里帰り個展
8月6日(土)~14日(日)、故郷(富山県入善町)の「入善町民会館」にて、「里帰り個展 ー書・陶・磁印・漆繕いー」を行ないました。私は、高校卒業と同時に故郷を離れましたが、地元の友人の応援もあり、実家で一人暮らしの母が歩けるうちにと思って、コロナ前から計画していました。
「入善町民会館」(写真1枚目)は、コンサートホール「コスモホール」、町立図書館、中央公民館を併設した文化施設です。実家から300mの所にあります。
写真2枚目はチラシを作ってくれた姪と、写真3枚目は会場の入り口で母と、この階段を上がった2階が会場です。受付に、時節柄、お抹茶の接待は見合わせました、と案内しました。お茶室も借りていたのですが、このことだけが心残りでした。※ご挨拶 ※恩師や知人友人からいただいたお花
写真は、会場(2階)和室側から撮ったもので、右の方に吹き抜けになった回廊、左の方はギャラリースペースです。続く和室2間とその玄関スペースにも展示したので、搬入は早朝から丸一日かかりました。地元の友人の応援はありがたく、総勢8名で壁面ごとの見取り図を元に分担して進めました。
こんな広いところに、なんとたくさんの作品を並べたことでしょう、見に来てくださった方々も、ここに並んでいる作品は全部一人の方の作品?と驚かれたようでした。
吹き抜けになっている回廊スペースの展示です。向かって左側(写真1枚目)は、額装の書作ばかり6点と、短めの垂髪(スイハツ)に掛け花入れ3点です。※右から4点目、古材に飾った掛け花入れ
正面(写真2枚目)に、書作6点と、ビードロ釉が掛かった掛け花入れ2点です。中央には、1つ大きなものと思って、伊賀市島ケ原の旧本陣に展示した「やすやすと 出でていざよふ 月の雲」(幅・天地ともに少し切って、幅4m)を掛け、左右に比較的近作を並べました。一番左の赤紫の紬に書いた作品は2本のタペストリーだったものを、今回「のれん」に仕立てました。
写真3枚目は、向かって右の和室側、軸装の書1点、大好きな書体「金文」で書いた「陰陽」です。
ギャラリースペースです。通常は可動式のパネルを用いて展示することが多いようですが、空間を区切らず開放感のある展示スペースにしたいと思いました。右側の壁面のみレールがないのでパネルを置きましたが、個性的な6つの窓も生かし、机上展示を3ヵ所設けました。
上の段の写真は、ギャラリーの右側、磁印のコーナーです。壁面は、工房の看板「野の百合工房」の刻字作品から始まり、磁印を用いて作った額装の作品の他に、足を付けて皿にもなる陶板や吊るせるようにした鉢に、「呉須」で文字を書いた作品も並べました。
机上には、一番右に「自用印」を紹介し、近作の「二十四節気陶磁印蛻(いんぜい)」の折帖、図象印も混ぜて押した「十二支」の折帖、平仮名の磁印による「いろは歌」の作品と続きます。それぞれの印は、丸い鏡に載せました。
上の段の写真2枚はギャラリー正面、窓のある側の様子です。左側には、母の依頼で弟が制作した裏千家愛用の「御園棚」を持ち込んで、近年興味をもって作り始めた茶道具を並べました。著名なお茶人さんが来られて、お抹茶茶碗などのアドバイスをいただき、最後に「書は好きです」と言ってもらったことが忘れられません。壁面の書も茶掛けになりそうな「水に月」「喫茶去」、右には後立山を詠んだ和歌などを掛け花入れと共に並べました。
下の段の写真1枚目は、このコーナーの一番左に展示した穴窯焼成の掛け花入れで、「てんとう虫」がついています。金具を付ける穴をやり替えたため、要らない方の穴を「さび漆」でふさぎ盛り上げて、色漆を用いて作ったものです。初日には手が回りませんでしたが、母が作っている畑の胡瓜を採った日に、その先のところをもらって生けてみました。てんとう虫と畑の緑、こんな遊び心が私の持ち味として伝われば、嬉しいのですが。
写真2~4枚目は、彫塑台(写真1・2枚目の隅など)に置いた穴窯焼成の作、私のお気に入りの3点です。
ギャラリーの左側の壁面を、ギャラリー右の方から撮ったものです。天地190cmの少し大きな書軸を3点、畳2枚の大きさの屏風「十二支」、その下に呉須で文字を書いた鉢3点、取り合わせた垂髪(スイハツ)も持っている中で一番長い165cmのもので、柳5本でできています。
一番左・一番右の作品は、茶の湯に因んだ文言「花月」・「花は野にあるように」、一部顔彩を用いて、共に紬に書きました。左から2つ目は、禅語「惺々著(セイセイジャク)」、禅の書『無門関』第十二則より引用、目を覚ませ!ぼんやりするな!の意です。
ギャラリー中央の机上に、主に書に繋がる陶作品「文房具」を並べました。写真1枚目は、手前に磁土で作った硯(磁硯)、奥の方に見えるのは、水盂(スプーンで硯に水を注ぐ)・水注(片口)です。写真2・3枚目は水滴(水差し)の一部、写真4・5枚目は印盒(印泥入れの蓋物)、続いて文鎮、筆置きです。文房具は他に、・筆筒(筆立て)・筆洗など、磁土で作って上絵を施したものと、穴窯焼成のものがあります。
金継ぎのある作品、上絵をした皿、ハートをモチーフにした小物も並べ、野焼き焼成は社会的な活動として作品と共に紹介しました。旧作のボタンやアクセサリーなどは、使っていただける方、気に入った方にもらっていただきました。
ギャラリーから和室に入る正面に刻字作品を掛けました。故郷を思って書いて刻した「山川草木」です。文字は胡粉、余白は拭き漆で仕上げています。その下に、この作品の官房印として使った「磁印」も展示しました。
和室は通常、展示スペースとして使われることはなかったようでしたが、入り口と、和室2間を仕切っていた全てのふすまを撤去して、和室玄関から続く1つの和の空間を作りました。吹き抜け回廊、ギャラリーに続く、3つ目の展示場です。
ベンチもあるタイル張りの玄関スペースの作品です。写真1枚目は和室入り口左の棚、上がりかまち左側(写真2枚目)は、小ぶりの屏風と陶作品4点です。
写真3枚目は和室入り口右の棚、書は蓮如様の言葉「明日は御座なく候」、真宗門徒の多い土地柄のため人気でした。この棚には、穴窯焼成の作品に金銀・色絵で上絵を施した試作4点を並べました。今となってはこんなこともやってたんだ、と振り返って懐かしく思います。写真4枚目は「不二」、吹き抜け回廊右に1点お軸を展示した、その反対側に当たります。
上がりかまちの右側から上がった和室2室は、合わせて42畳あります。正面に巻物「おくの細道抄」を展示しました。全景を撮った写真がないため、準備中のものです。下絵を画家の弟に描いてもらった共同作品で、伊賀市の史跡「崇廣堂」(藤堂藩の藩校跡)企画のコラボ展の時のものです。
写真2枚目は、本来は16mあるうち展示できた最後の方、芭蕉さんが新潟県市振から富山に入って詠んだ「わせの香や 分け入る右は 有磯海」の句をギリギリ見ていただくことができました。この歌碑がいくつかここで詠んだとばかりにどこそこにあること、富山の人のおもてなしが悪かった話など、芭蕉談義に花が咲きました。
和室入って右側の床です。畳2枚分ある右のスペースには、中央に「華」、還暦(中国では華甲)の歳に書いた作品です。そのことを書いた「箱書き」と、これを書くために用いた筆(中学2年生の時に買ってもらった思い出の筆)も並べました。両脇の4幅は、紬に書いた「利休百首」からの4首です。
写真2枚目の筒花入れ2点を掛けている板は、搬入ぎりぎりまで「拭き漆」をしていたものです。その下の3点(写真3枚目)は、穴窯焼成の近作、左から「仏手柑・ザクロ・桃」おめでたい果実の蓋物、私としては珍しい具象作品です。その左の棚に並べた作品は上から、織部釉水盂・水注、穴窯焼成の水注・ピッチャー、金襴手の皿・湯呑み、蓋のある磁硯です。
和室入って左側の床です。書作(共に禅語)、文字のある皿、陶作品(漆繕いをしたものが半数)で構成しています。これら一連の作品群が、私が表現したいと思って取り組んできたものです。そこに「磁印」「刻字」が加わると、私の全てです。色んな事をしているように思う人は多いのですが、核にあるのは幼いころから親しんできた書だと思っています。
一番左に吊るしている磁土で作った盤皿には呉須で草書体の「花」を模様のように書き、その下に写真では隠れていますが、穴窯焼成の皿を置いています、甲骨文字で「十二支」を書きました。文字・粘土・漆は、いつも私の身近にあり大事な表現手段となりました。
和室入って左に毛氈を敷き、リバーシブルになっている「衝立」、奥に「風炉先屏風」を置き、陶作品を並べました。「衝立」に書いた中央の文字は「座」、床に飾った「主人公」などと共に『無門関』十二則シリーズの一つです。「風炉先屏風」は、いくつかある故郷シリーズの一つ、大伴家持が立山を詠んだ歌を万葉仮名で書いたものです。
陶作品は、左に秋草文の蓋物3点・磁硯、穴窯焼成の壺・皿・花器、呉須の皿、奥の方に茶道具を並べました。
書や陶芸が好きな人、茶の湯や篆刻に親しんでいる人、恩師や旧友をはじめ多くの地元の方々に見に来ていただきました。遠方の友人や従妹が地元の方に声をかけてくださり、一度来てくださった方がまた他の人と来てくださったり、メディアでも取り上げられたことを嬉しく思っています。
この「里帰り個展」は、子育てが終わってからこれまで、私は何をしてきたかを振り返る良い機会となりました。只々人との出会いに恵まれ、私は自由に時間を使うことができる環境にあったのです。導いてくださった皆さん、応援してくださる皆さんに感謝します。