「不二」の作品に用いたマットの色は、「赤富士」を意識して用いました。自粛生活の中で締め切りに追われることなく書いていた作品6点と近作2点、計8点です。

 近作の1つ、左から3つ目の「だったらそれでいいんじゃない?」は、初めて自分の言葉を作品にしました。LINEのやり取りの中で私が何げなく打ったものでしたが、受け取った方が、誰でも励まされる言葉だと思う、と背中を押してくださったのです。LINEのように横書きにも挑戦しましたが、いつもの手紙のようにしか書けませんでした。

墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展
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 もう一つの近作は、机上展示の折帖です。コロナ禍の中で、季節の移り変わりを感じるようになり、「二十四節気」の篆刻作品を作りたいと思いました。粘土で作った不定形の印材24顆は、素焼きの後のんびり刻し始め、今年になって施釉、本焼きをして印を完成させ、その印蛻(いんぜい、印の抜け殻と言う意味)を、墨の濃淡で下絵を描いた折帖に散らしました。この折帖の表紙の「題箋」は、「廿四節氣陶磁印蛻 令和四年清明 鐡牛題」、田上鐡牛(夫)が書いてくれました。「題箋」の落款に押してある鐡牛の「銅印」は、駿馬が燕を踏んだという故事によるもの、鏡の上に置きました。
 帖末には、「自跋」を添え、その後に「観記」が続きます。会場に、自作の磁硯・水滴・筆置き、小筆を用意して、ご高覧いただいた時にその場で、先輩達や交流のある方々に書いていただくという厚かましい試みです。揮毫中の動画も取りました。中国の伝統に想を得た企画です。書いていただくスペースが足りないくらいでした。多くの方々に支えられている幸せを実感、宝物の折帖になりました。

墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展

 書作品の脇に、木工作家さんが造ってくださった「スイハツ」に穴窯で焼成した花器を掛け、野の花を飾るスタイルが定着しました。花は、搬入日の早朝、家の庭と近所の道端で摘んだものです。利休さんは「花は野にあるように」と言われたそうですが、自己流です。このように、担当壁面全体を自分の作品で構成するのが、楽しいです。
 一番左のスイハツは、船の古材の一部をそのまま使ったもの、人知れず個人的な嗜好ですが、「海」の作品と一緒に並べました。中央の瓢箪の花器には穴窯から出した時に亀裂があり、漏らないようにさび漆で埋め、真鍮で繕いましたが、その金色の線が不思議な模様になりました。

墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展 墨翔とそのなかま展

 会期中、作品の前で各々が自作についての想いを語る合評会を行なっています。この語句を選ぶ、この表現に行き着く、それぞれの背景があり、興味深いものです。写真4枚目はお母様を亡くされて間がない若い方の「般若心経」、これを発表したかったのですね。写真5枚目は、こちらも若い方の書かれた「頭が源氏パイおじさん」、こんな自由な線が引けたらいいなぁ、と思います。墨翔は、どの方もそれぞれ独創的で楽しめる展覧会だと 言っていただけることが、何より嬉しいです。

奈良女子大学書道部「May展」

奈良女子大学書道部「May展」 奈良女子大学書道部「May展」 奈良女子大学書道部「May展」 奈良女子大学書道部「May展」 奈良女子大学書道部「May展」

 奈良女子大学書道部は、5月3日(火・祝)~6月6日(月)まで、新年度初めのイベントとして恒例の「May展」を、大学正門前にある「奈良市きたまち鍋屋観光案内所(旧鍋屋交番)」にて開催しました。上げ下げ窓のある趣のある会場です。半切サイズの仮巻きに貼った共同作品は2点、1~3回生による「バースデイカラー」(写真1枚目)と2・3回生による「百人一首」(写真2枚目、正面右)。会場右(写真3枚目)は、季節を意識した共同作品「鯉のぼり」「雨ことば」と色紙、部員全員参加の「うちわ」など、この狭い会場に相応しい小品の作品が並びました。
 1月末~2月には延び延びになっていた前年度の「May展」改め「如月展」を同会場にて開催し、同時に3回生は引退、その後すぐに新2・3回生はこの準備に取り掛かりました。4月からは新入部員も巻き込んでの、意欲的な活動の成果です。

4月の活動

4月の活動

 3月末から、故郷富山に帰省していました。奈良の友人からは、桜が満開の写真や動画が届きましたが、北陸の桜の蕾は固く、お花見をしないまま、4月3日に穴窯焼成の窯出しがあるため、2日に奈良に戻りました。写真は私の原風景、この時期の立山連峰の残雪が好きです。

4月の活動 4月の活動 4月の活動 4月の活動 4月の活動

 5日・6日は、奈良女子大学書道部の日帰り合宿でした。3年ぶりに、学内の合宿所で行なうことができました。5月2日搬入の「May展」の作品と看板作りです。新年度は、新入部員の勧誘にも力が入り、8月の合宿、学祭での書道パフォーマンスや記念館での「墨香展」などを計画しています。
 奈良学園の私の授業は、11日から始まりました。

4月の活動 4月の活動 4月の活動 4月の活動

 金継ぎ仲間とは、不定期に月2日ほどお弁当持参で集まって、おしゃべりしながらお茶しながら、時には散歩もしながらの作業を楽しんでいます。
 依頼されたガラスの欠けの修復は、陶磁器と異なりさび漆の定着が困難で時間がかかりました。急須は友人のものですが、取っ手の修復には布を巻き補強する方法を取りました。

4月の活動 4月の活動 4月の活動

 我が家では、子供や孫の誕生記念に、生後間もない足形や手形を色紙に残します。(写真1枚目)この色紙を見た方が、幼いころの(怜央ちゃんの)記録を残したいと言って、3歳の誕生日に足形と手形を押した色紙と、書いてほしい情報のメモを預かっていました。何か月も経って、やっと書いて渡しました。

 5月の連休に迫っている「墨翔とそのなかま展」のことは、何をしていても頭から離れたことはありませんでした。

「墨翔とその仲間展」の作品制作

「墨書とその仲間展」の作品制作 「墨書とその仲間展」の作品制作 「墨書とその仲間展」の作品制作 「墨書とその仲間展」の作品制作

 「墨翔とその仲間展」のこの度の作品は、8点を予定しています。自粛中に書いた作品6点と新作は2点という構成のため、いつもよりのんびりと制作していました。

 二十四節気の印は、昨年から作っていましたが、やっと刻したものに施釉し(写真1枚目)、本焼きを行ないました。(写真2枚目) テストピースの時はうまくいったのですが、5顆の作品に釉が垂れてしまい(写真3枚目)、グラインダーで垂れた部分だけを削るつもりでしたが、勢いよく欠けてしまい、また、ルーターでも思うようにいきませんでした。新たに石印材で刻そうかとも思ったのですが、欠けたものは欠けたままで、垂れたところは「封泥」のようでもあり、そのまま押印することにしました。二十四節気の順番に語句はわかっているので、読みにくいものが5つくらいあっても変化があっていいのではと、これは私流です。

「墨書とその仲間展」の作品制作
「墨書とその仲間展」の作品制作

 写真上は、リビングの3mのテーブルに広げた折帖です。庭の新緑を眺めながら、時には雨音を聴きながら、下絵の構想を練る時間は最高に気持ちのいいものです。二十四節気の印24顆を右から配置していくので、季節の移り変わり(時の流れ)を表現したいと思い、淡墨の刷毛の跡、そこをぬって進む「八つ橋」のような線を入れました。※その一部
 下絵のある本紙は見開き8ページ、左に2ページ分が空いていたので9ページ目に、自跋(落款)を入れました。中国風な巻物などによくある「跋文」です。さらに10ページ目に「観記」を、先輩や会場に来た方に書いてもらうことにしました。

 苦手なパソコンのワードで、プロフィールを作りました。8点の作品のキャプションも何度もやり直して、書作より苦労して作っています。

裏山~若草山へ

裏山~若草山へ 裏山~若草山へ 裏山~若草山へ 裏山~若草山へ

 いつもお野菜をいただくご近所の真下さんは、ご自宅裏の山林の所有者のご了承済みで倒木などを整備され、若草山まで片道約50分くらいの道を健康のために歩いておられます。4月9日(暑くならないうちに)、真下ご夫妻の案内で、私の金継ぎ仲間のご夫妻3組と私 総勢9名は、真下家~若草山へのハイキングを決行しました。
 道は山頂付近300mは急な坂でしたが、思ったより歩きやすく、所々にある古く大きな樹木を見上げてしばしの休憩、遅く咲く山桜やツツジに癒されながら、ちょっと体力のいる森林浴でした。若草山ドライブウエイの道路が見えた時は、こんな所に!と人工物に違和感を覚えました。道路を横切ると、車で登ったら着く駐車場でした。山頂から奈良盆地を一望し(写真4枚目)、帰りは40分くらいで戻りました。

高円山界隈

高円山界隈 高円山界隈 高円山界隈 高円山界隈 高円山界隈

 桜が散り始めた4月7日、若草山を左に見て南に連なる 高円山界隈に出かけました。高円山の西麓にある白毫寺(写真1枚目)は、奈良市街が一望できます。境内には五色椿をはじめ椿の花や古木、石仏が点在し、宝蔵と本堂には重要文化財の仏像八体、思ったよりたくさん安置されていました。
 その後、奈良奥山ドライブウェイの「若草山コース」の先、一方通行の「奥山コース」~「高円山コース」のドライブです。「奥山コース」は、舗装のない地道になっており、常緑広葉樹林「世界遺産春日山原生林」の中を分け入って走る異次元の世界でした。写真3・4枚目は、途中にある「鶯の滝」です。ちょうど鶯が鳴いていました。写真5枚目は、高円山コースの桜並木を、ドライブウェイ出口の向い側にある奈良市の新斎場から撮ったものです。

「匠の聚」の穴窯 窯出し

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 3月末に「 匠の聚」(奈良県吉野郡川上村東川)の穴窯を借りて行なわれた大阪府立港南高校陶芸部の穴窯焼成の窯出しが、4月3日(日)にありました。部員や卒業生が大勢集まり、一般参加者の皆さんも加わって、手順よく、賑やかな作業でした。写真5枚目は、ご指導されている松村先生の作品です。(後日、堺市のギャラリーで行なわれた個展に展示されていました。)

「匠の聚」の穴窯 窯出し 「匠の聚」の穴窯 窯出し 「匠の聚」の穴窯 窯出し

 貸窯のあるこの「匠の聚」は、豊かな緑と清々しい空気の中にあるアート施設です。見渡す山並みも美しく、この日は、桜が満開でした。写真1枚目は、点在するアトリエ棟の一部と周辺の桜です。
 写真2・3枚目は、近くを流れる吉野川の岸の桜並木です。前日、富山から戻る時の北陸道の桜は蕾が固く、お花見をしていなかったので、見惚れてしまいました。

「匠の聚」の穴窯 窯出し 「匠の聚」の穴窯 窯出し 「匠の聚」の穴窯 窯出し

 窯に入れてもらった私の作品です。左から、桃と仏手柑の蓋物(印泥入れ)とザクロの文鎮、これらはおめでたい果実、珍しく具象の作品です。小さな花器と茶入れ、2つの文鎮は欠けと割れを補修中です。

 主担当としてではなく、お仲間に入れてもらっての穴窯焼成は余裕をもって作業にあたることができ、楽しめました。どんな穴窯もいろんなやり方があり、違ったやり方は参考に取り入れたいことがたくさんあるので、こんな機会があったらまた参加したいです。

3月の活動

3月の活動

 奈良学園中学の「書写」の授業は1年のみの履修なので、年度の終わりに各自が好きな四字句を、「行書」で色紙に書きました。義務教育の内に「行書」に親しんでほしい、という私の使命にも似た願いを込めて指導してきました。今年度の私の授業は3月2日まで、作品の返却、一部の作品展示と成績入力を済ませると、一月ほどの春休みとなりました。

 3回目のワクチン接種を済ませたせいでしょうか、春の陽気と共に、急にイベントが目白押しでした。お誘いを受けて参加した穴窯焼成に川上村には窯出し(4月3日)を含めると3往復、東大寺修二会のお松明、書のグループ「墨翔」の集会(大阪)など、お出かけも増え、遠方からの来客をもてなし、合間をぬって和装の着付けを学び、金継ぎや書作をしていました。

3月の活動 3月の活動 3月の活動 3月の活動 3月の活動

 忙中の閑、お茶のお稽古は安らぎの時です。床の設えやお道具には季節感があり、その時のテーマに応じて毎回違います。点前の技術を次々習得するような教室ではなく、亭主(先生)のおもてなしの趣向を感じながら、お互いに薄茶を点て、薄茶をお相伴する、同席した方々との会話も弾むサロンです。お茶席の本来の姿だと思います。
 3月は、桃の節句(一刀彫のお雛様は、先生の奥様が嫁がれた時に持参されたもの)や、東大寺修二会に因んだ設えでした。上司海雲師の「華厳」のお軸と、大正11年に東大寺修二会の練行衆として籠もられた先生のお父様の記念の品(写真4枚目)と共に、私の花器に、二月堂に供えられた造花の椿が飾られていました。(3月ならではの風流な「吊り釜」の日もありましたが、写真を撮り忘れました。)

3月の活動 3月の活動 3月の活動 3月の活動 3月の活動

 写真1枚目は、ご近所の裏山を友人と散策した時のもの、気持ちのいい森林浴でした。その先は若草山山頂へと続いており、後日、1時間ほどかけて山頂までハイキングすることになりました。この日、春の味覚「フキノトウ」の収穫も楽しみました。

 庭木の剪定(写真3枚目)をしてもらった時に、大きくなったサンシュユ(写真4枚目)の枝も落としてもらいました。その枝を染色家の友人に取りに来てもらい、草木染に使ってもらいました。廃棄するものが生かせるのは素晴らしいこと、ちょうど蕾を付けた時の枝の発色が一番いいそうです。
 一週間後、早速染めた糸を見ていただきたいと言って、持って来てくださいました。紫がかったグレイは、なかなか出せない色だそうです。絹(写真5枚目、右の2巻き)は、帯に織るそうです。

「匠の聚」の穴窯 窯焚き

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 大阪府立港南高校陶芸部の「匠の聚(むら)」(奈良県吉野郡川上村)の穴窯焼成は、3月22日から窯焚きが始まりました。陶芸部OBOGのラインに登録しているメンバーは100名以上にもなるそうで、卒業後も部活の様子を知ることができ、適宜参加するというスタイルのようです。
 私が参加した25日~最終日26日は、この春、高校を卒業したばかりの部員さん達が担当、3チームに分かれ交代で2時間ずつ薪をくべ、自炊もするという1泊の合宿をされていました。写真3枚目は、5棟ある宿泊施設(コテージ)です。温度帯も安定して、和やかな作業の仲間に入れてもらっていました。写真4枚目は、全員見ろよ!と夜中に起こされて、作品の「引き出し」が行なわれる場面です。

3月の活動 「匠の聚」の穴窯 窯焚き 3月の活動 「匠の聚」の穴窯 窯焚き

 川上村からの帰途、宇陀市榛原経由で「龍王が淵(奈良県宇陀市室生)」に立ち寄りました。大和富士(額井岳)の山腹にある湧水をたたえた池です。映像作家 保山耕一氏の朝霧か霞が立つ美しい情景をとらえた映像を見た時から、気になっていたスポットです。池の周りには、遊歩道と橋が整備され、グルっと散策できるようになっていました。 鏡のようになった水面に、周囲の木々が映り込み神秘的でした。

谷川雅夫書道資料展

谷川雅夫書道資料展 谷川雅夫書道資料展

 奈良教育大学(総合教育課程 書道芸術コース)で書道史・書道理論の教鞭をとる谷川雅夫先生が、この3月末で退職される、その記念の「書道資料展」が、3月17日~21日に開催されました。奈良県文化会館2階の展示室全部を使った大がかりなもので、見応えがありました。研究室のゼミ生が、数々の実物を手に取って学べたことは素晴らしいことです。
 谷川先生とは、ご一家が北京在住の頃に、こちらも家族で何日も同じ官舎に泊めていだいたほど、古くからのお付き合いがあります。かつての学友達も、この展示を機に、遠方から奈良を訪れ、旧交を温める人たちで会場は賑わいました。

谷川雅夫書道資料展 谷川雅夫書道資料展 谷川雅夫書道資料展 谷川雅夫書道資料展 谷川雅夫書道資料展

 写真は、私が面白いと思った資料(コレクション)のごくごく一部。写真1・2枚目は、山岡鉄舟が清水次郎長(山本親玉と書いている、本名は長五郎)にあてた手紙、これには人だかりでした。頼山陽遺愛の筆、学生時代に教えを請うた中田勇次郎先生がハガキに書き留めた小字の和歌の草稿、大好きな太田垣連月の和歌です。※目録
 会期中の19日には、「実践してきた鑑賞教育」という演題で、講演会が行なわれました。ゼミ生に作品解説を担当させて行なってきたこれまでのいくつかの展覧会(図録あり)の様子や資料のスライドを見ながら、私はコレクターではないと明言し、退職しても「金石学」の研究を続けていくという意志表明をされました。

万博記念公園

万博記念公園 万博記念公園 万博記念公園 万博記念公園 万博記念公園

 1970年(昭和45年)に開催された「日本万国博覧会」は、高校生だった私にも新鮮な驚きと感動をもたらすものでした。友人に誘われ、3月17日、その跡地を整備した広大な公園「万博記念公園(吹田市千里)」を訪ねました。
 シンボルの「太陽の塔」は岡本太郎の建造物として知られ(写真1枚目はそのラフ)、未来(上部、黄金の顔)、現在(正面胴体、太陽の顔)、過去(背面、黒い太陽の顔、写真4枚目)の3つの顔を持ち、高さは70mです。黒い太陽は、信楽焼きの陶板製であることを昨年「滋賀県立陶芸の森」で行なわれていた「岡本太郎と信楽展」で知って、特に興味深く思いました。さらに、地下には第4の顔も設置され、塔の内部に作られた「生命の樹」と呼ばれる巨大なモニュメント(写真5枚目)は、階段を登りながらゆっくり鑑賞することができました。

万博記念公園 万博記念公園 万博記念公園 万博記念公園

 公園の北の方には、万博の出展の1つとして造園された広大な日本庭園が、現在も当時の姿を残しています。面積26ヘクタール(東西1300m、南北200m)もあるという細長い地形をなし、西から水の流れを造り、そのせせらぎは東に向い、4つの時代ごとの造園様式を一堂に楽しめる回遊式の庭園となっていました。
 写真1枚目は泉から湧き出す水と深山の景観から成る「上代庭園」、続く「中世庭園」は築山を背景に緩やかな山からの滝や渓流もあり(写真2枚目)、力強い流音は動画に残しました。さらに、竹林、茶室に配された枯山水の茶庭(写真3枚目)、松の洲浜(写真4枚目)、池を背景に広がる「近代庭園」、切り石をオブジェのように用いた「現代庭園」、と歩きました。少しひんやりした空気も心地よく、絶好の散歩日和でした。

「匠の聚」 の穴窯 窯詰め

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 大阪府立港南高校陶芸部の恒例の穴窯焼成に誘っていただきました。昨年1月の「粘土カフェ」の穴窯焼成に、この高校の経験豊富な先生がお二人ご参加くださって、私は大いに助かったのですが、そのご縁です。3月12日、奈良県川上村「匠の聚(むら)」にある穴窯を借りて、窯詰めが行なわれました。文鎮・蓋物など小品(写真1枚目)を入れていただきました。
 この日の参加者は、指揮を執る松村先生(写真2枚目中央)と若い先生や卒業生の皆さん計9名、和気あいあいとした雰囲気の中、手際よく作業が進みました。粘土カフェで2日半かけていた窯詰めは、松村先生の的確なお声掛けで、この日の22時には終了したのには、驚きでした。

2月の活動

2月の活動 2月の活動 2月の活動
2月の活動 2月の活動 2月の活動 2月の活動

 学生時代から家族ぐるみのお付き合いのある陶芸家 松元洋一氏が、肺炎を患って2月3日に亡くなりました。彼独特の穴窯焼成(写真1・2枚目、YouTubeもあり)を、継ぐ人は誰もいません。陶芸のこと、いつでも聞けると思って頼りにしていたのに、もう応えてもらえない、、、。ご家族、日本中から集まった元内弟子さんやファンの方々と共に、早すぎる別れを悼みました。写真3枚目は、祭壇に飾られていた作品です。
 葬儀の後、訪ねた工房には前掛けが丸めて置いてあり、次の穴窯で焼成するたくさんの作品が主の帰りを待っているようでした。下の段の写真は窯の中、彼のこだわりそのものの美しいビードロ釉で覆われています。

 コロナ感染症の蔓延で、奈良市主催の「珠光茶会」や、友人が私の花器に生ける予定だった花展が中止となり、残念でした。トレインキルン焼成でご指導くださった篠原希先生の作陶展(於「ギャラリーたちばな」)、大先輩の書家 鈴木悠斎氏の花札展(於「奈良県図書情報館ホール」)などに出かけました。

慈光院

慈光院 慈光院 慈光院 慈光院

 非常勤で勤めているいる「奈良学園」(大和郡山市山田町)から3kmほどの所に、茶道石州流の祖 片桐石州により江戸時代初期に創建された寺院「慈光院」(大和郡山市小泉町)があります。境内全体を一つの茶席として造営したそうです。
 「一の門」から続く石畳の参道は、茶席の露地のようでした。そして、石州の故郷 摂津茨木城から移築した茅葺きの「山門」(写真1枚目)をくぐります。拝観の際は、開け放たれた茅葺きの書院(写真2・3枚目)で、お抹茶を一服いただけます。書院からの庭園の眺めは見事です。禅寺でありながら石を用いず、白砂と、さつきなど常緑の木々の刈込み、東側に大和盆地、遠景は屏風のように連なる山々「大和青垣」というロケーションです。二畳台目の「高林庵」(写真4枚目)と、三畳の「閑茶室」の趣の異なる2つの茶室がありました。

工房にて

工房にて 工房にて 工房にて 工房にて 工房にて 工房にて

 寒い時季は書斎で過ごすつもりでしたが、金継ぎの作品がたまっており、また、二十四節気の磁印24顆に新しい釉薬を試してみたいと思って、工房であれこれ作業をしていました。
 写真は金継ぎの一部、欠けと割れの修復の様子です。奈良町にある陶器店「みどりや」さんからの依頼品ですが、自分の作品と違って本気で取り組むので良い勉強になっています。土間の工房に暖房をつけても、なかなか漆が乾きませんでした。湿度(60%~75%)は調整できますが、20℃~25℃の温度が確保できず、室(むろ)をリビングに持ち込みました。

工房にて 工房にて 工房にて

 釉薬のテストです。写真1・2枚目は窯詰めの状態、3枚目は焼成後です。いくつか自作の釉薬はありますが、新たに「丸二陶料(信楽町)」で2つの釉薬(黒艶消釉・黒マット釉)を購入していました。印面を刻していない素焼きのオブジェに、施釉時間や濃度を変えて試しました。磁印は、形状・印面・釉薬の3つの表現が楽しめます。釉薬に変化を付けるために、使ってみようと思います。

京都 洛北

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 2月7日、「京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)」の卒展・大学院修了展を見に行きました。大学(左京区北白川瓜生山)キャンパス全体を使った大規模な展示で、穴窯焼成に参加してくれた院生の呉昊君(写真2・3枚目は修了制作「陶・方体」の一部)の案内がなかったら、迷子になっていたでしょう。2時間かけても観きれませんでしたが、私が卒展としてイメージしていた木や石による具象の彫刻はありませんでした。アニメーション、デザインなどの分野ではすでに社会で活躍している人もあるようで、若いエネルギーに圧倒されました。写真4・5枚目は、私が印象に残った大澤巴瑠(はる)さんの作品です。

京都 洛北 京都 洛北

 大学の周辺は、東山や祇園とは雰囲気の異なる自然豊かなエリア、「詩仙堂」「修学院離宮」などの名所があり、この日は、大学から2kmほど北にある門跡寺院「曼殊院」を訪ねました。
 小さな桂離宮といわれるように、欄間、釘隠しや引き手に桂離宮と共通の意匠があり、寺宝が間近に展示された室内を興味深く回りました。小書院の奥にある茶室「八窓軒」は、三畳台目(中柱付台目切)、突上げ窓を含めて8つの窓があります。国宝「待庵」は中に座ることはできませんでしたが、こちらは、薄暗い室内に通され、客として最初座り、中で説明を聞きました。次に、亭主が点前をする席に座らせていただくと、目に入る黒い壁と窓!障子から差し込む光の妙を感じる空間でした。参拝者はまばらで、凛とした境内、静かに枯山水の庭園を眺めました。

1月の活動

1月の活動 1月の活動

 年末年始は、雪降り積もる故郷富山で過ごしていました。 しめ縄は飾りのないものを購入して、庭の南天を挿しました。来年は藁のところも自分で作りたいと思います。
 雪の晴れ間、除雪された道に自転車を走らせました。写真2枚目は、近くのスーパーの駐車場から撮った銀嶺 立山連峰です。もっと連なり映えています。この当たり前の景色を、寒いのにしばらく眺めているのですから、地元の人は不思議に思ったことしょう。

1月の活動 1月の活動 1月の活動 1月の活動

 奈良に戻った翌日8日、午前中はお茶の初稽古でした。「壽」は、小西先生のお父様(興福寺 多川乗俊師)の書、お軸の上に小さなしめ縄がありました。棗にも炉縁にも蒔絵があり、新春らしいお道具の取り合わせでした。
 午後からは、書のグループ「墨翔」の集会(写真3枚目)が2年ぶりにありました。先輩達が自粛中に書き溜めておられた作品(写真4枚目)を見て、私は圧倒的に筆を持つ時間が足りないと反省、良い刺激をもらいました。5月の「墨翔展」に向けて、遅まきながら始動します!
 11日は雨の中、三輪神社に初詣で、私の3学期の授業は12日から始まりました。

奈良女子大学書道部 「如月展」

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 奈良女子大学書道部は、1月24日(月)、「如月(きさらぎ)展」の搬入を行ないました。会期は翌25日(火)~2月28日(月)まで、会場は大学正門前にある「奈良市きたまち鍋屋観光案内所(旧鍋屋交番)」です。1回生7名・2回生2名・3回生6名の共同作品5点、4回生・院生の色紙2点、それに、大仏書道展入選作品3点と私の作品を並べています。※目録

 毎年5月に「May展」を開催していましたが、昨年中止となり、今年度も延期を余儀なくされました。名称を改めて開催できたことは、部員一同の喜びです。意欲的に取り組んだ部員たちの思いが詰まった展示となっています。

アケビの籠

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 年末にアケビの蔓で籠作りをしたものの未完成のままだったので、22日、後藤さん(写真2枚目右、左は穴窯仲間の井之川さん)のアトリエ(伊賀市槙山)に伺い、口の始末をして、持ち手を付けました。野菜籠の完成です。もう少し早くもっと上手にできると思っていたのですが、指先が痛くなるほど力も必要で苦戦しました。また作る時は、蔓の太さと長さを厳選して用意したいと思いました。写真4枚目は井之川さんの2つ目の籠、ご指導くださった後藤さんの籠(写真5枚目)は、お出かけにも使えます。20個は作っている、と聞いて納得しました。

奈良教育大學書道展

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 1月14日(金)~16日(日)、奈良県文化会館を会場に、第56回奈良教育大學書道展が開催されました。A展示室には、教授陣・卒業生・院生の作品(写真1~4枚目は一部)56点、B展示室に学部生の2尺×8尺サイズの作品(写真5枚目)65点が並びました。
 コロナ禍で発表する機会が少なかったので、在籍していた時以来、たぶん初めて卒業生としての参加です。横幅の規制があることを後で知って、予定していた作品をあきらめて、旧作(藍染めの万葉集、写真4枚目)を出品しました。

お正月の床

お正月の床 お正月の床 お正月の床 お正月の床 お正月の床

 実家(富山県入善町)で新年を迎えました。今年は初釜(正午の茶事)を行なわないというので寂しく思いましたが、茶道具を見るのも取り合わせるのも楽しく、炭を熾してもらってお茶を点てました。
 小間の茶室(写真1枚目)の床には仏手柑、お軸は江戸時代の儒学者 小竹散人(篠崎小竹)の「虎」を選びました。広間の床には真の結びの「茶壷」を飾りました。「天神様」を飾るのがこの地方の習わしです。父(九天)が描いたものです。

お正月の床 お正月の床

 関西は15日ですが、富山では7日になると、玄関、神棚、仏壇、脇床の正月飾りはしまいます。脇床の「天神様」を、「寅」の色紙に替えました。こちらは夫(鐡牛)が若い頃に書いたものです。母は93才、次にこの色紙を飾る12年後、実家はどうなっているだろう、、、自然に「日々是好日」と唱えていました。

年のはじめに

年のはじめに

 明けまして おめでとうございます。壬寅の歳が始まりましたね。
 年賀状です。右の書は「寅」の甲骨文字です。2つの図象印の左には、見にくいですが、「虎」の背に「壽」を乗せています。写真は上から、孫と故郷の桜をバックに/大仏書道大会の審査/穴窯焼成による茶碗に呼び継ぎ/孫(不尽:ふじ)の誕生/バナナが実る庭の芭蕉/です。(クリックしたら大きくなります。
 どんな新年になるでしょうか。人との交流が戻ってくることを願いながら、グループ展や個展などを予定しています。災害のない穏やかな日々を祈るばかりですが、どんな時も、変化に対応できる柔軟な生き方をしたいものだと思っています。ご指導 よろしくお願いいたします。