12月の活動
今年も、授業や部活、社会的な活動と作品の発表の機会も与えられ、合間には、母と孫のためにも時間を使って、一年が過ぎていきました。落ち着いて読書をすることができなかったな、という想いもありますが、来年以降の課題とします。
写真1枚目は、奈良学園の展示です。2学期の終わりに、いつもカレンダーを書いています。高校生は、隷書で好きな語句を、中学生は行書を学習中、「花鳥風月」と書きました。成績入力後、研修旅行先の岐阜から、富山に帰省しました。ちょうど雪が降り積り、母の代わりに毎日、雪掻きをしました。写真2枚目は、奈良に戻る時に、黒部宇奈月温泉駅のホームから撮ったものです。
お節作りをしながら、30日にやっと自宅のプリンターで年賀状(200枚)の印刷が完成、大晦日に印を押し、墨を磨って宛名書きを始めました。
三河・美濃の美術館めぐり
NPO法人Arts Planet Plan from IGA http://www.appfi.org の研修旅行に参加しました。1日目は、行ってみたいと思っていた「豊田市美術館」でした。美術館は、豊田市街を見下ろす丘の上にあり、挙母(ころも)藩のお城があった所だそうです。「ジャコメッティ展」をやっていました。美術館の建物は、建築家 谷口吉生氏の代表作の一つとされるモダンな外観で、常設の現代アートも庭に置かれた野外彫刻も楽しく、茶室まで歩くと、七洲城隅櫓(すみやぐら)辺りから、大池と一体となった美術館全体を美しい空間として鑑賞することができました。
その後、北東へ車で30分程の、三州街道の足助宿(写真3・4枚目)を散策しました。紅葉で有名な香嵐渓は、一面の敷き紅葉となっていましたが、風情を感じました。
2日目は、足助のホテルから、西北に車で1時間程の「多治見市モザイクタイルミュージアム」でした。4階建ての美術館ですが、何と夢のある建物でしょう。写真2枚目は、タイルの原料を掘り出す「粘土山」の写真ですが、この建築のモチーフでしょうか、独創的です!設計をされた藤森照信氏の、他の作品も見たいと思いました。館内は、懐かしくかわいい製品の数々、歴史的資料や制作工程の展示など、写真3枚目は、吹き抜けになって外光の差し込む「タイルのカーテン」です。小さなモザイクタイルが作り出す楽しさに溢れていま
した。
その後、セラミックパークMINO内にある「岐阜県現代陶芸美術館」(磯崎新氏の設計)に行きました。興味津々の現代国際陶芸展をやっていました。
11月の活動
毎週、行事がありました。合間を縫って、骨折した母のお見舞いに出向きました。故郷の山々は、手前は紅葉で、仰ぎ見る白馬岳・朝日岳などには雪が積り、それらが如何に高い峰々かがよくわかる、美しい光景でした。
友人の作品展にも行きました。1つは、学生時代から<煤墨>を使った書作を発表し続けている増田達治さんの個展(リーガロイヤルホテル大阪にて)です。今回は、抽象作品でしたが、抽象を描いたのではなく、抽象を書いた!とのこと、テーマは「言 葉なき詩(うた)」でした。
もう1つは、「学園前アートフェスタ2017 メメント・森」の現代アート部門の招待作家のお一人、田所尚美さんのインスタレーションです。大和文華館・蛙股池を望む浅沼記念館のベランダに「地虫出づ」、また、映像室の展示は古墳のような空間が出現していました。いずれも磁土を高温で焼しめた莫大な数のオブジェで構成されています。
「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 2017 」のアートフェアには様々なお店が18、屋号などのプラカードを書きました。写真は、その一部です。
芸術祭の準備は、デザインが専門の方による募集要項・ポスター・チラシ・目録作りをはじめ、賛助金の手続き、発送業務、会計など多岐に亘ります。会議の議事録(記録係)は、私の最も苦手な仕事ですが、看板・掲示物を書く仕事だけは、すぐできるので苦になりません。筆文字が活かせて、嬉しいことです。
画家で小説家の東尚彦さん(本名:海田尚彦)の葬儀が、21日にありました。学生時代に氏の古本屋「大学堂」でバイトをしていた頃から、辛口の助言をしてくださる特別な存在でした。写真は、氏の作品が飾られている店先と、時々お話を聞いたお店の奥、そして、「気韻生動」と書かれたペン立ては、いただいたものです。「つまらない人間としゃべってる時間があったら世界の名著を読み、その人と会話しなさい」と言われたこと、忘れません。
クリスマスイブの24日、かつて書道部員だった生徒の結婚式がありました。お祝いのお手紙には「寿」の印を遊印とし押し、プレゼントの作品を包装した際には「鶴亀」の印をシール代わりに使いました。
墨香展
奈良女子大学書道部は、11月25日(土)~27日(月)、学内の「記念館」2階の講堂において「墨香展」を行いました。「記念館」は、通常は一般公開されていない重要文化財の建物ですが、「墨香展」開催中は、どなた様も自由にご入館いただけました。
写真1~3枚目は、講堂を入った正面の様子です。4・5枚目は、入口側の様子です。1回生~4回生までの21名、OG2名に、賛助出品、顧問の尾山慎先生と私の作品も加わり、46点の展示となりました。
臨書作品の中で、1つの古典を全臨した作品が4つありました。左から、1つの青銅器にたくさんの文字が鋳込まれた「金文」の作品、その右は、唐時代の有名な楷書『九成宮醴泉銘』、聯落ちサイズ2幅の大作で、本人もこの上ない達成感があったと言っていました。2枚目の写真は、宋代の黄庭堅の行書『松風閣』、折り帖に失敗なしで書きました。共に、部活の中心となっている3回生の挑戦でした。
3枚目の写真は、吉田松陰の『留魂録(りゅうこんろく)』、原寸(はがき大)の小さな冊子となっています。松陰が、処刑前に獄中で松下村塾の門弟のために書いた遺言「身ハたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂・・・」と始まる全文を、「私も松陰の弟子なんだという想いで書いた」そうです。私は、感心するばかりです。写真4枚目は、合宿中のものです。
「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 2017」
11月18日(土)~23(木・祝)、伊賀市の中山間部にある旧矢持小学校をメイン会場として、今年も、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 2017」を開催しました。地域の皆さんと、私が所属しているNPO法人事務局が実行委員会となり主催、芸術を通して手作りの交流を楽しんでいます。
「かたち展」は、廃校になった校舎1階~3階の教室・廊下と屋上に、47人(組)の作品を展示、「アートフェア」は、19日(日)体育館で18団体がお店やワークショップを行ないました。※新聞記事
初日には、ギャラリートーク(自作を語る)がありました。様々なジャンルの方々の制作意図や技法を知ることができ、世界が広がり勇気をいただける貴重な時間です。屋上には、3mほどの生き物のような立体作品「ヒノハナ」が、バックの森に映えていました。銅と木や枝で出来ているそうです。その後の交流会も楽しく、お話は尽きませんでした。
写真1枚目の屏風状の孔雀は、穴窯仲間の角谷真人さん(名張市)の作品、動物の陶彫を得意とされていますが、この度は木製です。2枚目は、彫刻家 池田丈一さん(大阪市)の木彫作品と、後方には斬新な手法の日本画。3枚目は、「多羅樹」の葉っぱ、裏面は傷をつけると字や絵が書けるため郵便局の木ともいわれているそうです。植物画集などを出品されていた日本画家の作品の内の一葉です。
4枚目は、彫刻家 野崎窮(キワム)さん(徳島市)の石彫作品「空石」、気の遠くなるような作業で空いた穴に、吸い込まれそうで見入ってしまいました。5枚目は、材木の形やコブ・節をどう活かすかと考え、動物などを彫っていらっしゃる木彫作家さんの「アリクイ」です。他には、平面作品(絵画など)をはじめ、鏡を使ったインスタレーションや灯りの共同作品などもありました。
写真1枚目は、木工、陶芸など工芸の作品を中心に展示している2階の和室です。正面は、「田上早百合の壁」と題して、春に制作した書作3点と昨年末に穴窯で焼成した掛け花入れ4点で構成した私のスペースです。写真2・3枚目は、伊賀焼作家さんに褒めていただいた掛け花入れと、写っていない右端の掛け花入れ、4枚目は、窓際に置いた花器と筆架です。
「金継ぎの仕事」も出品しました。何か所も金継ぎのある5枚の付け高台の皿は、友人の作です。何を載せてもおいしそうな高級料理に見えるので30年以上も愛用していたものですが、これからも使えるようになりました。器を最初から作った方が早いと言われそうな程、金継ぎには時間がかかりました。
「かたち展」には、早いもので12回目の参加です。書展でも陶芸展でもないので、毎年これまでの1年間で制作した作品何でも見てもらえる(自分の全てをさらす)機会です。これらの作品を前にして、書家ではない方々のご意見を伺うのは、師匠のいない私にとって何よりの学習の場となっています。
第8回 「大仏書道大会」
平城遷都1300年祭記念行事として始まった奈良21世紀フォーラム主催の「大仏書道大会 ~書くことは楽しい in 奈良~ 」は、いつの間にか8回目となりました。11月11日・12日、東大寺大仏殿西回廊に、全国の高校生・大学生から寄せられた100点の作品を展示しました。12日には、回廊にて「席書会」を行ない、大仏の基壇に登壇して奉納するという奈良らしい行事です。※新聞記事
毎年、審査や準備に携わり、搬入・搬出や当日の受付は奈良女子大学書道部員と共に協力しています。
講評 | 講評 | 講評 | 講評 |
講評 | 講評 | 講評 |
正倉院展期間中でもあり、遠方からの来場者もありました。皆さんから、感動した、書いてある言葉がいい、という感想を聞くと嬉しくなります。「問題は山積みさ・・・」「自分をもっともっと連れ出すんだ」など高校生らしい言葉、災害・平和への想いを綴っていたり、歌の歌詞や仏典・記紀万葉からの引用など様々です。書は技術を見せるだけのものではない、と常日頃思っていることを、私は、この展示を通して確認しています。
写真は、特別賞の7点です。鑑賞の参考に、審査員を代表していつも講評を書いています。
私が、面白いな、と思った作品が、写真右上の「原点回帰」(本人の出品票にあるコメント)です。草書で「原」と「帰」が堂々と書けているところを見ると、書道に熱心だったと思われますが、それだけで勝負せず、「点」を打ち、「回」を淡墨で回しています。この言葉が書きたい、自分には大事な言葉だと思って、自分なりの表現を工夫しています。このように書を楽しむことができたら、いいですね。
書道パフォーマンス
奈良女子大学の書道部は、11月3日、学園祭の野外ステージで、4回目となる書道パフォーマンスを行ないました。9月の合宿には、書道パフォーマンス係が中心となって、曲や文言が決まり、15名の部員の参加が決まると、10月から放課後の練習が始まりました。書く文字の練習だけでなく、どのタイミングで書き始め、どこを廻って退場、だれがどこに立つ、だれが竿を持つ、など話し合いながら進める様子は、部活ならではのものだと、私は感心して見ていました。
今年は、ピンクっぽいオレンジのお揃いのTシャツです。私も同じTシャツ姿で、息のあった書道部員達の様子を、動画と写真で撮っていました。3回生6名がはいた袴が好評でした。
10月の活動
2つの大学の書道部は、後期が始まり、「学祭」に向けて活発に動き始めました。11月に開催する「大仏書道展」の審査や準備(特別賞の講評・賞状の揮毫など)をしていました。
奈良女子大学書道部の様子です。学祭で、書道パフォーマンスを披露するので、授業の後に集まり、暗くなるまで練習をしていました。
裏千家流の立礼(りゅうれい)の棚です。造形作家の弟 石田歩が、母のために、シナベニヤと角材を用い塗装して作りました。父の七回忌のため、富山に帰省しました。法要は自宅で行ない、その後、略式で母がお茶を点て、お坊さんや親せきと和やかな時を過ごしました。この棚は、四角い箱2つと板に分解でき、4月に開催された町のイベント「桜茶会」でも活用されたそうです。(故郷 入善町には、国指定天然記念物「杉沢の沢スギ」林に、入善乙女キクザクラという世界でひとつの新品種の桜があります。)
奈良学園大学の学祭展
10月29日(日)、奈良学園大学登美が丘キャンパス(奈良市中登美ケ丘)の学園祭が開催されました。私が指導にあっている書道部は、1号館2階ホールにて書展を行ないました。部員は、短大学部2回生の3名のみですが、各々が好きな古典の<臨書>に熱心に取り組みました。(1枚目の写真、手前左3点) うちわや色紙の<創作>作品は、幼児教育の造形の技術を活かして、絵とメッセージを楽しく書いたものです。有志の先生方にも色紙に揮毫いただき、応援してもらいました。
レインステックの講習会
「レインステック」という楽器の心地良い雨の音に魅せられて、10月21日(土)、NPO法人 Arts Planet Plan from IGA http://www.appfi.org の実技講習会に参加しました。講師は、木工作家のもりたいよしこさん、弦楽器「ライアー」作りや演奏活動をされています。
あらかじめ竹を用意していただいており、ドリルで小さな穴を螺旋状にあけ、楊枝をさしていきます。(写真1枚目) 表面を整えると、竹の内部は、写真2枚目のようになります。中に、ビーズ・木の実・小石・ボタンなどを入れ、切り口を塞ぎます。表面の装飾に、私は、毛糸を巻きました。音をお伝えできないのが、残念です。
大仏書道展の審査
万葉蹴鞠の復元など、奈良文化の伝承と創出をテーマに活動されているNPO法人 奈良21世紀フォーラム http://nara21cf.org 主催の「大仏書道大会 ~書くことは楽しい in 奈良~」に協力しています。 ※チラシ ※事業内容 ※募集要項 ※審査基準
大仏書道展には、全国の高校生・大学生から1575点の応募があり、10月17日(火)、一次審査を行いました。技術の優劣で分けることなく、出品票のコメントを読みながらの審査ですから、時間がかかり体力が入ります。300点くらいに絞り、20日(金)に本審査を行いました。写真は、審査の大詰め、特別賞の候補を出し合っているところです。今年8回目となり、作者の想いが豊かにあふれる独創的な作品を、と呼びかけてきたことの手応えを感じるようになりました。こうありたいものだと若者から学ぶ機会でもあり、貴重な仕事をさせていただいています。応募してくださった皆様、ありがとうございました。 ※新聞記事
9月の活動
二学期の授業は4日(月)から始まりました。毎年9月に参加している「風と土のふれあい芸術祭」が11月の開催となったというのに、芸術の秋は、容赦なくやってきました。
2日にあった国文祭開会式での「書道パフォーマンス」と、その後の書道部の「合宿」は出て行けば何とかなる仕事でしたが、「穴窯なかまのカタチ展」の方は、直前まで準備に追われました。写真は、娘が撮ったスナップショット、二人の孫がいるリビングで夢中でパネル作りをしているところです。
3日に、穴窯なかま5名が拙宅に集まり、チラシなどの発送の後、目録とキャプション作りは分担してくださったのですが、活動紹介をするパネルは、写真メインでコメントは短く、という方針のみ皆で決めただけで解散、私が作ることになったのです。なかまの作品はすでに揃っており、
間取りを調べて、配置予定は立てていました。9日には、赤井家住宅で開催されていた漆展(作品もですが、会場のレイアウト)を見に行き、最終チェックを怠りませんでした。
2005年に穴窯造りをしたところから始まる「粘土カフェ」の活動を、スチレンボード(サイズA2)4枚にまとめました。12年間のたくさんの写真を上手く取り上げるには、時間不足、また、コメントはパソコンで打ち出して貼るといいとのことでしたが、大きさの設定がわかりません・・・、手っ取り早く手書きです。従って、コメントは極端に短くなりました。 ※法人活動のパネル
会場では、私達の特色ある活動の紹介に、一役を担うことができました。穴窯作品を展示するだけでなく、活動自体を知っていただきたいという願いが叶い、興味を持ってくださる方もいて嬉しく思いました。
奈良学園高校1年の篆刻作品の一部です。一学期の後半に、自分の名前の印を各々3顆、刻しており、二学期の最初の授業で補刀をして完成させました。一番大きい印(2.5cm角)は、「大仏書道展」の作品(半切二分の一)に押すといいと思って制作したものです。
書道選択者全員が、10月10日締め切りの「大仏書道展」の作品を、4時間程かけて仕上げました。テーマに添って「何と書くか」ここから書作が始まっていること、自らのその想いをどう表現するかは自由だと伝え、初めての創作に挑戦でした。奈良女子大学と奈良学園大学の書道部員達も、大仏書道展の趣旨を理解し、各々工夫した作品を書いてくれていました。
穴窯なかまのカタチ展
9月16日(土)~18日(月・祝)、「穴窯なかまのカタチ展」を行ないました。主催は、NPO法人 Arts Planet Plan from IGA http://www.appfi.org 、法人内の自主活動グループ「粘土カフェ」が中心となって開催しました。会場は、3年前に修復された登録有形文化財「赤井家住宅(伊賀市上野忍町)」です。武家屋敷独特の長屋門(写真1枚目)、庭には茶室や土蔵もある趣のある施設でした。
法人のワークショップで穴窯を築いてから12年の間に、8回の焼成を実施してきましたが、作品展は初めての試みでした。「粘土カフェ」の活動の様子を、地域の方々に広く知っていただきたいと思い、街中での作品展を企画しました。これまでの参加者に呼びかけ、16名が参加、60点余りの作品を展示しました。※新聞記事
写真は、玄関を上がってすぐ右の和室です。手前に、鎧のような4つの花器、5つの植木鉢が並び、正面に、私の掛け花入れ3点です。奥のコーナー(写真2枚目)の左4点が、漆継ぎ金継ぎのある私の作品、あけび、稲穂や山帰来を生けました。サンマ皿の自然釉が綺麗です。
他の4つの和室は田の字型で、奥には床の間が二間続きであり、写真は、手前の和室二間の様子です。写真2枚目の「フクロウ」は、穴窯を造りたいと最初に提案された恩人ともいえるKさんの遺作です。是非一緒に並べたいとお願いして、実現しました。
写真3枚目は、私のコーナーです。蚊帳用でしょうか、引っ掛けられる釘のようなものが鴨居にあったので、左右に掛け花入れを掛けました。あとは、水滴など大好きな文房具、花入れと茶碗です。茶碗は、銘を「藤原京」と付けました。逆さまにして窯詰めしたため、呑み口に3つの釉溜まりができました。それを三輪三山に見立て、中の自然釉が掛かっていない白っぽい部分が藤原の宮というわけです。
2つの床に、私の書作を掛けさせてもらっています。左の床の作品は「衡(こう)」、穴窯焼成の器に木製の棒が通されて、はかりのような造形作品です。他にも、和紙(写真1枚目の手前左端)、金属(写真4枚目)など、異素材を組み合わせた作品がありました。窯
出しの段階ではこうはなってないので、興味深く拝見しました。
写真3枚目は、北向きの縁側です。中央の比較的背の高い2点が、私の作品です。持ち手が手裏剣になっているココット、人体3つでできている器、穴窯で焼成すると本物のようなサザエなど、 伊賀焼の伝統に囚われない自由な作品が並びました。
動物の作品などが並ぶ、南向きの縁側です。会期中の2日間は、秋雨と台風の影響で雨が降り、ガラス戸を閉めていました。3日目は晴れたので、ガラス戸を開けると、緑が美しい庭園と会場が一体となりました。写真2枚目は、これも穴窯で焼いた大きな「ワニ」と、鏡の台に写った情景も作品として取り入れる手法の展示がおもしろい「土の音」です。「ワニ」は、ずっと以前から庭に置いてあったかのように、他の石などと馴染んでいました。
奈良女子大学書道部の夏合宿
例年8月末に行なっていた奈良女子大学書道部の夏合宿は、国文際の開会式後の9月5日~7日に変更して、吉野上千本「竹林院 http://www.chikurin.co.jp 」で行ないました。吉野山でも上千本は眺めのよい所です。ここでの合宿は、私は3回目、初めて訪れた時は、若かったのでしょう、奥千本にある「西行庵」まで学生達と歩いたものでした。
合宿参加者は、1回生~4回生の部員15名、ゲスト1名と私の17名でした。主に11月に行なう「墨香展」の作品や大仏書道大会の出品作品を書き、それに押す印の制作もしました。
竹林院は、聖徳太子の創建と伝わる寺院で、歴史を感じさせる格調高い建物、さらに境内には、大和三庭園の一つ「群芳園」という池泉回遊式の庭園があり、吉野山を借景とした景観は見事でした。吉野町長を歴任されていた住職さんから、吉野が古くから修養の地であったことや、桜は植林し続けなければ守れないというお話を伺いました。明治初期から宿坊となったそうです。ロビーには、豊臣秀吉が観桜した時(1594)の弁当箱(写真3枚目)などの展示がありました。
3日目の午後は、散策でした。日本住宅史上最古の書院のある世界遺産「吉水神社 http://www.yoshimizu-shrine.com」では、もう5分だけと言って軽妙にお話しされる佐藤一彦宮司の歓待を受けました。写真4枚目は、後醍醐天皇の玉座、桃山時代の御所造の風格が感じられました。名宝の数々が、素朴に展示されていました。
国民文化祭・なら2017 の開会式
9月1日~11月30日に開催される「第32回 国民文化祭・なら2017」「第17回 全国障害者芸術・文化祭なら大会」 のオープニング「開会式」が、9月2日(土)19:00 から行われました。会場は、東大寺大仏殿前、皇太子同妃両殿下もご臨席でした。この開会式のプロローグ・式典に続く、フェスティバルの第二章、日本文化の一部に、奈良県地域振興部からの依頼を受けて、奈良女子大学書道部が、大会のテーマを書かせていただきました。
写真は、当日の控室となった奈良県文化会館の前で勢揃いの部員達です。黒子9名は髪を括りオレンジのリボン、揮毫の3名は美容院で髪をUPにして臨みました。
フェスティバルは物語形式で、「なあ、栄叡(えいよう)・・・」と、唐に渡るも奈良に戻れなかった親友に呼びかける奈良時代の僧 普照のナレーションから始まりました。渡来文化の伎楽・舞楽や天平行列などの後、書道部の出番は、翁舞、子供狂言の次、会場の大きなスクリーンに奈良に伝わった茶・墨跡・墨作りの映像が写り、普照のナレーション、この暗転の間に、息を合わせて板付きました。照明が当たると、3人の書道パフォーマンス開始!(写真1~3枚目)でした。書き上げて3枚の用紙を一斉に揚げる(写真4枚目)と同時に、客席から大きな拍手が起こりました。若い力が伝統を支え・・・、奈良の都は今盛りなり、といったナレーションが流れていました。
この開会式の様子は、奈良テレビによりコマーシャルなしで2時間、生放送されました。写真は、イメージソングを大合唱しているフィナーレの場面、散華が舞っています。この時の舞台の最後列では、部員達(黒子)がパフォーマンス用紙を支えていました。
8月の活動
夏休みだというのに珍しく、薪割り合宿(伊賀市)以外は宿泊でのお出掛けをしませんでした。先月末に、娘がお里帰り出産をしたためです。緑に包まれた家に居て、普段の家事をしていても、日常のあたりまえのことが幸せだと感じ、秋のイベントの準備をしながら、気持ちよく楽しく暑い8月を過ごしていました。
写真は、東大寺大仏殿の万灯籠(8月15日)の様子です。灯籠に込められた願い、そして読経が心に響きました。感謝の気持ちを伝え、平和を祈念しました。
来月に行う「穴窯なかまのカタチ展」の会場は、伊賀上野の街中にある武家屋敷「赤井家住宅」です。チラシに載せる会場周辺の地図を作りました。手書きで緑の道を書き、ワードで縦書き・横書きの文字を入れました。できる人には笑われそうですが、機械が苦手な私にとっては苦心の作です。ちらしのデザインワークを担当してくださった方が、信号をカラーにしてくださいました。
伊賀市役所にある記者クラブ、市内の施設やギャラリーなどにチラシをお届けしました。
秋の行事のトップは、「第32回 国民文化祭・なら2017 」の開会式(9月2日)に、奈良女子大学書道部が書道パフォーマンスを披露することです。県の担当の方やイベント会社の方々との打ち合わせを経て、16日は、県立橿原公苑第2体育館での合同練習、31日と前日は、東大寺大仏殿でのリハーサルでした。
この度の参加者は、揮毫の3名(3回生)と黒子9名です。用紙1枚は、天地2m×幅4.5m、これを3枚セットにして6組作り、若草山風の下絵も入れました。ポールを直角に取り付けるところが、揚げた時に弛まないためのポイントです。(写真1枚目)オレンジ色の小さなバケツに色を合わせて、裏地用のサテン5mで3本の派手な襷を作りました。3人同時にテーマを書くのは40秒ですが、入場と退場、上げるタイミングなどは、奈良女書道部のチームワークの見せ所です。
真夏の薪割り合宿
8月18日(金)~20日(日)は、NPO法人 Arts Planet Plan from IGA http://www.appfi.org 「粘土カフェ」恒例の薪割り合宿でした。暑い最中の薪割り合宿は、かつて学生ボランティアさんが大勢来ていた頃に、学生さんの提案で始まったものです。最近はメンバーの高齢化が進んだため、作陶会も組み込んで、休み休み行いました。また、9月に行う「穴窯なかまのカタチ展」会場(赤井家住宅)の下見に行き、展示の相談もしました。3日間の参加者は、のべ19名、54束の薪ができました。
今年も「庵プロジェクト」(写真1枚目の右)と合同で行ない、多い時は11人で賄い当番さんが作った食事をいただきました。2枚目の写真は、「粘土カフェ」も協力して、庵の踏み石にするための大きな石を、原始的な方法で移動させているところです。(この時、私は庵の床に立ち、声援と写真を撮るだけの人でした。)
ご朱印
今年はお盆に帰省しなかったので、東大寺大仏殿のご朱印書きのお手伝いを2日間しました。13日~15日の3日間は、19時から夜間拝観も実施され、中門から自由に入ることができ、ライトアップされた大仏様のお顔を、破風下の観相窓から拝することができます。
戦没者や震災などの慰霊の読経を、堂内で間近に聞きながら、大仏様のお膝下で、「華厳」と書き、2つのご朱印を押しました。若い方の間でも、ご朱印を集めるのに熱心な方が増え、連日、行列が出来ました。次々と猛スピードで書き続けました。
7月の活動
7月18日、日野原重明先生が天に召されました。昨年末に亡くなった渡辺和子先生と共に、私は若い頃にお二人の講演を拝聴したこともあり、尊敬していました。歳を取るということは、そのような方達とのお別れがあるということなのですね、残されたいくつもの言葉は、これからも私の支えです。
一学期の授業は7月3日で終わり、部活があるだけの夏休みになりました。毎年、庭の草刈りと、本や雑誌、DMやチラシなど物の処分を始めます。古いノートなどは捨てる前に読みふけってしまい、時間がいくらあっても足りません。というわけで、創造的な仕事はほとんどしませんでしたが、9月に行う「穴窯なかまのカタチ展」のチラシとDM用にタイトルを書いてみました。活字より印象に残るといいのですが。
暑い最中に、友人の陶芸家 松元洋一氏の「青䖸窯」で、小さな薪窯を焚くというので、窯焚きと窯出しのお手伝いに行きました。滝のような汗をかきました。この小窯は、上部全体から作品の出し入れができる構造で、主に食器などの小物用、この度は、ヒノキの廃材を使って焼成しました。私の小さな作品(焼き直し、写真3枚目)も隅っこに入れてくれました。
「青䖸窯」では、来年2月に大窯を焚きます。写真4・5枚は、轆轤場にあった1m以上もある花器、逆さまにして乾燥中です。このような大きな作品をどのようにして作るのか、大がかりな窯焚きと共に、彼が集中講義を担当している大学の企画でビデオが制作されるということです。彼の後継者がいないのを残念に思っているのは、私だけではないようです。
6月の活動
毎年6月は、私が指導に当たっている2つの大学の書道部員を対象に、「書写技能検定」(単独会場)を実施しています。試験に向けて過去問を中心に勉強しますが、検定2級などは、書道を志す人が理解しておくといい良い内容だと思います。幸い受験者 全員が合格しました。
6月11日、かつての講師仲間と宇治に行きました。1枚目の写真は、緑深い森をバックに堂々とした姿の宇治上神社の本殿(国宝)です。2年前は修復中だったのですが、再び、流造の美しい屋根を眺めることができました。
写真2枚目は、お食事をした川床「鮎宗」から撮った宇治川です。「鮎宗」は、私のホームページをUPしてもらっている情報専門の小林先生のお友達 梅ちゃんが亭主の料理旅館で、採れたての鮎はもちろん、茶そばや特製の鰻いいむしもいただきました。宇治川では、7月1日から「鵜飼い」が始まるそうです。
古民家ギャラリー「五風舎」さんで、陶芸家 田所尚美さんの個展がありました。会場全体を使ったインスタレーションには、彼女の想いが託されています。陶芸によるこのような表現に、(私はできないからでしょう)とても興味があります。作品を前にして、お話をしていると色々なことを考えさせられました。
11月4日~11日、「学園前アート フェスタ2017 メメント森 http://gakuenmae-af.com 」が開催されますが、田所さんは、現代アート展の10組の美術家の一人として出展されます。楽しみです。
桂離宮参観
図録でしか見たことのなかった別世界の桂離宮、母の希望で、3ヶ月前からのウェブ予約をして参観が実現しました。梅雨の晴れ間の6月24日、弟を誘い私達夫婦と4人で出かけました。担当の方の丁寧な解説と誘導で、広大な回遊式庭園の、複雑に入り組む汀線を持つ池を右回りに、約1時間かけて歩きました。
飛び石や延段(写真1枚目)を踏みしめ、土橋・板橋・石橋を渡り、入江や州浜、石灯籠や手水鉢、舟着き、そして4つの茶屋・持仏堂・書院群が眼前に現われました。思ったより起伏があること、見る方向から姿が変化する様は、実際に歩いてみないとわからないことでした。農地までも景観として備え、どの位置からも、また季節毎に、月や自然を愛でる、そのための素朴で優しい配慮に感動しました。
乗馬クラブ「クレイン三重」の展示
私が所属しているNPO法人 Arts Planet Plan from IGA の拠点「MORITAI造形アトリエ伊賀」から、車で3分、歩いて20分の所に乗馬クラブ「クレイン三重 http://www.uma-crane.com/map-mie/ 」があります。利用者の方々の目を楽しませることができたらとの依頼を受けて、レストラン(写真1枚目)内に、法人会員の作品を展示しています。今回は、4名の作品10点を飾りました。右壁面5点の小品が私の作品、額装の書作と文字のある台皿です。定期的に展示替えをします。
建物としてはお隣さんです。このような地域交流ができるのは、嬉しいことです。
5月の活動
連休後半に行った「墨翔とその仲間展」は、私にとっては大きな仕事でした。なので、やれやれ終わったら少し暇になるかと思いましたが・・・、看板やロゴの揮毫、秋の行事の準備、遠方からの来客も続き、毎日忙しく過ぎました。振り返ってみると、グループ展会場に居た3日間が、一番自由な時間でした!
写真は、中一書写の授業の黒板です。「永字八法」は、いつの頃からか教科書から姿を消していますが、これを書けるようになると何でもすぐ書けるからね、と言って私は毎年必ず取り上げています。古法による各々の点画の解説は難しいようでいて、イメージがつかみ易いと思います。生徒は真剣に聞いてやってくれます。
粘土が固くなったものを再生する時に使う「石膏板」を、彫刻家の森田耕太郎先生に教えていただいて作りました。先ず板で枠を作り、ガラスの上に置いて粘土で固定、板の内側に離型剤としてママレモンを塗り、解いた石膏を流します。石膏の補強のための「スタッフ(マニラ麻の繊維)」というものを初めて知りました。石膏で陶芸用の型を作ったことはありましたが、まだまだ知らないことばかりです。この繊維を石膏の間に入れながら(写真2枚目)仕上げていきました。制作に必要な道具を自分達の手で作るのは、もの作りの醍醐味ですね。
家から車で南に1時間ほどの宇陀市榛原へ仕事で行きました。一日中書道をした後、ご近所を案内してくださいました。本居宣長も宿泊したという旅籠「阿婦らや(あぶらや)」(写真1枚目)の前で、街道が二手に分かれています。石の道標(写真2枚目)には、「右 いせ本か以道(伊勢本街道)」「左 あ遠こ江道(あを越え道)」とありました。旧街道にはロマンを感じます。町家の佇まいにも、榛原がお伊勢参りで賑わった宿場町だった名残りを見ることができました。
少し南に歩くと、宇陀川の対岸に「墨坂神社」(写真4枚目)がありました。この川の下流は室生へと続き、かの大野寺弥勒磨崖仏があるんだな、と思って眺めました。さらに、万葉集に「かぎろひの立つ見えて・・・」と詠われた阿騎野も、大和棟古民家も、又兵衛桜も近くにあるぞ!見たいな、行きたいな、などと思うので、きっと毎日が忙しくなるのでしょう。
奈良女子大学書道部の「May展」
5月2日(火)~29日(月)、奈良女子大学正門前にある「旧鍋屋交番きたまち案内所」を使わせていただき、「May展」を開催しました。この会場での展示は、ほぼ1年ぶり、4回目です。新2・3回生は、3月末に日帰り合宿を行ない、5月(初夏)をテーマにした共同作品(仮巻き)3点を作成、新年度早々のこのイベントに臨みました。
展示スペースは狭く、四畳半程ですから、小品の作品の発表の場となっています。写真は、会場の左入口の「鯉のぼり」から、順に、右壁面の色紙作品です。私は、竹製の捶撥に、磁印(写真5枚目)を押した短冊と穴窯焼成の花器を掛けました。
墨翔とその仲間展
5月5日(金・祝)~7日(日)、奈良県文化会館2階(C・D展示室)において、「書グループ 墨翔とその仲間展」を行いました。墨翔のメンバーは病気の方もあり5名、墨翔展としては34回目です。その仲間は今年は、大学生から60歳代までの14名、私は、その仲間の一人として3回目の参加でした。
写真は、私のコーナーです。書作と陶芸作品で、担当壁面10mを構成しました。毎回、展示が済むまでは緊張しますが、個展ではお目にかかれない多くの方々に見ていただくことができ、お祭りのように賑やかで、楽しい3日間でした。
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このグループ展のために書いた作品は、3点でした。
「陰陽」は、その2文字にコザト偏が付いた、作品としては書きにくい題材でしたが、技術より何を書くかが大事だとすれば、書きたい想いが強くあり、心に留めていた言葉でした。しっかり時間をかけて墨を磨り、書体を金文と決めてからは3枚書いただけで、3月の墨翔の集会の日になりました。これは、いい!これ以上書けないやろうなぁ~と先輩達に言われ、3枚の内で選んでもらった1点です。あとの2作も、この心情に近い内容の言葉を選びました。
陰陽の作品に押した落款印です。作品は出来たものの、ちょうどいい大きさの印がなかったので、田上鐵牛(夫)に依頼しました。素焼きした大きめの印材(磁印)を渡して、私は旅行に出かけましたが、帰ってみると、私が陶芸で用いる「窯印」が刻してありました。手抜きジャ~ン!と言うと、笑っていました。
施釉して本焼きをし、仕方なく押してみるとマアマア違和感はなく、吉川表具店で、あまりないピンク系のシンプルな軸装にしたいと相談して、完成しました。会場で、作品作りを楽しんでますね、と言われたのですが、褒められたのかな。
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中央に、「心」とくり抜いた花入れ(写真1枚目)置きました。昨年末の穴窯焼成には、私は100点程の作品を入れました。その中でも、よくこんなに上手く灰が掛かったものだと、穴窯の面白さを実感した作品の1つです。
写真2~4枚目は、書(墨や呉須)・篆刻(磁印)・陶芸(文房具)・金継ぎによる、私らしい作品です。小さな作品とはいえ並べ過ぎたと、並べてみて2日目になってから気付きました。
作品の脇を飾る花器3点は、「心字鶴首花入れ」同様、昨年末の穴窯で焼いたものです。左から、自然釉が上手く掛かった面取りの筒花入れ、衝立は旧作ですが、表具の色を黄色にしてみました。2つ目は、台所でアップルパイを作っている時に、同じ要領で籠のように作り、一部に志野釉を掛けたものです。3つ目は、赤土で成形し、藁を巻いて窯の奥に入れたものの1つで、藁の跡がよく残りました。
これらの作品を掛けた「捶撥(左から、船の古材、屋久杉、吉野杉)」は、木工作家 田村富三氏の作品です。花は、搬入の日の朝に、近所を散歩して摘んだものと、庭にあったものです。茶花風の生け方を習得したいとは思っていますが、いつになることでしょう・・・。
墨翔メンバー 5人の作品を紹介します。1つ目は、会場入り口正面を飾った幅15mもある濃紺の布、金銀で書かれた『妙法華経』です。家族を亡くされ、写経を日課とされている志民和儀氏の作品です。2つ目は、早崎蘇石氏の作品、中央には段ボールにボンド墨で書かれた「跡」、英語と絵のある作品は「倣若冲〇〇図」と題されたユニークなものです。
3つ目は、河野通一氏の作品の1つ、漢代の珍しい玄武紋のある塼(かわら)の拓に、その銘を得意の隷書で書かれたものです。拓本や中国の塼そのもののコレクションも多く、退職されてからは「臨書」の日々とのことです。4つ目は、篆刻家でもある濵上哲氏の作品、陶淵
明の『飲酒』などの漢詩と良寛の詩の一部です。そして、5つ目は、僧侶 中西玄匡氏の作品の1つ「塔・樹・雲・月」、このような風景をどこかで見たような、水墨の大らかな世界のように感じました。
墨翔の仲間のほんの一部を紹介します。1つ目は、カメラマンで東ティモールの独立(主権回復)以前からNGOの活動をされている文珠幹夫氏の作品の1つです。「朝日は友達・・・」は、独立15周年に寄せてとあり、子供達に深い愛情を注ぐ想いが伝わります。2つ目は、小川起石氏の〇△□シリーズ8作の内の一部(3作)です。3・4つ目は、大学生の作品です。どれも個性的な作品です。
4月の活動
今年度の授業は、10日から始まりました。読書の時間がほしくて、昨年度から授業(非常勤)は週2日にしました。それまで、どうやって週4日もできていたのかと、不思議に思いながら1年が過ぎました。
写真1枚目は、奈良学園(大和郡山市)の本館ホールに、新学期になってやっと展示ができた中一の作品です。今年2月、好きな四字句を行書で書いていました。
第3日曜(16日)は、伊賀の法人の陶芸グループ「粘土カフェ」の定例活動日でした。集まった8名の仲間と共に、レンタカーで三重県上野森林公園の間伐材(赤松)を運び込み、来年12月に実施予定の穴窯焼成に向けて、始動しました。また、連休にある書のグループ展の作品作りをしていました。新入生や仲間がいるおかげで、体が動けていると、気付かされる4月でした。
赤楽茶碗
写真1枚目は、4月のお茶の教室の一コマです。もうすぐ風炉になるこの季節には、炉中の五徳が外され、釣窯の登場です。私が作った赤楽の茶碗を使ってくださったので、写真を撮らせてもらいました。
23日には、3月の講座で作った楽茶碗を受講生それぞれが持ち寄り、「滋賀県陶芸の森」の茶室で、気楽な茶会が行われました。私は、この赤楽茶碗を持参しました。ご指導くださった奥田英山先生は茶人でもあり、作陶だけでなく、作った器を使う楽しい時間を設けてくださいました。床には、「人盡楽(人ことごとく楽しむ)」が掛かっており、この茶会に相応しい語句だと思いました。清水公照東大寺長老の書です。在りし日の公照長老は、泥仏(先月の奈良県立美術館でも展示されていた)を、英山窯で焼かれていたそうです。
アユタヤ遺跡とバンコク
4月1日~の4日間、ハノイとアンコール遺跡に一緒に行ったことのある友人とタイに出かけ、5日早朝帰国しました。愛犬の名前が大阪君だという女性の現地ガイドさんと運転手さんの4人、クーラーの効いた車で移動しました。
写真1枚目は、友人のビールと私のジュース、共に象がいます。私のタイのイメージは象!くらいでしたが、バンコクは大都会でした。国王ご逝去のため、どこも喪中モード一色、国を挙げての追悼ぶりには感心しました。
タイの中部に位置する古都アユタヤは、バンコクから北へ約80km、高速道路を使い1時間の所でした。水運に恵まれた貿易都市として独自の華やかな文化を開花させたアユタヤ王朝(1351年~1767年)は、隣国ビルマ(ミャンマー)の攻撃を受け滅亡します。写真は、着いた日の夜、ライトアップされた遺跡群の一部です。
417年もの間栄えたアユタヤ王朝、その寺院跡などを周りました。「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」の高い塔(写真2枚目)に登ると、中には井戸があり、見渡せば周囲に数十体の座禅仏が囲むように並び、壮観でした。菩提樹の根に埋もれた仏頭が有名な「ワット・マハタート」、頭のない仏像の写真は撮らないようにとのこと、建造物や石像がことごとく破壊された施設内を歩きました。3人の王の遺骨が納められているという3基のスリランカ様式の仏塔が印象的な「ワット・プラ・シー・サンペット」、そして「ワット・ローカヤスタ」には、全長28mの涅槃像のみが残っていました。
「バンパイン離宮」も見学しました。美しい庭園の中に、洋風・タイ風・中国風など色々な様式の建物が点在していました。
バンコクの寺院は、金ぴかに光り輝いていました。たくさんの寺院があるそうですが、ビック3を訪ねました。王室専用の寺院(エメラルド寺院)と絢爛豪華な王宮「ワット・プラオケ(写真1~3枚目)」、舟で川を渡って行く暁の寺「ワット・アルン(写真4枚目)」、広い境内にはタイ式マッサージの医学校もある「ワット・ポー」、金箔で覆われた全長46mの巨大涅槃物が有名です。写真5枚目は、その足の裏、螺鈿細工が一面にありました。
私が、バンコクで興味深かったのは、「ジムトンプソンの家」です。タイシルク復興に貢献したトンプソン氏が住んだ家(高床式木造建築)が自然に溢れた中庭に6軒、彼が収集した古美術品や家具と共に、博物館として公開されていました。
写真1枚目は入口(左にショップ、右にカフェ)、3枚目の写真の塀の向こうは水路で、ここから船で家の建築に使った木材や生産されたタイシルクを運んでいたそうです。元々ニューヨークで建築家として活躍していた彼の、アジア好みの暮らしぶりに感激、カスガイのある大鉢もありました。バンコクにもこんな場所があるのですね。
タイツアー定番の像乗りもし、水上マーケットにも案内してもらいました。写真1枚目はメークロン市場、電車が来るというのでお巡りさんが出ています。この数分前まで、この線路上を歩いて、タイの食材が豊富に並ぶ様子を楽しみました。
カニやエビなどを贅沢に使ったレストランのお料理、露店の点心(写真2枚目は綿菓子のような触感)は、どれもおいしく安価でした。写真3枚目は、拙宅の庭にもバナナが群生しているので、葉を使って蒸してみるのもおしゃれだな、と思って撮ったものです。
半日だけ自由行動の時間がありました。ホテルのあるパヤタイ駅からBTS(スカイトレイン)で二駅(運賃22バース、約80円)のサイアム駅に向かいブラブラしました。帰りは、ツゥクツゥク(写真4枚目)に挑戦、「ホテル・スコソン」と言うと通じました。暑い上に大渋滞のバンコクの街を、風を切って走ったのは爽快でした。
2・3月の活動
昨年中は穴窯のことで頭がいっぱいでしたから、年が明けてからは、作品できてない・・・、と何をしていても気になりました。2月・3月は瞬く間に過ぎ、墨翔の集会の日が近づくのがプレッシャーでした。しかし、忙中の閑、書斎にこもって墨を磨り、筆を持っていると、作品の評価を気にする気持ちなど何処へやら、只々その時間が幸せでした。
3月25日、「書グループ 墨翔」の集会がありました。5月の連休に開催する「墨翔とその仲間展」の打ち合わせと、作品(草稿)の見合いでした。墨翔メンバーの河野通一さんが、「川端康成文学館(茨木市)」のギャラリーで個展をされていたので、文学館の会議室をお借りして行なわれました。写真は、その様子です。
城下町 伊賀上野には、元藤堂藩の藩校「崇廣堂」など、古い建築物を保存公開し、文化活動の場として貸し出しもしている所がいくつかあります。穴窯焼成の作品展を、伊賀上野の街中でしたいという話が、「粘土カフェ」の仲間の間でもち上がり、3月18日、3つの会場候補の下見に出かけました。
1枚目の写真は、上野城近くの高台にある「旧小田小学校本館」、明治14年に建てられたそうです。当時の木製の机・ピアノ・教科書などが展示されていました。写真2・3枚目は、武家屋敷「入交家住宅」の母屋入口と内部、写真4枚目は、武家屋敷「赤井家住宅」母屋入口です。共に、長屋門がありました。9月の連休を利用して、「赤井家住宅」で展示する方針となりました。
初めての「楽焼き」
茶の湯のお点前は上達しませんが、お茶道具への興味はドンドン膨らみ、「楽焼き」の抹茶茶碗を作ってみたいと思っていました。「滋賀県立陶芸の森(甲賀市信楽町)」主催の講座を見つけ、3月12日の成形、26日の施釉と焼成に参加しました。
信楽の陶芸家 奥田英山先生が講師、写真1枚目は高台を削っていらっしゃるところです。3枚目は、赤楽にしたい作品2点の内の1つ、生乾きの内に黄土の化粧土を塗りました。写真4枚目は、素焼き後の私の茶碗、合計4点作りました。
写真1枚目は、刷毛で黒楽の施釉をしているところですが、ピンホールがなかなか無くならず、厚くなってはよくないとのこと、苦労しました。この日は、若い3人の先生方が担当、焼成は、2つの比較的小さな窯(丸いガス窯と灯油窯で各々2・3点ずつ)です。黒楽以外の焼成は、温度が低く500℃~800℃で7・8分焼成して引き出します。もみ殻でいぶした場合は、還元による変化が見られました。黒楽は、1200℃以上で10分弱の焼成、焼け具合を見計らって引き出すのは先生ですから(写真5枚目)、施釉の如何で出来上がりが決まるようでした。
写真4枚目は、初めての「楽焼き」作品4点です。赤楽(右2点)は使ってみようかな、1回で上手くいくわけがありません。また、来年、受講したいです。
伊賀市阿山方面への工房見学会
穴窯焼成を無事に終えた「粘土カフェ」は、3月の活動日の19日(日)、伊賀盆地の北部、伊賀焼の窯元が点在し、伊賀の里モクモク手づくりファームがあるのどかな阿山方面へ出かけました。参加者は、10名でした。
1つ目の見学先は、陶芸家 柴田耕志さんの「耕房窯」です。研究熱心な作家さんとは聞いていましたが、近隣から採取された陶芸用の原土(写真1枚目)があり、土鍋以外に、デザインがとても繊細な茶道具や料亭からの注文の品々があり、試作を重ねていらっしゃる様子が伝わりました。ロクロ場(写真2枚目)には、蹴ロクロがありました。
2つ目は、木工作家 山本伸二さんの「山本工房」です。天井の高い大きな建物はもちろんのこと、椅子などのあらゆる家具、木の造形物は全てが手づくりです。それを造るいろんな道具が、整然と掛けられているのが何とも美しく(写真3枚目はごく一部)、仕事ができる人の生活空間だと感じました。
ボタン作家の奥様が土日だけオープンされているのが「イガピザ」、ミラノから輸入されたというピザ窯で焼く本格的なピザが500円から、ベーコンも水牛のチーズも紫蘇ジュースも自家製、飽きないおいしさでした。以前からのお友達のようにお話してくださる気さくなご夫妻、広い敷地内にはツリーハウスもあり、手の加えられていない田園風景にも感動しました。
3つ目は、阿山地区の別荘地に建設中のログハウスにお邪魔しました。粘土カフェのメンバーGさんのご主人(大工さん)が建てておられました。窓は、丸太を組んで壁面を造った後に、チェンソーで切り取って作るのだそうです。
ここで、来年度の「粘土カフェ」の活動の相談をしました。9月に伊賀上野の街中で作品展をする会場は「赤井家住宅」がいいのではないか、9回目の次回窯焚きは2018年12月に実施したい、それに向けて薪割りを頑張ろう、薪棚の修理もしたいね、と会話も弾んだ早春の一日でした。
珠光茶会
4回目となった奈良市主催の「珠光茶会」は、2月7日から6日間、今年も奈良市内の8ヶ所の社寺や奈良町のお茶室を会場として、茶道7流派により開催されました。母を誘い、私の弟夫婦と私達夫婦の5人で、2月11日の唐招提寺と薬師寺の茶会に出かけました。梅の花が咲き、小雪の舞う一日でした。
写真1枚目は、奈良時代の創建時の姿を残す唐招提寺の金堂、堂内の3体の仏像に見とれ、厳かな気持ちになりました。お茶席は、武者小路千家によるお薄で、境内奥にある本坊客殿で催され、お部屋の格調に相応しく、台子に竹柄の皆具(諸飾り、写真2枚目の奥)でした。徒歩で薬師寺に向かい、点心と藪内流によるお濃茶をいただきした。床には禅語「閑不徹」の掛け軸、いい語句だな~私だったらどう書くだろう、鮑型の水指、おしゃれだな~作ってみようかな、などと・・・、興味は尽きません。
翌日は、母と娘と私達夫婦の4人で、西大寺を訪れ、「大茶盛」を体験しました。大きな茶碗は、口径一尺二寸(36cm)もあり、順に、京焼、信楽焼、奈良の赤膚焼です。4枚目の写真は、「大茶盛」用のお道具ですが、台子の高さが三尺五寸(106cm)、どれも大きく、私が小さく見えます。
「大茶盛」の起源は、意外に古く、戒律復興を目指した宗祖 叡尊が「一味和合」の理念を具現化した、800年近く受け継がれている宗教行事だそうです。
1月の活動
新年は奈良で迎え、三学期が始まるまでに、富山に帰省、復路は東京経由で美術館を回りました。普段は車が主な移動手段ですが、出掛けると、私は一人でよく歩きます。東京駅から、「皇居東御苑」の追手門までが約1km、そこから、入園無料で公開されている庭園内を歩きました。写真1枚目は、ビルをバックに佇む「百人番所」です。別の出口から「東京近代美術館工芸館(写真2枚目)」へ向かいました。
「東京近代美術館工芸館」では、<近代工芸と茶の湯II>を見ました。モダンな器や、用途の違う伝統的な器も茶道具として使うと楽しいな、と頭が柔らかくなりました。写真1枚目はルーシー・リーの花器、2枚目はチラシの一部です。持ち運ぶことを前提として作られ、海外を巡回したという茶室3つ(インテリアデザイナー 内田繁氏が制作)の展示もありました。壁ではなく、竹材や和紙など光を通す素材に囲まれた空間は新鮮で、野立ての要素も感じました。
「五島美術館」では、<茶の湯の取合わせ展>を見ました。以前、「石水美術館(三重県津市)」の<川喜多半泥子の見た名品展>で、半泥子さんの水指(銘 慾袋)と対で並んでいた、館蔵の古伊賀水指(銘 破袋)に再会しました。1つ1つが存在感のある茶道具でした。
翌日は、新橋から銀座界隈へ、書展をサッと見て歩き、「松屋銀座店」へ、そしてまた東京駅まで歩きました。松屋では、<白洲正子のきもの展>をやっていたので見ましたが、私がチェックしていたのは、7階の「デザインギャラリー1953」の企画展<繕う>でした。繕いのある陶磁器とガラスの展示でしたが、今、私の最も興味深い分野です。繕いには、お 馴染みの金継ぎ以外に、銀継ぎなどの漆繕い、焼継ぎ、鎹(かすがい)繕い(写真)など様々な手法があるようでした。
墨作りの見学
奈良に長く住み、墨を磨って生活しているのに、奈良の伝統産業である墨作りの現場を見たことがありませんでした。墨作りは、寒い時季限定です。1月24日、「大仏書道大会」をしてくださっているNPO法人「奈良21世紀フィーラム」主催の見学会に参加、老舗「古梅園」を訪ねました。
感動したのは、採煙(写真2枚目)・膠の溶解・木型への型入れ・灰乾燥・自然乾燥(写真3枚目)・磨き・彩色の、気の遠くなるような工程全てが、熟練された職人の手作業だという事実です。機械の及ばぬ手作りの技が、この奈良の地に於いて、440年もの間、受け継がれ営まれてきたのですね。あると聞いていた運搬用の線路(写真4枚目)、今も現役でした。5枚目の写真左は、気さくで若い16代目社長の晶子さん、名墨「紅花墨(通称、お花墨)」の看板と一緒に。
「穴窯焼成」 窯出し
できること全てをやる覚悟で臨んだ穴窯の<窯焚き>を、昨年末に終えていました。NPO法人「Arts Planet Plan from IGA http://www.appfi.org(伊賀市西青山)」自主活動グループ「粘土カフェ」主催の第8回「穴窯焼成」、1月22日(日)に<窯出し>を行いました。参加者は、12名でした。
写真1枚目は、塞いだ焚き口を撤去して、最初に現れた窯内部の様子です。火袋に溜まった灰を採った後、作品や棚板を出していきました。窯の外で、ワァ~いいやん!すご~い!という歓声が聞こえ、嬉しくなりました。写真1枚目は中の棚、3枚目は奥の棚、下の段3枚の写真は、火袋脇の様子です。赤松の灰がしっかりと掛かり、強還元焼成による美しいピードロや、薪窯ならではの焦げや窯変が見られました。ここまでの過程は不安でいっぱいでしたが、8回目にして初めて、私なりの成果を感じ、窯詰めの仕方など今後の課題もわかりました。力を出し合える仲間がいて、家族の応援もあり、穴窯を築いた時から11年、毎回の全工程に参加でき、少しずつ鍛えられたことは、幸せ!というしかありません。
「夢想庵」の初釜
「夢想庵」は、私の実家のお茶室、米寿を迎えた母が亭主です。1月6日、ちょうど帰省中に、初釜「正午の茶事」をしていました。酉年と新春に因んだおめでたいお道具の取り合わせで楽しむ、和やかな茶会でした。※台所にあった母のメモ
写真3枚目は、飯・汁・酒・向付・碗盛・八寸・湯桶など、いわゆる懐石料理で客をもてなす母、料理は全て手作りですから、すごいです。暑い夏に炭点前(写真5枚目)のための「湿し灰」を作り、季節毎に紫蘇酒や梅酒を作り、食材の一部と椿や茶花を日々畑で栽培することが、生き甲斐となっているようです。
中立(客が寄付に戻る)の間に、床の軸が外され、花が飾られます。写真3枚目は、初釜でしか使わないというおめでたい重ね茶碗「嶋台」(内側に金・銀が塗ってある)で、お濃茶を点てているところです。
私のできることは、前日に茶会記を書くこと、当日は(通常の茶席では、写真撮影もメモを取ることも許されませんが)記録の写真を撮ること、終わってから漆器(写真4枚目)を拭くこと、でした。
年のはじめに
謹賀新年!丁酉の年のはじめの「年賀状」です。今年は、写真を3枚と、元気です!を伝える近況を活字で入れただけの、手抜きのものとなりました。活字のバックの写真は、わかりにくいですが、穴窯焼成中の窯内の加熱効果を測定する「オルトンコーン」、決まった熱量で熔倒します。温度計よりも正確なので、倒れたその姿は、感激と安堵の象徴なのです。
写真1枚目は、池に鳥のいる磁硯、2枚目は、淡墨で酉と書き、鳥を題材にした磁印を押した作品です。書と陶芸に出会った「青春」時代は忘却の彼方となり、子育てと仕事の両立に悩んだ「朱夏」の時はアッという間だったように思います。「白秋」の今が、一番いい時季のように感じています。
書作は手紙を書くように筆が動くといいな、書作に繋がる文房具や、磁印の制作も楽しいし、書作の脇に飾る花入れも、と想いが尽きません。今年も、元気に働き、遊び、学び続けます。ご指導の程、よろしくお願いします。