12月の活動
2学期の授業は5日まででした。 写真は、中一が行書で書いた奈良学園の校訓「至誠力行」と、隷書体で好きな語句を書いた高一生のカレンダーです。
中学生は、9月から行書の学習を始めました。以前、カルチャーセンターで硬筆講座の講師をしたことがあり、その時、多くの人が、義務教育で行書を学んでいないことを知りました。そんな使命も感じながら、学べば早く書けて美しく読み易い、実用的だから一生使えるよ、と言って、先ず、行書の5つの特徴を示して頭で理解、頭と手を連動させなさい、と指導に力が入りました。手本がなくても書けるように、毛筆でわかりやすく学んだ用筆を日常の硬筆でも活かしてほしいと願っています。
授業が終わると、故郷富山県入善町に帰省しました。写真は、お買い物に出た時、撮ったものです。故郷のあたりまえの風景です。
もうすぐ91才の母は元気ですが、いなくなったら故郷が遠くなるだろうなぁ、という思いもあり、実家近くの「入善町民会館」で、来年8月に里帰り個展をすることにしました。来年は、この展示の準備と、薪割りに励みます。
薪割り
毎月第三土日は、NPO法人Arts Planet Plan from IGA(伊賀市伊勢路字青山)の事務局会議と、自主活動グループ「粘土カフェ」の活動日です。12月22日(日)、来年12月実施予定の穴窯焼成に向けた「薪割り」を行ないました。薪棚には、今年5月に地元の青山高原別荘地からご提供いただいた間伐材を運び込んであり(写真1枚目)、来年9月をめどにできるだけ薪にしましょう、と呼び掛けています。
この日、前回の焼成で残った薪も束ね直し、薪棚の右から積んでいきました。(写真3枚目)薪束の総数は、82束となりました。夏の薪割り合宿を秋に変更、作陶会・窯詰め・窯焚きなどの日程も決めました。※第10回「穴窯焼成」の日程
乗馬クラブ クレイン三重のレストランの展示
法人活動の根拠地「MORITAI造形アトリエ」から1.2kmほど東に「乗馬クラブ クレイン三重」があります。このレストランに、法人会員の作品を展示していますが、3・4ヶ月に一度の展示替えが私の担当です。12月は、9月に行なった実技講習会(表装)の参加者9名の作品13点(写真)ほかを飾りました。
軸装のものは講師の先生が用意してくださった京千代紙を用い、パネル仕立てのものも伝統にとらわれない様々な紙を使っています。書だけでなく、各々が得意なものを持ち寄って表装したので、バラエティーに富んだ楽しい展示となりました。私の作品は、写真5枚目です。
11月の活動
11月1日~4日は、念願のあまべ邸で久しぶりの個展を行ない、その後、第10回「大仏書道大会」、恒例の奈良女子大学書道部の展覧会と、芸術の秋らしい行事が続きました。それらの準備にはエネルギーも時間も使いますが、当日はいろんな方々との交流が持て、有難く幸せな時間でした。
元気な中・高校生達との授業もあり、月の後半は金継ぎ・漆繕いもしているうちに、辺りは美しい紅葉の季節を迎えていました。写真1枚目は大阪城近くにあるドーンセンターへ「ターシャ・テューダー」の映画を見に行った時に撮ったもの、2枚目は大仏池です。写真3枚目は、大神神社(奈良県桜井市)に完成したばかりの能楽堂です。奉納公演された和風オペラ「大和のはじまりものがたり」を鑑賞しました。
書グループ「墨翔」のメインメンバーの濵上哲氏に、以前から早百合の印を刻してほしいとお願いしていたのですが、個展の時に「自用印譜」を展示していたので、ここに加えたいと、また催促しました。写真は、その嬉しいお返事です。
文は、「紅葉も進んできましたが先の個展の疲れなど残っていませんか 会場ではあなたのエネルギーがよく発揮されていると感じました そこで応援と五月の「大吉祥」印のお礼を兼ねて「SA」に刀を刻してみました 印袴まで作ればいいのですが手がまわりません悪しからず 次回集会に持参します 寒暖差激しいところご自愛下さい 十一月二十日 濵上哲」です。作為の無い「卒意の書」、このような書風は、私の理想です。
奈良女子大書道部「墨香展」
11月16日(土)~18日(月)、奈良女子大学書道部は、学内にある「記念館」講堂(2階)をお借りして、「墨香展」を行ないました。記念館は、正門・守衛室と共に重要文化財の建物で、通常は一般公開されていませんが、展覧会開催中は自由にご入館いただけ、書展だけでなく、趣のある建築と東大寺や若草山の秋の景観も一緒に見ていただきました。
1~4回生18名、顧問の尾山慎先生とOG4名も加わり、講師の私合わせて計24名、46点の作品を展示しました。写真2枚目は講堂入口側、写真3枚目は講堂を入って正面です。会場には、創建当時の木製長椅子があり、それらを4つに固めて十字の通路を作りました。その横の通路に机を出し、写真では見難いですが、折帖の作品(古筆の臨書・写経・歌の共同作品)と横物の創作作品を並べています。
上の段の写真は、左から、隷書・篆書による創作作品4点と、墓誌銘・金文・草書の臨書作品、私の作品2点・尾山先生の作品です。2段目は、大仏書道大会出品作品10点です。下の段は、「100年ピアノ」のコーナーに、小品の創作作品11点、舞台には、横ものの額と隷書の作品、舞台右には合宿で書いた臨書の軸装作品8点を展示しました。
趣のある「100年ピアノ」は、自由に弾くことができ、友人のピアニストの伴奏で、部員達が合唱する場面もありました。
大仏書道大会
全国の高校生・大学生(これに準ずる年齢の若者)を対象に、奈良の思い出や大仏さんに因んだテーマを設け、書作品を募集しました。11月9日(土)・10日(日)、入選作品100点を、東大寺大仏殿西回廊に展示しました。 ※チラシ 事業内容 募集要項
この「大仏書道大会」は、NPO法人「奈良21世紀フォーラム」の主催で、2010年の平城遷都1300年祭記念行事として始まり、その2年前のプレイベントから、私は企画運営に協力しています。今年10回目を迎えました。10回まではと思ってやってきましたが、あっという間でした。今、書道をしている私自身は、若い頃に多くの方々のお世話になっていたと思います。恩返しのできるこのような社会活動の場が与えられ、遣り甲斐を感じています。
講評 | 講評 | 講評 |
講評 | 講評 | 講評 | 講評 |
写真は、入賞作品です。この展覧会の趣旨を理解していただき、選考の理由や作品鑑賞の参考になるようにと思って、それぞれの講評を書きました。
見に来てくださる方々は、作者自身が書いた出品票にあるコメントを読んでくださり、その想いに感動する、と言ってくださいます。こんなに楽しい書展があるんだ、〇〇の作品がいいね、という感想を聞くと、とても嬉しいです。
奈良女子大学書道部員は、展覧会の搬入や受付のお手伝いをしています。席書会には、9名参加しました。
奈良女子大学書道部の書道パフォーマンス
11月2日(土)、奈良女子大学書道部(1~3回生の有志12名)は、学祭の野外ステージで「書道パフォーマンス」を披露しました。前日のリハーサルと当日、私は大阪の個展会場に居たため、4回生数名が写真を撮り、次々と私に送ってくれました。私がいなくても大丈夫だとわかっていましたが、写真を見てホッとし、嬉しく思いました。
学祭での揮毫は6回目です。用紙のサイズは、舞台に合わせて天地2.8m×幅6m、これを2枚が恒例となりました。
あまべ邸での個展
11月1日(土)~4日(月・振休)、久しぶりの個展を行ないました。会場は、「貸集会場 あまべ」(大阪市福島区玉川)、JR大阪環状線「野田」駅・地下鉄千日前線「玉川」駅より徒歩5分という便利な所に、大正時代初期の建物が戦災にも遭わず、落ち着いた佇まいのまま残りました。オーナーの陶芸家 余部一郎氏とは旧知で、何度かあまべ邸での催しに行くうちに、この空間に自作を並べてみたいと思っていました。お越しくださった方々は皆さん、いい所だと先ずおっしゃって、ゆっくり鑑賞してくださったので、想いが叶いました。
門(写真2枚目)を入り、玄関(写真3枚目)までのアプローチ左に、茶室(写真4枚目)があります。玄関を入ると、のれんの奥は「おくどさん」のある吹き抜けの土間です。
和室をなるべく開放的に使おうと思って、できるだけ襖を外しました。写真1枚目は、玄関から見た最初の展示風景です。2枚目は、その右側の展示の様子です。額装の書作4点、スイハツに掛け花入れ、十二支の屏風、そして、奥(玄関)に禅語を書いた軸を展示しました。
下の写真は、毛氈の上に並べた陶作品、穴窯焼成の花入れ・茶碗、文房具(磁硯・水滴・印盒)と磁印です。所属しているアート系の法人活動の一環で、仲間と共に、これまで9回の穴窯焼成を実施しました。失敗から多くを学びながら、苦労した分の感動と共に、穴窯が応えてくれる自然釉や窯変のみられる作品です。窯の中で割れたりひびが入った作品もいとおしく、金継ぎや漆繕いを施しました。
写真1・2枚目は、正面の床です。メインのお軸として選んだのは、福本雅一先生の奥様が織られた紬に書いた「山これ山 水これ水」の2幅です。初めは、裏からスプレー糊を布ってタペストリーとして発表したものですが、この度、同じく紺の紬を合わせて軸装文人仕立てにしました。
対幅の間に入れたスイハツは、木工作家 田村富三さんの作、琵琶湖の船の古材の一部だそうです。自然な穴が斜めになっているので建材ではないと思った、と言われた方がありました。よく見てくださっています。一番お気に入りの花入れを掛けました。
床の右には、穴窯焼成の花器・水滴・水盂・印盒、自宅の電気窯で焼成した水滴・水注などの小物を並べました。その右のお軸は、故郷「後立山」の歌です。今年の春、墨の濃淡で新しい試みをしてみた作品です。
会場の右奥の展示です。床には『利休百首』から3幅、そして風炉先屏風、近作の水指・楽茶碗など、茶の湯に親しむようになったことでできた作品です。書作は、5年前から参加している「墨翔」のグループ展で発表したもの、先輩達が一緒にやろうと背中を押してくださったので、よいプレーシャーを感じながら制作しています。一番右の藍染めの万葉仮名の作品は、若草山のように濃く染めたいと、甕に落ちそうになって浸けた苦心作です。
こちらは、玄関から見て左側の様子です。禅著『無門関』の序文の頌を書き下し文で、金文と片仮名で書いた作品(写真1枚目、左)は、元は2幅の紬のタペストリーでした。同じ織り手の紫系の紬をたして、会場に相応しい小ぶりの屏風に仕立てました。お軸と屏風の表具は、全て吉川春陽堂さん(奈良市今小路町)と相談しながら、信頼してお任せしています。(この右奥の渡り廊下の先に茶室があります。)
庭に面した縁側は、磁印のコーナーです。陶芸を始めてから、石印材ではなく九谷焼の磁土でオブジェを作り、素焼きして、不定形の印面に刀を入れて刻し、施釉、本焼きをして仕上げています。「いろは」「十二支」「図象印」、1字~多字数、たくさん作りました。庭にも作品を置いてみました。
写真1枚目は、渡り廊下の棚に置いた「藝」の小さな書額と筆架・水注です。茶室の中は、つい立て(こちら側は「坐」)、床の左側には、いただいたH形の古材をスイハツに使い花入れなど、床には「陰陽」の軸や水滴(写真6枚目)、長押に刻字の作品(写真4枚目)、「主人公」の軸を置きました。
刻字「山川草木」は、余白は拭き漆、2つの印も漆で仕上げた今年制作した中で一番時間をかけた作品でした。和室の長押に架けて鑑賞できて、嬉しく思いました。
北側の庭に面した部屋に、休憩席を設けました。バックの襖には、4つの短い黒竹のスイハツに掛け花入れを飾りました。また、プロフィール、自用印譜(写真2枚目、クリックすると大きくなります)も展示し、テーブルには、ポートフォリオ(3冊)を置きました。書道以外のジャンルの方とのグループ展ではあたりまえに持ち寄るものですが、書道の人達になじみがなく、このような記録集は必要だ、という声が多くありました。
私の創作活動は、子育てが終わってからで、個展1回目は11年前、東大寺戒壇院近くの古民家ギャラリー「五風舎」、2回目は奈良国立博物館前の「飛鳥園」茅葺ギャラリー、3回目は伊賀市島ヶ原の岩佐邸(旧本陣)でした。2015年には、お花・お茶・フルート演奏という大掛かりなコラボ展を4人の女性で伊賀市に残る旧藩校「崇廣堂」で行ないましたが、個展としては6年ぶり4回目です。師・先輩・仲間の方々に、よい機会を与えてもらって活動ができています。そんな恵まれた環境にあることを、改めて有難く思いました。
10月の活動
10月から大学の後期が始まり、奈良女子大学書道部は、11月2日の学祭で披露する書道パフォーマンスに向けて、週3回、放課後に練習を行ないました。部員達が主体的に行うので、私はダメ出し係のようなものですが、私の個展が学祭と日程がかぶってしまったので、練習にできるだけ出ていました。
中旬に、伊賀で開催していた「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀2019」には、前半3日、後半2日、泊りがけで出かけました。仲間と地元の方が提供してくださる民家(伊賀市霧生)に宿泊、お風呂は近くにある「メナード青山リゾート」の招待券で入浴させてもらっていました。写真1枚目は、霧生の朝の風景です。本当に霧が出ていました。2枚目は、会場までの通り道にある石仏です。
個展用には新たな作品制作はせず、自宅の工房で漆の繕いをし、蒔絵師の先生に何度か見てもらっていました。11月開催の「大仏書道大会」の審査や準備もしながら、会場の都合で、29日(火)に個展の搬入をしました。
「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 2019」
自然豊かな伊賀市の山あいにある旧矢持小学校(伊賀市矢持地区市民センター:伊賀市腰山)をメイン会場として、今年も、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 2019」を開催しました。私が所属するNPO法人Arts Planet Plan from IGA が、この芸術祭を主催する実行委員会の中枢を担っています。※チラシ
アーティスト・イン・レジデンス、事前制作、公開制作はすでに実施済みで、 10月19日(土)~27日(日)まで、「かたち展」が行なわれました。出品者は76名(団体)、様々なジャンルの110点以上の作品が、旧校舎の内外(7つの教室、廊下、屋上、庭)に並びました。初日15:00~は、自身の作を語る「ギャラリートーク」がありました。(写真2・3枚目)
私は、「かたち展」に、今年一番時間をかけて制作した刻字作品「山川艸(草)木」と、その冠冒印に使った磁印「山紫水明」、金継ぎをした穴窯焼成の「割れた花入れ」の3点を出品しました。会場が、まだ「青山ホール」の時から参加しており、いつの間にか14回目の参加となりました。
今年は、陶芸グループ「粘土カフェ」も団体で参加しました。(写真4枚目)メンバーが持ち寄った共同作品は、8月に実施した「野焼き焼成」と、これまでの「穴窯焼成」の作品です。活動の紹介文も置きました。
上の段の写真は、立体作品の一部です。写真1枚目の教室には、抽象的な平面の作品や石彫、素材は何だろうと思うような現代アートの作品、そして信楽焼(陶製)の頭を付けた木彫の鹿のような動物が並んでいました。廊下には、木に大胆なのみを入れて造られた3mもある「ヲロチ」です。移動のために3つに分解でき、舌の根元の材木の先が、胴体に刺さって頭を支えているそうです。陶作品や木工旋盤の器、彫刻やカラフルなベンチなど、素材も表現も様々です。
下の段の写真は、平面作品の一部です。教室と廊下の間にあるガラス窓に展示された「日日をつむ」は、かつての小学生を思わせる絵日記のようで、ほのぼのとした作品でした。音楽室のピアノの上と、バックが一面の緑の窓ガラスに展示されピアノにも写っているのは、木版画の作品です。穏やかなタッチの水彩画も印象に残りました。
「かたち展」の会期中は、地元野菜たっぷりの「里山ランチ」や喫茶があり、26日(土)は、アートフェアの日で、20軒のお店が出ました。ワークショップやライブパフォーマンスの催し、アクセサリーなどクラフト作品・スイーツやパン・地元の食材で作ったジャムや農産品等の販売、キッチンカーも来ました。また、この日の夜に行なわれた「クロージングパーティー」には70名以上の参加があり、賑やかな交流会となりました。
地元の自然環境・文化・歴史<土>と、地域外の様々な所から来る人・ものやこと<風>の<ふれあい>から予期せぬ創造的なことが起こることを希求して、<風と土のふれあい芸術祭>を行なっています。地元の皆さんの温かい歓迎を受け、顔なじみとなった作家さんや新しく出会った多くの方々から良い刺激をいただいています。
「大仏書道大会」の審査
10月11日締め切りの「大仏書道大会」公募展には、全国から2001点の応募がありました。2日間に亘る予備審査を行ない、その後16日、朝日新聞社奈良総局において本審査(写真)を行ないました。東大寺大仏殿西回廊に展示する入選作品100点(うち特別賞7点)を選びました。審査委員長は東大寺の森本長老、教育委員会指導主事(書道)の先生にも来ていただき、個性あふれる作品を鑑賞しながらの選考です。この後、表具に出し、展覧会は11月9日・10日に開催します。※新聞記事
「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀2019」の準備
10月19日(土)から、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀2019」が始まります。その準備は、募集要項の作成から、ほぼ1年がかりで実行委員会事務局が担っています。ポスターなどの印刷物の校正・発送、協賛や参加費の会計など、仕事は多岐に亘りますが、限られた事務局員と地元のボランティアさんで行なっているのが現状です。
掲示物を書くのが、私の担当です。毛筆の出番は嬉しいので、時間さえあれば、いくらでも何でも書きたいです。写真は、その一部です。
こちらは、会期中の26日(土)に行なわれるアートフェアのお店の看板の一部です。この日は、会期中、一番人出の多い日です。今年は、販売・ワークショップ・パフォーマンスなど20軒のお店が出ます。
9月の活動
9月1日、五條市での奈良県大芸術祭のオープニングフェスティバルに奈良女書道部が書道パフォーマンスを披露、この日から芸術の秋がスタートしました!
4日から二学期の授業が始まり、高校芸術科書道選択者全員は、公募展「大仏書道大会」(作品締切:10月11日)の作品づくりに取り組み、出来たての印を押して出品しました。
10月・11月は、恒例のイベントがいくつかありますが、今年は、11月1日から久しぶりの個展をします。案内状を、伊賀の法人仲間でデザイナーの石津勝氏に作ってもらいました。書・陶・磁印・金継ぎや漆繕いの写真を30枚くらいお送りするとすぐに、このように作成して、中旬に送られてきました。もう会場に並べなくても、このDMだけで十分私の仕事が伝わるような気持ちになりました。
在宅日は、穴窯焼成の作品の割れやがたつきをさび漆と色漆で修復していました。(写真1枚目)漆は乾くと、塗った時と色が変わるので、いくつも試しに、塗る、乾いたら砥ぐ、色を調整して塗る、乾いたら砥ぐを繰り返します。写真2枚目は、黒い漆を用いて仕上げるつもりです。これから何度か、砥いで塗るを繰り返します。
黒平棗「一粒万倍」の作品は、同じ金継ぎ教室で、蒔絵をされているお茶の先生の作品です。裏千家玄々斎好みで、実りの季節の茶席でよく用いられるそうです。文字は私が書き、それを置き目の技法で写し取って、銀蒔絵で仕上げてありました。蓋裏には、9粒の籾が金蒔絵で描かれています。いつの日か、こんな蒔絵もしてみたいものです。
金谷・駿府・熱海・小田原
所属しているアート系法人の研修旅行が、9月28日熱海・29日小田原と決まってから、前日の27日は、静岡方面への一人旅を計画しました。訪ねたのは、大井川の西岸に広がる牧之原大茶園(写真1枚目)の一角にある「ふじのくに茶の都ミュージアム」と、宿を取った静岡駅から徒歩圏にある「駿府城跡」です。
浜松で新幹線を降り、各駅停車しか停まらない金谷駅(島田市富士見町)へ。金谷は、東海道五十三次の24番目の宿場、またSLファンの方ならご存知の大井川鉄道の乗車駅です。金谷駅からバスで10分の所にある「ふじのくに茶の都ミュージアム」は、世界中のお茶の歴史や文化を紹介する展示とお茶に関する体験ができる博物館、庭園、茶室棟、商業館で構成された、お茶どころ静岡ならではの施設でした。
写真1~3枚目は、博物館3階から撮ったものです。写真2枚目は、綺麗さびの茶の湯を確立した小堀遠州ゆかりの回遊式の日本庭園、晴れていたら富士山が望めるそうです。同じく遠州が手掛けた屋敷(書院・茶室・茶屋)が復元され(写真3・4枚目)、ちょうど宗徧(そうへん)流(家元:鎌倉市)の釜がかけられていました。茶席で用いられていた琵琶棚は、宗徧好みのものだそうです。
写真は、徳川家康公大御所時代の居城跡「駿府城公園」(「駿府」は「駿河府中」の略)です。静岡駅から北に歩くと、目に飛び込んでくるのが、駿府城二ノ丸の南東角に設けられた「巽櫓」(写真1枚目)、中は史料館となっていました。写真2枚目は「東御門」、3枚目は「二ノ丸水路」の遺構です。この水路は、本丸堀の水位を保つためのもので4回折れ曲がっており、両側には築城当初の立派な石垣が残り、底の部分にも石が敷かれた珍しい構造だそうです。この広い公園には、城郭の大名庭園を基調としたという「紅葉山庭園」があり(写真4枚目)、園内には茶室もあり、ここでもお茶をいただきました。
隣接する静岡市役所の展望室が解放されていました。晴れていたら見える冨士山の位置を遠望しました。写真5枚目の左に見えるプールのようなものは、駿府城の三重の堀の一番内側の堀で、本丸を取り囲んでいた「本丸堀」の遺構です。
翌朝、研修旅行の集合地 熱海に向かいました。13時の集合までの間、熱海は別荘地ですから見たい所がたくさんありましたが、熱海市の文化財として公開されている名邸「起雲閣」に行きました。
「起雲閣」は、駅からバスで10分の市街地にありながら、敷地は三千坪、大正・昭和のモダンな建築様式を残す建物が、緑豊かな庭園を囲むように並んでいました。伝統的な和風建築、大きな窓とステンドグラスの天井に色鮮やかなタイルの床のサンルーム、「名栗仕上げ」の山荘風造りの洋館、中国風や唐草模様の彫刻、暖炉やローマ風呂もあり、旧き良き時代の気品と浪漫にあふれていました。2人の実業家の別邸として受け継がれた後は、旅館となって文豪達が滞在、その資料の展示もありました。
研修旅行の仲間と合流し、訪れた1つ目は「MOA美術館」です。写真1枚目は、本館エントランス、ヘンリー・ムアの彫刻の前です。リニューアル3周年記念 名品展 第2部 「桃山・江戸の華とわび」が開催中でした。リニューアルの設計は、杉本博司氏が主宰する「新素材研究所」が手掛けたそうです。
昭和57年の開館間もない頃、訪れたことがありました。長いエスカレーターでどこに連れて行かれるのだろうという不安の先で、切手で知っていた尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」の本物に接した時の感動は、今もよく覚えています。(この屏風は、2月にのみ展示されるそうです。)黄金の茶室や能楽堂もあり、1階屋外には唐門(写真4枚目)から続く「茶の庭」が展開していました。茶室あり(写真5枚目)、光琳屋敷の復元ありで、強く日本文化を発信しているように感じました。
研修旅行の2つ目の訪問先は、「小田原文化財団 江之浦測候所」でした。とても楽しみにしていた所です。というのも、国立国際美術館で、得体の知れない人だと、その感性に強い衝撃を受けたことがありました。2009年の杉本博司氏の個展「歴史の歴史」です。現代美術といっても、人の手によって作られていない隕石・化石の展示もあり、この時初めて名前を覚えました。直島で印象に残っていた作品(石室とガラスの階段)の作家でもあり、その後、古美術・古い建築・古典文学にも造詣が深いこと、武者小路千家の若宗匠とニューヨークのビルに茶室を作っているテレビを見た時の様子から、すっかりファンになっていたのです。
写真は、「冬至光遥拝隧道」です。冬至の陽光をはるかに拝むトンネル、という解り易いタイトルです。冬至の朝、この駿河湾から昇る陽光は、入口(写真2枚目)の巨石を照らし出すそうです。70mあるトンネルの途中には採光のための「光井戸」があり、目前に切り取られた海と空は、日々変わる一幅の作品です。(写真4枚目) 別の入口から、このトンネルの上に行けます。(写真5枚目) この右は、光学硝子が敷き詰められた舞台、この上からの景色も雄大です。観客席は古代ローマ円形劇場を再現 し、客席に座ると、硝子の舞台が海面に浮いて見えるという設計になっていました。
写真1枚目は、井戸枠ですが、トンネル途中の天窓からの光はここからでした。雨が降ると、真下の「光井戸」に降り注ぐ仕掛けです。雨の日に、また行かなくてはならないです。
写真2・3枚目は、「夏至光遥拝100メートルギャラリー」、夏至の陽光をはるかに拝める角度に設計された100mの長いギャラリーです。内部には杉本氏の写真の展示、崖に突き出たギャラリー先端は展望スペースで、測候所の海側全体が見下ろせます。写真4枚目は、この片側総ガラス張りのギャラリーから「円形石舞台」にいるメンバーを撮ったものです。舞台は、伽藍石・敷石や巨石で構成されています。広い敷地のいたるところで、由緒ある古い石や大きな石、野外の展示に耐える光学硝子や金属が用いられていました。
写真1枚目は、「石造鳥居」から先にある茶室、鳥居の左右には光琳屏風さながらの紅白の梅が植えられています。茶会の帰りは、鳥居越しに、僕の原風景の故郷の海を、この位置からも見てね、と言っているようでした。この茶室「雨聴天」は、「待庵」を再現したことは一目瞭然ですが、なんと屋根はトタンです。地元のみかん小屋の錆びたトタン屋根を、慎重に外して使っているそうです。天から降る雨がトタンに響く音を聴きながら一服、という演出、杉本流の侘びですね。梅の咲く、雨の日に行きたいものです。
集合写真のバックは、測候所の入口にある「名月門」(室町時代)です。根津美術館から寄贈され、解体修理されて再建されたそうですが、瓦は天平時代の温度で焼き、塀は木賊(とくさ)張りで施工するというこだわりです。他にも土塀や石積みなど、古い日本の伝統技術を残し伝える役割も果たしていると感じました。他にも書き残したいことがいっぱいですが、書き切れない杉本ワールドでした。
伊賀での法人活動
毎月第三土曜日は、NPO法人Arts Planet Plan from IGAの事務局会議と、10月開催の「風と土のふれあい芸術祭」の事務局会議があり、車で1時間半の所にある、活動の根拠地「MORITAI造形アトリエ(伊賀市伊勢路字青山)」へ行っています。私の社会活動の1つです。9月は、21日(土)~アトリエで2泊して、いくつかの法人活動を行ないました。
会議の翌日は、毎月、陶芸グループ「粘土カフェ」の定例活動日です。この日の参加者は、薪番長Iさんと二人でしたが、小雨の中、薪割りをしました。 薪は8束できました。
いつもより早く切り上げ、「風と土のふれあい芸術祭」の一環として行なわれている中根ちえこさんの公開制作を、旧小学校の体育館へ見学に行きました。こんな時の掲示物を書くのは、私の担当です。写真3枚目は、8月中旬から滞在制作中のレジデンス作家東内咲貴さんの様子です。
この日の夕食は、アトリエに芸術祭実行委員会の地元の方々、芸術祭参加者のご家族、学生ボランティアさんや法人会員、総勢19名が集まり、楽しい交流の時間を持ちました。バーベキューコンロは、ドラム缶を再利用して作ったものです。
23日(月・祝)は、年4回実施されている法人の実技講習会の内の2回目/表具でした。書家で表具に詳しい網真明先生のご指導で、裏打ち、パネル作り、アイロンで出来る裏打ち、軸装を学び、小品の作品2点の表具の体験をしました。目打ちを使って平行と直角を出し、用紙を真四角にする技術には感動しました。参加者は10名でした。(写真2枚目は、出来上がった表具の一部)
講習会終了後、近くにある乗馬クラブ クレイン三重のレストランに展示している作品の展示替えに行きました。今回は、日本画やスケッチ、前回の実技講習会で制作したステンドグラスの作品などです。盛りだくさんの3日間でした。
奈良県大芸術祭オープニングフェスティバル
奈良県大芸術祭・障害者大芸術祭が、9月1日~11月30日まで、県内各地で開催されています。このオープニングフェスティバルが、9月1日(日)、五條市上野公園にあるシダーアリーナで行なわれ、奈良女子大学書道部に書道パフォーマンスの依頼がありました。(写真1・2枚目:練習の様子)
当日は、和楽器ユニット「Rin'」さんの演奏6曲の内の2曲に合わせて、大会テーマ「文化の力で奈良を元気に!」と書きました。揮毫は2回生2名、裏方は4名で参加し、書道体験コーナーのお手伝い(写真5枚目)もしました。早朝から出かけ、リハーサル、本番と一日かかりでした。せっかく五條市まで行ったのですが、旧伊勢街道の名残りのある町並みを歩く時間がなく、また訪れたいと思いました。
8月の活動
猛暑が続き、室内で過ごすことが多く、頼まれた印を刻したり、漆繕いをしていました。2つの合宿と帰省は、8月の恒例となっており出かけましたが、真夏の「野焼き焼成」は過酷でした。若くないことをようやく実感しました。
8月7日は、大仏さんのお身拭いの日です。写真1枚目は、この日の早朝、東大寺二月堂食堂(じきどう)近くで出会った若い雌鹿、背中の鹿の子模様がはっきりしていて綺麗でした。お身拭いをされる僧侶や関係者の方々(男性のみ総勢120名とか)は、二月堂食堂前の湯屋で入浴をされ、出てこられると藁草履に白装束です。
大仏殿に移動(写真2枚目)、7時から大仏様の魂を抜く「撥遣(はっけん)作法」が行われ、全員で唱えるお経が堂内に響きました。積った埃を払い、休憩をはさんで、拭き掃除です。東・中・西と書かれた特製の箱が3つ吊るされ、メガホンを持った方(大仏さんの手の上)の指示に従ってロープを操る方の中に、東大寺職員の息子の姿も。写真5枚目は、屋根裏に通じる巨大で急な階段です。とび職と思われる方が、慣れた足取りで昇り降りされていました。2時間ほどの壮大なスケールのお掃除、心の埃も払ってくださいとのことです。見ているだけで清々しくなる奈良の夏の行事でした。
お盆前後は、故郷富山県入善町に帰省し、普段は一人暮らしの母の元に、弟一家や私の子供・孫も集まりました。姪は自転車、私は娘一家を車に乗せて、海を見に行きました。写真1枚目は、町の西端、黒部川の河口が見える所です。川の向こうは黒部市です。
写真2枚目は、ここのすぐ近くの入善漁港です。釣りをしている人が大勢いて尋ねると、アジやボラなど捕れるものは豊富だそうです。堤防から海を覗くと、たくさんの魚が泳いでいるのが見えました。滞在中は、近海もの(黒部市の生地漁港産・魚津漁港産)の魚ばかり食べていました。
実家から徒歩5分くらいの所にある町民会館(ギャラリー・和室)で、来年のお盆頃に「里帰り個展」をすることになり、会場の契約をしました。母が元気な内に、と思いました。
奈良女書道部 夏合宿
8月24日(土)~26日(月)、京都東本願寺近くのホテル近江屋にて、奈良女子大学書道部の夏合宿を行ないました。1~3回生14名と、OG3名、4回生1名の参加もあり、熱心に作品づくりをする部員達と共に充実した時間を過ごしました。ここで書いた作品は、11月に学内の記念館で行なう墨香展で展示します。また、10月の大仏書道大会に応募する作品にも、思い思いに挑戦してくれていて、嬉しく思いました。
写真2枚目は、自分の作品について語り、お互いに学び合う合評会の一コマ、3枚目の集合写真のバックは、東本願寺の御影堂門です。
2日目の早朝は早起きして、東本願寺の阿弥陀堂と御影堂(写真1枚目)で毎日行なわれる晨朝法話(勤行)に行きました。御影堂の正面幅は76mもあるそうです。読経の響く広い堂内に座り、柱を見上げながら木の持つ圧倒的な力を感じていました。
3日目の午後は、東本願寺の飛地境内の別邸(といっても宿からすぐの所)にある池泉回遊式の庭園「渉成園」を見学しました。2つの池、持仏堂、書院群や数棟の茶室で構成され、建物の中には入れませんでしたが、部員達と景観を楽しみました。長い切り石、礎石、石臼など多様な素材を組み合わせた「高石垣」が斬新でした。
「粘土カフェ」夏合宿
NPO法人Arts Planet Plan from IGA (伊賀市伊勢路)の陶芸グループ「粘土カフェ」は、夏合宿で「野焼き焼成」を行ないました。法人活動の根拠地となっているMORITAI造形アトリエ内の整備のために伐採した草木や、これまでの穴窯焼成で薪にならなかった材木と再生粘土の有効利用を目的に企画しました。メンバーが持ち寄った端材や、野焼き焼成の時に類焼しないように刈った背丈以上もある萱(写真1枚目)なども燃料です。(6・7月の定例活動日に作陶会を行ない、8月4日に素焼きをしました。参加者12名の110点余りの作品が集まりました。)
恒例になった夏合宿は、8月16日~18日でした。合宿1日目、前日までの台風の影響で雨が続いたため、予め掘っていた穴(畳1枚より大きい)を掘り直し、湿気を取る焚き火から始め、籾殻を敷いて窯詰めです。写真2枚目は、炭酸銅を掛けたブース、写真3枚目の籾の中には「黒陶」を狙った作品が埋まっています。
午後2時頃火入れ、炎天下の中での焼成は、運動部がよく使うお茶タンクが欠かせませんでした。上着だけでなくズボンも汗で濡れました。夕方は、野焼きの見える少し離れたところでバーベキューを行ない、夜10時にトタンを掛けて終了しました。この時、旧暦では仲秋の満月が高く昇っており、「66の夏」と月に向かってつぶやく私でした。合宿2日目は薪割り、3日目に窯出しを行ないました。夏合宿の参加者は、のべ23名でした。
写真は、四季の森「やもち」ゆめ倶楽部の facebook に載ったものです。「粘土カフェ」の合宿中の早朝、車で25分くらいの所にあるこのブルーベリー畑(伊賀市霧生688)を訪れました。今年のブルーベリーの収穫時期は例年より遅れているとのことでしたが、この日はたわわに実っており、いい日に来たね!と言われました。入場無料で食べ放題、お持ち帰りは1kg1,000円とお得です。アームカバーも長靴も貸してくださいます。
私のお隣で、カメラを左手に持っている方は、「風と土のふれあい芸術祭in伊賀2019」のレジデンス作家の東内(とうない)咲貴さんです。前日の説明会で知り合いになったばかり、この霧生に滞在して、公開制作が始まったところです。黒っぽく熟したブルーベリーを口に入れ籠に入れ、口に入れ籠に入れ、、、、今日の朝食はブルーベリーの私達。そして、おしゃべりしながらの小一時間で籠いっぱい(1kg余り)の収穫でした。
特定の指導者を持たない「粘土カフェ」の作風は様々、焼き色も野焼きならではの面白いものになりました。10月に行なう「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀2019」に、活動の紹介を兼ねて共同作品として、一人数点持ち寄って展示することになりました。
写真は、私の作品です。1枚目の2点は、炭酸銅のブースで焼いたもの、2枚目の水滴は「黒陶」風になりました。
7月の活動
7月2週目から、2ヶ月ほどの夏休みになりました。写真上は、バナナの葉が茂る雑然とした我が家の庭です。右の黒い平屋が工房ですが、冷房がないので、主に書斎で過ごしました。
2つの旅行(岡山・台湾)の合間に、来月行なう野焼き焼成の作品作りをしました。水滴の他に、初めて植木鉢や灯りのようなものも作ってみました。また、秋の個展に向けて、この夏は、色漆による修復に励みたいです。写真4枚目は、筒花入れに付けたてんとう虫です。中置きの水指(になるか、花入れか)の口に、割れていないのですがグルリと漆を塗ってみたらどうかと思っています。写真5枚目は1回、次は3回目のさび漆をしたところです。
台湾周遊
7月末、東南アジア大好きな友人に誘われて、5日間の台湾旅行に出かけました。1985年、4歳の娘を連れて家族で台北の圓山大飯店に滞在したことがありました。京劇を見て感激したものです。夫は、この時から、当時 国立故宮博物院副院長で水墨画家の江兆申先生の弟子となり、1996年、瀋陽での講演中に先生が急死された後も度々訪れていますが、私は34年振りでした。
台北では、真っ赤な宮殿のような圓山大飯店は懐かしく目に留まりましたが、2004年にできたという、8層の竹の節のような高層ビル「台北101」が、独特の存在感を見せていました。このビルは、名前の由来になった101階建て(509m)、89階の展望台から台北市の街並みや周辺の山々を一望しました。
写真は「故宮博物院」です。莫大な収蔵品の何が展示してあるだろうと期待して行きました。高校書道の教科書に金文の紹介として載っている「散氏盤」「毛公鼎」などの青銅器の数々、文徴明などの書画や法帖、明永楽帝の磁器や唐三彩、玉器、香具、茶器(砂壺)など、興味のある名品ばかりが並んでおり、ヨーロッパの美術館のように写真撮影ができました。話題の「翠玉白菜」・「肉形石」も展示されていました。白菜は思ったより大きく19cmほど、バッタとキリギリスの彫刻がありました。
写真1枚目は「龍山寺」、清代に建てられた台北最古の寺院です。道教や儒教など様々な宗教が習合し、孔子、関帝(関羽)、媽祖(道教の女神)などたくさんの神様が祀られていました。若い人も「ちょっとお寺に行ってくる」が台湾スタイルだとか、私も、赤い三日月型の杯を用いて台湾流のおみくじをしました。
台北から、列車(2時間半)で花蓮へ。花蓮駅から車で30分くらいで「太魯閣(タロコ)国家公園」、山奥かと思っていましたが、そんなに遠くない所に、大渓谷が展開していました。写真3枚目中央の赤いものは観光バスです。車は、大理石の岩盤が浸食された渓谷をぬって進みます。一部手掘りのトンネル(写真5枚目)もあり、散策にはヘルメットが用意されていました。
花蓮から、国内線プロペラ機で高雄へ。飛行は約1時間、東側の海岸沿いを飛び、緑島なども眼下に見れて、思いのほか楽しめました。高雄の「寿山公園」「三鳳宮(写真1枚目)」「蓮池譚(写真2枚目)」を観光、写真3枚目は「美麗島駅」構内です。
車で古都 台南へ。「孔子廟」は漢字文化圏でよく見かけますが、台南の「孔子廟」は、台湾で最も古いそうです。「孔子廟」とは掲げられておらず、「全臺首學(全台首学:学問の発祥の地、最高学府の意)」という扁額が目に留まりました。
オランダ統治時代の古跡「赤崁楼(セキカンロウ、1653年当初はプロヴィンティア城)」も趣があり、印象に残っています。(写真下)清朝統治時代、日本の統治時代と歴史の変遷を経て、今は歴史文物館として公開されていました。
台南から高速鉄道で台北に戻りました。台北から、台湾最北部の台湾のベニスと言われている淡水(写真2枚目)、また、日本統治時代の面影を残す人気スポット九份(写真3・4枚目)にも行きました。
5日間の旅行中は、毎日、有名店やホテルのレストランで、台湾料理を堪能しましたが、路地の小さなお店にもおいしいものがたくさんありました。その一部ですが、「大腸麵線」の鍋、ヒダになった「かき氷」、楽焼きの窯のようなカマドで焼く「胡椒餅」です。顔真卿ばりの堂々とした書風の扁額を見るたびに、また、旧字体が使われていことにも親しみを覚えました。どこのお寺を参拝しても、人々の生活に根付いた信仰心を肌で感じることができました。
ステンドグラス
夏休みになると、毎年、NPO法人Arts Planet Plan from IGA (伊賀市伊勢路)の活動の一環として実技講習会の第1回目が実施されます。今年度は、「ケイム技法によるステンドグラス」でした。ガラスが用意されていて銅テープを巻く簡単なステンドグラスしかしたことがなく、ケイムって何?という状態でしたが、講師は穴窯仲間でもある後藤裕子先生だったので、参加しました。
自らのデザインに合わせてガラスをカット・研磨するのは、初めてでした。ケイムという断面がH型の思ったよりも柔らかい鉛線で、ガラスとガラスを挟んで(写真3枚目)、ハンダ付けをし、さらにパテで埋める、、、、。夕食後も作業は続き、泊まらせてもらうことになっていたので、私は夜中1時までかかって、完成させました。また後日、という方もありました。
岡山県新庄村・倉敷
7月13日、JR岡山駅から「特急やくも」に揺られて1時間50分、振り子装置付きの列車のせいか、ぐっすり眠れ、着いたのは根雨駅(鳥取県)です。ここに、奈良女子大学元書道部員のSちゃん(地元の村役場勤務9年目)が、車で迎えに来てくれました。目指すは、出雲街道の宿場町として栄えた新庄村、岡山県西北端の小さな村です。※パンフレット
写真は、「がいせん桜通り」です。桜は、約5.5mおきに132本植えられ、400m程の並木道です。日露戦勝の記念として植えられたもので、樹齢は110年以上になります。街道の両側には石積みの水路があり、清涼感のある水音を奏でていました。4月中旬の開花時期には桜のトンネルとなり、人口900人余りの村に、8万人の観光客が訪れるそうです。
写真3枚目は本陣跡、写真4枚目は公開されている脇本陣、江戸時代末期の面影を伝える大規模なお屋敷でした。連休だというのに人通りはなく、風情ある街道を貸切状態で堪能しました。
14日、Sちゃんの家では22回目となる「ブルーベリー祭」が行われました。参加費は要りますが、畑のブルーベリー食べ放題です。手作りの窯で皆で作って焼くピザ、地鶏の丸焼き、バーベキューやかき氷、Sちゃんの書と、コレクションの金魚の展示も楽しめます。家族連れ、村の常連さん、都会からの参加者、農業を熱く語る人もいて、賑やかでした。
Sちゃんの家は、山陰でよく見られる赤い石州瓦の大きな家で築140年、隣の家かと思ったら駐車場です。かつては70頭もいたという牛舎には、大きな乳牛が10頭、お父さんのペットなんだと、Sちゃんは笑っていました。おいしい卵を産む鶏は放し飼いですが、卵は決まった所で産むので集めるのは楽だとか、100羽単位で買い、狐に食べられて50羽に減ると、また100羽買ってくるそうです。柵から脱走する鶏を、子供達は大喜びで追いかけていました。
新庄村の村営宿舎に2泊した後、倉敷に1泊しました。学生時代(45年前)に倉敷を訪れましたが、川沿いで友人と撮った写真だけが残っています。この時に、泊まりたかったアイビースクエアに泊まり、行きたいと思って行けなかった大原美術館に行きました。
大原美術館は、思っていたより広く、本館、工芸館、庭園の奥に分館がありました。ここの収蔵品だったのかと感動する名品が、いくつもありました。写真4枚目は、分館の前です。
6月の活動
大きな行事はなく、写真は、奈良学園の授業の様子です。中1(書写)は、楷書学習の最後に、校訓「至誠力行」と書きました。高1(芸術科書道)は、行書の臨書学習の後、篆書を学び、篆刻を始めました。各自の名前の文字を題材に校字(字調べ)、印稿、そして、布字の途中です。二学期初めには、作品に押せるよう一人3顆の印(篆刻作品)を仕上げます。一学期は、7月1日まででした。
金継ぎ・漆の繕い
写真は、蒔絵師 杉村聡先生のご指導を受けながら自作の穴窯作品を修復したものです。1枚目は、大きな割れをあえてそのままにし、小さなひびを何か所か金継ぎをした花入れです。2・3枚目は、底の立ち上がりの部分が剥がれ、水が漏れる状態でしたが、さび漆で埋め、色漆で茶色のトーンを出しながら仕上げたので、言わないとわからないくらい自然な色合いになりました。5枚目の茶入れの口の欠け、6枚目の吉字印盒の割れも色漆で繕いました。
写真7枚目は、筒花入れです。ちょうどいい景色になる部分に金具を付ける穴がこなかったので、新たに開けるとして、今ある穴をさび漆で塞ぎました。さらに何度かさび漆で丸く盛り上げ、赤い漆を塗ったところです。この後、黒い漆でてんとう虫にする予定です。
田所尚美展
6月12日~17日、奈良市水門町の古民家ギャラリー五風舎で、陶芸家 田所尚美さんの個展がありました。写真1枚目が全体の様子です。奥の庭や、入江泰吉旧居と隣接しているので左の窓の、緑が鮮やかです。自然を生かした庭にも作品があり、花が天から落ちてきたようでした。
このギャラリーは、棚などを置いて工芸品の展示販売に借りる方が多いのですが、田所さんは7年前から一貫して、固く焼しめた陶製の無数のオブジェで、建物全体を一変させます。毎年、どんな世界が展開しているのかと楽しみにしていました。陶による静かなインスタレーションは、見る者に語りかけます。この空間のお気に入りの場所に座り、黙って対話をする人が、年々増えているようです。
5月の活動
令和元年となりました。川崎市在住の山﨑喜光氏は墨彩画を描かれる時に、私の文房具(水滴・筆置き)や磁印を愛用してくださっています。宇宙開発に携わっておられたため「歩月」(月に照らされて歩く)の印を好んでくださったと聞いていました。「歩月」の印の書体は甲骨文字で、「歩」は左右の足跡の象形です。久しぶりにいただいたメールに、上の写真が添付されていました。
お便りは、令和の典拠となった万葉集「初春の令月にして、気 淑(きよ)く、風 和らぎ・・・」は、素晴らしい月に照らされて平和の道を歩む、の意図が含まれている、令和の意味と通じる「歩月」の印に、一層の愛着をいだいた、というものでした。こんな嬉しいお便りで、私の令和の歳は始まりました。
梅に鶯、というのに、5月になっても鶯が鳴いています。他の鳥の声もします。写真1枚目は私の書斎から撮ったニセアカシヤ、、写真2枚目はリビングです。連休中に行なった「墨翔とその仲間展」が終わって一息つくと、いつも新緑の美しさに気付かされます。ニセアカシヤは、連休明けに今年も忘れず1週間ほどですが、白い房状の花を大量に咲かせました。
在宅日は、この緑豊かで静かな家の書斎で読書をし、墨を磨ります。夏のお出かけや秋のイベントの準備、片付けや掃除、ボーとしている時も、心地良く思いました。
粘土カフェ
アート系のNPO法人Arts Planet Plan from IGA (伊賀市青山)に参加して、早いもので15年目です。元々書より美術工芸が好きなのでしょう、地元との芸術祭の開催や研修旅行などの活動や交流を通して、書道以外のジャンルへの興味が広がっています。事務局として陶芸グループ「粘土カフェ」の担当をし、今月も第三土曜の事務局会議、活動拠点のMORITAI造形アトリエに泊まり、翌日曜は仲間と共に陶芸の活動をしました。
写真1・2枚目は、再生粘土づくりの様子です。「粘土カフェ」は今年度、夏合宿で「野焼き焼成」を計画しました。6・7月は、この粘土にシャモットを混ぜ、作陶をします。※野焼き焼成のご案内
5月19日(日)の定例活動日、2tロングのトラックをレンタルし、近隣の青山高原別荘地の間伐材(赤松)を運び込みました。来年12月には「穴窯焼成」を予定しています。
慶澤園
大阪市立美術館で「フェルメール展」を見た後、美術館の裏手にある日本庭園「慶澤園」に行きました。大阪の豪商 住友家本邸の庭園だったそうですが、大正15年に、現在の美術館用敷地茶臼山一帯と共に、大阪市に寄贈されました。
中央の大池には蓮が一面に咲いていました。その池の周囲の起伏のある林道を一周しながら鑑賞できるようになっている林泉回遊式庭園です。全国から集められたという名石・名木は大きく、築山から広々とした園内を見渡せ、ゆったりとした気持ちになりました。天王寺界隈はとても賑やかですが、ここは意外に訪れる人も少なく、大阪に居ることを忘れそうでした。しかし、林の向こうには、近代的な「あべのハルカス(写真4枚目)」が堂々と建っていました。
墨翔とその仲間展
大型連休後半の5月4日(土・祝日)~6日(月・振替休日)、奈良県文化会館(奈良市登大路)の1階A・B展示室にて、「墨翔とその仲間展」を開催しました。墨翔メンバー5名(4名は70才代)と、その仲間(20才代~60才代)の総勢18名による、120点余りの作品と、昨年末に他界された元墨翔メンバー栗田悦子さんの遺作を展示しました。
グループ展ならではの人脈で、連日、多くの来場者で賑わいました。写真は、会場のポスター、私が作った円硯などを置いた受付、A室入口付近の様子です。
私は、墨翔の仲間として参加して5回目となりました。先輩達と並べるので、毎年、個展より緊張します。写真は、私の壁面(約10m、書作は7点)です。今年は、A展示室の中央左側が私の展示スペースでした。墨翔は異年齢集団ですが何事も平等で、担当壁面は「あみだくじ」で決まります。社中展なら一番偉い人の作品がある特等席ですから、さらに緊張しました。ここに展示と決まってからは、会場近くを通る度に訪ね、壁面をにらみながら思案にふけったものです。
思案の結果、今回のテーマは「故郷」です。※プロフィール 会場中央の正面には、聯落ちサイズの軸を飾りたいと思いました。
川田順の歌です。 「川田順のうた早百合かく」と落款を入れなければ自詠の歌になってしまいますが、空間把握が未熟で、入りませんでした。彼は、実業家から歌人としてスタートした時に立山に登り、歌集『鷲』に立山行51首を残しています。その中の「立山に後立山が影うつす 夕日のときの 大きしづかさ」です。仰ぎ見て育った故郷の後立山が力強く詠まれています。この歌に、雄大な情景と余韻を感じました。山に見えても見えなくてもいいのですが、下の方に歌のイメージを墨の濃淡で表現、私としては、新しい試みとなりました。
角には、手持ちの風炉先屏風を置こうと決めました。富山に赴任していた大伴家持の『万葉集』を万葉仮名で書いたものです。
昨年末の穴窯焼成で作った水指と茶入れがあったので、茶道具も並べてみました。茶巾・茶筅以外、黒楽の筒茶碗、孫が持っている茶杓(煤竹)も自作です。
その壁面上部には、同じ万葉集(1つは万葉仮名、1つは書き下し文)を墨書した板の作品を飾りました。艶を出し、屋久杉の木目を綺麗に出したいと思って、搬入前日まで何度も「拭き漆」をしたのですが、遠くから見ると雲のような形状の黒い板のようです、、、。透明感が出るには時間不足で、読みにくい状態での展示となりました。
担当壁面の左側は、横幅170cmのパネルが4枚(通路あり)です。1つは、この屏風と板ですから、残りの3枚に3つの作品を考えました。
一番左のパネルに、刻字作品(横幅150cm)を飾りました。故郷に思いを馳せた「山川草木」です。板の形に画仙紙を切って、そこに文字を書き、そのカゴ字を板に写し取って、のみと木づち、細かい所は彫刻刀で刻し、余白に生漆、文字に胡粉を塗りました。これまで、印はアクリルカラーでしたが、今回は漆で書きました。書はすぐに書けますが、毎日何かしらの作業をしながら、一ヶ月余り掛かった作品です。
その右の彫塑台には、この4月に電気窯で焼成したばかりの磁印2顆を展示しました。織部釉は、いくらでも売っていますが、酸化銅を乳鉢で磨って作ったものです。印面の朱に映えると思って、磁印によく使う釉薬です。
右の「山紫水明」は、刻字作品の冠冒印の元になった印、「置き目(漆で写し取る技法)」の下絵として使いました。「早百合」は、篆刻家 井谷五雲氏の刻です。3月に月ヶ瀬梅林に行かれた帰りに拙宅に寄られた時、素焼きした印材(磁土のオブジェ)が目に留まり(留まるように置いていたかも)、何気に印刀もあり、おしゃべりしながらリビングで刻してくださいました。名前の印は、いくつあっても嬉しいものです。この度の刻字と「惺」の作品に使いました。
中央のパネルには、リッシン偏(心)と星から成る「惺」、短い(83cm) 「スイハツ」とセットです。スケッチが入っていた手持ちの洋額に入れたところ、ちょうどいい具合にはみ出したので使える!と思いました。ただ、展示中に気付いたのですが、墨色に合わせてマットの色を変えた方が良かったようです。
「スイハツ」は、床の間の上部(落とし掛け)に用いられていた固い栗の古材で、釘を打って作りました。写真では見難いですが、チョウナによるハツリ模様があります。白土で作った穴窯焼成の花器に、庭の草花を飾りました。
その右のもう一つのパネルには、半切の額を横に使うとちょうどいいと思いました。額のサイズに合わせて、母校 入善小学校校歌の冒頭部分を書きました。美しい故郷の情景と、少女時代の自分が思い浮ぶ大好きな歌です。
搬入日の展示終了後に、各々が自身の作品を語る時間があります。写真上段は、その時のもの、墨翔メインメンバーの先輩達です。写真1枚目の「自己施肥」は、作者 河野通一氏の造語ですが、部屋に飾らせてほしいとお願いした作品です。言葉の意味がいいだけでなく、漢代の隷書の臨書で鍛えられた線の強さが素晴らしい、私の理想形です。今は、工芸的な作品を好んで制作していますが、将来は、先輩達のように、筆の機能を存分に生かし、白(余白)と黒(線質)だけで作品を構成でできるようになりたいと思っています。
下段の作品は、「令和」の典故となった万葉集が題材の作品です。1枚目は、早崎蘇石氏の横幅3m程の作品、段ボールに一発書きだそうです。2枚目は、僧侶でもある中西玄匡氏の穏やかな筆致で巻紙に書かれた作品です。
若い仲間たちが、書の古典にはない英語やドイツ語を、漢字や仮名と同じように自由に書けることに感服しました。顔彩だけでなく、クレヨン(写真4枚目)もよく登場します。写真5枚目は、金属を使った作品「白黒」です。バラエティーに富んだ作品群が、墨翔展の持ち味です。
書壇に属していない私に良い仲間があり、自由な発表の場があり、嬉しいことです。この交流から、私は頭が固いようだ!と自覚し始めました。もっと柔軟に、もっと我がままに、私にしか書けない作品を模索したいと思っています。
4月の活動
今年度の奈良学園中学校・高等学校の授業は週3日、桜満開の4月8日から始まりました。春休み中は、富山に帰省した時も、筆・墨・硯・画仙紙を持参し、「墨翔とその仲間」の作品などを書いていました。写真は、奈良女子大学書道部が、平成最後の日(月末30日)に行なう「書道パフォーマンス」の練習の時のもの、いくつかある〇は、このあたりに令和カラーの下絵を書きます。
新年度が始まる日は、いくら書いても同じだと諦め、表具屋さんに作品を持って行く日です。3点の作品を届けました。聯落ちサイズの軸装1点、額装1点、風炉先屏風に貼りこんでもらう作品1点です。1週間後、裏打ちができた時点で、再び訪ね、表具師さんと相談しながら裂(きれ)の色や形式を決めました。
写真は、板(屋久杉土埋木の端材2枚を合わせたもの、長さ1.5m位)に書いた万葉集です。上は、万葉仮名を用い、行草体で書きました。「多知夜麻尓(たちやまに) 布里於家流由伎乎(ふりおけるゆきを) 登己奈都尓(とこなつに) 見礼等母安可受(みれどもあかず) 加武賀良奈良之(かむからならし)」です。
下は、その書き下し文「立山に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし」です。大伴家持が富山に赴任していた時に、立山の雪は見飽きない、と詠んだものです。この板に、拭き漆の技法で、何度も生漆を塗っていますが、展示できるものに仕上がるかどうか・・・。
こちらは、刻字の作品です。写真1枚目は、のみと木づちで「山川艸木 」を刻し始めたところです。筆の穂先の通り道を稜線のように高く残した「菱彫り」で、筆圧のかかった所は勢いよく木づちを打ち、深く刻しました。
それから、「拭き漆」のための「室(むろ)」(写真2枚目)を作りました。大きな段ボールをつなぎ合わせて、これをビニールで囲い、濡れたバスタオルを置いたものです。長さは170cmほどあります。桟を渡し、万葉集の作品(板2点)を置き、湯呑みを両端に置いて段差をつけ、この上に刻字の作品を乗せて、乾かしました。乾かすというのは、漆の場合、湿気を与えることです。
この3つの板の作品には、生漆を塗って拭く、乾かす(室に入れる)の作業を、繰り返し行ないました。金継ぎ作業の時以上に、手・首・耳などがかぶれてかゆく、二重の目は赤く腫れ一重になりました。彫った文字に胡粉を塗りました。印は、実際のものを「置き目」の技法で、赤い漆で入れました。
磁印の作品です。「天真」「平淡」各々2顆ずつあるのは、冠冒印にと頼まれたからです。印は小さいので、窯にいくつも入ります。頼まれたついでにたくさん作った、というわけです。
写真1枚目は、焼成前のものです。左から、「是々非々」「山紫水明」、刻字作品にもした「山川艸木」、おめでたい語句の「大吉祥」「福」「喜」、麻美さんの「麻」などです。印面に撥水剤を塗り、施釉後、電気窯で焼成しました。
書道パフォーマンス「令和」
平成の最後の日となった4月30日(火・祝)夕方16:00~21:00、JR奈良駅東口広場でJC(奈良県青年会議所)主催の「ハローニューイヤー in 奈良」というイベントがありました。武道・生け花・茶の湯などの日本の伝統文化の紹介、200席分のお抹茶が振る舞われ、JCに関わる奈良漬け・苺・地酒・お菓子などの試食や販売のお店も出て賑わいました。
奈良女書道部に、書道パフォーマンスの依頼があり、オープニングとして披露、JCの今年のスローガンと「令和」と書かせてもらいました。その後、書道体験コーナーを担当し、外国人観光客などで行列ができるほどの盛況でした。「令和」と書く人が多くありました。すっかり日が暮れて片付ける頃には、平成も終わるんだなぁ、こうして働けて幸せ!と思いました。
奈良女子大学書道部「May展」
4月27日(土)から、奈良女子大学書道部の年度初めの展示「May展」が始まりました。会場は、大学正門前にある「旧鍋屋交番 きたまち案内所」、小さいながらも趣のある観光案内所です。この運営は、地域住民のボランティアで行なわれ、毎月、いろいろな展示に活用されています。私達の「May展」は、毎年5月頃の恒例となって、今回で6回目です。
例年、卒業生を送り出した後、3月末に学内で日帰り合宿を行ない、新2・3回生による共同作品を制作します。季節感を意識した題材を用い、会場に相応しい短冊・色紙やうちわなどの小品作品も並べました。今年は、2・3回生が8名になったため、半切サイズの作品は2点しかできませんでした。やむなく、私の作品を吊るしています。(写真4枚目) 10:00~16:00、水曜定休、5月26日(月)までです。
箱書き
小・中・高校と同じ学校だったH君が、私の作品を、自宅の床の間に飾りたいと言ってくれました。いくつかの作品の中から、「華」、「主人公」の2つの軸装作品を気に入ってくれて、桐箱に入れて、箱書きも説明文も欲しい、というので書きました。
作品1つ目の箱書きの表には「華」、この文字は、十が6つと一から成っており合計61、つまり数えで還暦の数字になります。裏には「平成二十五年夏 華甲の歳に 早百合かく」、平成25年に還暦(中国風には華甲)を迎えたので記念に書いたものです。
作品2つ目の箱書きの表には「主人公 無門関十二則より」です。『無門関』は有名な禅の本、「主人公」はお茶人さんが好む禅語です。裏には「戊戌春日 於若草山陰居 早百合書」、戊戌は昨年の十干十二支、若草山が見える私の書斎が「若草山陰居」です。いつ、どこで書いたかがわかります。
3月の活動
3月2週目から、一月ほどの春休みとなりました。展覧会や茶会などのお出かけの機会も多い中、書斎では、墨を磨り筆を執って「墨翔とその仲間展」の作品づくりや篆刻を楽しんでいました。写真は、磁印の布字の様子(一部彫りかけ)です。
月末に台湾に行こうと思っていましたが、日本の桜が中国の方に人気だそうです、お花見客の来日のため、航空券が取れませんでした・・・。
16日 、「乗馬クラブ クレイン三重」のレストランに展示させてもらっている作品の展示替えをしました。この度は、馬や草花のスケッチなど、法人会員3名の作品を並べました。写真は、私の作品です。ピンクの紬に書いた「花をのみ待つらん人に山里の 雪間の草の春をみせばや」(旧作)と、穴窯焼成の陶芸作品です。
23日は、大阪府立市岡高校の書道室をお借りして、墨翔の集会がありました。会期中の最終打ち合わせと、作品の見合いです。私は、草稿を3作品2枚ずつ持参し、アドバイスをいただきました。
写真1枚目は、その内の1つで、刻字作品になる落款の部分です。「百合題 時年六五」(早百合の接頭語を略して、百合題す、時に年は65、〇は印の位置)です。六十五としなければならないところを、六五としており、30歳かぁ?と指摘されました。これではゴロク=三十、になるとのことでした。なるほどです。家に帰ってから、年齢を入れるのはやめにして、「平成末年 三月 百合題」と書いてみました。これで、何歳の時の作かわかります。
あまべ邸
大阪環状線JR野田駅から徒歩5分くらいの所にある「貸集会場 あまべ」は、陶芸家 余部一郎氏のご実家、大正初期に建てられた趣のある建物です。写真1枚目の塀の左側の門が工房の入口、右奥が母屋の玄関(写真2枚目、茶会の日)です。「週末カフェ」の時には、先々代から伝わっているお雛様が展示されていました。
これまで、工房での体験制作、母屋でのライブや展覧会などで何度か訪れています。その度に、大阪で個展をするなら、ここ!と決めていました。ホワイトキュープの会館より、このような空間に作品を並べてみたいと思い、11月1日からなら、空いているとのことで、久しぶりの個展をさせてもらうことになりました。
粘土カフェ
「粘土カフェ」は、NPO法人Arts Planet Plan from IGA(伊賀市西青山)内にある陶芸自主活動グループ、穴窯を築いた翌年2006年に発足しました。これまで安全第一を合言葉に活動してきましたが、昨年末の第9回「穴窯焼成」窯焚きの終盤、煙突の炎が屋根に燃え移り、火災を起こしてしまいました。3月17日、同じく法人の自主活動グループ「庵プロジェクト」さんが、アトリエにあるトタンを用いて、屋根の修繕をしてくださいました。(写真1・2枚目before → 写真3枚目after)
この日、私達「粘土カフェ」のメンバーは、穴窯周辺に大きく育った木や茂った竹や草の伐採を行ないました。この時に出た草木、薪に束ねられないで残っている材木や廃材を燃料として、「野焼き焼成」をしようという企画が持ち上がりました。
東大寺二月堂
3月7日に成績入力を済ませ、翌日午前中に、修二会の本業が厳修されている東大寺二月堂を訪ねました。お松明が上がる夕刻になると、イベントのように大勢の見物客が押し寄せますが、昼間は参拝客も少なく静寂です。青空に映える良弁杉と二月堂舞台(写真1枚目)を見上げながら、自然に有難い気持ちになりました。
写真2枚目は、食堂(じきどう)向かいにある湯屋の入口から撮ったもの、ここで参籠されている方々のお食事を作っているそうです。
食堂の南側では、12日に上がる「籠松明」の仕上げの作業が行なわれていました。長さ8m、重さは60kgもあり(写真1枚目は、杉板で化粧された頭部)、お松明を担ぐ童子達の手で、何日もかけて組み立てられます。写真2枚目は、12日以外の日に上がるお松明です。こちらは、毎朝、作るそうです。
翌9日も夕刻を避け、午前中に立ち寄りました。食堂南面に立派な「籠松明」がずらりと飾られていました。その下で、「達陀(だったん)」のお松明づくりが行われていました。(写真3・4枚目)火天役の練行衆が須弥壇の周りで振り回す、あのお松明、結構大きいです。「達陀」の行法は、12日・13日・14日の3日間行われるので、確かに3本ありました。
正午頃には、練行衆は食堂で一日一食の食事を摂られます。外にいる私達にも「食堂作法」の祈りのお経が聞こえてきます。出てこられると、「閼伽井屋(若狭井)」に向かって、鳥などへの施し「さば投げ」(写真1枚目)をされて、参籠所でしばしの休憩の後、日中、日没の行のために、童子と共に上堂される毎日です。(写真3枚目) この日の童子の手には、梵字がぎっしり彫られた版木(写真2枚目)がありました。8日・9日は「牛玉日(ごおうび)」、この版木を用いて勤行の間に「牛玉刷り」が行われるそうです。
写真4枚目は、お堂の局の扉です。最終日の14日は、夕食を済ませた後に出かけて、局で聴聞し、満行となる翌朝4時頃までいました。お堂の外に出てこられる時間帯もあるので、(写真5枚目)間近でカメラチャンスを狙っている人もいましたが、固く手を合わせる人々の姿が印象に残っています。
依水園
お茶のお稽古に休み休み通っている小西先生のお宅(奈良市水門町)から3件南に、奈良を代表する日本庭園「依水園」があります。園内には、古銅印や宋代の拓本なども収蔵している「寧楽美術館」(写真1枚目)が併設され、私の大好きな癒しスポットです。2月末~3月いっぱいは休館のため、この時期には行ったことがなかったのですが、今年は3月上旬に、2度訪れました。
珍しい平飾りの雛人形(写真2枚目)や春日厨子などが初公開されているというので、2日のお茶の教室の後に立ち寄りました。平安時代の歌遊び「曲水の宴」が再現されたこのお雛様は、明治40年に作られ、舞台の幅は約3.6m、色紙を手に歌を詠む貴人や楽器を演奏する女官など15体が配置されています。年齢がわかるほど個性的な表情、そのお顔・髪・装束は元より、水・砂・木々、そして楽器やお道具に至るまで、精緻な細工が見事でした。お琴などは音も出るとのことです。
3月7日~11日まで、一刀彫・陶芸・漆芸・刀剣・木工・染織・竹工・ガラスなど、奈良の現代作家による「奈良工芸の粋」展(奈良新聞社主催)が、依水園を会場に開催されていました。写真1枚目は、庭園側から見た江戸時代の建物「三秀亭」、ここで陶芸家 豊住和廣先生のギャラリートークを聞きました。
ゆっくりと、早春の庭園を散策しました。趣のある茶室などの建物(写真2枚目は寄付)、水・石・草木が、東大寺南大門や若草山などを借景にした雄大なスケールの中に、初めて訪れた学生時代から変わらずあり、奈良に住んで生活できることの幸せを実感できる場所です。工芸展の会期中、このお庭を臨む「氷心亭」で、出展作家のお道具を用いた茶会も企画されていました。
2月の活動
2月は、茶会、墨づくりの見学会、庭師さんと共に庭木の剪定、友人の穴窯焼成の手伝いなどのイベントや、来客も多くありました。そんな中、来月の墨翔の集会までに、何か形にして持って行かなければならず、書斎で筆を執っていました。草仮名で書きたい万葉集があるため『秋萩帖』を臨書してみたり、墨色の美しさを出したいと淡墨作品を試みたり、、、まとまりませんが案はたくさんあり、楽しい時間です。映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てからは、Queenの曲を聞きながらです(笑)
写真は、その一端、まだ草稿です。昨年末、掛け花入れを吊るす「スイハツ」を提供してくださっている木工作家 田村富三さんから、田上さんなら何かに使えるんと違う?!と、屋久杉の端材(土埋木、150cm位あり)をいくつもいただいていました。その1つを、刻字作品にしたいと思っています。故郷に思いを馳せた「山川艸木」です。他に、屋久杉の木目を生かして、拭き漆を用いた作品も試作中です。
文人研究会
2月17日(日)、拙宅に中国文学の研究者6名と「藝文書院」の方が集まりました。『中國文人傳』(福本雅一監修、写真1枚目はその一部)の7巻目の出版に向けた研究会です。第1巻は、甲申の歳(2004年)発行ですが、その序文に「・・・志を継ぐ者を信じている。」とあり、涙があふれます。同時に、現実に続いている研究の成果を、私は心から素晴らしいと思っている一人です。写真2枚目は、その様子を台所から撮ったものです。
今は亡き福本雅一先生に、夫は、できの悪い子供ほどかわいい、の如くにご指導を受けたので、先生は私にとっても特別な父でした。皆さんに昼食などを用意することは、この場に先生がいらっしゃるのと同じなので、自然なことです。お箸に、私の磁印「福」を押したものを巻いたのですが、空の上から笑っていらっしゃることでしょう。
古梅園
2月15日(金)、私が所属するNPO法人Arts Planet Plan from IGA 主催の「第4回実技講習会/墨づくりの見学とにぎり墨体験」を行ないました。私が、この度の担当となり、440年余りの伝統のある奈良の老舗「古梅園」を訪ねました。道路に面した店舗から、園内に一歩足を踏み入れると、中庭を囲んで趣のある複数の建物、運搬用の線路も走っています。
最初に案内された「採煙蔵」(写真1枚目)では、煤の採取のための繊細な作業が行われており、窓のない真っ暗な中で200個の土器の炎が燃えている様は神秘的でした。(写真2・3枚目) 次に、膠(にかわ)を湯煎している所(写真4枚目)、そして、いよいよ煤と膠を光沢の出るまで練り上げ(写真5枚目)、梨の木でできているという木型に入れる作業を真近で見せていただきました。ここで、希望者7名が、「にぎり墨」をしました。まだ温かい墨玉を渡してもらい、ギュッと握ると指跡の付いたオンリーワンの墨となり、乾燥後、届けてもらえるのです。続いて、気の遠くなるような手間と時間をかけて行われている「灰乾燥」と「自然乾燥」を見学しました。
参加者の皆さん(13名)からは、伝統を受け継いでくださる方々の姿勢に感嘆の連続!奈良に住んでいても知らなかった、すごい!予想以上の感動!との感想をいただきました。
珠光茶会
奈良市の冬のイベント「珠光茶会」は今年で6回目、県外からのお茶人さん達にも人気の行事となったようで、申込み当日でも希望していたチケットが取れませんでした。2月10日の「七流派おもてなしの共演」の午後の部のみあるというので、富山の母を誘い、弟一家も一緒に6人で、この日の会場 春日大社に出かけました。写真3枚目は、写真可!(動画ダメ)といわれた藪内流のお点前の一コマです。
この日の夕食は、私の娘一家と息子も集まって、この1月に90歳になった母のお祝い会として夢窓庵(奈良市水門町)で行ないました。自宅の庭にもちょうど咲いている水仙の器が出てきた時は(この時季にしか使えないのですから)日本料理のおもてなしの心に感動したものです。集合写真の後ろの軸「石田怜子慈媼(オウナ:⇔翁)卆壽」は、夫がこの日のために書いたもの、母が手に持っている色紙の寄せ書きは、姪のデザインです。
1月の活動
元旦から三か日は奈良で過ごし、3学期の授業が始まるまで、東京経由で故郷富山県入善町に帰省しました。母が亭主として主催する「夢想庵」の初釜は終わっていましたが、炭を熾してもらって、おめでたい感じの好きなお道具を取り合せて(写真1枚目)お薄を点て、茶の湯のおさらいをしていました。写真2枚目は、小間の茶室の床飾り、右は仏手柑、花は全て実家の庭のものです。のどかなお正月のひと時でした。
奈良に戻ってからは、5月にある「墨翔とその仲間展」の作品作りに取り掛かっています。墨を磨り、筆を動かしていると時間を忘れます。題材や構想はいくつもあるのですが、表具しようと思うようなものは、なかなかできせん。
窯出し
1月20日(日)は、「粘土カフェ」穴窯焼成の<窯出し>でした。昨年末、赤松だけを燃料として、103時間かけて、法人会員9名、そのお友達や講習会参加者なども含めて32名の300点余りの作品を焼成しました。不安と期待の入り混じった気持ちで、窯を開けました。写真1枚目は、最初に窯を開けた時の中の様子です。棚前の作品は、灰に埋もれ、薪が当たって倒れている作品も見られます。丁寧に灰を採取しました。(この灰で釉薬作りもしてみたいです。)
次々と出された作品は、手前から順に板の上に並べて、焼成の様子を検証し、感想を聞き合いました。奥の棚まで灰が掛かるようにと、ひな壇のように窯詰めをしたため、その効果はあったようでした。小雨の中の作業でしたが、穴窯独特の面白さを実感できたと思います。棚板や支柱を、また使えるようにグラインダーで整え、窯と窯周りの掃除もしました。参加者は17名、全員で賄いの昼食を摂り、賑やかな一日でした。
作品を家に持ち帰ってから、道具土(団子)がくっ着いた部分は、グラインダーではがし取る作業をしました。ヒビの入ったものは、これから金継ぎなどで繕います。掛け花入れは、面取りをした筒のものが6つ(写真3枚目)、他にも半円のもの・ツノ型・芋型などあり、金具を取り付け、書作の脇に飾りたいと思います。
旧岩崎邸
若い頃は、大工や左官の仕事が面白そうだと思ったものですが、この頃は、遺跡や建築に興味があり、建築史も知らないのに、明治建築!と聞くと、見たい!と思う性分です。国立近現代建築資料館(東京都台東区池之端)で、「明治期における官立高等教育施設の群像」をやっているというので、出かけました。当時の図面に引かれた1本1本の線、これを元に、現存する建物になったなんて、私には夢のようでした。
資料館は、都立庭園9つのうちの1つ「旧岩崎邸庭園」に隣接していました。旧岩崎邸は、明治29年に建てられ、三菱財閥第三代岩崎久彌の本邸だったそうです。写真1枚目は、この洋館正面、2枚目は資料館2階から見える洋館、3・4枚目は和館です。校倉造り風の壁を持つ山小屋の様な別棟(撞球室)もありました。
ゲストハウスとして使用された洋館の設計は、鹿鳴館やニコライ堂などの代表作があるイギリスの建築家 ジョサイア・コンドルで、いたるところに豪華な装飾が見られました。17世紀初頭の英国ジャコピアン様式に、英国ルネサンス様式やイスラム風のモチーフも採り入れたデザインだそうです。
写真1枚目はホールの柱、2枚目は日本刺繍の布張りになっている天井、3枚目は、壁紙「金唐革紙(革でなく和紙、金属箔を貼った和紙に凹凸加工のあと彩色)」、窓ガラスにはステンドグラスや幾何学模様が多用され、テラスや玄関にはタイルが敷いてありました。そして、芝庭が広い!都心に居ることを忘れてしまいました。
正暦寺
1月3日、春日大社の人込みを避け、奈良の東南の山間にある正暦寺を訪ねました。赤い南天の実が参道を染め、川の流れ、鳥のさえずり、いつ来ても静寂で清々しい気持ちになるお寺です。「修正会」が本堂で行われていました。法要後、仏像の真近で説明をしてくださり、本堂(写真3枚目)の右奥の「瑠璃光台」に案内してくださいました。若い頃から交流のある住職さんです。木の階段を登りながら、「これ設計・施工、大原弘信!」とおっしゃって、最近、樹木を伐採して作ったというこの高台からも参拝させていただきました。ここから撮った写真が2枚目です。大屋根が本堂、見えているはるか山の尾根までが境内だそうです。
写真6枚目は、護摩堂から撮った客殿「福寿院」の庭です。左に見えている濡れ縁から見る紅葉が有名で、3000本を超える楓が見事に色づく<錦の里>として秋には参拝客が多いのですが、新年にも相応しい所でした。
年のはじめに
今年の年賀状です。(クリックすると大きくなります。)亥年の一年が始まりました。
昨年10月、書道科の大先輩にあたる墨翔のメンバー中村悦子さんが、続いて11月には清原實門さんが他界されました。歳を取ってくると、淋しいお別れが増えてきました。私は、今年も、中・高校生との書写・書道の授業、大学生との書道部の活動を共にしながら、いくつかのグループ展・社会的な活動の予定があります。今は亡き師や先輩達に導かれ、それぞれの活動の良い仲間に恵まれた環境に居ることに、感謝したいと思います。