12月の活動
これまでの12月の授業は1週間あるかないでしたが、今年は25日までありました。写真は、毎年恒例のカレンダーです。中一は、私の手本を見て、行書で「大志」か「挑戦」と書きました。高一は、手本はなく、学んだ篆書か隷書か草書の技法を生かして好きな語句を書きました。おじいちゃんおばあちゃんに差し上げるといいね、お年玉が×2になるかもしれないよ、と言っています。
授業が終わった翌26日から、穴窯焼成の「窯詰め」でした。そのために、12月中は寸暇を惜しんで作陶をしていたので、大掃除も年賀状も手につきませんでした。
4日間の「窯詰め」から29日に家に戻ると、今度は「窯焚き」の準備です。窯焚き参加者17名に滞在時間帯の確認をして窯当番のスケジュール表を作るのですが、これが一仕事です。焼成費の集計、5日分の焼成ノート、掲示物なども書いているうちに、、、年が明けました。
窯詰め
12月26日(土)~29日(火)は、穴窯焼成の「窯詰め」を行ないました。コロナ対策として、検温や消毒の徹底、共有の布巾やタオルの廃止、賄いをせず各自食事と飲み物を持参するようにしました。
1日目は、2年ぶりに使う穴窯の修繕からです。前回、煙突にトタンを巻くのを忘れて、屋根の一部が燃えました。私は、屋根に上って状態を指示、下から男性4名がステンレスの針金でトタンをくくって取り付けてくださいました。また、耐火モルタルと砂と藁を切ったものを混ぜて、窯の破損したところの修繕をし(写真2・3枚目)、窯の乾燥のために廃材で窯の「あぶり」(写真4枚目)もしました。棚板にアルミナを塗り、窯詰め準備の完了です。
夜は、集まった全作品(300点余り)を、奥・中・前の棚、火袋、どこにでも入る小さな作品、に分ける作業をしました。
2日目、奥から、棚板を組み、水平を取りながら詰めていきました。写真左から順に、奥の棚、中の棚、前の棚の詰め終わった状態です。私達「粘土カフェ」の窯は、上から見ると長方形です。奥は特にぎっしり詰めます。藁で巻いている作品は主に私のものですが、奥に入らなくて中の棚に置いたものもあります。上部を少しひな壇のようにしたつもりですが、作品が多くてそうもいきませんでした。
こちらは、火袋の周りにコの字型に置いた作品です。薪が当たるかもしれないので置きたくない人もいますが、焦げができ変化に富んだ作品が取れるところです。扉の左脇(写真1枚目左)の花器と、中央の2点(横に置いた四角の器と、ひだひだのある水指)が私の作品です。
写真1枚目は、窯詰め中の私(右)です。窯の中には2人で入り、あぶりをしたので少し暖かいのですが、窯の外で、作品や支柱につけるお団子を道具土で作ってくださる人が2人、とても寒いと思います。
窯詰め最終日の午後は、焚き口を作りました。作品は、もう、火に託すのみの向こうの空間に行ってしまいました。再び、窯の修繕をし、窯を焚く背の所に、薪を壁のように60束あまり運び込みました。4日間の窯詰めの参加者は、のべ30名(うち一般参加者13名)でした。
穴窯焼成の作品づくり
11月の作陶会では、粘土の準備をしたり、持ち込み作品の写真を撮ったり焼成費をいただいたりしていて、自分の制作ができませんでした。その後、自宅の工房で、大急ぎで穴窯焼成のための作陶に取り組みました。乾燥ができたものから順に、3回の素焼きをしました。
写真は、窯詰めに持ち込む作品、60点余りです。左から、片口、脚付きの小皿などの小物、初めて作ってみた急須、茶道具になるかどうか建水、茶碗、水指など、書作の脇に飾る花器や掛け花入れ、蓋物やボタンです。いつも作っていた文房具(水滴、水盂、筆置き、印盒など)は、この度は作れませんでした。
一人旅 高取町
2日間の研修旅行の後、吉野山から車で20分ほどの高取町に向かい、「ゲストハウスUME(高取町下土佐、壺阪山駅徒歩7分)」に泊まりました。
ゲストハウスのある国道から100mほど東に行くと「土佐街道」です。12月7日朝、連子格子や虫籠窓のある石畳の街道をのんびり散策しました。薬の町らしい建物、長屋門に監視窓のある武家屋敷、なまこ壁の武家屋敷、総門跡の土塀など高取城に関連した遺構も多くありました。かつて高取藩の城下町として、大和平野と吉野地方の文化の交流拠点として、また壷阪寺への参詣道として賑わったことでしょう。今は落ち着いた佇まいの高取、隣の明日香ほどの観光客がいないのもいいものです。
さらに、ぶらぶら2・30分歩いたでしょうか、写真1枚目は「キトラ古墳」です。発掘調査を経て埋め戻され、古代の大きさに復元されており、2段に造られた円墳です。隣接して「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」があり、石室模型(写真2枚目は内部)や壁画古墳として高松塚古墳と比較した四神図、天文図などの詳しい展示がありました。壁画の実物は、期間限定で公開されているようでした。
昼食後、ゲストハウスに戻り、壷阪寺の駐車場に車を停めました。写真1枚目は、少し歩いた所からの壷阪寺です。高取城へのハイキングの往復で出会った人は10人余り、ひっそりとした静かな山城は、紅葉が少し残って敷モミジも美しく、広大です。苔むす石垣は表情を変えて続き、建物がない石垣に、いっそうのロマンを感じました。本丸からの眼下の景色も堪能しました。下りは、少し足がくがくしましたが、コートを脱ぎたくなるくらいの清々しい汗をかきました。
仲間との研修旅行(吉野町・川上村)と一人旅の高取町、3日間の県内旅行でしたが、たくさんの発見と感動がありました。車で1時間ちょっとで自宅に戻った時は、こんなに近くに知らない奈良県があった、と不思議な感覚を覚えました。
研修旅行 吉野方面
12月5日(土)・6日(日)は、NPO法人Arts Planet Plan from IGA の研修旅行でした。年度当初は、織物の里 京都府北部の丹後方面を予定していましたが、コロナ禍の中、近隣への短距離観光がいいね、ということになり、奈良県吉野町と川上村を訪ねました。
1つ目の訪問先は、吉野町「国栖(くにす)の里」にある「植和紙工房」さんです。こちらでは「宇陀紙」と呼ばれる表装用の厚手の和紙を製造されており、原料となる「楮(こうぞ)」や、糊として使われる「ノリウツギ」という木を見せていただきながら、和紙作りの工程を伺った後、紙漉きを体験しました。落ちているモミジの葉などを漉き込んだり、染料で色付けしたもので模様を付けたりして楽しく、思い思いの作品を作りました。私は、部分的に赤い模様を付けたオリジナルな名刺(写真5枚目の点前、21枚1,200円)やはがきを作りました。
昼食は、ここから1kmほど東にある「くにす食堂」(吉野町窪垣内)でいただきました。築100年の古民家を改修し、地域の人たちによって運営されているそうです。店内は満席、自家焙煎のコーヒー、手作りデザート(黒蜜でいただくプリン)もおいしく、ほっこりする所でした。
午後は、隣接する川上村に向かい、「studio - jig」さんの工房見学です。jig(治具)とは、製造業に欠かせない器具の総称を意味する言葉だそうです。
目に飛び込んできたのは、これぞ逸品!素敵な椅子(写真1枚目左)です。制作されている若い木工職人(あえて職人)平井健太さんは、職人の評価の高いアイルランドの「joseph walsh studio」に勤務、フリーフォームラミネーションという曲げ木技法で家具作りをされていました。ここで使う細かい木目の吉野杉には節もなく、そのマグロでいうとトロの部分を、薄くスライスした「突き板」(写真2枚目)にして曲げ、椅子の背もたれのカーブができていました。日本ではだれもやっていない高度な技術、その丁寧な説明を伺うと、ものづくりの醍醐味が伝わってきて感動しました。
続いて、川上村の「匠の聚(ムラ)」の見学です。写真1枚目は、研修旅行1日目の参加者(6名)です。密を避けて、車4台で移動しました。
山間の広い敷地には、芸術家の居住と創作の場となっているアトリエが8棟、作品を常設展示しているギャラリー、カフェ、工房室、研修室の他に、穴窯やイベント広場、来客用のコテージ5棟などがあります。いろんなジャンルの作家8名が入居されているそうです。そのうちの一人でイラストレーターの浜田こころさん(写真2枚目)に施設の案内をしていただきました。
この日のお宿は、吉野川源流の村に湧く温泉「ホテル杉の湯(川上村迫)」さんです。お部屋から吉野杉やヒノキの山々が一望できました。
朝食の時、ご飯茶わんを手にすると、薄くて軽く品のあるお椀に驚きました。奈良県民ですが、地元の吉野杉を知らなかった、、、木目というよりプリントのような細かい年輪です。この器が、体験訪問先「工房アップルジャック」さんのものだと聞いて、ワクワクしました。
2日目は、川上村東川(ウノガワ)にある「工房アップルジャック」さんで、参加者が4人と少ないこともあり、木工旋盤という貴重な体験をさせてもらうことができました。一流の腕を持つ小林清隆さん(写真1枚目右)・兵庫さん親子が、最高品質の吉野杉で、シンプルにデザインされた日用雑貨や木器を作っておられる工房です。あらかじめセットしてくださっている轆轤で、四角い木片がぐい吞みに削り出されます。先生つきっきりで声をかけてもらいながら、両手を異なる動きで操作しなければなりません。皆、真剣に取り組みました。すっごく面白い!吉野杉の美しいこと、味わい深い器ができ、大満足です。塗装せずに持ち帰り、「拭き漆」で仕上げます。
この日の昼食は、吉野町にある古民家レストランテ「ナラヤマソウ」、私は10月にも訪れています。その後、吉野山に向かい、お茶人さんの井上太郎さんのギャラリーで、お抹茶をいただきました。その後、各自自由に散策することになり、私は一人、如意輪寺に行きました。吉野山には、これまで3回書道部の合宿で訪れましたが、はるか中千本の中腹に眺めるだけの如意輪寺でした。一度行ってみたいと思っていたからです。写真1枚目は、井上ギャラリー前の駐車場から撮ったもの、谷の向こうの山中に、多宝塔や伽藍が望めます。
如意輪寺は、延喜年間の創建、南朝の後醍醐天皇の勅願寺となったそうです。裏山には後醍醐天皇の御陵があり、宝物殿では、楠木正成公の長男 楠正行公ゆかりの寺宝などを見ることができました。
さらに、私は高取町に向かい、この日は「ゲストハウスUME」に泊まりました。友人の実家でしたが、ちょうど1年ほど前から、大阪出身の梅ちゃん(写真5枚目左)がゲストハウスとして営業しています。高取町では唯一の宿泊所です。
11月の活動
11月中旬に「大仏書道大会」を開催した時は、奈良への観光客も東大寺大仏殿の参拝者も多く見受けられましたが、間もなくコロナ感染症の第3波がやってきました。
中学・高校の授業はこれまで通り、換気や消毒に気を付けながらの対面授業です。写真は、中学一年生の行書による名前の中の一字作品、色紙に書いたものです。義務教育の間に行書を学ぶことは大事だと思っています。特に名前を行書で書けるようにと願って指導してきました。高校生は、「隷書」の学習をしました。
11月下旬からやっと色付き始めた庭のモミジと、元気がなくなったバナナ(芭蕉)です。秋の行事(芸術祭、大仏書道大会、作陶会)が終わったので、工房から、この景色を眺めながら、やっと作陶開始です。穴窯焼成の窯詰めまで、乾燥の時間を考えると、作れる時間はひと月もありません、、、。
写真は、城之越遺跡(伊賀市比土)を会場に行なわれていた野外プロジェクト「大平和正展 ー城之越遺跡よ、風に還れー」のものです。この遺跡は、4世紀後半(古墳時代前期)の貼石や立石をもつ大溝をはじめとする遺跡で、大溝は祭祀を執り行った場であり、その対象は井泉から湧き出る水であったそうです。この遺跡全体に、陶・水・ステンレス・石などによる立体造形作品が10点余り点在していました。
また、春日大社国宝館の特別展「芸能の美・杜園の心」の森川杜園の作品には感動を覚えました。杜園は、幕末から明治にかけて活躍した彫刻家にして絵師、そして狂言師、奈良にこのような天才がおられたことを初めて知りました。技術の高さを支えるものは、教養や思想にあるのだと感じました。
作陶会
11月22日(日)・23日(月祝)は、穴窯焼成のための「作陶会」を行ないました。2日間の参加者は「粘土カフェ」メンバーと小学生2名を含むご家族で、のべ11名でした。また、この2日間は、作品の持ち込み日でもあり、ご持参された方やお送りいただいた方は10の個人・グループ(計30名)あり、作品点数は136点集まりました。写真2・3枚目のように、高さをそろえてスケールに載せ、窯の占有容積に応じた焼成費を徴収しました。この日以外の持ち込み希望者が、私を含め残り11人あり、作品は窯いっぱいになりそうです。この点ではホッとしましたが、窯詰めや窯焚きの人手の確保が課題です。
写真4枚目は、同じ日に法人内で活動の「庵プロジェクト」さんです。長い間「月見台?」と言われています。早く屋根をつけてほしいものです。
青山讃頌舎
11月21日、「伊賀市ミュージアム 青山讃頌舎(うたのいえ)」の茶室で、紅葉を愛でながら野点のお抹茶をいただきました。ここは、3年前に亡くなった水墨画家 穐月明(あきづきあきら)氏の旧居、今年6月に伊賀市の美術館として公開されたばかりです。氏は、自然豊かな青山の地を好み、大村神社に隣接した高台のこの地で、36年間暮されたそうです。
美術館に併設された茶室「聴樹庵」は、その名の通り、樹木に囲まれていました。小間の茶室の柱と梁には桜・リョウブ・黒柿・椿、天井にはサビ丸太・埋もれ木・萩・竹が用いられ、壁はサビを浮かせた土壁、伊勢暦の腰紙が張られていました。広間の茶室の天井は杉皮に格天井のように煤竹が組まれ(写真4枚目)、氏の趣向が隅々に感じられました。美術館では「美の視点」と題した秋の企画展が開催されており、ガンダーラの石仏・瓦当や拓本などのコレクションを見ることができました。豊かな秋のひと時を過ごしました。
漆器の繕い
穴窯焼成の作品のヒビや、水滴の口の欠けの修復は、私にはどうしても必要な技術でした。金継ぎを学びながら、色漆を使うことや、生漆を使った「拭きうるし」など、漆の多様な魅力を知り、この頃は、木製品に漆を塗ったり、漆器の繕いも始めています。
お盆の縁が黒くなっている写真1枚目は、欠けを「さび漆」で埋めて平らにした状態です。愛用の小ぶりのお盆ですが、気付かないうちに縁に無数の欠けがありました。漆は、元の色と同じにするのは難しいので、くるりと朱漆で巻いて仕上げました。写真3枚目は、木製の急須ですが、縦に亀裂が2か所ありました。それを表は黒、内部は白の漆で繕い、さらに、銀、緑、白、赤などの漆を使って絵を足しました。繕いには時間がかかりましたが、描くのは楽しい!写真がうまく撮れませんでしたが、全体の四分の一くらいは描き足しています。
大仏書道大会
11月14日(土)・15日(日)、「大仏書道大会―書くことは楽しいin奈良―」の「大仏書道展」を開催することができました。秋晴れの2日間でした。
「大仏書道大会」は、平城遷都1300年祭の記念行事として始まり、今回11回目となりました。主催は、蹴鞠の伝承など奈良の伝統文化の継承と創造を目的としたNPO法人「奈良21世紀フォーラム」、私は奈良女子大学書道部員と共に協力しています。会場となる東大寺大仏殿西回廊は、開放的な空間ですが、会期中行なっている「席書会」は、新型コロナウィルス感染症の影響により中止となりました。※事業内容 募集要項 審査基準
メッセージ性を重視した独自の審査基準は、ご出品くださる学校や若者達の理解と共感をいただいているようです。バラエティーに富んだ作品が集まりました。表具をして展示するのは、入選作100点です。近畿圏の入選者のご家族や観光客、文言を読むのが楽しみと言って毎年見てくださる方々もあり、多くのご来場をいただきました。また、初めて出品したが1点も入選しなかったので見に来たという指導者の方から、趣旨を理解した勉強になった感動した、と言っていただきました。私にとって、やりがいのある活動となっています。
写真3枚目は、会期中の早朝、会場の西回廊に到着すると、大仏殿の方から読経が響いていたので、駆け寄って参拝した時、撮ったものです。大仏の基壇には大仏を囲むように多くの僧侶がおられ、おそらくコロナウイルス終息の祈願もされていたのではと思いました。
講評 |
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特別賞に選ばれた7点の作品です。選考の方針を理解してもらい、鑑賞の参考になるようにと思って講評を書いています。それが好評で、7点の作品だけでなく、100点全部書いてほしい知りたい、との声がありました。(あら、大変)7点以外の作品もみんな素晴らしいからでしょう。若者達が筆を執り、思いや願いを墨で書く、ただそのことを思うだけで、嬉しくなります。
10月の活動
世の中は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のための新しい生活様式が定着し、GoToトラベルなど経済対策がとられ、奈良公園でも観光バスを見かけるようになりました。そんな中、伊賀での「風と土のふれあい芸術祭」で、今年初めて作品を発表することができました。また、来月の「大仏書道展」も開催の目途が付き、嬉しく思って過ごしました。
写真は、故郷 富山県入善町の風景です。奈良女子大学の学祭はリモートで行なわれましたが、書道部は参加せず、活動がないので、月末から帰省していました。遠くの山には雪が残り、いかに高いか、仰ぎ見る立山連峰です。間もなく手前の山が紅葉します。
夏に帰省した時に、実家の欠けた食器いくつかを持って帰っていました。母がお気に入りの梅干し入れは、その一つでした。写真1枚目は「さび漆」で欠けを埋め研いだ状態、2枚目は仕上げに緑と白(色漆に真っ白はなく薄茶色)の漆を混ぜて塗ったすぐの状態です。乾燥すると、漆は色が変わります。狙っていたような深緑色になりました。
また、風化していた茶室の扁額「夢想」も持ち帰りました。文字に白のアクリル絵の具を塗り直し、余白は「拭き漆」、落款も新しく入れました。
1枚目の写真は、友人寺村さんの住居と代々続いた骨董商「寺村清雅堂」(伊賀市上野福居町)、城下町の景観を構成する国指定の登録有形文化財の建物です。その向かいに、彼女が企画運営する「アートスペース伊賀」があり、2つの展覧会を見ました。
写真2・3枚目は、コラボ展でご一緒したことのある華道家 厚見美幸さんの生け花です。―古き道具に花をそえて―と題し、いわゆる花器に生けるのではなく、清雅堂の用途の違う骨董品に生けてあり、季節の山野草などと共にお道具の使い方が楽しめました。写真4枚目は、伊賀の出身で神戸市在住の若手抽象画家 百上(ももがみ)奈歩さんと、インスタレーションの作品です。布をつなぎ合わせて筒状になっており、中に入るとびっくり、1つ1つ細い紐でくくって繋いでありました。
大仏書道展の審査
NPO法人 奈良21世紀フォーラム主催「大仏書道大会 ―書くことは楽しいin奈良―」の公募作品は、全国の高校生・大学生・大学院生(これに準ずる年齢の若者)から、1492点の応募がありました。10月2日に一次審査、27日に本審査を行ないました。今年は応募が少ないのではないか、開催できるだろうか、と心配していましたが、例年並みの応募となり、開放的な会場のため「大仏書道展」は開催できそうです。
出品票に書いてもらっている作者の思い(コメント)を読んで、審査しています。(写真2・3枚目)コロナ禍の中だからこその願いを込めた作品が多くありました。写真4枚目は、大仏様の右手の印相をこのように理解したかと思って楽しい気持ちになりましたが、きっと入選しないだろうと思い、ひそかに写真に収めた作品です。入選作品100点は、11月14日(土)・15日(日)、東大寺大仏殿西回廊に展示します。※新聞記事
秋の女子旅
先月、伊賀市霧生のブルーベリー摘みと「メナード青山リゾート」のランチを楽しんだ仲間との女子旅第2弾は、吉野町の古民家リストランテ「ナラヤマソウ」でいただくシェフ特製ランチとなりました。
10月26日、午前中は、桜井市多武峰(とうのみね)の「談山(たんざん)神社」に参拝しました。社号は「大化の改新談合の地」からきており、本殿(写真2枚目)には、蘇我入鹿暗殺の図も描かれている「多武峰縁起絵巻」が展示されていました。写真3枚目は、けまりが奉納される蹴鞠の庭です。紅葉が始まりかけていました。ランチの帰途は、宇陀市松山地区に立ち寄り、格子や虫籠窓のある古い町並みを散策、写真4枚目は吉野本葛の老舗「黒川本家」、築250年だそうです。「森野旧薬園」の広大な薬草園には250種類もの薬草が栽培されていました。園の中腹からは大宇陀の風景を眺めることができました。(写真5枚目)吉野葛の原料となる葛根は昔ながらの手法で採掘し、「吉野ざらし」という製造で作られています。
風と土のふれあい芸術祭in伊賀2020
コロナ禍の中でイベントを中止にすることは容易ですが、どのような形で文化や芸術を発信していくことができるかと、地元の方々と、私が所属しいるNPO法人Arts Planet Plan from IGA 事務局で構成された芸術祭実行委員会は、話し合いを重ね、前向きに取り組んできました。できる限りの工夫と対策を講じて、今年も「風と土のふれあい芸術祭in伊賀」を開催することができました。
複数の新聞やテレビで取り上げていただき、思った以上の入場者がありました。※新聞記事
芸術祭の会場は廃校になった小学校、伊賀市の中山間部にある「矢持地区市民センター」です。「メナード青山リゾート」の送迎バスは、会期中、会場前に停まります。元校舎のすぐ裏を川が流れ、教室にいても雨かと思うような水音に癒されます。緑に包まれた自然豊かな所です。10月17日(土)~25日(日)の「かたち展」会期中、グラウンドから校舎を見上げると、屋上に立体作品が輝いていました。(写真3枚目)
「芸術祭」は、2002年の「春のかたち展」(会場は青山町公民館)から始まり、2008年からこの会場で開催、今年で通算18回目です。私は、2006年から参加しています。横断幕、看板やサインの揮毫は、私が担当しています。
「アーティスト・イン・レジデンス」は、8月15日から随時、公開制作が始まっていました。今年のレジデンス作家さんは、京都市大原在住で海外でもご活躍の美術作家ノブコ・ウエダさんです。※新聞記事
完成された作品は「かたち展」で展示されました。1つは、地元の「川上ダム」から採取された石を組んだ造形作品「Resilience - 水の記憶」(写真2~5枚目)です。写真2枚目は、全景を校舎の2階から撮ったものです。奥にダムに沈んだ家屋の石垣が再現され、続いて船です。その先には、希望を象徴した金属製の双葉を配しています。
もう一つは、地元の草花による「叩き染め」の作品「Resilience - 大地の記憶」(下の段の写真)です。人体に見立てた襦袢に肺の形に染め、掛かっている伊賀の組みひもは血液を象徴しているそうです。コロナに無縁な草花を用いることで、作者の願いが表現されています。ミョウバンを媒染材としているので、変色していません。<Resilience(レジリエンス)は、再生・回復力>
「かたち展」には、出品を見合わせた方もいれば、他が中止で新しく参加された方もあり、56人の多彩なジャンルの作品82点が展示されました。私は、2階和室(写真1枚目)に、「田上早百合の壁」(写真2~4枚目)と「名残りの茶道具」(下の段の写真)と題した作品を出品しました。今年、初めての作品発表の場となりました。共に、書作と陶作品で構成しています。
災害が多いことから平穏無事を願って書いた「五風十雨」は<墨のにじみ>にこだわり、コロナ禍の中で心に留めた言葉、明恵上人の「あるべきようわ」、蓮如上人の「明日は御座なく候」は<墨の濃淡>を使ったものです。
陶作品6点は全て、漆繕いのあるものを選びました。掛け花入れ左の「てんとう虫」は、元は金具をつける穴の部分です。さび漆で塞ぎ、さらに盛り上げて赤と黒の漆で描きました。右の掛け花入れは、漏れがあり、わからないように色漆で繕っています。炉になる前の10月の茶席には、細水指を用い、繕いのある道具でおしまいになる風炉の点前を楽しみます。旧作の「風炉先屏風」を背景に、口に金継ぎのある細水指、呼び継ぎのある茶碗、色漆で繕った香合と茶入れを並べました。今年の自粛中、私が何を思い何をしていたかが伝われば、嬉しいです。
「かたち展」作品の一部を紹介します。写真1・2枚目は、思い出が詰まった学校の下駄箱全体を使ったインスタレーションの作品、お子さんを描いた大きな絵は、キャンバスを切って、1つ1つはめ込んでありました。写真3枚目は、3階のベランダに出現した苔の作品です。元々あった苔を丁寧に採取してベランダの掃除をし、再びご自身がデザインした形に植え替えたそうです。写真4枚目は、二人の木彫作家さんの「ヲロチ」と「花の獣」のある教室、共に大胆な木材の使い方をされています。体全体を埋め尽くす鑿(のみ)の跡(写真5枚目)には心を打たれました。
写真1枚目は、繊細な木版画、写真2枚目は緑と赤で表現された「風神雷神図」と題された半立体の作品です。教室だけでなく校舎の内外、廊下や屋上にも展示されました。
芸術祭会期中、一番にぎわったのはアートフェアが行われた10月18日(日)です。総合案内場を通っていただき、検温を行ない、住所とお名前を書いていただきました。
アートフェアは、体育館とできるだけ屋外(グラウンド)で、お店の間隔を空けて行ないました。木工・アクセサリー・ジャムなどの手作り品、パンやケーキ、地元の農作物やお花、モンゴル料理やキッチンカーのお店が並び、様々なワークショップやライブも行なわれました。食事の提供は個包装です。※15店の屋号
また、この日一日だけの展示でしたが、「青山公民館出前講座」として、郷里の物故作家展「穐月(あきづき)明・上田(かみだ)保隆展」が開催されました。双方のご子息によるギャラリートークも定員20名限定で行なわれました。
9月の活動
1枚目の写真は、「メナード青山リゾート」(伊賀市霧生)のホテルシャンべールのロビーです。霧が出ており美しい景色でした。友人3人を伊賀市霧生にある「四季の森 やもち ゆめ倶楽部」のブルーベリー摘みにお誘いし、こちらでランチをいただいた時に撮ったものです。2枚目の写真は、イチゴのかき氷がおいしい「中井農園 ストロベリー工房」(奈良市柴屋町)に行き、すぐ近くの「帯解寺」(奈良市今市町)に参拝した時のもの、境内の萩は満開でした。
往く夏を惜しむ間もなく、秋がやってきました。例年は目白押しの行事も、今年はいくつか中止となり、10月の「風と土のふれあい芸術祭in伊賀2020」、11月の「大仏書道大会」、そして年末年始の「穴窯焼成」を予定しています。それらの準備を始めました。
薪割り合宿
2年振り10回目となる「穴窯焼成」は、諸般の事情により、年末の窯詰め、年始の窯焚きとなりました。私にとっては、今年度最大のイベントです。新型コロナ感染症の予防対策を講じながら、準備を進めています。参加者募集のチラシができました!
9月19日(土)~22日(火・祝)の連休は、NPO法人Arts Planet Plan from IGAの活動拠点「MORITAI造形アトリエ」に3泊して、事務局会議の後、「薪割り合宿」を行ないました。3日間の参加者は粘土カフェのメンバーのべ12名、賄いはせず、食料と飲み物は各自持参です。
75束の薪ができました。地元の別荘地から赤松の間伐材をご提供いただき、薪割りに励んで1年余り、薪は合計236束です。目標の250束には達しませんでしたが、思い残すことなく力を出し切ることができました。不足分(120束ほど)は業者さんから購入します。窯の煙突周辺の竹の伐採も行ない(写真4枚目)、短いサイズの木っ端もたくさんできました。さあ、次は作陶です!
明恵上人の遺訓
コロナ禍の中で心に留めた言葉の一つが、明恵上人の『栂尾(とがのお)明恵上人遺訓』の冒頭「人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)と云七文字を持(たも)つべきなり」という法語です。一宗を起こしたわけではない明恵上人ですが、あかあかと・・・と月を詠まれた明恵上人に心魅かれます。「あるべきように」ではないのです。「あるべきようは何か」と問いかけられています。
青墨の淡い墨で思いを込めて7つの丸を書き、その上に、一文字一文字当時の表記(変体仮名)ではなく、あえて現代の仮名で書きました。
刻字「ようこそ霧生へ」
伊賀市霧生に、刻字作品の看板「ようこそ霧生へ」が設置されました。伊賀上野市内から車で30分、直進すると「メナード青山リゾート」まで5km、右折すると2km先にブルーベリーの丘がある角です。地元の方々とは長年、芸術祭を通した交流があり、お役に立つことができて大変うれしく思います。
霧生の自然をイメージして、文字を緑青(ろくしょう)に塗りました。家で見ていると(写真3枚目)気付かなかったのですが、辺りの緑と同化して目立たないことが判りました。少し朽ちてきたら、色を塗り直したいと思います。よい勉強になりました。柿渋が茶色くなるのを待って、8月になってからお渡ししたので、板の裏には、「令和2年8月 田上早百合 書並びに刻」と書いています。
実技講習会「青白磁の作品つくり」
9月5日(土)、私が所属しているNPO法人Arts Planet Plan from IGAの今年度第1回目の実技講習会「青白磁の作品つくり&工房見学」が、講師の角谷英明氏の名張窯(三重県名張市黒田)で開催され、参加しました。
角谷英明氏は、人間国宝の茶の湯釜師 角谷一圭氏の三男で、三重県文化功労賞を受賞されています。青白磁の作品は、透明感と清涼感があり、高価なイメージですが、私も愛用している向付(高級料亭でも使用されている)があり、丈夫で実用的です。そのお人柄は気さくで、磁土を扱う際の技法の丁寧なご指導だけでなく、長崎の九州産業大学で助手をしている時に青白磁に出会った時の感動や、36歳の時にいくつかの候補地の中で自然豊かな名張の地に築窯された時の思いなど、色んなお話を伺うこともできました。
ノブコ・ウエダさんの公開制作
「風と土のふれあい芸術祭in伊賀2020」(会場:伊賀市腰山の旧矢持小学校) の「アーティスト イン レジデンス」は、8月15日~随時、始まっています。今回選定されたレジデンス作家さんは、京都市大原在住で海外での公開制作の経験も豊富な美術作家ノブコ・ウエダさんです。
9月3日、制作中の会場に伺いました。元校舎の裏庭には、地元のダムから運び込んだ石を積み、ダムによって失われた村の垣根や、希望を象徴した船が組まれているようでした。室内では、近くで採れた植物による「叩き染め」をされていました。私も出品する「かたち展」は10月17日から、その時に完成された作品がどのようになっているか、楽しみです。下の段の写真は、看板担当の私が書いたものです。
8月の活動
猛暑が続きました。新型コロナウイルスは収まらず感染症の再拡大のため「墨翔とその仲間展」が中止、恒例の書道部の合宿もできない寂しい8月となりました。中・高校の授業があったので退屈することなく過ごせたように思います。
短縮された夏休みのお盆の時期を避けて、富山に帰省の途中、どの部屋からも琵琶湖が望めるという「休暇村近江八幡」に一泊しました。いつもならこの時期、湖水浴客で賑わう宮ヶ浜水泳場に誰もいません。朝から湖に足をつけ、特別な夏を実感しました。
厳選して、2つの展覧会に行きました。 1つは、木工作家 もりたいよしこさんの個展「宇宙の響き」(写真)、アートスペースTARN(天理市)で開催されていました。自作のライヤーによる演奏と声による音楽パフォーマンスもされますが、この度は平面作品です。会場のガラスや壁面に直接描かれたもの(搬出時に復元)や、「あなたから感受したもの 声と絵であらわします」というコーナー(写真2枚目左)もあり、その右はそれらの作品です。写真4枚目は、私を前にして描いてくださった作品です。
もう一つは、延期されていた奈良国立博物館の「よみがえる正倉院宝物」です。素材や色が本物よりわかり易く展示されており、天平時代の技術の高さに感服しました。現代の匠たちの技を結集して復元された豪華な「螺鈿紫檀五弦琵琶」、その音色が会場を出た後も、私の脳裏で響いていました。
暑い時は旅行に行くか、篆刻や読書をするつもりでしたが、巣籠もり環境を快適にするために、庭に板石を敷き、工房にエアコンを取り付けました。写真1枚目は、工房から撮ったものです。エアコンのスペース確保のために棚を移動し、エアコンの下に学生時代の作品を飾りました。「ほのかにいろづいていくこころ」と書いた陶板は、書道科に学びながら、工芸的な表現を試みていた私の陶作品の原点!です。書の籠字を取り、陶板の土(白土)に弁柄を混ぜた土(赤土)を用いて「象嵌」したものです。
蝉時雨の中、工房で溜まった作品の整理をしていました。捨てることで、次の作品の構想が次々と見えてきました。
近江八幡 再訪
近江八幡には、2年前の秋に研修旅行で訪れましたが、台風に見舞われ、短時間の滞在となっていました。傘をさした記念写真は残っていますが、その時から、もう一度行きたいと思っていました。特別に旅行の計画のないこの夏、富山に帰省する途中に再訪しました。
近江商人の守護神「日牟禮(ひむれ)八幡宮」前に駐車すると、その一帯は懐かしさの残る街 近江八幡そのもの、目の前には昼食をとった「たねや」さん、そのお向かいは木漏れ日に包まれた赤煉瓦の「クラブハリエ」、写真1枚目はこの近くの白雲橋からの風景です。堀縁に下りて(写真2枚目)、お堀めぐりの船に乗りました。写真3枚目のレトロな建物は元学校だった「白雲館」(今は観光案内所)、ここから江戸時代の街並みの面影が残る新町通りなどを散策しまた。写真4枚目は西川庄六邸の古い看板、そのお向かいの西川利右衛門邸は内部が公開されていました。写真5枚目の「見越しの松」の奥に見えるのが八幡山です。
翌日は、たねやグループのフラッグショップ「ラ コリーナ」に行きました。写真1・2枚目は屋根一面が芝に覆われたメインショップ入り口、この建物を抜けると広大な田んぼに今年は一面のマリーゴールドが咲いていました。その右側(写真3枚目)は、銅屋根の本社棟と焼きたてのカステラを販売する草屋根の建物、栗の木の柱がたくさん立つ店内にはカフェもあり、お菓子に使う卵を使ったオムライスをいただきました。
これらの建築は、モザイクタイルミュージアムを設計した藤森照信氏の作品です。嬉しいことに、2年前にはなかった小さな土塔が3つできていました。5枚目の写真は、草屋根の回廊(写真4枚目)から土塔正面を撮ったものです。この右側の土塔の小さなドアを開けて中に入り、閉めてまた開ける、小さな子供に人気です。また、回廊の突き当りにもドアがあり(下の写真4枚目)、こちらは別のドアから外に出れるようになっていました。
伊賀での法人活動
8月15日・16日は、NPO法人Arts Planet Plan from IGA の活動拠点「MORITAI造形アトリエ(伊賀市伊勢路)」に宿泊して、充実した法人活動を行ないました。自主活動グループ「粘土カフェ」は、穴窯焼成に向けて2日間の「作陶会」を実施、のべ11名の参加がありました。
私は事務局員なので、1日目午後は、作陶会を抜けて会議でした。10月に実施予定の「風と土のふれあい芸術祭in伊賀2020」のポスターやチラシなどの封入作業もしました。
明け方は少しひんやりする夏の青山高原です。早起きして、希望者5名でブルーベリー摘みに行きました。アトリエから車で20分くらいの所にある「四季の森 やもち ゆめ倶楽部(伊賀市霧生)」の畑です。毎年行っているので、大粒ばかりを狙います。籠は腰に巻いてくださるので、片手で枝を持ち上げ、下から大粒を食べたり摘んだりするのです。この日は800g(800円)取りました。
作陶会2日目の午後は、再び抜けて「風と土のふれあい芸術祭in伊賀2020」の説明会、準備から参加です。芸術祭会場となる伊賀市矢持地区市民センター(旧矢持小学校)の、今年は体育館で行ないました。思ったより参加者は多くありました。(写真3枚目)
できる限りのコロナ対策を講じ柔軟な対応をしながら、芸術祭の準備を粛々と進めています。写真4枚目は、芸術祭会場の屋上です。豊かな自然が今年も私たちを迎えてくれています。
7月の活動
長い梅雨でした。例年なら7月の授業は1週目までですが、非常勤で勤めている奈良学園の夏休みはお盆前後2週間に短縮され、通常授業を行ないました。ドア、水差しや椅子の背もたれの消毒など、コロナ対策をしての対面授業です。写真は、中一(書写)の授業です。楷書の字形の特徴と「永字八法」を学んだ後、この日は各自の名前を書いています。高校生(芸術科書道)は、王羲之『蘭亭序』の臨書をしていました。
奈良女子大学書道部の活動はストップしたままです。新歓もできず、合宿で切磋琢磨することも、学祭での書道パフォーマンスでチームワークを発揮することも叶わないようです。
書のグループ展「墨翔とその仲間展」を、来月に延期していましたが、新型コロナウイルス感染症の再拡大のため、中止となりました。DM(写真)を送ろうとしていた矢先の決断でした。刻字作品2点を含む新作8点の準備も進んでいたのですが、残念です。
「墨翔」に参加して、6年が経ちました。毎年、担当壁面10m余りに何を表現することができるかという挑戦は、プレッシャーでもありますが、私の平穏な生活に張りを与えてくれます。仲間がいること、締め切りがあること、そして大好きな書道の授業を共にできることは幸せなことなのだと、つくづく思うこの頃です。
「穴窯焼成」に向けて
7月18日(日)は、NPO法人Arts Planet Plan from IGA (伊賀市伊勢路)の定例活動日でした。私が担当している陶芸グループ「粘土カフェ」の参加者は5名、10回目となる「穴窯焼成」に向けて、薪割りを行ないました。写真2枚目右の「庵プロジェット」さんは、4名で活動されていました。
当初は、窯詰め・窯焚き共に今年12月の予定でしたが、今年に限って私の授業が12月25日までとなったため、日程の変更を余儀なくされました。窯詰めは12月26日~29日、窯焚きは新年3日~7日です。また、これまでのような賄いを行なわず食事は持参か宅配とし、当番制で行なうなど、コロナ対策を出し合っています。※チラシ
これまでは毎回、作品が窯いっぱい集まるか、安全に実施したいが人手は確保できるか、焼成費は足りるか、と思い悩みながらも前向きにやってきたのですが、この度はコロナと年末年始という状況です。10回目を成功させたいという強い想いと当時に、不安で沼に落ちていくような気持ちになることがあります。
細水指
食器・陶作品の金継ぎや色漆による繕いは、自宅でできるようになりました。この頃は、蒔絵師の先生に陶プラス漆の技法、漆の器の繕いの指導を受けています。
写真はその1つ、穴窯焼成による中置き用の細水指です。黒の蓋に合わせて、縁に黒漆を施したいと思いました。元々は割れていなかったのですが(写真1枚目はさび漆、2枚目は黒漆)、作品より少し長い柱状の支えに浮かして裏の作業をしようと逆さまにした時、ドンと口が机にあたって割れてしまいました。居合わせていた人達はびっくりです。細かく割れた破片を探してくださったものです。先生にはおっちょこちょいはお見通し、はい田上さん金継ぎ~!とおっしゃいました。複雑な金継ぎ模様があるのは、このためです。
額装の書作
こちらの書は、吉川春陽堂さんで裏打ちをしてもらった後、画材店アイボリーさんでマットカットをしてもらい、額装にした作品です。写真は、本紙のみです。
「明日は御座なく候」は、蓮如様の言葉です。「今しか、本当に大事なことに目覚める時はありませんよ」と諭されています。バックの淡墨の面に交差するように、銀色のクレヨンでグッと線を引いてみました。真宗門徒の私の強い意志と思ってください。
「紅梅や 枝々は空 奪ひあひ」は、鷹羽狩行(しゅぎょう)さんの句です。紅梅の紅色、枝振りのおもしろさ、その背後に早春の青い空が広がります。少し滲む程度の濃さの青墨を使って書きましたが、マットはあえて画仙紙と同じ生成りにし、色を使いませんでした。「奪ひあふ」ではなく、「奪ひあひ」なんですね、、、。いつの日か、俳句が詠めるようになりたいです。
6月の活動
コロナ禍で閉ざされていた活動が緩和され、金継ぎ教室・お茶の教室が再開、6月1日から奈良学園も新学期が始まりました。今年だけ二期制となり、夏休みや冬休みが短縮されます。窓やドアを開放しエアコンを入れ、初めの2週間は分散登校でしたが、3週目から通常通りとなりました。今年は、週2日(8時間)の勤務です。皆マスクを付けているので表情の判り難くい授業となっていますが、生徒たちは嬉しそうに登校してくれていると思います。
奈良女子大学の課外活動は全面禁止、書道部員とはラインでのやり取りのみです。大学の前期の講義は、実験や実習以外はオンラインで行なわれているそうです。
奈良公園の人出は平日などは特に少なく、海外の観光客でにぎわっていた時には埋もれていた鹿が、こんなにいたの?!と思う程たくさん見られます。ゆったりとしていた古都の風景が戻ってきたように思います。写真は、東大寺大仏殿を望む大仏池付近です。
清水直子展
6月25日(木)、3ヶ月ぶりに電車に乗り、地下鉄「谷町六丁目」駅から徒歩3分の「楓ギャラリー(大阪市上本町)」に行きました。「風と土のふれあい芸術祭in伊賀」で知り合った彫刻家 清水直子さんの個展でした。このギャラリーは、築100年の町家を改装したシンプルでスタイリッシュな空間ですが、この度は、入り口(写真1枚目)右に続く塀に「ヲロチ」をイメージした平面の作品と庭に木彫「ヲロチ」、特別に屋外展示に抑えての個展とされたそうです。屋内はガランと空いており、高さ20cm程の小品2点のみ棚に置いてありました。(写真5枚目はそのうちの1点)
清水さんは、若いころ大工のバイトをされたそうです。当時、女性の大工は珍しかったが実績で評価してもらった、大工をしてから造る作品が大きくなった!と言われ、なるほどと感心し元気をもらいました。展覧会会場で、人とお話しするのも3ヶ月ぶり、とても新鮮でした。リモートワークやオンライン講義の良い点もあると思いますが、集うことに魅力があり、そこで生まれる新しい力は個々人に作用するにちがいないです。
掛け花入れ
穴窯での焼成は、釉薬を掛けませんが、自然釉や緋色(スカーレット)が出て味わい深いものです。ただ、窯詰めの時に気を付けてはいますが、成形の時に開けておいた穴に金具をつけると、思ったような景色が正面にこないことがあります。このような時は、穴を「さび漆」で埋め、「色漆」でなじませるところまで自分でし、友人の陶芸家に新たな穴を開けてもらっていたのですが、自分でしたい!と挑戦しました。彫刻家・木工作家・美術教師の仲間が多いので、こんな時は恵まれています。「万力」というもので作品を固定し、ドリルの使い方を教えてもらいながら、思った位置に穴を開けることができました。ドリルのコンクリート用「ビット」だけは、自前です。
写真4枚目は、工房の一角、私の筒状の掛け花入れの一部です。藁を巻いて焼成したものもあります。私の書作の横にスイハツに吊るし、野の花を飾っています。
散策
奈良学園(大和郡山市山田町)に通う途中に「奈良県立大和民族公園(大和郡山市矢田町)」があり、一度行きたいと思っていました。公園内にある「奈良県立民俗博物館」は、耐震補強工事のため休館中でしたが、公園は再開されており、里山の風情を残す26ヘクタールにも及ぶ敷地は三密になりません。県境を越えての移動が可能になって久しぶりに来てくれた子供や孫たちと、一緒にお出かけするに、この時期ぴったりの場所でした。
整備された菖蒲園ではいろいろな種類の菖蒲が咲き、珍しい泰山木の白く大きな花も見ることができました。私の興味は古民家集落です。県内各地域の茅葺き屋根など、様々な建築様式の江戸時代の伝統的な家屋(民家・土蔵)11件(15棟)を移築してあり、内部も見学することができました。
家にいて時間が充分にあった効用か、歩くことが楽しいと思えるようになりました。車では見えない自然の変化、小さな発見を肌で感じることができます。
観光客気分で、近鉄奈良駅から→ならまち界隈の散策→一の鳥居を通って→ お茶の教室(水門町)まで歩いたことがありました。刻字作品を制作中だったこともあり、骨董品屋さん、和菓子屋さんなどの刻字の看板の写真を撮りながら歩きました。写真は一部、歩いた順です。最後の写真は「寧楽美術館」「依水園」です。
5月の活動
「つれづれなるままに、ひぐらし・・・」が続いていました。新型コロナウイルス感染のリスクを負いながら働いてくださっている方々に感謝しながら、できることをして過ごしていました。
鳥のさえずりで目を覚まし、5月は毎日のように庭の手入れをしました。草茫々だった庭ですが、だいぶ奇麗になりました。制作や読書は気ままなもので、飽きると庭を眺めたり、お台所に立っては、せめて美味しいものでも食べようと食事作りです。早く生徒や学生と会って書道がしたい、庭でのパーティはいつのことかと思っていました。
お籠もり生活の楽しみは、友人とのメールや電話、孫とのビデオ通話でした。写真1枚目は、こんなお料理を作ったよ、と送られてきた子どもの日の春巻き。断捨離した不用品、要らない?などの情報交換もあり、発表の機会がないままの作家仲間とは、制作中の写真をやり取りして励まし合っていました。
ご近所でいつも旬のお野菜をいただいているお宅(写真2枚目)までの散歩と、広い畑での収穫のお手伝いは、気持ちのいい気分転換のひと時でした。薫風かおるこの日は、カモミールがたくさん干してありました。遠隔授業やオンライン飲み会などはまだ導入できていませんが、法人活動の事務局会議がグループビデオ通話で行なわれたことは、私には驚きでした。
刻字
写真1枚目は、彫り終わった「ようこそ霧生へ」の刻字に、柿渋を1回塗ったところです。板は檜(ひのき)、大きさは幅120cm天地24cmです。後の方に置いている杉の刻字は、彫り始めた「知足」です。
柿渋は3回塗り、紫外線に当てたほうが良いというので、お天気の良い日は濡れ縁に出しています。少し茶色く変色してきたところで、緑青色に文字を塗りました。
こちらは、友人に頼まれた表札(幅32×天地9cm)です。名字だけ2文字、ちょっと急ぐ、と言われて少し横長の古い屋久杉を預かりました。特に急いでいないようでしたが、そう言わないと、私がいつまでもやらないとわかっているのでしょう。横長のサイズに合わせて隷書で書きました。(写真1枚目)
杉は柔らかいので、点画が交差しているところの余白が飛んでしまいそうでした。刀の歯をたびたび研いで彫りました。10日程度ででき、届けたらすぐに、写真(3枚目)が送られてきました。
五風十雨
本来なら、5月の連休のグループ展に発表しようと思っていた書作「五風十雨」です。出典は『論衡(ろんこう)』、「五日にして一たび風ふき、十日にして一たび雨ふる」です。五日目ごとに風が吹き、十日目ごとに雨が降る、気候が穏やかで、世の中が平穏無事であることのたとえです。墨色にこだわり、災害がないようにと、にじみに願いを託しました。
表具師の吉川春陽堂さんと相談して選んだ淡墨と同系色の裂(きれ)は、織にムラのある古い絹です。
薪割り
春の雨が上がった5月17日(日)、途中のコンビニなどには立ち寄らず、県境をまたいでNPO法人 Arts Planet Plan from IGA(伊賀市伊勢路)の活動拠点「MORITAI造形アトリエ」に向かいました。自主活動「粘土カフェ」の定例活動日でした。三密がないとはいえ、メンバーには活動へのお誘いはできません。4月は中止の連絡をし、5月は一人で薪割りをします、とお知らせしていました。
自身の判断で地元のメンバー1名が参加してくださり、二人で、草刈りの後、薪割りをしました。間伐材を薪のサイズにチェンソーで玉切りにする時は、防護用のズボン(チャップス)とヘルメットの装備です。運動不足の私は、久しぶりに気持ちの良い汗をかきました。薪束が13束でき、合計121束(写真2枚目、薪棚の右)になりました。予定の三分の一程度です。
4月の活動
新年度が始まる前にと思って、故郷富山県入善町に帰省していました。実家のお茶室は、この時期なら「吊り釜」か「透木釜(すきぎがま)」だろうと期待していましたが、透木釜(写真1枚目)と五徳が、ご用が済みました、とばかりに置いてありました。透木釜は、五徳を取った炉に、通風をよくするために炉壇の左右に拍子木型の木片(透木)を置き、この木の上に釜の羽根を乗せて釜を支える、風情のあるものなのですが、、、来月の茶会「茶入れ飾りのお点前」の練習(写真3枚目)のために、一足早く風炉になっていました。(この後、間もなく、お稽古はお休み、茶会は延期となりました。)
新型コロナウィルス感染症対策のため、非常勤で勤務している奈良学園は休校です。新年度のご挨拶と家庭学習の課題の連絡に、2度だけ学校に行きました。
授業だけでなく、奈良女子大学書道部、お茶・金継ぎ教室、法人活動などが自粛となり、食料の調達は、普段から生協とよつ葉の宅配のため、スーパーのレジに並ぶことも少なく、ほとんど家にこもっていました。時間が充分にあり、家の片づけや庭の手入れ、散歩が日課となりました。
写真1枚目は、依頼に応じて制作中の刻字「ようこそ霧生へ」です。伊賀市霧生の路上に掛けるとのこと、彫り上がったら、余白は防水性のある「柿渋」を塗る予定です。
写真2・3枚目の淡墨の作品は、共にMO判(約70×約90cm)の額に入れました。故郷の日本海を思って書いた「海」、赤富士のイメージでマットを落ち着いた赤にした「不二 この世にて会えてよかった君と富士」です。
漆による繕いを、乾き具合を見ながら毎日少しづつやっています。写真は、砥の粉に水と生漆を混ぜて作った「さび漆」を施し磨いたところ、脚の高さをそろえるため、穴を塞ぐため、口の欠けの繕いのため、口にぐるりと漆を塗るためなど、ごく一部です。金継ぎ教室に行くと3時間ですが、一人だと細かい作業は続かず、特に締め切りもないせいでしょうか、これまでの作品の整理や工房の掃除などをして、気の向くままに過ごしていました。
石田歩のスケッチ作品展
4月6日(月)~、弟 石田歩(宇治市在住)がスケッチ作品展をしているというので、9日(木)、宇治市役所近くの生涯学習センターに行きました。開放的な一階ロビーでの展示でした。人が来なくてな、三密がないのよぉ、と笑って迎えてくれました。
私とは正反対の無口な弟ですが、宇治市には観光や産業があっても美術館がなく、アートに対する意識が低くて、、、などという話はします。ゆっくりしていると、夕方、市の職員の方々が来られて、明日から閉館というお達しがあったとのこと、私が最後のお客となりました。
作品は、インクと水彩を用いて描かれたスケッチ12点でした。彼が主宰しているアートフォーラム宇治の「宇治を描くスケッチ会」で、6年前から現場制作した作品群の中からの展示です。
旅先でも古い建物や路地を好んで描いており、なくなってしまう前に描いて残しておきたい、と思うそうです。3枚目の鳥居は確かに木製のようですが、台風で倒壊、今は鉄製だとか。名所というより、ごちゃごちゃしている自転車・電線・枝・看板や瓦などを描くのが好きみたいです。
<宇治には、描いておきたい風景がある。楽しく描く仲間がいる。>というタイトルのスケッチ会の案内
このチラシに添付された写真は「冬枯れの興聖寺」です。私も宇治茶まつりの時、訪れたことのある禅寺です。作品のキャプションには、― 2月の寒い日、葉の落ちた枝をひたすら描く。建築見学には冬がよいとは、建物がよく見れるから。お寺の裏山が傘のように覆いかぶさっていることに気付く。― とありました。
早春の故郷
4月1日~帰省していました。写真は、故郷富山県入善町と、隣の朝日町との境を流れる「小川」の桜並木です。280本あるそうです。桜は満開、そして背景は北アルプス立山連峰です。残雪は、この4・5月が特に美しいです。川の水は清く、少し強い風がまだ冷たく感じられました。付近には、桜の開花に合わせて極早生のチューリップ畑が広がっており、早春の故郷の風物詩です。
映画「少年時代」 に、この土手で子供たちがけんかをするシーンがあります。この日と同じ、桜と残雪が印象に残っています。この映画は主題歌の方が有名ですが、映画の原作『長い道』は、著者 柏原兵三氏が父の故郷入善町に疎開していた時の体験を小説にしたものです。
3月の活動
写真は、私がお茶のお稽古に通っている教室小西家(東大寺にほど近い奈良市水門町)の床です。3月1回目は一刀彫のお雛様が飾られ、3月2回目の設えです。お軸は上司海雲師の「華厳」、主菓子は「二月堂椿」、この日のテーマは、厳修中の東大寺二月堂修二会(お水取り)です。嬉しいことに、花器は私の作品です。穴窯から出した時に縦にヒビがあり、赤い漆で繕ったものです。
修二会の準備の1つに、練行衆(こもりの僧)が赤・白・黄色に染めた和紙で椿の造花を作る「花こしらえ」があります。大量の造花の椿を本物の椿の枝の先にさし、本行で二月堂本尊の十一面観音に供えられます。この煤にまみれた椿を少しずついただかれたそうです。この時期に、本物の椿の枝にさして、床に飾ってくださいます。
3月2日から急に休校となり、最後の一週間の授業ができませんでした。高校生は大事な2時間でやりたいことも伝えたいこともあったので、残念でなりません。中学生は、一年分の提出物を手分けして返却し、各自で綴じて振り返るはずでしたが、生徒なしで5クラス分の提出物を綴じました。写真は、中一書写の行書の学習のまとめとして書いた色紙などの展示と、生徒のいない書道室です。
成績入力後、少し早い春休みになりました。雑然とした工房では、野焼きの作品作り、その作品や磁印の素焼き(写真2枚目)、漆による繕いなどをしていました。写真3・4枚目は、銀継ぎをした花入れ、8月に野焼き焼成した水滴に漆をあしらって変化を付けてみた作品です。
書斎では、古墨を磨って墨色を試しながら、淡墨による作品制作をしていました。「墨翔とその仲間展」は、新型コロナウィルス感染症が拡大している状況を受け、8月に延期することとなりました。
青䖸窯の窯出し
3月29日(日)、陶芸家 松元洋一氏の青䖸窯(奈良市鉢伏町)の窯出しのお手伝いに行きました。写真1枚目は、正面の焚き口から見える分岐柱の向こうにある作品です。窯は中に立って入ることができるくらい大きく、窯出し途中で窯の中に入れてもらって、焚き方による還元・酸化などの変化を説明してもらいましたが、よくわからず、、、。窯変や赤く表れる緋色の美しさに圧倒されるばかりでした。
写真2枚目は起こして立てると1mもある花入れ、3枚目は小物の棚の一部、4枚目は直径が1m以上もある大皿です。
第2回「野焼き焼成」
NPO法人 Arts Planet Plan from IGA (伊賀市伊勢路)の陶芸自主活動グループ「粘土カフェ」は、昨年8月に続き、2回目の「野焼き焼成」を実施しました。開放的な野外の活動のため、中止や延期をすることなく、予定通り行ないました。灰で鼻の中が真っ黒になるのでマスクはコロナ対策でなくても必需品です。
写真は、3月22日(日)の窯詰め・焼成の様子です。一般の参加者も含め152点の作品を焼成しました。燃料は、薪にならないまま放置していた木や枝、不要になった藁や板などです。火入れは11時半、約3時間燃やし続け、夕方、一旦解散しましたが、鎮火した窯から少しでも煙がないか、夜10時過ぎまで、時々窯を見に行きました。
写真1枚目は、翌23日朝、トタンを取った時の窯の様子です。午後3時頃から、窯出しを行ないました。この度は、多くの作品は素焼きをしないで焼成しました。それは本格的ですね!と言ってくださった陶芸家の方もありましたが、やはり細かい細工や持ち手の部分など、割れていました。かけらの1つでも見つけるべく、窯出しは発掘現場のようでした。
粘土カフェのメンバー、法人会員、一般の方々、春休み中の小学生の参加もあり、2日間の参加者は、のべ25名でした。
写真は、私の作品の一部です。水滴・墨床・筆洗などの文房具や、陶板、前回の焼き直しの作品を焼成しました。籾の中に入れた作品は黒陶のような焼き上がりでした。黒く光っている部分は、生渇きの時にスプーンで磨いたところです。
東大寺二月堂修二会
3月1日~、東大寺二月堂修二会の本行が始まりました。今年1269回目、天平勝宝4年(752年)から戦時中も途切れることなく厳修されている、尊く有難い法会です。近いので、昼夜何度
か参拝しました。9日午前中は、毎晩お松明を持つ童子さん達が韃靼(だったん)のお松明を作っておられました。写真2枚目は、この日の生飯(さば)投げ、この食堂(じきどう)に、籠松明と韃靼のお松明(3日分3本)が並んでいます。※12日深夜の「お水取り」の写真(写真家の方にいただいたもの)
新型コロナウィルス感染拡大の影響もあり、例年の三分の一程度の参拝者だとのこと、換気のため、本堂での行の最中は、局の扉が開けられていました。この局に座り、「悔過作法」「数取懺悔(さんげ)」「神名帳」「走り」「五体投地」などを聴聞しました。先導役の大導師 上司永照さんの声は特に美しく堂内に響きました。「大導師作法」の「諷誦文(ふじゅもん)」では、古くから伝わる文章に、新型コロナウイルスの早期終息や、かかった人の平癒を願う言葉が加えられて唱えられたそうです。
2月の活動
2月の在宅日は、5月にあるグループ展「墨翔とその仲間展」の作品制作をしていました。墨翔のメンバーには、色を使ったり絵を添える方がいるのですが、どちらもできない私は、色なら墨の色の美しさを出そうと思い、淡墨の作品に取り組んでいました。
先ず、筆(羊毛)と硯(端渓)を時間をかけて洗い、次に、墨をどろどろになるまで磨ります。室温が低いと膠がゼリー状に固まるので厄介でした。水を加えて濃さを調節します。筆を執ると、一文字を書くのに、写真1枚目の「海」なら15秒ほどです。(2枚目は、「五風十雨」の一部) この15秒のための用具用材の選定や準備が、書作の醍醐味だと思います。紙は、滲みが出るように紅星牌ブランド「棉料綿連」です。墨は、奈良の墨ではなく鈴鹿市でしか製造されていない「竹油煙墨」、手持ちの古墨(写真4枚目)などをいろいろ試しています。
青䖸窯の窯焚き
2月23日(日)~7昼夜、旧知の陶芸家 松元洋一氏の「青䖸窯」(奈良市鉢伏町)では、大窯(穴窯)の窯焚きが行われていました。薪窯は、年間何度も焚く小窯と、年に一度2月に焚く大窯と、2つあります。大窯焚きには、毎年、元内弟子や作品のフアンの方達が全国から集まります。私は、何度か見学に行くついでに、買い出しを頼まれ、食事のお手伝いなどもしました。
薪を投入すると、窯はゴオーと音を立て、ろうそくと言われる穴から炎が噴き出します。( 写真1枚目) 写真2枚目は、窯の正面、奥の両脇では小割にした薪を6か所の穴に投入する「間焚き」の最中、写真3枚目は「間焚き」を近くで撮ったものです。正面からの薪の投入と「間焚き」の併窯、特注のスコップ5本を使って燠(おき)を作品にかける「燠掻き」(写真4枚目)を繰り返す、独特の窯焚きが繰り広げられていました。
鋳造工房見学
2月15日、所属するNPO法人 Arts Planet Plan from IGA主催の今年度第4回講習会「茶釜鋳造 工房&資料館見学」に参加しました。工房は明治18年創業の「角谷一圭工房」(東大阪市高井田)、資料館は工房から徒歩5分ほどの所にある「人間国宝角谷一圭記念 深江郷土資料館」(大阪市東成区深江南)でした。
角谷一圭といえば、茶道界では知らない人がいない茶釜師です。そのお孫さんにあたる4代目角谷圭二郎氏(写真1枚目)が、使っている道具や技法などを丁寧に説明してくださいました。写真2枚目は、廻し型を使い、砂と粘土を混ぜ合わせた土で鋳型(いがた)を造っているところです。この時、鐶付(かんつき)の型もはめ込み釜肌に成形されていました。この鋳型は、上下2つ(写真3枚目)です。写真4枚目の中央に座っている二人は、釜の表面の模様をつける体験中です。下絵のある薄い紙が水で張られており、へらを使って押しています。
鉢状の鋳物の鋳込みの実演をしてくださいました。(写真1~3枚目) 1500度に溶解した鉄が流し込まれるところを間近で見せていただき、歓声が上がりました。仕上げは、漆を塗って焼くそうです。
吉野町へ
再生紙を用いて自ら作った和紙をベースとしたミクストメディアの作品作りをされている播間多月弥生さん(大阪在住)のお誘いを受け、2月11日、奈良県吉野町を訪れました。吉野は遠い山奥と思っていましたが、案内された吉野町大和上市の河川敷駐車場まで車で1時間10分、思ったより近い所でした。穴窯仲間の井之川さんと3人の日帰り女子旅です。
この日は上市の初市(初えびす)で、街道沿いには屋台も出て賑やかでした。集合場所は蛭子神社(写真1枚目)、横から何度見ても奥行きのない小さな神社でした。写真2枚目は酒屋さん、3枚目は空き家になった古民家です。
多彩なイベントのうちのアート展を見てまわりました。元料理旅館を改装した「三奇楼」(写真1枚目が入口、2枚目は吉野川を望むデッキにて)や古民家などが会場となっていました。民家の土蔵で展示されていた吉野漆器も興味深いものでした。黒漆の地に朱漆で木芙蓉などをモチーフにした装飾が器面いっぱいに描かれた「吉野絵」のお椀やお盆などを鑑賞しました。
女子旅には欠かせないランチをいただいた後、上市の中心街から車で10分ほど東にある「植和紙工房」(吉野町南大野)にお邪魔しました。主に、掛け軸の総裏紙(写真1枚目)を作っておられるとのことです。 播間多月弥生さんは、先月に和紙の原料となる楮(こうぞ)を刈る→蒸す→樹皮を取る体験をされて2度目の訪問、6代目の植浩三さんに和紙作りのアドバイスをもらっています。私達にも親切に、工程の一部を実演してくださいました。写真4枚目は、楮の樹皮を剥がした後の、不要になった芯の部分です。
この辺りは、「国栖(くず)の里」と呼ばれている自然豊かな地域で、伝統的な手漉き和紙や割り箸などのものづくりの里です。歴史は古く、古事記や日本書紀にも記載があるそうで、浄見原(きよみはら)神社では「国栖奏(翁の舞)」が奏奉され伝承されています。懐かしさを感じる静かな集落でした。
1月の活動
18日(土)、奈良県吉野郡川上村にある「匠の聚(むら)」に、在住作家 小川こころさんの個展を見に行きました。写真は、そこから帰途10分ほど車で走った所で、きれいな景色だと思って車を停め、撮ったものです。後で調べたところ、吉野町窪垣内(くぼがいと)という所、近くには吉野和紙の工房があり、私は行けなかったのですが、友人が楮(こうぞ)刈りを体験したあたりのようでした。
三学期の授業は、1月15日から始まりました。19日(日)は、お茶の教室の初釜と薪割りが重なりました。連絡がきた時は、薪割り参加者が誰もなければ初釜に行ける、行きたいなという気持ちもありましたが、新年になって、たとえ一人でも薪を割る!と決めました。そんな覚悟で、私は和服をあきらめ、いつ捨ててもいい作業着で仲間とともに、薪割りをしました。12月の「穴窯焼成」は10回目、「里帰り個展」とともに、今年の私の大事な行事です。
書のグループ「墨翔」の集会
1月24日(土)、大阪府立市岡高校の書道室をお借りして、「墨翔」の集会がありました。5月の連休に奈良県文化会館で行なうグループ展「墨翔とその仲間展」の打合せと作品の見合いでした。今年は、墨翔メインメンバーは4名(70歳代)、その仲間として、60歳代4名、学生1名、若者(20歳代・30歳代)6名、総勢15名で行なうことになりました。
私は、刻字の作品2点の草稿を見てもらいましたが、メンバーの持参する作品の数量は多く、私は筆を持つ時間が圧倒的に少ないと感じました。展示個所の割り振りもしました。一人あたりの壁面は10m余りもあり、新作ばかりの発表です。よい刺激をもらいました。
「庵プロジェクト」と「粘土カフェ」
1月19日(日)は、NPO法人Arts Planet Plan from IGA 自主活動グループの定例活動日でした。法人内には、自主活動グループは2つあり、「庵プロジェクト」と私が主担当の「粘土カフェ」です。この日は、賄いをしてくださる会員があり、ロールパンと豚汁、前日の鍋の残りにうどんという組み合わせの昼食を、11名でいただきました。
「粘土カフェ」の参加者は3名、今年12月の穴窯焼成に向けた薪割りを行い、18束の薪ができました。薪束は、合計100束になりました。庵プロジェクトさんの方は、そろそろ柱が立ちそうですね!
初釜
3学期の授業が始まるまでの間、故郷富山に帰省していました。母が亭主の「夢想庵」の初釜(お稽古茶会)をしていたので、同席しました。(写真1・2枚目) 金銀の島台茶碗やおめでたい意匠のお道具、炭点前などを見ていると、新年らしい気持ちになる、そんな茶室の時空が好きです。
12日は、母と京都へ。母が裏千家「今日庵(小川通寺之内上る本法寺前町)」の初釜に出席のため付いて行き、私は界隈をぶらぶら、茶道資料館などを見て待っていました。写真3枚目は、今日庵を下ったところにある表千家不審庵の入り口、写真4枚目は新春の風情のある道具屋さんです。
初詣で
毎年、大晦日から元旦は、東大寺大仏殿正面の唐破風(からはふ)下の観相窓が開けられ、外から大仏さんのお顔を拝することができます。写真1枚目は、大仏殿の中門のあたりから撮ったものです。
母が奈良に来た時には、浄瑠璃寺(京都府木津川市加茂町)に参拝しました。拙宅からほど近い所(北東へ9km、車で15分くらい)にあります。この辺りは、鎌倉時代の石仏や石塔が点在するのどかな「当尾(とうの)の里」です。
境内は、中央に大きな池のある浄土式庭園で、池は梵字の「阿」をかたどっているそうです。池の東岸の高台には国宝の三重塔があり、内陣には薬師如来が安置され「東方浄瑠璃世界」、写真2枚目は、ここから池の向こう側を撮ったものです。対岸の本堂(国宝)が池に映り、西方極楽浄土の世界を見るように設計されています。本堂は横に長く(写真3枚目)、平安時代の木造阿弥陀如来像(国宝)が9体安置され、九体寺(くたいじ)とも呼ばれています。厨子に入った美しい秘仏 木造吉祥天立像も公開されていました。
年のはじめに
庚子の歳が始まりました。今年の年賀状です。(クリックすると大きくなります。)
子供たちが独立してから、職業も社会的な活動も制作も、思う存分できるようになりました。特に昨年は、企画運営に協力している「大仏書道大会」が第10回展となり、歳月の経つのは早いものだと思いながら、よい働きの場を与えられていることに感謝の気持ちと同時に、感慨を覚えました。また、書のグループ「墨翔」や伊賀でのアート系法人活動など、私の人生の「白秋」は、よい仲間と機会に恵まれています。静かに学び、元気に行動したいです。今年も よろしくお願いいたします。