12月の活動
10日頃から冬休みになりました。写真1枚目は、水門町(東大寺西側)にあるお茶の先生のお宅にお稽古に行く途中で撮ったもの、吉城川と紅葉です。敷紅葉に鹿が戯れ、外国人観光客に交じって、私もカメラを向けました。月末、東京経由で富山に帰省しました。東京では、2つの展覧会を見て、初めて北陸新幹線に乗りました。写真は、7階に「三井記念美術館」のあるビル、石黒宗麿展をやっていた「松涛美術館」の内部、新幹線の最寄駅「黒部宇奈月温泉」から実家のある入善を15分で結ぶバス(ゆるキャラは、ジャンボール三世)です。
今年も、中高生・大学生と共に書道をし、グループ展・コラボ展で作品を発表させていただきました。テロや紛争の絶えない世界情勢ではありますが、健康で過ごせたことを感謝します。
2学期末には、毎年「カレンダー」を使った授業をしています。中学1年は「書写」ですから、私の手本を見て、校訓「至誠力行」と書きました。
高校生は、創作です。各々が選んだ四字句の文字の「金文・隷書・草書」の集字をし(写真2枚目)、そのうち1つの書体を選んで作品にしました。それぞれの書体の学習をしていたので、字調べ(集字)からカレンダーに清書までを、2学期最後の授業(2時間続き)の1回でしました。テストなんかじゃないよ、と言ったのが悪かったのでしょうか、生徒達は一生懸命でした。写真は、金文の「世界平和」、隷書の「一期一会」、草書の「晴耕雨読」です。もっと時間をかけて書かせて~!と言われて、芸術の「詰め込み授業」になっていたようだと、反省しました。
無知を痛感した日
陶芸作品によるインスタレーションを手掛ける若い友人 田所尚美さんが、師匠と慕う陶芸家 加藤輝雄先生の作品展にお誘いくださいました。会場は、清水寺本坊「成就院」(写真1枚目)、「月の庭」と称賛される庭園が有名な塔頭です。轆轤成形の磁器に、鉄釉や蕎麦釉が施された気品ある作品は、青銅器のようです。テストピースの数が半端ない、と田所さんが教えてくれました。
加藤先生は、私とも気さくにお話くださり、先生のお父様は、戦前からご活躍の篆刻家(磁印の先駆者)であり、古印の研究者であったとのことでした。作品にも先生にもお庭にも感動して、帰宅しますと、加藤慈雨楼著の『漢魏晋蕃夷(ばんい)印彙(いんい)例』『漢魏六朝蕃夷印譜』(昭和61年、京都の「丹波屋」発行)(写真3枚目)が、書棚にあるではありませんか!30年前の私には、全く意味不明の資料でした・・・。今見ると、時を超えて輝く当時の偉業に敬服です。 よい出会いというものは、自分の勉強不足を思い知らされるショック、と同じですね。
11月の活動
11月の授業のない金・土・日曜は、伊賀上野でのコラボ展、山陰への旅行、2日間の薪割り、金継ぎ教室、奈良女書道部の書展と、好きなことばかりで詰まっていました。
この日しか在宅日がないという20日(金)午後、「京都国立博物館」が夜8時までやっている日なので、京都に行きました。地下鉄「今出川」から、武者小路通りを歩き、一度は中に入ってみたい武者小路千家「官休庵」の前(写真1枚目)を通って、まず「樂美術館」へ(写真2枚目は、隣の楽家窯元)、ここでも「琳派400年記念」です。テーマは「光悦ふり」、金継ぎのある樂茶碗に釘付けでした。「京博」では、新館がオープンして初めての会場で、評判の「琳派」を、休み休み3時間も見ていました。学生時代は、乾山に魅かれても、光悦の書のどこがよいのか、とても好きにはなれなかったものですが、年を取るのもいいものですね、どう生きた人かに興味が移りました。
22日・23日の連休は、仲間と共に薪割りをしました。話し合いの時間も取ることになっていたので、のべ17名の参加があり、協議の結果、来年3月に予定していた8回目の穴窯焼成を延期することになりました。残された活動日で、予定の薪束(550束)ができたとしても、作陶会と、窯の扉の改修の時間が必要だからです。多くの方々の作品で窯をいっぱいにしたい、安全な窯焚きにしたいと願って、決断しました。
穴窯を造った2005年から、私もメンバーも10年の年を重ねました。ゆっくりしたペースでも仕方がありません。間伐材(赤松)をご提供いただけ、仲間もいるおかげで、薪で窯が焚ける、こんな恵まれた環境にあることに変わりはないのですから、もう1年、良い準備をしていきます。
「墨香展」in 佐保会館
「墨香展」は、奈良女子大学書道部の一番大きなイベントです。合宿で書き上げた作品やその後に作った共同作品など、今年は、4回生・院生の作品はなく、1回生~3回生の部員23名・顧問の尾山慎教授・友情出品1名と私による、計42点を一堂に展示しました。
会期は、11月29日(日)・30日(月)、会場は、今年初めて学内にある「佐保会館」を使わせていただきました。「佐保会館」は、「社団法人 佐保会(奈良女子師範学校・奈良女子大学 同窓会)」の建物で、国の登録有形文化財です。写真2枚目は、28日(土)朝9時からの搬入が、思ったより早く終了して、撮ったものです。
出雲・松江・倉吉の旅
崇廣堂での展覧会の翌日から4日間授業をした木曜(12日)夜、京都を23時半に出たJRバス(出雲エクスプレス)は、寝ている間に出雲市駅に着きました。出雲大社前行き始発電車に乗ること20分、早朝の静けさの中、境内をのんびり散策しました。
隣接する「島根県立古代出雲歴史博物館」は、9時開館だったので、近くの喫茶店でモー二ングをいただきましたが、何と「しじみ汁」が付いてきて、そのおいしさに感激でした。写真3枚目は、いわれのある「桂の並木道」、博物館正面出入り口まで110m続いていました。帰る時に、また「一の鳥居」の前を通りましたが、初詣でかと思う程の多くの参拝客で、びっくりしました。出雲大社前駅から宍道湖の北を走る一畑電車で東へ60分、のんびり湖を見ながら松江に向かいました。
松江は、一度訪れたいと思っていた憧れの城下町です。すぐに「堀川遊覧船」に乗りました。船頭さんの解説を聞きながら、小舟のこたつに入って、松江城を囲むように残る堀とその自然や街並み(写真2枚目)を眺めました。乗船場所は3か所あり、どこで何度乗り降りしても同一料金、移動手段としては風流です。
お目当ての塩見縄手通り(写真3枚目)を歩きました。「小泉八雲記念館」、その隣に「小泉八雲旧居」、その庭の一部が写真4枚目です。この庭を好まれた気持ちが伝わってきて、長い間見ていました。「武家屋敷」、松平不昧公ゆかりの茶室「明々庵」(写真5枚目)など、ぶらぶら歩ける範囲に見所が詰まっていました。夜行高速バスには初めて乗りましたが、時間が有効に使え、充実した一日になりました。
翌日は、ホテルから松江城行きの路線バスに乗り込むと、運よく「ちどり娘」というガイドさんが乗っておられるバスでした。この7月に国宝となった松江城(千鳥城)の歴史や見どころを丁寧に解説していただきながら城内を歩き、天守閣から、松江の町を360度眺めました。
日本海沿いにJRでさらに東へ。14時、倉吉で研修旅行の皆さん7名と合流しました。倉吉は、川にかかる石橋と土蔵の白壁や赤瓦が、どこか懐かしい独特の景観です。倉吉最古の町屋建築「倉吉淀屋」や、伝統的な町家のショップなどを散策しました。この日は、三朝温泉に泊まり、仲間とカニづくしの晩餐会、名湯に浸かって癒されました。
「Swing彩異人 ~華・書・陶・日本茶、そしてフルートカルテットの彩展~」
フルート奏者の日向恵子さん(本名:岩佐絹枝さん)のお声掛けで、華道家の厚見美幸さん・日本茶インストラクターの村田範子さんと私の4人が会したのは、夏の暑い日でした。それぞれ異なった道で研鑽を積む同年代の女性同士、よい相乗効果を期待して、「Swing 彩異人」の彩展はスタートしました。会場は、伊賀上野城の南にある国の史跡「崇廣堂」、藤堂藩の元藩校です。そして9月、私達の企画が、伊賀市文化都市協会との共同事業に採択されました。記者発表があり、新聞とテレビで広報されることになりました。
※新聞記事 ※ご挨拶文
11月7・8日の土日は展示のみ、8日は、お茶席と夕方からフルート四重奏のコンサートを開催しました。両日、「崇廣堂」は夜20時まで無料開放され、600名もの来場者がありました。写真は、正面玄関、その右の小さな屋根は小玄関、大きな屋根が講堂です。塀の向こうは庭園、右奥に「有恒寮」の建物があります。
この度の展示のために、書作大小4点と、布の看板2点を書きました。
発表する時は、会場に相応しい作品を心掛けてきましたが、16m余りの巻物を書くことになるとは思いませんでした。母屋の4つの部屋の襖を外して、おくどさん(土間の台所)の天井までという提案を受けて、ここでしか飾れないと思い、題材は『おくのほそ道』です。下絵を描いてくれた弟から「読める字で書けょ」「計算せずに書けょ」と言われていました。彼の作品に『銀河鉄道の夜』の絵巻がありますが、本を左手に持ちながら計算せずに描いたそうです。在宅日の一日、気負わずに素直な字で書いていきました。書いている間は、時間が止まればいいのにと思うほどワクワク、ずっと芭蕉さんの旅の映像が浮かんでいました。 (写真撮影:文殊幹夫)
写真1枚目は、正面玄関入口の立派な「迎え華」です。この玄関棟(母屋)には、10の畳の部屋があります。入って右奥に、書と陶印の折り帖などのコーナー(写真2枚目)、左奥へ進み、大きなかまどが5つあるおくどさんまで16mの巻物、文房具や穴窯焼成の作品コーナー(写真3~6枚目)は、拙宅庭の芭蕉の葉の上に並べ、スイハツ2つには、短冊と掛け花です。「崇廣堂」の語源となった『書経』の「功 崇(たか)きはこれ志、業 廣(ひろ)きはこれ勤なり」を短冊に書きました。とても広いので、他に書作4点を展示しました。
写真は、300人の藩の子弟が10人の先生と学んだという講堂に飾った私の作品(天地180cm・幅約6m)と、厚見さんの生け花「晩秋の景(もみぢと菊)」の中に収まっているメンバー(フルート奏者の4人・厚見さん夫妻・田上と私)です。私達が座っている所がステージとなり、150名以上のお客様に、フルートのコンサートを楽しんでいただきました。
下見の時は、この講堂(7間四方の広い空間)に身を置いて、何と書こうかと思案したものです。なかなか良い文言が浮かばず、「少年 老い易く 学 成り難し」にしました。書体は金文(篆書)ですが、会場では、「学」は読めます!ここに相応しい、とよく声を掛けていただきました。
こちらは、庭園の勾玉池に面して建つ離れ「有恒寮」です。立て出しの気楽なお茶席の会場となりました。設えは、亭主の村田さんの趣向で取り合わせるべきところですが、私の作品を展示してくださいました。
床に、紬の反物に書いた『利休百首』より3幅を掛け、秋草文様の印泥入れを香合に見立てたものを置き、その左の飾りは、穴窯焼成の茶碗と蓋置き、織部釉の小さな文房具と磁印、文字を書いた皿(写真は「月」)、いろは歌の折り帖などを並べました。菓子器も、私の作品をいくつか使ってくださいました。
小玄関は出入りしないので、衝立(写真1枚目)を置きました。庭側の片面は、淡墨による墨象の作品です。文字ではなく、この玄関のアプローチにある飛び石(写真3枚目)をモチーフにしたものです。建物は、極シンプルな造りですが、ここはおしゃれな意匠だなと思ったら、藩主だけが使われた玄関だったそうです。飛び石が続くようにイメージしたものです。
庭の所々に、いくつか陶芸作品を置きました。
母屋から渡り廊下があり、坪庭を隔てて、5つの控えの間があります。そこにも、厚見さんの生け花、私の書作・陶印・板皿に文字を書いた作品などを展示しました。写真1枚目は、その1つの5畳間です。漆で補修したお気に入りの花器に、お花を活けていただき、素敵な空間になりました。さらに、ライトアップは、文化都市協会さんの得意な手法、陰影も見てほしいとのことでした。
お華と光があることで、個展で発表する時にはできない世界が実現でき、異ジャンルの方々とのコラボは、とても勉強になりました。とても広い会場で、心に残る大きな経験をさせていただきました。
奈良女書道部の「パフォーマンス書道」
奈良女子大学の学祭は、11月1日(日)~3日(火・祝)、書道部は、初日の1日11時30分~12時、野外ステージのトップを飾って出場しました。あらかじめ下絵を描いた用紙は、3m☓6mが2枚、テーマは朝ドラの「希(まれ)」です。私は、買ったばかりのタブレットでビデオを撮りました。お揃いのトレーナーを着ています。
書き上げた作品を立てると、大きな歓声と拍手が起こり、大成功でした。支えている棒は、ネットで買った安価な干し物竿で、買った限りは来年もパフォーマンスするね、と会計が言っているのを聞いて、奈良女らしいと思いました。ステージのバックの建物は、重要文化財の「記念館」です。学祭期間中、学生会館2階に展示しました。
10月の活動
授業と、「大仏書道大会」の審査や準備、2つの大学書道部の「学祭」に向けた活動をしながら、来月6日搬入の「Swing 彩異人」の作品作りをしていました。
崇廣堂の広さを活かした大きな作品(長さ16m)の依頼がありました。まず、頭に浮かんだのが「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」でした。紙を切るだけでも大変で、娘に来てもらって、水切り(筆に水を付けて裂いていく)をしたので、90cm幅の長い用紙が元々あったかのようにできました!続いて、俵屋宗達とはいきませんが、画家の弟がいるではないか、と夫が言うので、弟(石田歩)に下絵を書いてもらうことにしました。リビングテーブルは3m、私はドライヤーで乾す役で、一日がかりでした。余り長くはない『おくのほそ道』の、今更ながら<地の文>のすばらしいことに気付いて、書は<地の文>と俳句の抜粋です!図書館の書庫から古い資料を出してもらって、読んだり眺めたりしていると、すぐに時間が過ぎました。
奈良女子大学の「学祭」で披露する、書道部の第2回「パフォーマンス書道」の練習の様子です。私は技術指導と観客になったつもりで見え方のアドバイス程度、部員達が自主的に作り上げていきます。放課後に集まって練習していると、すぐに暗くなり、練習用紙も真っ黒でした。
奈良学園大学書道部
奈良学園登美が丘キャンパス(奈良市中登美が丘3丁目)に、昨年から奈良学園大学が開校しました。奈良文化女子短期大学が大学の学部になったため、これまでの書道部は、奈良学園大学書道部となりました。部員は4名だけですが、和気あいあいと活動しています。
10月25日(日)の学祭に、書展を行いました。毎年、先生方に賛助出品をお願いしています。部員4名の色紙(写真1枚目)や条幅・折帖の作品を中心に、今年は、学長始め8名の先生方の色紙作品も並びました。
第6回「大仏書道大会」
今年の「大仏書道大会」 ※事業内容 ※審査基準 の公募展には、全国から1,434点の作品が寄せられました。2回の予備審査と10月3日に本審査を行い、100点の入選作品を決めました。審査は、出品票に書いていただいたコメントを読むので時間がかかりますが、若者の柔軟な発想や表現を見ることができて、とても楽しいものです。審査員皆がそう感じているのですから、見に来てくだる方々にも、きっと楽しんでいただけるものと思いました。
秋晴れの10月17日(土)・18日(日)、東大寺大仏殿西回廊を会場として、第6回「大仏書道大会」を開催しました。主催は、「奈良21世紀フォーラム http://nara21cf.org/blog/ 」、奈良の伝統文化を伝承する様々な活動をされています。写真は、早朝の会場入り口(大仏殿「西樂門」)、西回廊から撮った「鴟尾」、会場風景、特別賞の前で主催者の方々と、です。※朝日新聞
18日(日)10時から、同じく西回廊に於いて、「席書会」を行いました。参加者は、大仏の基壇に上がらせていただき、作品を奉納しました。写真右は、大仏書道展の審査委員長を務めてくださっている森本長老と、「席書会」に参加した奈良女子大学・奈良学園大学の書道部員達です。搬入・会場受付・搬出は、他の部員達もお手伝いしました。
この度、印象に残った作品です。1つ目は、堂々と知事賞を獲得した「釈迦」です。普段はとんでもない字を書いているのでびっくりしたと、ご家族が埼玉から見に来られました。指導者に恵まれましたね、と答えました。2つ目は斬新な構図が印象的、3つ目は高校生らしい言葉(大学に受かりたい、勉強やめたい、働きたくない、金がほしい、・・・)を綴った作品に共感が集まり最も人気、4つ目は「鴟尾放光」白い文字は牛乳を使い、裏から墨を入れています。
遠方からの関係者や、新聞記事を見て来てくださった方々もあり、熱心にコメントを読んで感動、じんわり涙が出るものもあるようでした。若者達自身の文も、引用した文も、いい言葉だと言ってメモを取る来館者もあり、嬉しく思いました。技術優先の展覧会ではなく、作者の想いが豊かにあふれ、メッセージ性のあるもの、と主張して始めたこの展覧会のよさが、段々と認識されてきたように感じました。
大仏書道展の入選作品100展は、展示した後、返却しています。その際、賞状と一緒に記念品を贈っています。今年は、私の書いた「大仏書道大会」の文字が印字された、クリスタルガラスの筆置きにもなる文鎮でした。
9月の活動
拙宅玄関先で、「小さい秋」を見つけました!紅葉した葉っぱと、それにくっついている蓑虫でしょうか。ここにも造形の営みが・・・、自然素材の小さなオブジェ、見飽きることがありません。
8月末から、二学期の授業が始まっています。書道選択の高校生全員と大学の書道部員は、9月25日締め切りの「大仏書道大会」の制作をし、応募しました。連休は芸術祭のために、伊賀の自然豊かな山の中に、搬入・搬出を含め2往復6日間滞在しました。また、11月に行うイベントの下見に、伊賀の街中にある「崇廣堂」にも通いました。芸術の秋の到来です。
恒例の「風と土のふれあい芸術祭」の多くの準備は、実行委員会の11の構成団体で分担していますが、私は、今年も入口の看板やアートフェア参加のお店のプレート44枚など、筆文字の掲示物を担当しました。写真は、その一部です。
筆を洗う間もなく、さらに、知人の選挙の「必勝ビラ」と、他のイベントの大きな看板を何枚も書いていました。このような時のために、私は書道を学んできたようだと、しみじみ思う秋の夜長でした・・・。
伊賀上野にある元藩校「史跡 旧崇廣堂」で行う「Swing 彩異人 ~華・書・陶・日本茶、そしてフルートカルテットの彩展~ 」が、(公財)伊賀市文化都市協会の「地域の文化びと共同制作応援事業」に採択されました。
採択されなくても、やろうね!とメンバー4人で申し合わせてはいましたが、さて、採択されると、広い講堂だけでなく、通常使えないスペースにも(壺庭の向こうまで)展示することになりました。また、おくどさんのある高い天井から吊るす、などの提案もあり、アラ大変・・・。崇廣堂の間取りを全て書き出し、それから会場を見つめていました。授業の合間は、藩校や芭蕉さんの資料を読み、下絵のある光悦の和歌巻を眺めたりして、構想は枯野をかけ廻っています。伊賀市文化都市協会さんが、チラシを作って下さいました。私が書いた題字と、私が撮った講堂の写真を、そのまま使ってくださいました。
「 '15 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 」
9月20日(日)~27日(日)まで、伊賀市腰山(メナード青山リゾート近く)にある廃校になった小学校を会場として、「'15 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」を開催しました。各地からの作家さん(風)と地元の方々(土)が集い、たくさんの来場者さんと共に、豊かな自然とアートの秋を満喫しました。
私は、今年10回目の参加です。この芸術祭の母体は、私が所属するNPO法人「Arts Planet Plan from IGA」の「風と土のかたち展」で、初めて出品した作品(陶印)も会場(青山ホール)も、懐かしく思い出します。毎年、9月までの1年間に私は何をしてきたのかと、自分を振り返るよい機会となってきました。この間、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」となって、年々盛大になり、とても嬉しく思っています。
芸術祭における展覧会「風と土のかたち展」は、校舎の内外に、立体や平面など様々なアート(約80名の作品)が展示されました。年代もジャンルも違う作家さんから技法や素材についてのお話も伺うことができ、とても刺激になります。
1枚目の写真は、今年の「アーティスト イン レジデンス」の作家さんのギャラリートークの様子です。作品は、180cm四方の木版画で、白と黒の世界、とても興味深く思いました。2・3枚目の写真は、「木」を愛する思いに溢れた小さな作品、木の皮や木の実でできています。その他・・・、グラウンドには、杉の間伐材を組んでできたジャングルジムが出現、地元の小学生の旗がなびいていました。
私がこの度、出品した作品です。1つ目は、直径10cmの小さな「練り込み」の作品で、焼成時に2cmほどのヒビが入ったので、金を蒔いたものです。その右は、3階の図工室に展示した、「金継ぎをした穴窯作品」3点です。早朝、会場近くを散歩しながら野の花を摘み、活けました。
1階の和室には、この5月にあった「墨翔展」の作品から4点と、中央には穴窯で焼いた「筒花入れ」を掛けました。焼成中に真っ二つになったものですが、胴にぐるりと漆を用いて継ぎ、金を蒔きました。この平面の作品のタイトルは、「田上早百合のかたてまの壁 ~ボーダレスワールド 2015 ~」です。木工作家さんのスイハツ(船の古材)や知人の織物(紬)の活用、仲間と焚いた穴窯作品、顔料や藍染めによる書の表現など、書道以外のジャンルの方々とのこれまでの交流から生まれた作品群です。感謝の気持ちで発表しました。
アートフェアは、会期中の2日間、体育館と校舎の内外で、44のお店(個人や団体)の出店で、賑やかに行われました。地元の新鮮な野菜・特産品・手作りパンやアート作品の販売、様々なワークショップ・体験コーナーやコンサートなどがありました。私も、1日 だけですが、「筆文字コーナー」という無料体験のお店を出しました。遠い所、ご来場くださった多くの皆様にお礼を申し上げます。
「金継ぎ」学習中
穴窯の作品にヒビが入ったもの(写真上段は一部)を、ヒビも景色!などと言って発表したこともありましたが、漆での修復が念願でした。イメージとしてですが、五島美術館蔵の古伊賀水指「破袋」、半泥子さんの水指「慾袋」、畠山記念館蔵の光悦作赤楽茶碗「雪峯」が、私の頭の隅にいつもありました。ところが、漆を扱うということは、地味な「砥ぎ」の作業の連続で(やってみないとわからないものです)、とても手間暇がかかり、閉口しました。最近になって、だんだんと作品に新たな趣が加わるように思えると、やっと面白くなってきました。写真下段が、金継ぎ作品の一部、まだまだ変化は可能、塗り重ねることもできます。
漆には色々な色があり、様々な技法があることを知り、ご指導いただいている先生の、伝統技術を駆使した斬新な発想の蒔絵作品を通して、日本より海外で評価の高い漆器(Japan)の良さを見直しています。
8月の活動
8月は、月の半分近くは家におりませんでした。1週間の帰省(富山県入善町)、4泊4日の薪割り合宿(伊賀市西青山)、その後、2泊3日の書道部合宿(大津市和邇)に行っていました。
写真1枚目は、「入善町 発電所美術館」の屋外の階段を100段上った所(河岸段丘の上)からの眺望です。美術館は、低落差23mの河岸段丘を使った平地にある発電所でした。眼下には、導水管から続く美術館、扇状地に新幹線が走り、遠く日本海が望めます。写真2枚目はお店に並んでいる「ジャンボ西瓜」です。私の町の特産品で、合宿にと持たされました。
書道部の合宿から帰った翌日から、奈良学園登美が丘校の2学期の授業があり、8月29日・30日の土日は文化祭でした。写真3枚目は、書道の展示の一部です。高2(Y3)は、高1からの学習(行書・金文・隷書の4字句と、机上には印と印譜)を並べました。
4月から、なら工藝館の「金継ぎ講座」に参加しましたが、6回ではとても学びきれないと思い、6月からこの講座の講師で、蒔絵師の杉村聡(あきら)先生の工房(奈良市西ノ京)に通い始めました。生漆に砥粉(トノコ)と水を混ぜた「さび漆」だけでなく、「こくそ」といって、生漆に木粉を混ぜたものを使って、割れの修復をし、仕上げは、金だけではなく、色漆にも挑戦しています。漆のかぶれは、暑さと共に激しく、この夏は、人知れずかゆくつらい毎日でした。在宅日は、自宅の工房で、3月の穴窯焼成の作品(花入れなど)を作って過ごしていました。
書道部の夏合宿
8月22日~25日、奈良女子大学書道部の夏合宿に同行しました。今年は、大津市和邇浜水泳場に隣接した「ユースホステル和邇浜青年会館」の100畳ほどの広間で、部員21名、他にOG1名、元東大寺学園書道部のN君の参加で行いました。琵琶湖をバックに撮った集合写真、持っているのは「乙未 夏合宿 於琵琶湖畔和邇浜 奈良女子大学書道部」です。各々が得意の書体で書くのが恒例です。
これを書きなさい、という指導はせず、各自の好きな古典の「臨書作品」については、書く内容の理解と技術指導に努め、思い思いの「創作作品」については、今の自分にしか書けない独創的なものにと、紙面構成程度の指導です。明け方まで寝ないで書いている人につられて、私も遅くまで起きていました。幸せな時間が流れていました。
私とN君だけですが、合宿場から西へ、車で10分足らずの所にある古代の豪族小野氏の神社を訪ねました。写真1枚目は「小野神社」の境内、中央は「小野篁(たかむら)神社」本殿です。写真2枚目は、この少し南(小野神社の飛地)にある「小野道風神社」本殿です。世界遺産「宇治上神社」の屋根に魅了されてから、神社の屋根を見るために横から斜めから参拝するようになりました。2つの本殿は、こじんまりとした建物ですが共に重要文化財、形式手法がよく似ており、切妻造に向拝を設けた珍しい造りとのことです。
小野小町や小野妹子、その名前は聞いたことがある程度の認識の私ですが、小野道風(平安時代中期の能書家、三蹟の一人)は外せません。神社のある高台から、琵琶湖が望めました。そこに、蛙が柳に飛びつく姿と道風の有名な逸話の映像が浮かびました。
薪割り合宿
暑い最中の8月15日~18日、時にはスコールにも悩まされながら、粘土カフェ恒例「夏の薪割り合宿」を行いました。薪割り班と、修繕班(窯前の足場の床工事)とに分かれ、賄い当番さんの食事を集っていただきながら、作業を進めました。
合宿中にできた薪は69束、木っ端は合計37袋でした。4日間の参加者のべ人数は、半日の人も含め42名(会員23名、一般5名、大学生4名、中学生10名)でした。作陶の時間は夜のみ、参加者は5名でした。
床工事の方は、予算も限られた中、材木はアトリエにあったものを活用、智慧を出し合い、技術を駆使して行いました。まず、地盤の整備に1日、出てきた石ころなどを運び出し、買ってきた砂利(20kg×10袋)を敷き、踏む。続いて、羽根つきの「沓石」を並べ(写真1枚目)、砂を混ぜたセメントを撒き、水を掛ける。「根太」5本は水平を取りながら(写真2枚目)、防腐剤を塗った後、ビスで止める(写真3枚目)。「垂木」を渡し(写真4枚目)、さらに水平を取る。板をカットし、敷き詰め、ビスで止めるていく(写真5枚目)。仕上げに、防腐剤を塗る(写真6枚目)。最終 日午後18時、ウッドデッキのような快適なスペースの完成です!ここでビール飲みたいね、と言う仲間達のつなぎやTシャツは、連日、汗で色が変わっていました。よく働いた4日間でした。
7月の活動
写真は、奈良学園高校1年生が書いた『蘭亭序』の臨書の一部です。教科書に付録のように付いている原寸の法帖の文字は小さいのですが、お隣でやっている音楽の楽譜と同じ!と言って励まし、よく見て「書聖 王羲之」を再現するよう、筆使いの指導をしました。生徒達はよくついてきてくれるので、授業が楽しみでした。毛筆の豊かな表現を伝えたいと思っています。二学期は、これらの作品に押す印(篆刻作品)を作り、創作もします。
1学期の授業は8日まで、その後、部活はありましたが、ひと月半程の夏休みになりました。
夏休みは、できるだけ家にこもるつもりでしたが、厳選して、3つの陶芸の展示会場に出かけました。
1つは、奈良市学園前にある「大和文華館」の「日本のやきもの」です。釉薬を使うようになる前の古い焼き物がおおらかで好きです。2つ目は、久しぶりに「河合寛次
郎記念館」(京都市東山五条)に行きました。寛次郎自身が設計した住まい兼仕事場が、そのまま公開されています。(写真1~3枚目)京の町屋に融け込みながらも数寄屋建築ではない建物、登り窯のある中庭、置かれている作品や家具・調度品からも、「暮らしが仕事」を感じる場所です。早く帰って、作陶がしたくなりました。同じ日、「京都国立近代美術館」の「北大路魯山人 美食の天才」にも行きました。図録でよく見ている名品の、実際の大きさや高台をじっくり見ました。4枚目の写真は、美術館4階から撮ったもの、お向かいの京都市美術館と平安神宮の鳥居です。
本や物の整理は夏休みの恒例ですが、あとは、水滴などを制作中です。漆にかぶれながら金継ぎで作品のリメイクにも奮闘しています。(写真3~5枚目)何とか仕上げて、9月の「風と土のかたち展」に、金継ぎの陶器も出す予定です。
また、平面の作品をいくつか、和室の1つの壁面全体に展示しますが、そのタイトルを「田上早百合のかたてまの壁 ~ボーダレス ワールド 2015~」にしました。タイトルに悩んでいる時、「田上早百合の壁」でいいやないかと言ってくださった人があり(ベストセラー『バカの壁』からのネーミング?)、書・陶・染めの作品だけでなく、織物に書いたり、木工作家さんのスイハツを活用しているのは、これまでの交流の賜物で、そんな作品群を「ボーダレス ワールド」と言ってくださった人もあり、「かたてまの壁」じゃないかと言う夫(私の1回目の個展を「かたてま展」と付けた人です)もいて・・・。確かに私の作品は、かたてまの寄せ集め、タイトルも、皆様の提案を全部盛り込みました。
史跡「崇廣堂」
城下町伊賀上野のお城の南(上野丸の内)にある「崇廣堂」は、1821年(文政4年)に建てられた藩校です。国指定の史跡として公開されており、文化活動の場としても活用されているそうです。写真は、庭園から見た講堂と、講堂からお庭に向かって撮ったものです。
ここを会場に、フルートのコンサートを企画された方が、作品を展示しないかとお誘い下さいました。お花を生ける方、お茶を点てる方とご一緒に、女性ばかり4人のコラボを、11月7日(土)・8日(日)に行います。タイトルは、「Swing彩異人 ー華・書・陶・日本茶、そしてフルートカルテットの彩展ー (仮題)」です。とても広々とした空間「崇廣堂」に、相応しい書作は、どんなものでしょうか。プレッシャーも感じながらですが、構想を練るのは楽しいです。
6月の活動
写真1枚目は、乾燥中の筒花入れです。私の書作品の脇に、自作の花入れに野の花などを生け、床の間や壁面を飾りたいと思って、制作中です。この度は、釉薬物の花入れも試してみようと思っています。写真2枚目は、これまでに穴窯で焼いた掛け花入れの一部です。
この年になって初めて、田植えというものを経験しました。13日、知人のご実家の田植え体験に、奈良女子大学書道部員と共にお誘いいただいたのです。21日には、伊賀の法人活動の拠点となっている代表のアトリエ周辺の草刈りをしましたが、これも初めて、草刈り機を担いで思いっきり作業をしました。また、念願だった「金継ぎ」の勉強を始めています。(ご報告は、完成してから。)バタバタと過ごす内に、はや今年も半分終わってしまいました。
学生時代からの友人で陶芸家の松元洋一氏の大規模な穴窯「青䖸窯」の窯焚きと窯出しの写真です。伊賀でNPO法人の仲間と穴窯を焚き始めてから、何かと相談に乗ってもらい、大したお手伝いもできないのですが、気やすく「まっつぁん」と呼んで、毎年の焼成作業を見せてもらっています。たくさんのお手伝いの方々は「先生」と呼んで、真剣に働いておられました。
来年の3月には私達「粘土カフェ」の穴窯を焚きますが、やらなければいけない課題(薪割り・窯の整備など)が、なかなか進んでいないのが現状で、時々不安になります。私は、炎と作品を見つめ、薪窯の醍醐味を体に留めました!
5月の活動
授業のない中間テスト期間を利用して、富山県入善町に帰省していました。1枚目の写真は、実家から車で15分の所に新しくできた新幹線の「黒部宇奈月温泉駅」から撮ったもの、立山連峰のごく一部です。残雪が木版画のように美しい、故郷の春です。
写真2枚目は、実家から車で10分の下山(にざやま)にある「入善町 発電所美術館」、独特の空間に、現代美術の企画展示が行われています。いつも帰ったら出かける所です。周辺は田植えを終えた一面の水田、3ヶ月後にはタワワに実を付けるのですから、自然の力は偉大です。
実家は、平屋の一部(3部屋)が、一つの空間に造り変えられていました。弟 石田歩(造形作家)の作品倉庫と作業場、写真1枚目は、その入り口にある彼の油絵です。大きな棚や内装は全て、宇治市在住の本人が、たびたび帰っては、作業中です。彼の作品「工作少年シリーズ」の秘密基地やトロッコ島を作る要領です。
写真3枚目の中央右の空間は、3本の梁が組んであるのがむき出しになった屋根裏部屋です。私も、手作りの梯子があり登ってみましたが、まさに秘密基地です。茶室にでもしようか、どうせにじって入るんだろ?と、物づくりの楽しさは尽きないようでした。
写真1枚目は、母の趣味の畑です。高齢の母でも手の届くように剪定された椿が50本程と、手入れの行き届いた草花がたくさん植えられて、一年中の茶花があるようです。野菜畑は中央に7畝、朝採って、料理に登場します。母がやっているお茶のお稽古を見学したり、私もお稽古をしたり、茶室や畑では、話が弾みます。近所の方から、家庭訪問なので玄関に飾りたいと頼まれて母が生けた花(写真3枚目)も、買ったものではないのですが、十分生活を楽しむことができると思いました。
連休のグループ展では、頭の整理ができないくらい課題ができた私でしたが、近海物のホタルイカやカニを食べ、豊かな恵みの中で充電(休息)しました。
奈良女子大学書道部 「May展」
奈良女子大学正門前にある旧鍋屋交番(きたまち観光案内所)にて、書道部の春書展となる「May展」を行いました。2年振り2回目の今回は、3月に学内の合宿場で合宿を行い、新年度早々の展示に臨みました。扇面による2・3回生の共同作品3幅(写真3~5枚目)、「麦の唄」の共同作品とOGの色紙の作品など、会場に相応しい展示となるよう心がけました。5月1日~18日までの予定が、6月1日まで延期され、とても好評だったようです。毎年、開催させていただくことになりました。
第32回 「墨翔とそのなかま展」
書壇に属することなく現代書の研鑽を積む書作家集団「墨翔」は、大学時代の先輩たちなど、現在は6名で活動されています。「墨翔展」は32回を数え、この度は、久しぶりに「墨翔とそのなかま展」を企画されました。私にもお声がかかり、緊張しながら光栄に思って、初めて参加させてもらいました。
ゴールデンウイーク後半の5月4日~6日、会場の奈良県文化会館(奈良市登大路町)は、連日、芳名録にお名前を書いていただく所に行列ができる程の盛会で、グループ展ならではの多くの方々に見ていただくことができました。写真1・2枚目は、「墨翔」のメンバー5名による展示(A展示室)、3・4枚目は、「そのなかま」のB展示室の様子です。
私の5点の作品(内1点は、スイハツの短冊)です。穴窯で焼いた2点の掛け花入れに庭の草花を生け、担当壁面7mを構成しました。右から、『利休百首』より4首、「茶足心」、昨年暮れに藍染の工房で染めた『万葉集』より1首、還暦(華甲)の年に書いた「華」、禅語より「花月」です。
布に書いた2つの作品は、福本雅一先生の遺品整理の折に、要らなければ捨てると言われてもらった亡き奥様の反物を使いました。ご夫妻が空から、怒っていらっしゃるか、上手く利用したと言ってくださるか・・・、天井の高い会場に合わせた長さに、バッサリ切って書きました。中国文学者である福本先生は、「書家は何でわざわざ下手に書くのか」と極端なデフォルメを嫌い、また訳もわからず漢詩を書くな、とよく言っておられました。紙には長鋒の羊毛の筆で書くのですが、織り(紬)の生地の表面との折り合いが悪く、書き易い兼毫筆で書きました。そのため、線が単調な気がしますが、手紙を書くように伸び伸びと素直に書くことができました。
B展示室(なかま展の方)の受け付けには私の文房具を置いて、と言ってくださり、横には、屋久杉のスイハツ(友人の作)に自作の花入れ、自己流で花を飾りました。たくさんの気に入った作品の一部などです。
最終日、「早百合ちゃ~ん、来年は3・4・5取れたからな!」と、先輩の陽気な声がかかりました。取れたというのは、会場です。還暦を過ぎても「早百合ちゃん」と呼んでくださるのはいいのですが、えっ?来年も「なかま展」なの?私も?想いも工夫も出しきったばかりなのに、1年後(表具に出すなら1年もありません)、何ができるでしょうか・・・。不安に思っていたところに、遠方から見に来てくれた旧友からメールが届きました。「深く遠い筆の世界は、やはりとてつもなく魅力的だと痛感した。」と。気負わずに、やってみようかなと、今は思っています。
4月の活動
麗らかな天候に恵まれた4月2日、自宅から程近い光明皇后ゆかりの尼寺 法華寺(写真1・2枚目)で、「ひな会式」が催されました。今年は、武者小路千家の献茶があるので、教室の方々と出かけ、宗屋若宗匠のお点前を初めて間近で拝見しました。慶久庵と東書院で釜が掛けられ、お薄をいただきました。桜を愛で、春の訪れを嬉しく思った一日でした。
また、この3月から「入江泰吉旧居」が公開されており、お茶の先生のご自宅のごくご近所なので改修工事は見ていましたが、月末にやっと訪れました。東大寺戒壇院から300m南に歩いた所にあります。高校時代、氏の大和路のポスターを見て感動し、私は奈良に憧れたものでした。その風景や仏像は、今も鮮明です。亡くなるまでここに住み、写真を撮り続けられたそうです・・・。新緑が一段と美しく感じました。
連休にあるグループ展の、布(反物を2mに切って使う)に染料で書く作品作りは、いろいろ試しましたが、やはり墨を使うことに落ち着きました。染料ではなく顔料で、2幅にまたがって大きく「花月」と書き、さらに墨で禅語を書きました。合計6幅の布の上下に棒を付け、吊るせるように工作しました。また、なかなか手を付けていなかったポートフォリオ(作品紹介)を、毎日少しずつ、苦手なパソコンに向かって作り、1冊のファイルにしました。
部活は6日(月)から、授業は9日(木)から新年度が始まり、秋のイベント(風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀・大仏書道大会・奈良女子大学書道部の墨香展)の打ち合わせもあり、慌ただしく充実した毎日でした。
「粘土カフェ」の活動
伊賀の法人活動の一環で行っている陶芸自主活動「粘土カフェ」は、来年3月に8回目となる窯焚きを行います。穴窯焼成 参加者募集のチラシができました!主に第3日曜日に集まって、活動をしています。新たな参加者を募集中です。
私は、連休にある書のグループ展の作品が途中なのですが、気分を変えて、18日の事務局会議と翌日の自主活動に参加、19日午前中は、チェンソーのメンテナンス(分解して掃除~目立て)を、法人会員の木工専門の方から教えていただきました。その後、見学の方も加わり14名で賑やかに、賄い当番さん手作りのランチをいただきました。午後は、手分けして作業、上野森林公園の間伐材をもらいに行き、薪割りもしました。薪棚は赤松の丸太でいっぱいになりましたが、まだ、薪が120束程しかできていません。目標は550束、乾燥させるためにも上半期で達成したいのですが・・・。
3月の活動
今学期の授業(高校の芸術科書道・中学の書写)は、5日まででした。書写の授業は、中1の1年間だけなので、毎年、好きな四字熟語を各自が選んで、その行書体を調べ、色紙の作品として残しています。高校で書道を選択しない生徒(三分の二)は、今後、墨を磨ったり筆を持つ機会がないのではと思うと、力が入ります。色紙を入れ吊るせるようにもなっている「たとう紙」の題箋には、「〇〇書 時年(時に年は)十三または十二」と年齢を書いています。右の写真は、書道室出口からの廊下の展示風景です。
成績入力を済ませると、すっかり学校のことは忘れ、春休みになりました。月末に、近年はまっている遺跡巡りの旅行を入れ、それまでに、構想ばかりだった5月のグループ展の制作を始めました。1つは表具に出し、京都の染料店で顔料や染料を買い、布に書く作品は試作中です。
7日・8日は、奈良女書道部の春合宿を学内で行い(写真1枚目は合宿所の梅)、伊賀で穴窯仲間と薪割りに汗を流す日もあり、図書館・展覧会・お食事会に行くなど、楽しみの多い3月でした。写真2枚目は、お水取り(東大寺修二会)に行き、二月堂舞台から間近に「お松明」を撮ったものです。
ジャワ島・バリ島へ
「アンコール遺跡」、「エローラ・アジャンタ石窟寺院」の次は、「ボロブドゥール寺院」を見たいと思い、春休みを利用して3月26日から31日まで、ジャワ島・バリ島のツアーに参加しました。
お目当ての「ボロブドゥール寺院遺跡」は、ジャワ島のジョグジャカルタ市内から北西42km(バスで約1時間45分)の郊外にあり、丘陵にそびえ立っていました。支給されたサロンを腰に巻き、安山岩の切石を積み上げて造られた石段を、汗を拭きながら登りました。最下層は一辺約120m四方の基壇(俗界)、その上は5層の方形壇(色界)で回廊になっており、肉厚なレリーフによる仏教説話が時計回りに展開され、これらを眺めながら次第に悟りの世界に導かれる配慮でしょうか。写真2枚目は、ここからの眺望、山並みが涅槃仏のように見えました。さらに、その上部に3層の円形壇(無色界)があり、72基の釣鐘状のストゥーバが等間隔に配置され、内部には仏座像が一体ずつ安置されていました。内部空間を持たない独特のピラミット構造、上空から見れば巨大な曼荼羅です。
ジョグジャカルタのホテルに連泊して、翌日は東へ16km(バスで約20分)の比較的近郊にある「プランバナン寺院」に行きました。ヒンドゥー教の遺跡としては 、インドネシア最大級だそうで、修復が進んではいましたが、地震などで崩壊した瓦礫の山があり、元の規模の壮大だったことが伺えました。中央のシヴァ神殿(高さは47m)など三大神と、その乗り物(牛・白馬・鳥)が祀られたお堂を中心に、かつては多数の小堂があったそうです。写真3枚目は、『ラーマーヤナ』物語の一部、指輪をもらったガルーダ(鳥)です。この物語は、踊りの題材にもなっていました。右の写真は、寺院に向かて右側から帰る時に撮ったもの、ここにも瓦礫が積み上げられています。
滞在したジョグジャカルタは、ジャワ島の中部南岸に位置し、大学など多くの高等教育機関が集中する学研都市で、三期作が行われている穀倉地帯でした。また、毎日のお祈りが生活に根付いていることに感心しました。
クラトンと呼ばれる王宮には、なんと今も王家の家族が住み、一般公開されていました。王宮の入口には舌を出した魔除け、壁のない建築(写真2枚目)は王宮でも見られ、儀式の時は、伝統的な音楽や舞踊が行われるそうです。バティク(ジャワ更紗)の工房は、防染(写真3枚目)のための蝋を溶かしているので、蒸し暑い所でした。影絵(ヤワン)芝居の鑑賞をしましたが、裏方の方が面白い(写真4枚目)。一人の男性の語り手が人形を操り、ガムラン楽器の演奏に女性歌手が唱和していました。カリンバですね(写真5枚目)、と声を掛けると弾かせてくださいました。古都ソロにも行きました。
ジョグジャカルタ空港から1時間20分程のバリ島デンパサールへ。さらに、空港から西へバスで1時間程のインド洋に面した大型リゾートホテルに泊まりました。ホテルの柱に、20cm余りもある奇妙な蛾?がいました。写真2枚目は、ホテルの庭から500m先に見渡すことができる「タナロット寺院」です。写真3枚目は、夕方、寺院の近くに行って撮ったもの、干潮時には、寺院に渡り参拝することができ、夕日鑑賞スポットとして、観光客で溢れていました。
イスラム教徒の多いインドネシアの中で、唯一バリ島は、ヒンドゥー教徒が大多数だそうです。民家の敷地内に寺院のある家も多く見られ、あちこちで色とりどりのお供え物を目にしました。また、スバックと呼ばれる水利システムからも、自然と調和しながらある信仰が、生活と共にあると感じました。緑の美しい棚田(ライステラス)もその賜物だということでした。ウブド村の観光、ケチャックダンスも見ました。
「タマン・アユン寺院」は、美しい寺院でした。写真1枚目は、バリ島のお寺によく見られる石の「割れ門」、ここから中庭を抜けると本殿の門(写真2枚目)、この立派な門からは信者以外は入れず、境内に沿ってある遊歩道を歩き、塀越しに見学をしました。境内には、濠(水路)がめぐらされており、ここにもスバック(流水の分配)の思想が活かされていました。
落ち着いた緑の中に、茅葺きの祠(写真3枚目)と、メルと呼ばれる多重層の塔が10基並んでおり、神秘的で荘厳な雰囲気です。メルの黒い屋根はシュロ葺きで、茅葺きよりも長持ちするそうです。人々の祈りと憩いの場となっているとのことですが、私も、どこか懐かしい、心地良い親しみを覚えました。
「墨翔」の集会
「墨翔」は、大学の先輩達などによって結成された書のグループで、毎年5月の連休に「墨翔展」を開催され、今年は32回目になるということです。久しぶりに「墨翔とそのなかま展」を企画され、私も「そのなかま」の一人として、初めて参加させていただくことになり、3月21日、私にとっては3回目の集会がありました。会場は、大阪府立今宮高校の広々とした書道準備室です。メンバーが作品を持ち寄り、忌憚のない批評が飛び交います。
このグループ展の、私の担当する壁面は7m、また、会場の高さが2.9mもあるので、軸装の作品2点の他に、手持ちの布(反物)を使うと、1幅が2mは可能です。この日は、その草稿(紙に書いたもの)を持参しました。2幅の禅語(写真3枚目)と、『利休百首』より4首(4幅)を予定しています。学生時代に戻ったような楽しさの中に、緊張感も交じっていました。
2月の活動
6日、冬の金沢へ、旧友 倉下真澄さんのグループ展を見に行きました。10回目となるという女性ばかり7名の書や彩色画が、「名鉄エムザギャラリー」一堂に飾られていました。金子みすずの詩が書かれた屏風は、斬新な布使いです。茶色くなったあじさいを題材にするのも彼女ならでは、自作の文があり、私の刻した印「尚紅」が押してありました。郷里の鳥取で開催した彼女の個展を見に行ったのは大学を卒業した年、あれから何十年になるでしょうか、お互いに長い間書道をやっているね、と笑いながら旧交を温めました。
会場前の「近江町市場」を抜けて、「金沢城公園」を歩きました。現存する「石川門」や「三十間長屋」、そして忠実に再現された「五十間長屋(写真4枚目は、その内部)」を見学しました。二の丸を守る城壁のように長いこの建物(長屋)は、珍しい菱櫓(ひしやぐら)を備える、武器庫だったそうです。金沢は、北陸新幹線開通を前に、観光客を迎える準備があちこちで進んでいました。
1枚目の写真は、富山の実家の庭から、2月7日に撮ったものです。私の原風景、雪を頂いた立山連峰の一部です。一方、2枚目の写真は、奈良ファミリー(奈良市西大寺)の6階から撮ったものです。復元された「大極殿」のバックには「東大寺」、そして山焼き間もない「若草山」が臨めます。私の好きな2つの景色です。2月の在宅日は、卒業証書を書いていました。
バレンタイン・フェスタ
非常勤で勤めている奈良学園登美が丘校(奈良市中登美が丘)の実技系の教員による「バレンタイン・フェスタ」が、今年も校内の「サイエンスラボ」を会場に開催されました。私は、昨年制作した作品の中から、Tシャツ「舞」・藍染による「万葉集一首」・呂新吾『呻吟語』より・文房具・陶印などを展示しました。技術・美術の先生方の作品展示(写真は一部)と、音楽の先生はミニコンサートです。生徒が鑑賞者となる教員の発表は、珍しいと思います。専任の先生方は、制作時間を確保するのが厳しいようでしたが、授業では十分に伝えられない実技教科の楽しさや豊かさを知ってもらう機会として、大切にしていきたいものです。
第2回「珠光茶会」
昨年から奈良市の主催で始まった「珠光茶会」が、今年も開催されました。6日間の内の2月11日、富山から母、宇治から弟、大阪にいる娘夫婦も来て6名で、元興寺(薄茶)、東大寺(お濃茶と点心)に行きました。
写真は、世界遺産「元興寺」の美しい屋根です。お茶をいただいた禅室の一部と本堂の北側の屋根瓦(写真2枚目)には、飛鳥時代(日本最古の)瓦が見られ、「行基葺」というそうです。瓦の重なる継ぎ目に、丸瓦の厚みが手前に出て変化に富んでいます。「珠光茶会」は、市内の7ヶ所の社寺が会場ですから、お茶を喫するだけでなく、各々の文化財の中に身を置く幸せな時間を持つことができます。家族皆で屋根を見上げ、趣があるねぇ、と鑑賞したひと時は、楽しい思い出となりました。茶室内の撮影ができません。写真右は、お道具の拝見をした茶室「泰樂軒」の入口です。
1月の活動
5日・6日は、一人で東京の画廊めぐり、松屋銀座店の「没後400年 古田織部展」は見応えのある内容でした。そのまま、新潟経由で富山に帰省、10日に奈良に戻りました。翌日は、お茶の教室の初釜(写真1枚目は、池に迫り出した書院から見たお庭)、その後のパーティでは、喜寿を迎えられた先生の作品(色紙と自詠の俳句の短冊)が抽選で当たる趣向でしたが、なんと全てに、私が刻して差し上げた印が押してあり(写真2・3枚目)、びっくりしました。
三学期の授業は、やれやれ13日から始まりました。冬休みは、ひと月以上もありましたが、引きこもって制作ができる性格ではなく、授業が始まらないと、落ち着きません。5月のグループ展の草稿に想いをめぐらす日もあり、また頼まれた表札を書いていました。右の表札は、菱彫りによる刻字、アクリル絵の具を塗っています。
「夢想庵」の初釜
1月8日、「夢想庵」の初釜が催されました。「夢想庵」は、私の実家(富山県入善町)の茶室、亭主は、86才の母です。長年毎年2回の初釜をしているそうですが、私は、この時期にはいつも実家におりませんでした。近年やっと茶の湯に興味をもったので、初めて見学させてもらい、何が何だかわからないまま、記録の写真を撮りました。
写真は、茶室入口に掲げられている刻字による扁額、私の作です。また、筆ペンですが、「茶会記」を書くお手伝いならできました。(夢想庵「九天」とあるのは、3年前に亡くなった父の号です。掛物やお道具は、初春に相応しい取り合わせ、どれも両親の思い出が詰まっている品々でしょう。)
裏千家流「正午の茶事」の、お稽古茶会です。小間の茶室が寄付き(写真1枚目)、客一同が本席に着くと、亭主が茶道口を開け、挨拶です。(写真2枚目)準備(水屋仕事)は全て母がしており、お点前は、客が順番に担当していました。
先ず「炭点前(初炭)」、炉を囲むように座り(写真3枚目)、炉中を拝見します。続いて「懐石」、最初に足の付いていないお膳(折敷)に、飯椀・汁椀・向付、利休箸を添えて出されます。「一汁三菜のもてなし」と聞いていましたが、その後、お酒・飯器・煮物椀、酢の物や焼き物・炊き合わせなどのお料理、炒り米で代用した湯桶が運ばれ、その亭主と客の合理的な動きに見とれて、写真撮影のタイミングを逃す程でした。初座の終わりに、縁高に入った主菓子(この日は、雑煮を象徴したというゴボウの入った和菓子)が出て、その後「中立ち」となりました。
母は、床の掛け軸を取り外し、掛け花を飾ります。銅鑼(ドラ)を打つと、その合図で再び席入りです。先ず「お濃茶」、続いて「炭点前(後炭)」、「薄茶」で終わりです。薄茶の干菓子は、私が持参した奈良の菊屋さんのものです。
4時間以上にもなる盛り沢山の内容でしたが、感心したのは「拝見」の所作です。掛け軸やお道具には、元々興味はありましたが、1つ1つこの日のために用意されたものを丁寧に拝見する場面が、印象に残りました。外は雪、風情という程度の積雪でした。
年のはじめに
謹賀新年!乙未の年のはじめの「年賀状」です。今年もよろしくお願いします。
友人にUPしてもらっているこのホームページも8年目となりました。活動のご案内と、そのよい報告を記録に残せるといいな、と思っています。今年の大きなイベントは、5月に初めて参加する「墨翔展」と、9月にある恒例の「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」です。元気な様子をお伝えできるよう、「筆」と「土」の面白さを存分に楽しむ一年にしたいと思っています。
元旦は、近くの東大寺へ。大仏殿は、この日0時~8時までは無料で、普段は閉まっている中門から入ることができ、桟唐戸が開きますから、そこから大仏様のお顔を拝むことができます。別の日に、日本最古の神社の一つであり物部氏の総氏神「石上(いそのかみ)神宮(天理市)」(写真2枚目)に行きました。ここから「大神神社」に続く「山の辺の道」は、古代から変わらないのではないかと思う落ち着いた景観、興味深い古墳群をいくつか回ったのが、我が家の初詣ででした。
3枚目の写真は、南都銀行本店(奈良市)入口のギリシャ風の柱にある「羊」の彫刻です。大正15年に建てられたそうです。