12月の活動

12月の活動 12月の活動 12月の活動 12月の活動

 二学期の授業は4日まで、試験監督と成績入力、書道室の展示替えなどを済ませると、補講1日と部活はありましたが、ひと月余りの冬休みとなりました。研修旅行・インド旅行・藍染めの講習会と、休みならではのイベントを楽しみ、自宅では、依頼のあったものを年内に送りたいと思い、試作を含め、陶印や文房具(硯箱に入る小さな水滴・筆置き・硯)の制作をし、クリスマスに窯を焚きました。それから、年末ぎりぎりに年賀状作りに取り掛かった次第です。

12月の活動 12月の活動

 友人が、石上神宮(天理市)の近くに「Samanala Garden」という喫茶店をオープンしました。自家菜園でとれた旬の有機野菜を使ったランチとスイーツを出しています。お祝いに、9月の芸術祭で発表した「藝(芸)」の作品をプレゼントしました。書体は、金文(青銅器に鋳込まれた篆書)、この文字の字源は、人が屈んで苗を植えている姿を象形したもの、技の意です。農業と食を大事にしている彼女は、お店にピッタリだと言って、飾ってくれました。
 2014年は、下の子供が4月から就職してホッとしたり、夫が思いがけない入院をしたり、そうそう私自身も耳下腺の腫瘍の摘出後、一時的な左顔面麻痺という不自由を経験しました。そんな年回りにはなりましたが、皆さんが私を使ってくださるおかげで、たくさん働くことができ、幸せな一年でした。感謝申し上げます。



「 藍染め 」の講習会

「藍染め」の講習会 「藍染め」の講習会 「藍染め」の講習会 「藍染め」の講習会 「藍染め」の講習会

 伊賀の法人活動の一環で開催された「藍染め」の実技講習会に参加しました。12月20日、染色作家 岡浩美先生を法人事務局(代表のアトリエ)にお招きして、麻布に糊(写真1枚目)を使って、筒書きによる糊置き(防染)をしました。(写真2枚目) 翌日は、津市へ岡先生の工房(ご自宅)を訪ね、本藍のお話を伺い、染めの実習です。工房には、「大谷焼」の大きな甕が4つありました。徳島の窯元を見学したことがあり、その甕が実際に使われ、その中で「藍」が生きていることに、感動を覚えました。
 他の6名の参加者は、抽象や具象の図案、私は、万葉集を万葉仮名で書きました。藍の濃淡を、若草山のように付けたいと思い、布の下の方を斜めに長く甕に浸け、上部は短時間で引き上げました。工芸作品の多くは、いくつもの工程を経て生み出されるものだと、あらためて認識し、本格的にやる時間はないょ、染色にハマってはいけない、と肝に命じた位、表現の手段として、私には興味深いものでした。



西インドの「石窟寺院」

西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」
西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」

 ポンペイ遺跡やアンコール遺跡を見て以来、もっと遺跡が見たいと思っていましたら、西インドの3つの遺跡を回るツアーを見つけ、一人で参加しました。12月9日、関空からデリーへ、さらに国内線に乗り換え、深夜、大都会ムンバイに到着しました。
 翌早朝からバスに乗り、車窓からスラム街や高級住宅街を見ながら、現役の駅舎にして世界遺産の「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(写真1枚目)」で撮影タイム10分、さらに「インド門」へ。門の裏手から小型船に乗り、1時間程の「エレファンタ島」に 向かいました。写真2枚目は、乗船間もなく船上から撮ったもので、左の立派な建物がホテル「タージマハル・パレス・ムンバイ」、中央のタワーはその新館、右が「インド門」です。島では、お土産物屋さんが並ぶ坂道を登った山頂に「エレファンタ寺院」がありました。上から下、外から中へと、機械のない時代に人の手で岩山をくりぬいて造られたそうです。ヒンドゥー教の神話をモチーフに彫り上げられた迫力ある彫刻群、6・7世紀の熱烈な信仰心に圧倒されました。

西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」
西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」

 国内線で空路オーランガバードへ、こちらに2泊して、デカン高原の大自然に刻まれた2つの遺跡を見学しました。1つ目は、バスで3時間程(北東に約106km)の「アジャンタ寺院群」です。川に沿ってU字型にカーブした断崖に、紀元前2・1世紀~6・7世紀頃に造られたという大小30程の「仏教寺院」で、1819年虎狩りをしていたイギリス人によって偶然発見されたそうです。
 1000年以上の眠りから覚めた寺院、そのため、「エレファンタ」では見られなかった壁画が見事でした。説話図や蓮華・鳥獣などが、天井にも豊かな色彩で描かれ、彫刻同様、ネックレスや髪型を見ているだけでも時を忘れました。内部が方形な空間は僧院だそうですが、曼荼羅や仏像(写真4枚目)などもあり、周囲にいくつもある僧室の細長い入口、その暗い内部には石のベットがありました。それに対して、アーチ型の高い天井を持つ空間は、礼拝堂だそうです。(写真5枚目) 6枚目は、その内部装飾、7枚目は、第19窟の華やかなファサード(正面)です。

西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」
西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」 西インドの「石窟寺院」

 翌日は、オーランガバードのホテルからバスで1時間程(北西に約29km)の「エローラ寺院群」に向かいました。途中、白い綿の花が一面に咲いているのを見て、中学の時の地理の授業を思い出し、のどかな気分になりました。また、どこでも鮮やかな民族衣装の女性達、素敵だな、というのがインドの印象でした。
 「エローラ」は、3つの宗教寺院群からなり、南北2kmにわたる岩山に連なるため、最初にバスは、北端に位置する9・10世紀に造られた「ジャイナ教寺院群」へ。写真1・2枚目は、その豪華な内部、第32窟~34窟は2階部分で繋がっていました。次に、バスで南端に移動し、5~7世紀に造られた「仏教寺院群」を見ました。(写真3枚目は、その1つ、3階建ての僧院) 北に歩くと、6~9世紀に造られた「ヒンドゥー教寺院群」、そのハイライトは、100年以上の歳月をかけて造くられたという巨大な第16窟(下段の写真)、いきいきとした神々のレリーフでおおわれていました。眼前の雄大な光景、それから目を遠くにやり、深呼吸をしました。



研修旅行「風と土の交藝 琵琶湖高島2014」

研修旅行「風と土の交藝 琵琶湖高島2014」 研修旅行「風と土の交藝 琵琶湖高島2014」 研修旅行「風と土の交藝 琵琶湖高島2014」 研修旅行「風と土の交藝 琵琶湖高島2014」

 伊賀で活動している法人の今年の研修旅行は、参加者6名、1台の車に乗り合せて、琵琶湖の西側に広がる滋賀県高島市に向かいました。京阪神からの交通の便もよく、空き家に移り住んだ工芸作家さんの工房や週末の別荘も多い所でした。ここで開催されていた「風と土の交藝」の興味深い点は、工房・仕事場・古民家再生のお宅そのものが公開され、手仕事の作品と様子に直接触れながら交流ができることです。寒さの厳しい12月6日・7日、私達は、パスポートを手に、何番の何が見たいか相談しながら周りました。
 写真は左から、道路に立つオレンジ色の案内/土間に展示されたインスタレーション(素材は石鹸)/古民家の梁を活かしたモダンな家/伝統製法の巻筆(芯に和紙を巻く)です。他に、狩猟した動物の骨や毛皮でアクセサリーや小物を作っている若い女性の生き方も印象に残りました。

研修旅行「風と土の交藝 琵琶湖高島2014」 研修旅行「風と土の交藝 琵琶湖高島2014」 研修旅行「風と土の交藝 琵琶湖高島2014」 研修旅行「風と土の交藝 琵琶湖高島2014」 研修旅行「風と土の交藝 琵琶湖高島2014」

 写真1枚目は、翌朝、琵琶湖畔に立つメンバーです。次から、ガラス工芸の作家さんの作品/古民家のいろりを囲んでトチ餅をいただく/興味津々の木工作家さんの道具/雪景色のメタセコイヤ並木にて、です。一晩で雪が積り、故郷の北陸のようでした。他に、陶芸・染織・カヌーなど、もの作りの現場を訪ね、リアルな感動と刺激を受けました。
 拙宅を会場に個展をし、工房や書斎も開放して、私の生活そのものを見ていただくことを意識すれば、ものの持ち方や時間の使い方が整理できるような気がしました。



11月の活動

11月の活動 11月の活動 11月の活動

 伊賀上野出身の書家 榊莫山が残した看板の原書などを展示した「町中の榊莫山展」があり、期間中、実際に町中を訪ねて歩く「いがぶら」が企画されており、2日に参加しました。写真1枚目は、ランチをいただいた料亭「料り喜」の入口にある莫山さんの看板です。展覧会場は、「アートスペースいが http://art-space-iga.net/ 」、知人がこの7月にオープンした画廊です。(写真2枚目) また、大阪市立美術館の「うた・ものがたりのデザイン」を見ました。日本の工芸に見られる文芸的な意匠はおしゃれで、奥深い楽しみ(教養)に満ち、今からでも古典文学や和歌を学びたいと(その時は)思いました。
 他に、「増田達治展 http://mata.publog.jp/ 」(写真3枚目)、「柏原ビエンナーレ」、「桜井記紀万葉歌碑原書展」(あべのハルカスのアート館)などを見ました。11月も芸術鑑賞の機会がたくさんありました。

11月の活動 11月の活動

 秋の夜長は有難いもので、書斎にいるだけで、落ち着きました。頼まれて書いた書作2点です。呂新吾の著書『呻吟語』の句、依頼主(理系の教授)の座右の銘です。行書の方は、「大事難事には担当を看る。逆行順境には襟度を看る。喜に臨み怒に臨みては涵養を看る。群行群止には識見を看る。」、隷書の方は、「心は虚にして一点の渣滓なからんことを要す。心は実にして一毫の欠缺なからんことを要す。」です。旧字体を使わず、思い切った変化も付けず、この句の意味を味わいながら書きました。研究室に飾ると聞いていますが、私の書が役に立って嬉しいことです。

11月の活動

 この11月の活動に、もう1つ記録しておきたいことがあります。伊賀の法人活動で行っている「穴窯焼成」の燃料となる間伐材の調達ですが、9月から4回目となる搬入作業を16日に行い、青山高原別荘地一区画の赤松を全て運び込みました。切り株がアットランダムに残っています。振り返って眺めながら、仲間と言いました。この風景アートだょね~!と。(写真は、区画の一部です)私達のモノの見え方、この楽天的な感覚、どうでしょうか。
 アトリエの薪棚は、運び込んだ赤松の丸太でいっぱいになりました。来年は、「薪割り」に汗を流します。



「もみぢ茶会」

11月の活動 11月の活動 11月の活動 11月の活動 11月の活動

 お茶の教室のお稽古茶会が、紅葉の時期を待って23日、「吉城園(奈良市水門町、依水園の隣)」でありました。「もみぢ茶会」と称し、お道具も名残りの秋の趣向で取り合せてありました。写真2枚目は、茶室から眺められる「苔の庭」、その庭からの「離れ茶室」が、写真3枚目の茅葺の建物です。
 茅葺の茶室を、もう1つ見る機会がありました。写真4枚目が、奈良国立博物館敷地内にある茶室「八窓庵」です。本館「なら仏像館」が修理中のため、展示替えで新館も休館になる秋の一時期、庭園・茶室・仏教美術資料研究センター(写真5枚目)・青銅器館が無料公開されていました。



奈良女書道部「パフォーマンス書道」

奈良女書道部「パフォーマンス書道」 奈良女書道部「パフォーマンス書道」 奈良女書道部「パフォーマンス書道」 奈良女書道部「パフォーマンス書道」

 晴れることを祈って稽古に励んできた、学祭で発表する「パフォーマンス書道」でしたが、当日(1日)早朝、実行委員会から野外ステージの催しの中止を知らされました。取止めにするはずはありません。急遽、学生会館2階ホールで行うことに決め、新たなチラシや看板を作り、小雨の中、校庭に繰りだし大きな声を上げてPRです。
 ロールで買ったブルーのビニールは100m、それをガムテープで繋いで安価で大きなシートを2枚作っており、その間に2枚目に書く用紙(7m×4m)を入れています(写真3枚目)。12時半、たくさんの人が集まり、OGや家族が遠方からも駆けつける中、部長からのアイコンタクトを合図に、私はボリュームマックスで音楽のスタートボタンを押しました!

奈良女書道部「パフォーマンス書道」 奈良女書道部「パフォーマンス書道」 奈良女書道部「パフォーマンス書道」 奈良女書道部「パフォーマンス書道」 奈良女書道部「パフォーマンス書道」 奈良女書道部「パフォーマンス書道」
奈良女書道部「パフォーマンス書道」

 曲は、乗りのいい「笑ってたいんだ(いきものがかり)」と、朝ドラ「ごちそうさん」のロケが奈良女であったことを意識して「雨のち晴レルヤ(ゆず)」の2曲です。1曲目は、「第一回 奈良女子大学書道パフォーマンス -希望の咲く場所へ- 」と3名で書き(写真1・2枚目)、ベニヤ板4枚をそれぞれ2人で支えて立てた用紙に 「笑門来福」と4人が、こちらは雑巾を手で握って書きました(写真3枚目)。 2曲目は、箒筆で大きく「光」と書き、霧吹きで色も付け、歌詞を書いていきました。曲のどこから誰が出るかは決まっていて、要所要所では掛け声がかかります。クライマックスでは、吹き抜けの階上のカラフルな傘がまわり、ピンクの桜吹雪が舞うという趣向でした。
 息の合ったパフォーマンスに、会場は拍手喝采、私同様、本番に強い部員達です。学内の書展が終わってから練習期間は2週間ほどでしたから、快挙というしかありません。集合写真は、満足そうな19名と、右端は心配そうに見守ってくださった顧問の谷口教授です。



10月の活動

10月の活動 10月の活動 10月の活動 10月の活動

 「大仏書道大会」の審査2日間と看板や賞状の揮毫などのお手伝いをし、搬入を含めて3日間東大寺大仏殿西回廊にいました。伊賀の法人活動では、穴窯仲間と「間伐材の搬入」作業をし、夜は地元の秋祭りにも参加しました。また、奈良女書道部は、「記念館」での書展が終わると、「学祭」で披露する「パフォーマンス書道」の準備です。放課後たびたび部室棟横の駐車場に集まって、新聞紙や模造紙を継ぎ合わせ、日が暮れても稽古をしていました。(写真2~4枚目)音楽・構成・衣装など全て部員達が主体的に作り上げ、3回生の指示が響くと、「はい!」と声を合わせてきびきびと動き、・・・「先生、ダメ出しを!」という流れでした。
 授業の合間は全て行事でうまっていましたが、あまり苦にも思わず、秋の星座や月を眺め、少しずつ紅葉していく木々を見ては、額田王が詠った「秋山ぞ 我は」の心境、「青春」もよかったけれども、「白秋ぞ」と思っていました。

10月の活動 10月の活動 10月の活動 10月の活動

 忙中の閑、和服に着替え、お茶会に2日出かけました。1つは、「宇治茶まつり」、お茶どころ宇治らしい年中行事です。宇治橋で「名水汲み上げの儀」、興聖寺では「茶壷口切りの儀」が行われ、茶席は、「興聖寺」(写真1枚目は、境内にある茶筅塚)と、屋根の美しさが格別の世界遺産「宇治上神社」(写真2枚目は、組物の間の意匠『蟇股(かえるまた)』)でありました。「朝日焼き窯元」(写真3枚目)や久しぶりの「平等院」も、この日の散歩コース、写真4枚目は、平等院表門前にある「赤門茶屋」の看板、田上恵一(夫)の刻字作品です。

10月の活動 10月の活動 10月の活動

 もう1つは、大津市の園城寺(三井寺)で、「宗祖 智証大師円珍和尚の生誕1200年慶讃大法会」が盛大に奉修されており、31日は献茶式が金堂であり、出かけました。本席濃茶席は、通常は公開されていない国宝「光淨院客殿」でいただきました。いくつもの秘仏が特別に開扉されていたので、境内を散策しました。隣接する「大津市歴史博物館」からは琵琶湖を眺め、記念企画展「三井寺 仏像の美」を見ました。心安らぐ秋の一日でした。



第5回「大仏書道大会」

第5回大仏書道大会チラシ表 第5回大仏書道大会チラシ裏
第5回「大仏書道大会」 第5回「大仏書道大会」 第5回「大仏書道大会」 第5回「大仏書道大会」

 平城遷都祭(2010年)の記念行事から始まった「大仏書道大会」は、今年5回目となりました。この催しの主催は、奈良の伝統文化の伝承と発展を願って活動されている「奈良21世紀フォーラム http://www.h7.dion.ne.jp/~nara21cf/ 」です。私は、遷都祭の2年前のプレイベントから、この催しの趣旨に賛同し、奈良女子大学書道部員と共に協力しています。
 秋晴れの10月25日(土)・26日(日)、東大寺大仏殿西回廊を会場に、全国の高校生・大学生から寄せられた、奈良や大仏に因んだ書作(入選作品100点)の展覧会「大仏書道展」が開催されました。26日には、同じく西回廊で「席書会」を行い、参加者と家族・関係者は、大仏の基壇に上がらせていただき、作品の奉納をしました。



奈良女子大学書道部の書展「墨香展」

奈良女子大学書道部の書展「墨香展」 奈良女子大学書道部の書展「墨香展」 奈良女子大学書道部の書展「墨香展」
奈良女子大学書道部の書展「墨香展」 奈良女子大学書道部の書展「墨香展」 奈良女子大学書道部の書展「墨香展」

 奈良女子大学書道部は、昨年から学内の「記念館」を会場として書展をしています。今年は、「記念館」が改修工事に入るため、後期授業始まって間もない10月10日(金)~12日(日)に行いました。記念館は、正門などと共に、国の重要文化財に指定されている趣ある建物です。通常は公開されていませんが、部員とOG、顧問の谷口教授と私(講師)の作品が、この建物の2階講堂と階段ホールいっぱいに並びました。
 写真は、上段左から、講堂の正面左の百年ピアノを弾く部員とガラスケースの作品、正面舞台に横もの3点、正面右には聯落ちや半切サイズなどの作品。下段は、講堂後方の入口を挟んで小品の作品がずらり、両サイドのガラスケースにも、折帖・うちわ・色紙などを展示しました。右側中央の窓からは、正門とシンメトリーに校舎、そして若草山を望むことができます。

奈良女子大学書道部の書展「墨香展」 奈良女子大学書道部の書展「墨香展」 奈良女子大学書道部の書展「墨香展」 奈良女子大学書道部の書展「墨香展」

 「墨香展」に出品した私の作品、「いろは歌」(写真2枚目)です。ひらがな48文字の陶印を作り、散らし書きの要領で押印しました。額装にせず、裏打ちをして板に貼り、動かせない古風なガラスケースがあるので置きました。空いた左のスペースに、陶印7点(写真1枚目)を並べました。作品のキャプションには作者各自の写真を貼ることになっていました。私は、考えた末、大学時代の写真です。右の写真は、展示はしていませんが、同じ陶印による扇面「あさきゆめみし」の一部です。
 会期中、学内で学会や映画祭・スケッチ会があり、また、「奈良県大芸術祭」にも参加していたので、書道部関係者や学内の方々以外に、たくさんの来場者がありました。



「大仏書道大会」の審査会

「大仏書道大会」の審査会など 「大仏書道大会」の審査会など

 「大仏書道大会」の全国公募の書道展には、74の団体・個人から、1,580点の作品が寄せられました。10月8日(水)一次審査、10日(金)に本審査を行いました。写真は、本審査の様子です。審査委員長は東大寺の森本長老、私が出品票に書いてもらったコメントを読んでいます。テーマにそった作者の想いを、筆と墨の特性を活かして表現した、メッセージ性(発信力)のある作品を選びました。高校生や大学生の発想の面白さや感性の柔軟さには、学ぶところが多くあり、毎年、お手伝いをするのが楽しみです。
 特別賞7点を含む入選作品100点は、表具に出し、東大寺大仏殿西回廊に展示します。 ※新聞記事



9月の活動

9月の活動 9月の活動 9月の活動 9月の活動 9月の活動

 二学期は、いつも慌ただしく始まります。恒例の「風と土のかたち展」には、私は9回目の出品をしました。昨年から「アートフェア」が加わり、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」となり、いっそう盛大なイベントとなりました。この大人の文化祭のような催しといつも重なって、奈良学園登美が丘校では文化祭があり、友人の個展もあり、「芸術の秋」の到来です。
 写真は、10月にある奈良女子大学書道部の「墨香展」のために制作中の「いろは歌」用の陶印です。これまで、平仮名の印をいくつも作ってきましたが、売れてしまうので、欠けた文字を度々加えて48文字にしています。織部風の釉薬をつくり、水盂(水差し)やテストピースなどと一緒に施釉し、8日、本焼きの窯を焚きました。高校の授業と部活では、10月4日締め切りの「大仏書道展」に応募する作品作りをしていました。

9月の活動 9月の活動

 「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」の会場(伊賀市腰山)には、3往復して6日間滞在しました。私は、ずっと会場にいたいと思ったのですが、穴窯仲間の提案で間伐材を提供していただいている青山高原別荘地へ行き、3時間程度の作業をしました。コンセントの要らないチェンソーを持ち込み、軽トラに詰め込める位の長さに切って、アトリエの薪棚に運び込むのです。横たわっている赤松を、薪束〇束分と無意識に換算して、嬉しく思って、仲間と汗を流しました。(私は、運転中に赤松の大木を目にする時も、薪だと〇束、と即座に勘定してしまう癖があります。)

9月の活動 9月の活動 9月の活動

 滞在中の別の早朝、ブルーベリー畑にお邪魔して、ブルーベリーを籠いっぱい(1キロ以上)摘みました。芸術祭実行委員会の構成団体「四季の森 やもち ゆめ倶楽部」の畑です。一帯には、彫刻家 内山泰義さんの「ヤジロベエとプロペラを組み合わせた作品」が、自然の力で回っていました。これは、昨年の芸術祭のレジデンス作品です。農業とアートが融合した景観となっていました。



「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」

風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀チラシ表 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀チラシ裏

 天候に恵まれた9月14日(土)~23日(火・祝)[16日・17日・18日は休館]、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」を開催しました。この芸術祭は、12回目となる「風と土のかたち展」と、地域の方々と共と昨年から始まった「風と土のアートフェア」で構成されています。「風と土のかたち展」には、今年は伊賀市内外の56(人・団体)の作家が出品しました。この芸術祭は、住民組織・関係機関など10団体から成る実行委員会が主催し、私が所属するアート系のNPO法人「Arts Planet Plan from IGA http://www.appfi.org/ (伊賀市西青山)」が、その事務局として運営しました。
 テレビ・新聞などいくつかのメディアに取り上げていただき、紹介されました。その一つの朝日新聞

風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀

 今年も、伊賀市の中山間部にある「伊賀市矢持地区市民センター(旧矢持小学校)」が舞台です。会場から眺められる自然は見飽きることなく美しく、窓枠が額縁の、1つの作品のように思います。(写真1枚目は、元音楽室)
 写真2枚目は、プール跡に設置されたインスタレーション「かけはし2014 矢持 VERSION 水」です。このモチーフとなったという虹を、4年前の展覧会開催中にグラウンドから私も見て感動したものです。交流の懸け橋をテーマに、このような形の作品として再現され、アートの無限の可能性を実感しました。このバックに見える緑に囲まれた三階建ての建物が元校舎、そのすぐ裏を川(写真3枚目)が流れています。法人の方々と、寝袋で和室に泊りましたが、心地良い川音を聞きながら寝ました。

風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀

 こちらは、校舎の裏手の木陰に設置された作品「森の中のおひるね処 UtoUto」です。杉の間伐材で出来ており、壁や天井のない高床式の丸太小屋にハンモックが掛けられています。来館者を案内する度に、私もウトウト・・・、川のせせらぎを聞きながら、秋の空を眺めました。音も風も、作品の一部です。虹の作品も、風が吹くとその表情を変え、映像芸術となります。街中の会場では実現できない、私たちの芸術祭ならではの作品だと思いました。

風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀
風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀

 教室6室には、工芸・絵画・彫刻など120点余りの作品が並びました。上の写真は、私が興味をもった平面の作品です。1枚目の作品は、鉛筆で描かれています。拡大したものが2枚目、顔がモチーフになっていて、文字のようです。
 下の写真は、和室の様子と、和室に展示した私の作品です。水盂(水差し)7点は、今年の「粘土カフェ」の穴窯と友人の穴窯で焼いた無釉のものに、電気窯で焼いたもの2点を加えました。書作は、芸術祭のために書いた金文の「藝(芸)」です。、『新字源』には、人がかがんで植物を植えている形から「わざ」の意味を表わす、とあります。書作品の脇には、自作の花入れで野の花を飾りたいと思って、穴窯で「掛け花入れ」をたくさん焼いていたのです。

風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀
風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀

 この3月の「粘土カフェ」の穴窯焼成は、7回目でしたが、この度初めてメンバーに呼びかけ、穴窯作品のコーナー展示を企画しました。14名の作品が、元図工室の24のブース(私の作品が9ブース)に、ずらりと並びました。間伐材を活用して焼成していること、年間を通して仲間と行っている薪割りや、窯詰め・焚きなどの活動の様子を、写真やコメントで紹介するパネルも作りました。窯出しの時には見ているはずですが、お互いの作品をあらためて鑑賞する機会ができ、次回の焼成への励みにもなりました。穴窯って面白い、やめられないね!と再確認したのは、やっている私達自身だったかもしれません。
 この小学校で学んだ来館者の方々から、物置のように使っていた棚が、このような展示スペースとなり驚いた、と言っていただきました。

風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀

 21日に行われた「アートフェア」の様子です。運動場には、地場の採れたて野菜や新米、手作りのカレー・うどん・パンやジャムなどの販売、乗馬体験、コンサートなどがあり、体育館では、ハンカチアート・マイ箸作り・ステンドグラス・苔玉作りなどの体験と、木工芸・染織・玩具・私は陶印などの展示販売がありました。たくさんの来場者で賑わいました。私の書いた文字のあるTシャツを着ている人もいました。
 前日には、地域の方々とテント張りをしてお店を作り、交流会(バーベキュー)もありました。当日は、店番をしたり案内をしたり、地産の品を売り切れない内に買いに走ったり、主催して参加した長い一日でした。



奈良学園登美が丘校の文化祭

奈良学園登美が丘校の文化祭 奈良学園登美が丘校の文化祭 奈良学園登美が丘校の文化祭 奈良学園登美が丘校の文化祭

 奈良学園登美が丘校(奈良市中登美が丘)では、幼稚園・小学校・中学校・高等学校合同の文化祭「尚志祭」が、9月20日・21日の土日に開催されました。私は当日は見に行けていないのですが、非常勤で授業をしている日の午後、生徒と展示作業をしました。会場の体育館は、幼・小・中・高の美術の作品が天井からも飾られ、それはそれは賑やかです。書道は、その片隅の壁面に、高校2年生(書道選択者23名)の色紙と篆刻作品の折り帖、中学1年生(全員)の行書の名前の1文字とうちわ12枚を、全紙サイズの仮巻き10幅と机上に展示しました。
 この日、たまたま下校の小学生と校門付近で一緒になりました。まだ夏服の児童達が、紅葉しかけた木々の中に明るく映えていました。(写真の4枚目)小学生を担当しているわけではありませんが、このような学園の光景に、ふと働く喜びを感じました。



8月の活動

8月の活動 8月の活動

 二学期の授業が26日から始まり、夏が終わりました。
 帰省と書道部の合宿は例年通りでしたが、「粘土カフェ」の夏合宿は、台風のため11日午後のみとなりました。この「日帰り合宿」参加者と、青山高原別荘地の間伐材の下見に行きました。暑い日中、切り倒されている赤松の大木(写真1枚目)を見て喜ぶ大人も珍しいと思いますが、提供していただける材木があって、本当に嬉しく、ホッとしました。今後の活動日に、チェンソーを持ち込んで切断し、アトリエの薪棚に運び込む予定です。2枚目の写真は、法人のもう1つの自主活動グループ「庵プロジェクト」さんのこの日の様子です。さて、いつどんな庵ができるのでしょうか。

8月の活動 8月の活動 8月の活動 8月の活動 8月の活動

 写真1枚目は、「陶棺」です。奈良市西大寺の「赤田(あこだ)横穴墓群」から出土し、復元されたものです。「石棺」しか見たことがなかったので、陶製の棺が、6・7世紀の奈良市内で造られていたことに興味を持ち、市の埋蔵文化財調査センター(奈良市大安寺)の特別公開を見に行きました。「陶棺」は6個、筒型の短い脚がありました。埴輪と似ていると思いました。この墓の副葬品ではありませんが、私の好きな「陶硯」(奈良時代によくある陶製の円硯)も展示されていました。
 水差し・ 陶印などの素焼きの窯を焚きました。あとは、本の整理と草刈りが夏休みの日課でした。5枚目の写真は、書道雑誌などは大量に処分し、美術書・篆刻資料などは移動し、ここは書道関係の本だけ!と決めて整理した本棚です。



奈良女子大学書道部の合宿

奈良女子大学書道部の合宿 奈良女子大学書道部の合宿 奈良女子大学書道部の合宿 奈良女子大学書道部の合宿 奈良女子大学書道部の合宿

 8月23日~25日、奈良女子大学書道部の合宿が、吉野山中千本の「戎館」でありました。この宿に、私は11年ぶりに訪れました。あの頃から比べると書道部員は倍になり、今年は、1・2・3回生・院生22名とOG2名、総勢25名でした。主に、10月に学内の記念館で行う「墨香展」の作品作りの指導をしました。幸せな書道三昧の3日間、飲み会もなく、ひたすら書くだけ・・・、で以って全員(私も)寝不足ですが、楽しいのだそうです。写真は、制作と合評会の様子です。

奈良女子大学書道部の合宿 奈良女子大学書道部の合宿 奈良女子大学書道部の合宿 奈良女子大学書道部の合宿 奈良女子大学書道部の合宿

 「戎館」は道路側から見ると2階建てですが、玄関フロアーは建物全体の6階にあたり、奥へ奥へと階段を2階降りた、4階にある100畳の広間で書きました。ここからの眺めは、桜がなくても絶景です。吉野の山々が一望でき、如意輪寺の佇まいも趣があり、ちょうど雨の後に雲海がでました。写真2枚目は、宿の前で記念撮影をした後、今度は先生も入って~と、学生の一人が撮ってくれたものです。私もお揃いのTシャツを着ています。背中のデザインは、部員達のオリジナルです。
 帰途、宿から歩いて5分ほどの、金峯山寺蔵王堂の見学をしました。吉野一山の総門「黒門」を後にし(写真4枚目)、現存する最古の小さなロープウェイに揺られ3分、近鉄吉野駅(写真5枚目)です。みな車中で爆睡でした。



7月の活動

7月の活動 7月の活動 7月の活動 7月の活動 7月の活動

 一学期の授業は2日まで、期末試験監督と成績入力の後、部活(の様子:写真1枚目)が不定期にあるだけで、ひと月余りの夏休みとなりました。
 7月9日夕刻、彫刻家 池田丈一さんの個展会場(ならまちの「ギャラリー勇斎」)は、オープニングパーティーの最中でした。お隣に居合わせた年配の作家さんが、「このような場に来るということは、書壇に属していませんね?!」と思いが けない鋭い指摘、そして「立体や現代美術に興味がある書家(と池田さんが私を紹介した)の作品が見たい」とおっしゃったのです。思わず、背筋が伸びました!!!「書家と言うより書道教師になっています、書は頼まれて書くものではないか、筆文字が役に立つなら嬉しい」などとお応えしながら、夏休み早々のこのような宿題(プレッシャー)を、けっしてイヤだとは思わない私でした・・・。写真は、今月見た「奈良県立美術館」の現代アート展の一コマ、福井憲吾さんの個展会場「やまぼうし商会 http://yamaboushishoukai.web.fc2.com/josho.html 」と、よく頼まれる命名の色紙です。



穴窯見学

穴窯見学 穴窯見学 穴窯見学 穴窯見学 穴窯見学

 7月20日、「粘土カフェ」の活動の一環で「穴窯の見学会」をしました。私達の穴窯の扉などの修繕のための調査を兼ねたものです。粘土を購入している西浦商事さんの穴窯1基、親しくしていただいている伊賀焼の陶芸家 新歓嗣先生の工房では6基の穴窯を見せていただき、アドバイスをいただきました。(写真1~3枚目) また、旧友の陶芸家 松元洋一氏が、最近変わった窯を造ったというので、こちらは一人で訪ねました。クレでできている既存の大きな穴窯と、新しい小ぶりの窯です。(写真4・5枚目)
 私は、生まれ変わったら左官か大工になりたい、茶室を自分で作り造園もしたいと思うことがあります。焼き物を生み出す手作りの窯は、どれも茶室と同じくらい興味深く、作り手のロマンを感じます。



「綿繰り・糸紡ぎ」

綿繰り・糸紡ぎ 綿繰り・糸紡ぎ 綿繰り・糸紡ぎ 綿繰り・糸紡ぎ

 私が所属しているNPO法人は、年4回「実技講習会」を実施していますが、夏休みの一日、「綿繰り・糸紡ぎ」に参加しました。「綿繰り」は、綿と種を分ける作業で(写真1枚目)、こちらは楽しくできました。次の工程「糸紡ぎ」は、糸車(写真2枚目)やスピンドル(写真3枚目)を使い、よりをかけながら糸を紡ぎ出す作業で、ちょっと不思議なものでした。「連綿」という言葉は、書道でもよく使いますが、なるほど~!と感心するばかり・・・、丁寧なご指導にもかかわらず、私はまったく上手くできません、一番にギブアップでした。根気のいる「紡ぐ」ことには、向いていないようでした。
 会場は「八尾市歴史民族資料館」、在来種の綿の栽培もされており、ちょうど黄色い綿の花が咲いていました。この綿の収穫から藍染までの学習体験もできるそうです。八尾には多くの古墳群があること、江戸時代から綿づくりや丈夫な「河内木綿」の産地として栄えた所だったことを知りました。



6月の活動

6月の活動 6月の活動 6月の活動 6月の活動

 庭の一角に、ホームパーティーに欠かせないバランが群生していますが、その辺りを古い瓦で囲い、小さな畑を始めました。先ずは、スーパーで買った根っこ付きの葱と三つ葉、いただいた大葉、ホームセンターで買ったパセリなどを植えました。雑然とした庭にして緑は鮮やかで、一人でいる在宅日の、特に雨の日は、気持ちが落ち着き幸せな気分でした。
 中・高生と書道の授業をし、学生と書道部をし、穴窯仲間との活動も始まりました。6月はお誕生月、生駒山上のレストランで家族との時間を持ちましたが、公立の教員なら退職している年齢です。元々フルタイムで働いていないのに贅沢ですが、出かけないで読書や庭いじりをする、作品制作の構想を練る、あるいは特に何もしない、そんな在宅日を少しづつ確保していきたいです。



「粘土カフェ」の活動

「粘土カフェ」の活動 「粘土カフェ」の活動 「粘土カフェ」の活動

 6月22日(日)、NPO法人「Arts Planet Plan from IGA http://www.appfi.org/ (伊賀市西青山)」陶芸自主活動グループ「粘土カフェ」の、今年度の活動が始まりました。4月の窯出しの時、参加者の合意で次回(8回目)の「穴窯焼成」実施を決めており、5月の総会で、私が引き続き主担当となりました。
 連絡を回している「粘土カフェ」のメンバーは、遠方の方も含めて現在24名、公務や専門分野の活動に多忙な方が多く、この日の参加者は10名でした。薪棚に残っている丸太の薪割りと、草刈り・粘土の再生作業を手分けして行い、2016年3月の窯焚きに向けて、方針と日程の話し合いをしました。安全な窯焚きのために窯の扉などの改修が必至ですから、今年は、いろいろな穴窯の見学をすることになりました。肝心の間伐材はこれまでのように入手できるでしょうか・・・、課題の多いスタートです。



福井さんの「わからん窯」

福井さんの「わからん窯」 福井さんの「わからん窯」 福井さんの「わからん窯」

 写真1枚目は、6月6日、陶芸家 福井憲吾さんの窯焚きにお邪魔した時のもの、窯の後部です。窯の片面は崖の斜面と一体化しており、手前に横長で、焚き口がいくつもあります。「蛇窯」の短いタイプにも、「穴窯」の捨て間が2つあるようにも見え、窯の構造には疎い私ですが、ご本人も「わからん窯」とおっしゃっていました・・・。釉薬には手作りの工夫があり、焼き締めの作品と共に、窯出し後の個展が楽しみです。
 写真2・3枚目は、その時の窯に入れて下さった私の作品の一部、水盂などの水差しです。



5月の活動

5月の活動 5月の活動 5月の活動

 連休中は出かけず、友人も招き、家族総出で10m以上に成長した庭木の伐採や草刈り、得意のホームパーティーをして過ごしました。
 写真は、友人のお孫さん(つゆちゃん)誕生で、頼まれて書いた色紙です。(このようなお祝いを幾度となく書きましたが、私にもよいことがあるでしょうか。)作陶は、水差しを作っていました。取っ手のあるピッチャーやよく作るタイプの水滴と、水盂(すいう)です。水盂の盂は鉢の意、小さな匙で水をすくって使う水差しです。



沖縄の旅

沖縄の旅 沖縄の旅

 中間試験休みを利用して、学生時代の友人がいる宮古島と、沖縄本島に行きました。宮古島では、島の南岸にあるリゾートホテルにのんびり4日間滞在し、7色とも言われる美しい海を見て過ごしました。ホテルの庭から砂浜(写真1枚目)に出ることができ、部屋にいても鳥の鳴き声がしました。
 ホテルの隣には、難破したドイツ船を助けた優しい島の人々の記憶として、「うえのドイツ文化村」があり、写真の右は、ドイツ村にある古城(博愛記念館)の展望室からの、ホテルと海です。

沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅

 島の東南端の絶景「東平安名崎(ひがしへんなざき)」、友人がよく散歩するという「サンセットビーチ」、「与那覇前浜(まいばま)」へ、また、来間(くるま)大橋を渡りました。来間島の竜宮展望台からの眺望が写真1枚目です。すでに梅雨入りした沖縄の空は曇っていましたが、海の色がとても綺麗でした。
 離島宮古島のさらに離島(フェリーで10分の)伊良部島・下地島をドライブしました。写真は、不思議な輝きを放つ「通り池」、下地島の先端、「渡口(わたくち)の浜」です。渡口の砂粒は特別に細かく、素足で歩くと幸せな感触でした。感動のあまり、手持ちの粘土に混ぜて焼いてみようと思い、袋に詰めて持ち帰りました。

沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅

 宮古島の畑と海の恵みは豊かです。写真は、電気自動車で案内してくれた友人と島バナナ、旅を共にした娘とマンゴーです。毎食の郷土料理はへルシーで、特産のとろけるような海ブドウ(写真3枚目)や島らっきょのてんぷらもいただきました。
 宮古上布を見たいと思い「伝統工芸品センター」へ、また「市立博物館」にも行きました。宮古島には、高い山はなく、まだ背の低い一面のサトウキビ畑(収穫時には3mにもなるそうです)が広がっていました。そこここに見られる熱帯植物、色彩豊かな大小の花々、月桃(写真5枚目)を教えてもらってからは、見る度に「ゲットウ~!」と叫んでいました。宮古島特有の方言には「ん」から始まる言葉があり、しり取りは終わらないそうです。異国のようでした。

沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅

 沖縄本島に戻り、さらに2泊しました。沖縄には、世界遺産が9つもあり、ガイドブックを見ていると、島全体がテーマパークのようです。
 最初に、「壺屋やちむん通り」を歩きました。「やちむん」は焼き物のこととか。琉球石灰岩の石畳が続く通りには、赤瓦の屋根にシーサーを載せたショップや窯元が並び、今は使われていない登り窯「南窯(ふぇーぬかま)」(写真3・4枚目)もありました。古風なカフェで、伝統的な祝茶「ぷくぷく茶」と、スイーツをいただきました。

沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅 沖縄の旅

 限られた滞在時間でしたが、遺跡や建造物が好きな私は、グスク(城)跡など5つの世界遺産を見て回りました。復元された首里城公園の中には堂々とした石門がいくつもありましたが、中でも、「園比屋武(そのひゃん)御嶽(うたき)石門」(写真1枚目)の屋根には精巧な石彫が施され、「今帰仁城(なきじんグスク)跡」の城壁(写真2枚目)、宮殿のように立派な陵墓「玉陵(たまうどぅん)」(写真3枚目)、中国風と沖縄が混在した美しい別邸「識名園」(写真4枚目)、どこも琉球王国時代の高い石造技術を伝えるものでした。
 娘の希望で、沖縄の海を再現した世界最大級の「美ら海(ちゅらうみ)水族館」にも行きました。本島の見学先を宮古島の友人に報告すると、まず「戦跡」に行ってほしかった、沖縄の半分しか見ていないよ、と言ってくれました。よい友を持ったものです。もう一度めんそーれ!ということね、と話したことでした。


4月の活動

4月の活動 4月の活動 4月の活動

 今年度も、非常勤の授業は週4日、芸術科書道(選択した高校生)と、書写(中学一年生)を担当します。耳下腺にできた腫瘍(良性)を摘出した術後の後遺症のため、少しお休みをいただき、4月中旬から始めました。
 写真は、退院の時に寄った正倉院近くにある枝垂れ桜です。やや起伏のある広々とした芝生と一面の緑の中に、少し離れて2本あり、桜並木の美しさとはまた違った趣です。「双子の桜」という愛称で対をなすこの大きな枝垂れ桜にも、奈良公園特有のディアライン(鹿摂食高)が見られ、その樹形はほぼ半円、見事に満開でした。

4月の活動

 特に制作もせず、4月は終わってしまいました。通院の帰途、陶芸家 福井憲吾さんの工房(ご自宅)を、弘仁寺近くの山中に訪ねました。窯や工房棟だけではなく、お住まいも一人で造られたそうで、それ自体が作品です!家の周りで取れた山菜・銀杏や手作りのお茶を、いろりを囲んでいただきました。私が感動したのは、ろくろ(写真)です。電動ろくろは、安くいくらでも売っているのに、洗濯機のモーター・換気扇や自転車の車輪などを利用してできており、福井さんの生き方をよく表わしています。作風はおおらかで、私の大好きな半泥子さんに似ています。もの作りの真髄に触れ、元気が出ました。



「穴窯焼成」の窯出し

「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し

 4月20日(日)、先月末に焚いた「穴窯」の窯出しをしました。まず、閉じていた焚き口を解体すると、灰にまみれた作品が現れました。(写真2・3枚目)この日の参加者は、大人17名、学生1名・中学生5名、順番に中を覗き、変わり果てた様子に感動の声が上がり、カメラに収めていました。火袋に溜まった「灰」は、丁寧に確保します。写真4・5枚目は、火袋脇に置いた私の作品です。次々と、作品と棚板・支柱が運び出されました。

「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し

 手前の棚から、順番に並べて、参加者全員で、この度の焼成について検証し、感想を聞き合いました。窯を閉じた時の手応えから、強還元はかからなかったように思っていました。やはり、ビードロは取れませんでしたが、信楽焼風の美しい緋色や窯変が見られる作品がたくさんできました。

「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し
「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し
「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し 「穴窯焼成」の窯出し

 私の作品の一部です。上の段は、「火袋脇」に置いた2点、ヒビが入った「ころがし」の2点、と「赤土」の作品です。2段目は「白土」の作品、3段目は「赤土」に藁を巻いた作品です。
 私は、仲間と夜通し薪をくべ、苦労して焚くこと自体が楽しいのですが、電気窯では出ない変化のある作品を見ると、穴窯は本当に面白いと思います。私の書作の脇に穴窯で焼いた花器に野の花を生けたり、自作の皿やお茶碗で、家族や友人とお茶を楽しむことができたらいいな、と思っています。


3月の活動

3月の活動

 25年度の授業は3月5日まで、定期考査がない教科なので成績入力を済ませると、春休みとなりました。今年は、2年に1度の「穴窯」を焚く年で、窯のある伊賀市西青山の会場(彫刻家 森田耕太郎氏のアトリエ)へ3往復、のべ11日間滞在し、仲間と活動を共にしました。写真は、「記録ノート」の表紙です。
 この「穴窯焼成」は、私が所属するNPO法人の陶芸自主活動グループ「粘土カフェ」の主催、今回で7回目となりました。この穴窯を造るワークショップと1回目の焼成から欠かさず参加している私は、主担当として、連絡係りをし、当番表を作り、記録としての写真も撮っていました。夜通しの窯焚きは、窯の熱と眠気と戦いながら、ちゃんと焼けるかと不安もあり、楽しいとばかりは言えませんでしたが、どこへ旅行に行くより贅沢な時間だと思って働きました。いろいろな理由で、やりたいけれども参加できない方もあり、また、大事な仲間をこの2月病で亡くしました。見えない応援にも支えられていました。



「穴窯焼成」の窯焚き

「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き

 1日目(21日) : NPO法人「Arts Planet Plan from IGA http://www.appfi.org/ 」の活動の1つである「穴窯焼成」の窯焚きが始まりました。この日は、10時に集合し、先ず、穴窯の前方と後方に2つの熱電対を取り付けました。焼成の無事を祈念して、参加者全員(15名)で献杯の後、12時少し前に火入れとなりました。
 初めは、薪割りの時に出た「木っ端」を使い、24時までの12時間で、ゆっくり100°Cにしました。焚き火をしながら、会話も弾みます。賄いリーダーさんの手作りのお食事も揃っていただくことができ、なごやかな一日でした。日帰りの人が多くあり、仕事 帰りに参加する人もありましたが、夜は7名で作業を行いました。

「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き

 2日目(22日) : 0時~12時間かけてゆっくり350°Cに、さらに12時間かけて24時には850°Cに!が目標です。この時点では、焚き火の炎に照らされた窯の中の作品を、焚き口越しにみることができます(写真2・3枚目)、幼い子供を奉公に出す時のような気持ちでみていました。
 10時頃、予定よりも早く、馬の飼料袋にためていた約30袋の「木っ端」がなくなり、いよいよ焚き口からの薪の投入となりました。そこで、アクシデントその1、焚き口の扉の開閉のための重り(水の入ったポリタンク)を上げ下げする滑車が動かないことが判明!老朽化していました。すぐに買いに行ってもらい、取り替えている様子は、写真4枚目。その頃のモタモタの記録ノートと、下がりかけている温度(デジタル表示ではありません)をじっと見る窯当番さんです。

「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き

 この日の昼間の参加者は13名、予定通り「蕎麦打ち」が始まりました。担当は、蕎麦打ち2段の敏さんです。3枚目の写真は、銀杏返しと言うのだそうです。お昼は、アトリエ内やメンバーの庭で取れた蕗の薹などの天ぷらと「ざる蕎麦」、夜は「温かいお蕎麦」にお餅も入っていました。この日までは、気持ちにも体力にも余裕があり、私も笑顔でいただいています。

「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き

 3日目(23日) : 0時からは目標温度1250°Cを目指してドンドン上げる!ということになっていました・・・。昼間14名で作業中、アクシデントその2、焚き口周辺の壁の崩落が頻繁となり、扉の上げ下げが困難になりました。初めはワイヤーを前面に渡し、続いて写真2枚目のように、鉄材を当て、隙間にはモルタルを叩き付けました。(翌日、焚き口上部の耐火レンガ自体が1枚、落下 ~!)
 記録ノートを見ると、3時間交代の間に多い時は30束以上の薪を使い、焚き口からの「燠かき」もしながら、1回に12本~18本の薪を投入しています。温度計は1100°C台の温度帯のまま、なかなか1200°Cになりませんでした。写真3枚目は、(言わなければ誰かわからないのですが)下から「燠かき」をする私です。悪戦苦闘の窯焚きが続きましたが、21時過ぎ、オルトンコーンの6番(1200°C)が倒れていたので、少しホッと しました。

「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き

 4日目(24日) : 連絡係りの私は、「穴窯焼成速報」と題して、その場にいない人のために、一斉メールを(窯焚き中7回)送っていました。前日の21時からこの日の参加者が来る10時頃まで、究極の人手不足の一夜(12時間以上)を余儀なくされていたので、窯の様子を知らせるメールの後に、女性ばかり4名で乗り切る覚悟です!ご期待ください、と強気のコメントを送ったのです。急場を察した穴窯仲間が、作品を入れていないのに駆けつけてくださり、とても助かりました。
 なかなか目標温度の1250°Cになりません・・・。写真1枚目のように「口掛け」を行い、ダンパーの調節をし、ブロワーも持ち出して試しました。12時頃、温度計が1200°Cを記録し、オルトンコーン7番(1230°C)も倒れました。煙突自体も、扉も、赤くなっています。そんな中、参加者のお一人に火傷を負わせてしまい、動転しました。窯の扉が不安定なことが原因です。安全第一の作業の徹底と、窯の扉の修繕など、今後へ課題を残した出来事でした。

「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き

 5日目(25日) : 夜は7人で作業をしましたが、昼間は22名集まりました。最終日の窯焚きの様子です。当初は100時間の焼成(16 時まで)を目標にしていましたが、約550束用意した薪がなくなり(気力と体力も連動するものです・・・)、予定より2時間ほど早い14時に、窯を閉じることにしました。

「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き 「穴窯焼成」の窯焚き

 窯がしばし静かな瞬間、薪を投入するタイミングです。扉を開けた一瞬だけは、キラキラとした美しい「燠」を見ることができ、赤くなった作品の存在を確認することができます。(写真1枚目)急いで薪を投入すると炎で見えなくなってしまいます。扉を閉めると、すぐではなくしばらく微妙な間があってから、今度は窯の中でゴォ~~~という返事(音)がします。私はこの音が大好きです。
 最後の窯焚きをしている間、他のメンバーは、モルタルや道具土の用意し、窯を閉じる作業にかかりました。写真4枚目は、戦い終え、窯を閉じた後の焚き口の様子です。薪棚は空っぽです。参加者全員で、外回りの片づけをし、私は久しぶりにお風呂に入り、ぐっすり寝ました。翌日は、泊まった8名で、アトリエ内の片付けと掃除をしました。のべ86名で行った、6日間の窯焚きでした。



「穴窯焼成」の窯詰め

「穴窯焼成」の窯詰め 「穴窯焼成」の窯詰め 「穴窯焼成」の窯詰め

 3月15日~17日は、「穴窯焼成」の窯詰めを行いました。窯の中は、二人が屈んでやっと入れる広さ(幅135㎝、奥行き250㎝、高さは入口110㎝程~奥70㎝余り)です。支柱の高さに応じた作品を、棚板の水平を取りながら詰めていきました。(写真の左から、奥の棚・中の棚・前の棚とその前に一列) 交代での作業ですが、腰が痛くなりました。
 窯の外では、作業土でお団子(棚板と作品の間に置きます)を作る人、作品の受け渡しをする人がいて、並行して、煙突の修繕・薪運び・賄いなどを分担してやりました。3日間の参加者は、のべ24名でした。
 私達の窯は、作家さんの窯と異なり、小さな作品が多い上に、一点ものと言うのでしょうか、同じものはほとんどありませんから、窯詰めにとても手間がかかります。また、棚板も支柱も中古のものを少しずつ買い足したため不揃いなのが、私達の穴窯らし~いところです。

「穴窯焼成」の窯詰め 「穴窯焼成」の窯詰め 「穴窯焼成」の窯詰め
「穴窯焼成」の窯詰め 「穴窯焼成」の窯詰め 「穴窯焼成」の窯詰め 「穴窯焼成」の窯詰め 「穴窯焼成」の窯詰め

 私の作品です。1・2枚目の写真は、奥の棚に入れた作品の一部、赤土で作った作品に、塩水で柔らかくした藁を巻きました。緋襷のような変化が出るといいのですが、実験です。たくさん作った棒状の掛け花入れは、全て寝かせて赤貝で支えています。赤貝の跡が、いわゆる景色となってくれることを期待しています。
 4枚目の写真は、友人の陶芸家の真似で、手作りのロケット型の支えの上に、逆さまに茶碗を置いています。間には、座布団状の道具土と藁が入っています。これもどうなるだろう、といったところです。棚前には、大きい作品を置いていますが、「ころがし」を意識して横にしている2点が私の作品です。また、背の高い2点は、左右の火袋脇に置いてみました。詰め終わってヤッタ~!の記念撮影は、今年からピースをやめることにしました。



「穴窯焼成」の作品持ち込み

「穴窯焼成」の作品持ち込み 「穴窯焼成」の作品持ち込み 「穴窯焼成」の作品持ち込み 「穴窯焼成」の作品持ち込み

 3月8日・9日は、NPO法人「Arts Planet Plan from IGA http://www.appfi.org/ 」の活動の1つ、「穴窯焼成」の作品持込みの日でした。冬休みから作っていた水滴や筒状の掛け花入れなどの他に、3月には、写真のような少し大きな作品も作りました。
 この度の「穴窯焼成」参加者の大人は25名、学生ボランティア8名と中学の美術部員20名の作品も加わり、持込み総数は400点余りです。内、私の作品が73点もありました。

「穴窯焼成」の作品持ち込み 「穴窯焼成」の作品持ち込み 「穴窯焼成」の作品持ち込み 「穴窯焼成」の作品持ち込み

 この両日は、写真1枚目のように、法人会員手作りのスケールを使い、占有容積に応じた焼成費を計算します。募集要項にもあるように、薪割りなどの作業日数による割引率をかけて、大人の参加者からは、資金を集めます。そして、作者別に全ての作品の写真を撮りました。窯出しで行方不明の作品がないようにするためです。
 また、9日は、参加者が手分けして、窯周りの整備・窯の修繕と、アトリエの薪ストーブ用の薪割りをしました。



「青䖸窯」の窯出し

「青䖸窯」の窯出し 「青䖸窯」の窯出し 「青䖸窯」の窯出し 「青䖸窯」の窯出し 「青䖸窯」の窯出し

 旧友の陶芸家 松元洋一氏が、1月26日から8昼夜焚いた穴窯の窯出しが、窯を閉めて4週間後となる3月2日に行われました。私も交じってお手伝いをしました。こだわりの窯焚きの成果が充分感じられる出来栄えに、圧倒されました。引き続き、3月は名古屋「丸栄」、4月には広島「福屋」で、個展が開催されます。※案内状より



2月の活動

2月の活動 2月の活動 2月の活動 2月の活動

 開校して6年目となった奈良学園登美が丘校の、小・中・高等学校の実技系の教師による発表会「バレンタイン・フェスタ」も、今年で5回目となりました。美術・技術・家庭・書道の7名の作品展示と、音楽の先生方による昼休みの演奏会(写真1枚目)です。生徒達はすごい!すごい!と言ってくれて、大好評でした。(展示会場の写真は、撮り忘れました。)
 写真2~4枚目は、中一の書写の作品、10月から行書を始めた集大成です。以前、カルチャーセンターで大人の方に指導した経験から、義務教育の間に実用的な行書体をしっかり学んでほしいというのが、私の強い願いとなりました。
 短い2月は、あっという間に終わりました。卒業証書の揮毫もあり、穴窯焼成の作品作りの時間はなかなか取れませんでしたが、20名余りのメンバーに、連絡メールを回したり、窯詰め・窯焚きに向けた備品や消耗品の確認・注文など、準備を進めています。



第1回奈良大茶会「珠光茶会」

第1回奈良大茶会「珠光茶会」 第1回奈良大茶会「珠光茶会」 第1回奈良大茶会「珠光茶会」 第1回奈良大茶会「珠光茶会」 第1回奈良大茶会「珠光茶会」

 2月12日(火)~16日(日)までの5日間、冬の奈良の新しいイベント「珠光茶会」が行われました。春日大社・元興寺・唐招提寺など奈良市内の7ヶ寺とならまちを会場として、表千家・裏千家・武者小路千家・遠州流の4流派による日替わりのお茶会です。母と娘夫婦も誘い家族総出で、14日の東大寺(お薄と点心&シンポジウム)に参加しましたが、どこも大盛会だったそうです。
 この日、奈良は数十年ぶりの積雪でした。母と私は雪国育ちですので、この位は大したことないわね、と雪の境内を草履でシャカシャカ歩きました。雪を被った大仏殿(写真2枚目、手前は長女)や中門(写真3枚目、茶席入口の西回廊より)を見る機会など、めったにありません。同席させていただいた方々は、美しい景色ですね、風流な演出(おもてなし)ですね、お清めですね、と挨拶を交わします。なるほど、これがお茶の心ですね。忘れられない一日となりました。



1月の活動

1月の活動 1月の活動 1月の活動 1月の活動

 3学期の授業は、14日から始まりました。授業以外では、茶の湯の楽しみはあるものの、3月に行う「穴窯焼成」のことを考えない時はありませんでした。友人の窯詰め・窯焚きを何回も見学に行き、家では、せっせと作品作りをしていました。キッチンからガラス戸を開けると、工房なので短時間でも作業ができます。文房具(水滴・印盒・筆置きなど)の他に、ホームセンターで木の棒を買い、それに粘土を巻 きつけ(タタラ作りによる)筒状の掛け花入れをたくさん作りました。茶碗や水指になろうかと思うものも作っています。

1月の活動 1月の活動 1月の活動 1月の活動

 26日は、茶会の後、和装小物のお店を覗き、知人の個展に行き、京都在住の友人とフグ料理を食べて帰りました。小雪舞う京都でしたが、和服は暖かく、また和服でウロウロしたいと思いました。
 1・2枚目の写真は、「ギャラリーはねうさぎ」の外礒秀紹先生の個展会場です。先生の野外彫刻は、神戸空港など日本中にあり、素材は金属や陶製ですが、この度は、紙(元々は木)を圧縮したものでした。3・4枚目は、二条城前にある「京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA」での鶴田憲次先生の退任記念展のものです。徹底した写実表現ですが、近付いて見ると抽象絵画のようです。



「青䖸窯」の窯詰め・窯焚き

「青䖸窯」の窯詰め・窯焚き 「青䖸窯」の窯詰め・窯焚き 「青䖸窯」の窯詰め・窯焚き 「青䖸窯」の窯詰め・窯焚き 「青䖸窯」の窯詰め・窯焚き

 「青䖸窯」は、学生時代の同級生で家族ぐるみのお付き合いのある陶芸家 松元洋一氏の穴窯、奈良市鉢伏町(拙宅から車で25分)にあります。穴窯といっても、構造も焚き方も彼独特のものです。窯詰めにも工夫があり、それ自体が美しい!写真の棚以外に、大作がころがしと火袋脇に、いくつも詰められています。窯焚きは8昼夜、6ヶ所から「間焚き」(写真4枚目)もし、正面の焚口からは特注のスコップ5本を次々と操り「燠掻き」(写真5枚目)もする大がかりなものです。真似ができるわけではありませんが、私は、8年位前から毎年、見学に通い、的を得ない質問をしています。



初釜

初釜 初釜 初釜 初釜

 1月19日は、お茶の教室の初釜でした。会場は、奈良の市中の山居「白水庵」(先生のお知り合いの安田家)です。お濃茶とお薄をいただく略式の茶席ですが、その後、新年会が奈良の老舗旅館「菊水楼」であり、30名余りのメンバーの方々と、なごやかで新年らしい一日を過ごしました。
 26日は、友人の所属している淡交会京都支部の初茶会が「京都美術倶楽部」であり、お邪魔しました。奈良での茶会の時と違う和服を着ていきました。大寄せの茶会は、待ち時間がかなりありますが、退屈はしません。染織工芸の作品を見るより、実際に着ていらっしゃる着物と帯に小物の取り合わせを見る方が、勉強になるからです。お手前やお道具だけでなく、立ち居振る舞いや言葉遣いを観察するのも新鮮で、とても興味深い世界です。



年のはじめに

平成26年 年賀状

 明けましておめでとうございます!
 「長樂央」は、私の好きな言葉の一つで、よく書作や印にしました。「未央(ミオウ)」つまり「なかばならず、まだまだこれから」という前向きな気持ちで、子育て期以降の50代を過ごしていたからです。昨年、還暦(華甲)を迎えたので、造語ですが、「長樂央」と書きました。「已央(キオウ)」つまり「すでになかば」です。下り坂は最高~!と言った人のように、気負わず伸々とこれからの人生を送っていけたらいいな、と思っています。今年も、ご指導よろしくお願い致します。

年のはじめに 年のはじめに 年のはじめに 年のはじめに 年のはじめに
年のはじめに 年のはじめに 年のはじめに 年のはじめに

 元旦は、富山の実家で迎えました。私に華道のたしなみはなく、母が松と万年青(おもと)を生けるのを見ていました。お正月などおめでたい時に生ける「未生流庵家」の生け花です。小さい時からこのお正花を見て育ち、玄関のしめ縄のように、お正月にはどこの家にもあるものかと思って気にも留めていませんでしたが、この年になって初めて、シンプルできりりとした姿に魅力を感じるようになりました。1段目右の写真の右端は、仏手柑です。
 好きな道具を取り合せて、お茶のお稽古をしました。水指は、作ってみたいと思いました。2段目右の花入れと香合は、私の作、母にプレゼントしたものです。

年のはじめに 年のはじめに 年のはじめに

 初詣は、唐招提寺(奈良市西ノ京)に行きました。大修理をしてから初めての参拝でしたが、どこを修理したのかわからない・・・、なるほど、わからなように修理されていたのです。祖母と来た遠い日も、うちわまきの日に来た学生時代も、鑑真和上像を拝見できる日には何度か来たこともあり、大好きな大和のお寺の一つです。奈良の社寺をこよなく愛した会津八一の歌碑をみるのは、我が家の社寺めぐりの恒例です。


活動トップへ戻る

トップページへ