12月の活動
二学期の授業は5日まで、すぐに成績入力を済ませ、部活だけはありましたが、ひと月余りの冬休みとなりました。久しぶりに窯を焚き、粘土の再生作業や年賀状の作成をしていました。シチューなどを煮込みながら作業をし、疲れたら洗濯や掃除をします。こんな頑張らないライフスタイルが理想です。
今年は、自宅に窯を持ち、自分で焼成を始めました。その後、いろいろな所で、書や陶芸の作品を発表する機会に恵まれ、有難いことでした。京都の真ん中にあるギャラリーでの二人展、伊賀の中山間部の廃校になった小学校でのグループ展、島ヶ原宿旧本陣広間での個展など、それぞれの会場に相応しい展示の準備はワクワクどきどき、面白い一年だったと思います。
今年最後の法人活動
12月21日・22日の土日は、伊賀の法人活動に参加し、陶芸をしました。1日目は、第3回実技講習会「オカリナ作り」でした。講師の先生の丁寧な準備とご指導のおかげで、音のなるオカリナができました。あとは、乾燥後、素焼きをするだけです。(写真2枚目)
翌日は、陶芸自主活動グループ「粘土カフェ」の作陶会でした。この日の参加者7名と一緒に、穴窯に入れる作品作りをしました。来年3月には、2年ぶりに穴窯を焚きます。4枚目の写真は、掛け花入れになる予定です。たくさんの作品を入れたいと思っています。
香雪美術館・白鶴美術館へ
私がお茶のお稽古に通っている教室の、親睦を兼ねたバス・ツアーが、12月8日にありました。神戸市東灘区にある2つの美術館の見学会でした。
御影にある「香雪美術館」は、ちょうど開館40周年記念名品展の第4期:茶道具編<茶人 村山香雪>でした。60点ほどの名品の数々、これらを実際に用いて茶会をされていた当時に思いを馳せて拝見しましたが、解説付きで特別に庭園の見学もさせていただくことができ、さらに理解が深まりました。思いのほか広大で野趣に富んだお庭、その起伏を生かした地形に、洋館や和館(2つの茶室棟・玄関棟・書院棟など)が配置されていました。
住吉にある「白鶴美術館」は、<輝ける金工>でした。こちらでも、特別丁寧な解説付きです。青銅器や鏡は他でも見る機会はありましたが、唐時代に傑出した銀器が作られた、その中でも類品の少ない貴重な銀杯が展示されていました。精密に施された技巧を、備え付けの懐中電灯で照らしながら、じっくりと堪能しました。
11月の活動
中国文学者の福本雅一先生が急逝され、残念でなりません。福本先生を、夫は20代の頃から師父として慕っていましたから、私にとっても厳しく優しい舅でした。新書派協会の月刊誌『書』に掲載された追悼文には、百年に一人の「奇士」が書の分野に登場したことは、日本の書の研究にとって僥倖であった、とあります。先生の業績は、『書学体系』『書の周辺』はじめ枚挙にいとまなく、先生率いる「文人研究会」(関東の出版業界では「福本軍団」と言われた)は、中国書画関係の数えきれない研究成果を上げていました。研究会は、30年以上も前から、先生が東京勤務の10年間も欠かすことなく、毎月1回以上、亡くなる直前まで行われていたのです・・・。写真は、数年前の様子、拙宅で撮ったものです。
11月は瀬戸内国際芸術祭の他にも、大好きな川喜多半泥子さんの没後50年記念特別展(津市・石水博物館)や、学生時代からの友人の個展2つ(書家 増田達治 http://mata.publog.jp/ 大阪道頓堀・戎橋画廊と、陶芸家 松元洋一 京都祇園・友々ぼん)へ行きました。また、アート仲間のお誘いで、世界的にご活躍の造形作家 新宮晋氏の個展会場(大阪淀屋橋・山木美術)で、身近に講演をお聞きする機会もありました。76才とは思えない若々しい感性でした。
芸術の秋も終盤、感化を受けて、静かに冬籠りをしたいものです。
奈良女書道部の「墨香展」
11月30日(金)~12月2日(月)、奈良女子大学書道部の「墨香展」を、部独自の企画としては初めて、学内の「記念館」2階講堂を会場として行いました。この記念館は、奈良女子高等師範学校の本館として明治42年に建設され、重要文化財の指定を受けている趣のある建物で、通常は公開されていません。この広々とした講堂いっぱいに作品が並び、予想以上の多くの方々にご来場いただき、部員一同と盛会を喜びました。
写真上段は、DM、記念館、記念館入口、下段は、会場になった2階の講堂を順に、向かって右側のガラスケースから正面の展示、会場にある百年ピアノを弾く部員、向かって左側と後方の展示の様子です。
部員22名、OG3名、顧問の谷口洋先生と私の合計27名の、共同作品も含めて65点を展示しました。半切や聯落ちサイズの臨書作品と、小品の創作作品の他に、折帖・かるたや和綴じ本などもあり、また、書く言葉がバラエティーに富み、顔彩や墨の濃淡を使うことも得意な部員達です。私にできるのは、筆の機能の面白さを伝える技術指導と資料の提供くらいで、創作は好きなように!と言うだけです。こんな楽しい仕事はありません。
「瀬戸内国際芸術祭 トリエンナーレ 2013」
「瀬戸内国際芸術祭」の会期も終わりに近付いた11月1日(金)~3日、ほんの一部ですが、4つの島(女木島→男木島→小豆島→豊島)を周りました。
それぞれの港では、独特のアートが出迎えてくれました。写真左から、旅の出発点高松港には一部鏡を使った8mのカラフルな柱、女木島港には佐久島でも見た「カモメの停車場」、男木島港には巨大なゲートのような「男木交流館」、その屋根は世界中の文字で構成されています。夜はライトアップされていました。小豆島坂手港のヤノベケンジのミラーボールに乗ったドラゴンはゆっくり回転、小豆島土庄港にはオリーブをモチーフにしたオブジェがありました。
【女木島】高松港からフェリーで20分、「オーテ」と呼ばれる防風用の石垣は3~4mありました。桃太郎伝説の残る大洞窟には、映像の作品やオニノコ瓦が展示されており、さらに息を切らしながら展望台まで行くと、そこは360°の眺望、島々が美しく浮かんでいました。
レアンドロ・エルリッヒの「不在の存在」は、トリックアートといわれるもので、中庭を囲むように古民家(写真3枚目)を改装したレストランなどを併設し、面白い空間となっていました。写真4枚目は、ミラーガラスのインスタレーション、会場となった古い納屋からの光や風を反映して不思議な世界です。
【男木島】再びフェリーで北へ20分、写真1枚目は、フェリーの中から撮ったものです。急斜面に立ち並ぶ家々、とても美しい光景でした。漁師のご夫妻が営む家庭的な「民宿 さくら」(写真2枚目)に泊まり、海の幸をいただました。「オンバ・ファクトリー」のオンバ(乳母車)や、集落のあちらこちらにある「露地壁画プロジェクト」によるカラフルなペイントが、ここにもありました。
この島の象徴でもある御影石の灯台と家々をモチーフにした「光の家」の作家アーサー・ファンさんがお泊りでした。色々とお話も伺うことができ、翌日は、同宿の若い方共々、軽トラの荷台に揺られて灯台までのミニツアー、歩くつもりでしたが時間が稼げました。灯台近くにあるファンさんの作品(島内に3つある内の1つ)と一緒に記念撮影です。坂ばかりの狭い路地を夢中で歩き回り、ほとんどの作品を見ながら、島の風情も満喫しました。
【小豆島】2日午後3時までは一人旅でしたが、小豆島坂手港で、伊賀の法人活動を共にしている仲間6名と合流し、暗くなるまでレンタカーで周りました。
杉桶310本を有するという丸金醤油の醸造蔵は世界最大級だそうです。写真3枚目のグラデーションの作品は、近くに寄ってみるとオォッ!醤油の小さなタレ瓶8万個を使用して制作されているものでした。5枚目の写真は、小豆島の「アートガイド夏」の表紙になった作品、瀬戸内の無人島の地形を逆円錐形の空間に展開したもの、上から覗いたり、中央下に立つと周り中が海です。
【豊島】早朝の土庄港は、芸術祭目当ての観光客で溢れていました。犬島は断念して、豊島に向かいました。「豊島美術館」前に10時頃到着したものの、いただいた入場整理券は15時、待っても見るに値する静かな時空がそこにはありました!(写真1枚目のバックに見える白いものが美術館の屋根です。)土蔵の中の映像作品、満員で入れかったレストラン「島キッチン」、青木野枝さんの作品、一軒の家の内装全部が錯覚を利用した作品となっているもの他を、すし詰めのバスと徒歩で見て回りました。
いつもは使っていない頭のどこかと足を、フルに3日間、極端に酷使した「瀬戸内」への旅でした。
10月の活動
写真1枚目は、私が商標を書いた「お茶っ子かりん」です。友達の女性3名が起業した加工場「かしまし工房」のお菓子で、お茶畑の広がる奈良市東部の田原地区で作られ、販売されています。よろしくお願いします。
10月5日締め切りの「大仏書道大会」の公募展には、私が指導している大学・短大の書道部員と高校の書道選択者のほとんどが出品し、これで一段落ではありましたが、その後、「大仏書道展」の審査があり、賞状と看板を書き、今年は特別賞7点だけですが講評を書き、搬入搬出などのお手伝いをしました。また、題字やTシャツの文字をいくつも頼まれて書きました。ボランティア月間の10月でした。
「大仏書道展」の会期中に、「東大寺総合文化センター」地下の小ホールで、「金沢翔子」さんの書展をしていたので、居合わせた書道部員などと一緒に見に行きました。翔子さんは、全部私が書きました、と明るく話かけてくださり、一緒に写真に入ってくださいました。
また、法事で帰省した帰途、「富山県水墨美術館」に寄り、「お宝拝見ーわが社の逸品」を見ました。鱒寿司「源」のパッケージは、中川一政だったのですね、力強いタッチの椿の作品が出品されていました。学生時代憧れた篠田桃紅や富山に疎開していた棟方志功の作品などに出会えて、元気をもらいました。
「大仏書道大会 ~書くことは楽しいin奈良~ 」
台風一過の10月26日(土)・27日(日)、第4回「大仏書道大会」が開催されました。内容は、東大寺大仏殿西回廊を会場に行われる「大仏書道展」と「席書会」、東大寺金鐘ホールでの「講演会」です。主催は、「奈良21世紀フォーラム http://www.h7.dion.ne.jp/~nara21cf/ 」、奈良の伝統文化の伝承と発展を願って活動されています。
「大仏書道展」は、全国の高校生・大学生を対象に、5つの課題で作品の募集をした中から、特別賞7点を含む100点の入選作品の展覧会です。東大寺大仏殿西回廊に、ずらりと意欲的な創作作品が並びました。
私が気に入った作品の一部を紹介します。思いや願いをどのように表現しようかと筆や墨の特性を活かして工夫し、メッセージ性にあふれた作品です。出品票には、作品の題名と学校名・氏名だけではなく、あらかじめ作品に対する思いやコメントを書いていただき、そのままキャプションとしています。これが好評で、熱心に読んで鑑賞してくださっていました。今年は特別賞だけですが、講評を書きました。たとえば、1つ目・2つ目・3つ目などです。
27日(日)10時から、大仏殿西回廊で「席書会」を行い、写経などを大仏様に奉納しました。同日14時からは、東大寺総合文化センターの金鐘ホールで「講演会」を行いました。講師は、奈良文化財研究所の新進気鋭の研究者でいらっしゃる馬場基先生、演題は「大仏様を作った字」でした。大仏造営の原動力は文字の力だ、という興味深いお話を発掘の映像と共に講演してくださいました。
「奈良文化女子短期大学」の学園祭
奈良学園の登美が丘キャンパス(奈良市西登美が丘)にある「奈良文化女子短期大学 http://www.narabunka.ac.jp/ 」の書道部員は、2名だけです。10月24日(日)の学園祭に向けて、大きさでアピールしようと思い、一人ずつが大きな紙に取り組み、吹き抜けのホールに展示しました。9月に島ヶ原の本陣で発表した私の作品も、より広い場を得てリユースです。 学祭当日は、行事が重なり行けませんでしたが、大変賑やかだったそうです。
「大仏書道展」の審査
10月5日締め切りの「大仏書道大会」の公募展には、全国の高校生・大学生から1,248点の応募がありました。8日(火)予備審査の後、11日(金)に、朝日新聞奈良支社で、審査会を行いました。
「大仏書道展」の審査基準は、技術重視ではありません。それぞれの思いや願いを伝えるために工夫された表現の面白さは様々で、率直な批評や歓声が飛び交いました。審査委員長は、主催のNPO法人「奈良21世紀フォーラム」理事、東大寺の森本長老です。写真は、出品票にあるコメントを読みながら、丁寧に100点の入選作品を選んでいる様子です。※朝日新聞(10月12日付記事)(10月18日付記事)
9月の活動
写真は、勤務している奈良学園登美が丘校の文化祭(21日・22日)の、高2芸術科書道選択者23名の作品と、中一書写「校訓とうちわ」の展示です。他に、2つのアートイベント、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」と「島ヶ原宿 本陣の個展」が重なってありました。書道部OGの結婚披露宴にも行きましたが、会場エントランスに書作品が飾ってあり、嬉しく思いました。
いっぱい書き込みのあるスケジュール帳を、日に何度も確認しながら働いていました。何もかもぎりぎりでしたが、書道を通したたくさんの仕事をさせてもらって、書道は本当に楽しい!と思いました。残暑厳しい中、さわやかな汗を流した9月でした。
島ヶ原「竹灯りの宴」 旧本陣の作品展
9月23日(月・祝)17:00~21:00、伊賀市島ヶ原の地域イベント「竹灯りの宴」が行われました。島ヶ原は、江戸時代には宿場町として栄え、今も、往時を偲ばせる落ち着いた佇まいが残っています。この旧大和街道に「竹灯り」をともし、宵灯りコンサート・アート展・屋台など多彩な催しをされて、今年で10回目になるそうです。街道沿いの「旧本陣(岩佐家)」のお座敷で、私の「書・陶 作品展」をさせていただきました。
依頼を受けた時から、構想を練っている時間がとても楽しかった。一晩だけの個展でしたが、私の全てを出せたと思います。※ご案内文
写真は、本陣の門に立てた看板、暗くなる前に門の前で撮ったものと、お座敷に面した庭の様子です。庭には、私の書「いろは歌」など、3つの「行灯」が置かれました。陽が落ちると、多くの方が来訪されました。質問をされる方もあり、私は、街道に出て「竹灯り」の風情を見ることができませんでした。(気が付くと、竹灯りの写真がありません・・・。)
本陣のお座敷の間取りは、上段の間、中央に床の間(8畳)、と8畳間、縁側があります。これらの襖と障子を取り払った26畳ほどのスペースの、全体の照明を抑え、作品にスポットライトを充てるようにして鑑賞していただきました。明るいギャラリーの展示とはまた違った趣です。庭を通って、縁側から上がっていただきました。
私は今年「華甲(還暦のこと)」なので、床に飾ったのは「華」です。「昭和丁未歳夏日 博文堂製」と彫刻のある古い筆を使いました。この丁未の歳が明けた1月2日、母と書初め用の筆を買いに行った雪の日、私は中学2年生でした。当時の私に使いこなせるはずもない贅沢な買い物でしたが、無邪気にこれがほしい!と言った遠い日の私の記憶に、この筆で、書こうかなと思いました。
表装は、本紙廻りに<赤い>筋回しを入れてもらい、左右端に縁をつけた「明朝(文人)仕立て」です。穴窯で焼いた花器に、玄関先の黒竹を切り(あえて花はなく)自己流生け花です。秋草の上絵をした「印盒」で、お香を焚きました。
床の間左の、上段の間には、通常は「六曲屏風」が置いてあり、この位の大作が相応しい空間ですが、360㎝の毛氈を敷いて、その上に作品を並べました。手前に「折り帖(十二支の書・陶印)」と、穴窯焼成の作品を20点余り、地袋の上には、台皿にもなる陶板の作品3点です。
会場では、立て出しのお抹茶をいただけるようにして下さっていました。床の右の壁面には、「喫茶去(きっさこ:お茶でもどうぞ)」の軸を掛けました。両脇の捶撥に、短冊と穴窯焼成の掛け花入れ、小壺を飾り、その下には、「文房具」と新作の「陶印」を並べています。
8畳間には本棚があり、それを隠すように、天井から全面(横幅400㎝ × 天地260㎝)に3枚の紙を垂らし、俳句を一首、伊賀上野ですから、芭蕉の句と決めていました。「やすやすと 出でていざよう 月の雲」です。「いでて」「いざよう」の頭の音韻が好きで
す。淡墨で、山か雲か秋草を書こうかと思いましたが、斑入りのすすきを穴窯で焼いた壺に生け、影を写したら、何も要らないと思いました。
この作品の右の壁面に吊るした軸は「水月」、淡墨で「水」と篆書で書き、水に写った「月」のつもりです。穴窯焼成の「茶入れ」には、実家からぴったりの蓋を調達しました。
「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」
9月14日(土)~[火・水・木は休館]23日(月・祝)まで、伊賀の中山間部にある旧矢持小学校(写真)を舞台に、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」を開催しました。「風と土のかたち展」には、2006年から毎年参加し、ジャンルの異なる多くの方々と作品を通した交流を重ねてきましたが、今年は、この展覧会に加えて、3年ぶりとなる作家滞在型公開制作「アーティスト・イン・レジデンス」と、22日にはフリーマーケットやワークショップなどの「アートフェア」を行いました。
主催は、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀 実行委員会」、この構成団体9つの内の1つが、私が所属しているNPO法人「Arts Planet Plan from IGA http://www.appfi.org/ 」です。
「風と土のかたち展」の出品者は59名、作品点数は90点余りでした。
初日14日のギャラリートークには、多くの参加者がありました。絵画・彫刻・工芸など様々な表現があり、皆さんの作品や制作に対する思い・技法を聞くのは、とても興味深く、視野が広がります。書道の団体にのみ属していては、こうはいかなかったのではないかと感じて、得した気分です。タイトルの「風」「土」「ふれあい」に相応しい交流を大切にして、これからも学び続けていきたいです。
この度の私の作品は、「吉語シリーズより 肖形印」6顆です。おめでたい語句の「陶印」の中で、図象のあるものを選び、1つの作品にしました。「鹿(ロク)」は、「禄」の音通です。
自由な印の形、印面のデザイン、乳鉢で磨って作ったオリジナルな釉薬による焼成、全ての工程を自ら行う楽しみの多い仕事です。長くやってきた書(篆刻)と、土の持つ表現の多様性の両方を活かした「陶印」は、私のライフワークとなるでしょう。興味を持って話しかけてくださる方が多くありました。
展覧会の「看板」
2つの展覧会が近づき、その看板などをたくさん書きました。
写真は、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」の横断幕を書いた時のものです。毎年使えるように、布に書きたいとは言ったものの、用意してくださったのは、天地1m、例年は4m程度だった横幅が9mもあり、さらに、色は緑で、墨ではなく白いネオカラーを使うようにという、アート系の団体らしい取り合わせでした。書く気持ちは満々でしたが、大きくて広げるスペースには困りました。学校の廊下で書けばよかったのですが、時間が取れず、自宅で書いたので、玄関からリビング、その先の庭に2m程はみ出してしまいました。乾くのを待っていると、トンボが家に入ってきて、汗だくの私に、もう秋だよ、と言ってくれたように思いました。
こちらは、「風と土のふれあい芸術祭 in 伊賀」の会期中の9月22日(日)に行われる「アートフェア」のものです。木工・ステンドグラス・メタルエンボッシングの作品制作をされている後藤さんと、「アートクラフト木金土」というお店を出します。後藤さんは、ステンドグラスのワークショップもされます。木金土の土は、私の陶芸作品です。
島ヶ原の「竹灯りの宴」の看板の一部です。こちらは、夕方からのイベントですから、中から灯りがともされます。当日、どんな感じになるでしょか。たくさんの方々にお越しいただき、案内としてお役に立てば、嬉しいです。
8月の活動
この夏は、帰省以外、工房と書斎の環境を整え「引きこもり」の予定でしたが、なかなかそうもいきませんでした。
伊賀市島ヶ原で作品展をさせていただくにあたり、9日に、この歴史ある山里の散策に出かけました。写真は、「正月堂(観菩提寺)」の門と本堂です。東大寺にゆかりの深い、751年創建の古刹でした。右の写真は、「淀川の花火」、親戚(大淀中1丁目)のビル屋上から撮ったものです。毎年、親族とその友人30名以上が集まります。車の動きの停まった道路と共に見る夏の風物詩、アートな大画面です。
お盆の一週間は、故郷富山でのんびり過ごしました。お墓詣りや、お茶のお稽古をしたり、茶道具やその資料を飽きることなくながめていました。写真は、ガラスのお道具です。銀杏の茶入れは、新倉晴比古さん(現在は、奈良ガラス工房代表)のお若いころの作、レース模様のある涼しげな花入れは、安田泰三さん(富山市在住)の作品です。
下旬は、「薪割り合宿」の翌日から二学期の授業が始まり、授業を2日して翌日から「書道部の合宿」、で8月が終わりました。
書道部の合宿
8月29日(木)~31日(土)は、高野山の宿坊(蓮華定院)で、奈良女子大学書道部の合宿を行いました。参加者は、これまで20年近く指導してきた中で一番多く23名(部員19名、OG3名、他大学生1名)、毎晩遅くまで、制作に取り組む若者たちでした。私も学生時代は書道部の合宿に行きましたが、こんなに熱心にやっていたかな~?と感心するばかり、切磋琢磨という言葉がぴったりの、刺激と楽しさに溢れた3日間を共にしました。
臨書作品・創作作品の他に、共同作品、「大仏書道展」の応募作品や、作品に押す「印」も作りました。これらの作品は、11月末から、学内の記念館で展示する予定です。
「薪割り合宿」ほか
8月24日(土)~26日(月)の2泊3日は、私が所属しているNPO法人「Arts Planet Plan from IGA (伊賀市西青山) http://www.appfi.org/ 」の、夏の恒例となった「薪割り合宿」でした。半日の参加者も含めて17名のメンバーと共に、多い時は13名、少ない時は5名で、薪割り及び作陶を行いました。来年3月に実施する「穴窯焼成」に必要な薪が、着々と薪棚に積まれています。
合宿2日目午後、私は一人抜けて、同じ伊賀市の島ヶ原の地域イベント「竹灯りの宴」の一環として行われていた、この夏2回目の「行灯作り」に参加しました。この日は、小・中・高校生や社会人が大勢集まり、年配の方々も交じって作業されていましたが、この頃は、このような光景が少なくなったように思います。「竹灯りの宴」は、9月23日に行われます。私の書作を張った「行灯」もいくつか並びます。旧大和街道島ヶ原宿の古の風情にとけこむといいのですが・・・。
また、合宿最終日は、少し早く切り上げ、当日の参加者の皆さんと、「ギャラリー夢雲(奈良県室生)」(写真1枚目)に行きました。築300年の古民家を改装したレトロなギャラリーでの作品鑑賞、壮大な山々を遠く望むことができます。帰途、最寄り駅「室生口大野」まで車を走らせると、宇陀川沿いは景勝地、「大野寺」の対岸には、「弥勒菩薩像」が自然石に刻されていました。大きさは、約14mとのことです。穴窯仲間と、この磨崖仏を仰いだ夕暮れ、川の流れと虫の音も清々しく、晩夏の3日間が過ぎていきました。
7月の活動
一学期の授業は9日まであり、すぐに成績入力を済ませ、夏休みとなりました。写真は、雨上がりの庭、工房からの眺めです。
陶芸の作品と本を、工房に移動しながら、学生時代のノートやテキスト、当時買った「陶磁体系」などを久しぶりに開いてみました。また、書斎の増え続ける書道関係の本の中から、篆刻資料をまとめて収納する作業もしましたが、なかなかはかどらないものですね、つい見入ってしまいます。片付く期待もして、ホームパーティーやバーベキューをしました。猛暑の中、休暇ならではの時間が流れていました。
ガスバーナーを併用して、「還元焼成」をしてみました。呉須の発色などは、「酸化焼成」よりもよいからです。窯を設置してもらった西浦商事さんが、焼成中は900℃から見てくださり、また焼成後、還元のかかり具合を確かめに来て下さいました。マイコン制御のため、予定曲線とぴったりに温度が上がり、グラフを付ける必要がないように思いますし、小型の電気窯ですが、還元のかかり方も良好でした。物足りないくらい性能が良いと思います。
写真3枚目は、練りこみ(酸化焼成)の作品です。
茶道具づくりの体験
奈良県生駒市高山は、茶道具で有名です。茶筅は無理ですが、「伝統工芸なら・ふれあい体験」に参加して、「茶杓」と「花入れ」の制作をしました。高山の茶道具は、白い肌の真竹を用い、製法は、その工程のほとんどが小刀とヤスリによる手仕事だということでした。このイベントでは、煤竹・真竹・しみ竹など貴重な材料を、ある程度までカットして用意されてあり、のこぎり・小刀・やすりを使って、夢中で作りました。写真4・6枚目が、完成作品です。
6月の活動
私が書道を担当している奈良学園2校では、各々球技大会と合同運動会が、梅雨入りにもかかわらず両日とも晴れて実施され、私は「二人展」の準備をするための時間をもらったと思い、天に感謝しました。それでも7日の搬入までは、準備に追われました。写真の左3枚は、新しく試みた釉薬で焼成したもの、右は、練りこみによる土を使った「陶印」です。
「二人展」会期中の土日は6日間、京都に通いました。たくさんの方々に見に来てただき、作品をお求めいただいた観光客の方から、ネットでも買えないか、という問合せをいただきました。ホームページも連絡できるようにはなっておらず、申し訳ありません。嬉しい反響でした。
写真は、伊賀市島ヶ原の大和街道沿いにある「旧本陣(岩佐家)」です。島ヶ原の地域イベント「竹灯りの宴」の一晩(9月23日)、この「旧本陣」の広間で、私の「書・陶作品展」をするお話をいただきました。このイベントの趣旨と会場に相応しい展示にしたいと思い、わくわくドキドキ、構想を練っています。
6月は、私のお誕生日月ですので、メールやお花がいくつも届き、お祝いのお食事会も何回かありました。占いでは、来年の節分まで低迷期(天中殺)とのことですが・・・、授業も、創作活動も、プライベートも、幸運な気がしています。
京都の「二人展」
6月8日(土)~23日(日)、「京都文化博物館」の東隣、三条通りと高倉通りの角の「Duce mix ビルヂング http://www.ducemix.com/ 」の、4階にあるオーナーショップ「Duce mix shop http://shop.ducemix.com/ 」で、「二人展」をさせていただきました。店内には、作家さん達の手作りの品々が常設であり、お店の奥のギャラリーが、この度の会場でした。写真の右は、通路から会場を撮ったものです。
このビルには、ものづくりをコンセプトに色々なお店が集まっており、アトリエを兼ねたショップが何件も入っていました。また、界隈には、おしゃれなお店がたくさんあり、お店のディスプレイ、三条通りの古い建物、出会った若い作家さんや道行く人達のファッション、何を見ても刺激になりました。
タイトルは、「ふたつの小さなかたち 村田肇一・田上早百合陶展 」でした。村田肇一さん http://www.muratakeiichi.com/ は、私の背中を押してくださる先生・先輩の中のお一人で、これまで何度か一緒に展示させていただいています。
若いころのアフリカでの陶芸指導の経験から、ゾウやシマウマなど、様々な陶の動物を制作されています。最近は、愛らしい猫なども登場です。
私は、「陶印」を中心に、「文房具」「陶ボタン」「アクセサリー」などを並べました。知り合い以外にも、お店の常連客さんや観光客の方々にも見ていただくことができ、陶印は珍しい、形が面白いと言っていただき、好評でした。
伝統と新しいものが交差する活気のある京都の真ん中で、<オリジナルなものを作って提供する>ことの厳しさも感じながら、同時に手応えもあって、もっともっと自由に新しい挑戦をしたいと思いました。
5月の活動
連休や中間試験のため、授業のない日も多い5月でしたが、いくつかの展覧会とお食事会に出向く以外は家におり、自宅の工房で、テストピースに釉薬の実験をしていました。磁器土用の一号釉に、銅3~5%・ジルコニット10%などを混ぜ、ミルがないので乳鉢で磨って、素焼きの素地にいろいろと施釉し、また、下絵の顔料も試していました。今のところ、酸化焼成です。
写真は、施釉する前の「陶印」です。早百合工房オリジナルの釉薬に、まだ納得はできませんが、来月早々には、焼成したいと思っています。
来月の京都の「二人展」のタイトルは、「ふたつの小さなかたち」です。陶印の他に、陶ボタン・アクセサリーを並べます。今まで作っていたアクセサリーに、皮ひもや金具を取り付けました。会場は、雑貨を常設で扱っているお店の奥にあるギャラリーですので、書作を展示する雰囲気ではないのですが、陶印の台紙など、どこかに墨を使いたいと思っています。
会場用のプロフィールを、村田肇一さんのいつもお使いになっているプロフィールと似た体裁で作りました。
奈良女書道部の「May展」
奈良女子大学正門前の「鍋屋交番」は、数年使われていませんでしたが、地元住民の声により、その独特な洋風の外観はそのままに、昨年7月、「ならきた観光案内所」としてリニューアルオープンしました。地元住民の協働により運営され、地域活動の活性化を目指しているそうです。
この「旧鍋屋交番 ならきた案内所」で、5月9日(木)~28日(火)まで、奈良女子大学書道部 http://www.geocities.jp/nwu_shodo/ の作品を、「May展」と題して、展示させていただきました。元宿直用でしょうか、小さな和室が展示スペースです。雰囲気のある窓と窓との間の白いスペースを活かそうと、「散華」に書いた作品をつるして展示しました。部員・OGによる色紙は、コの字型に敷いた毛氈に並べました。
現代アートの追っかけ
私は、テレビを見ないので芸能人でファンになる人はいませんが、作家さんで大好きな人はあり、この5月、そのお二人にお会いしました!お一人は、三喜徹雄さん、写真1・2枚目は、楓ギャラリー(大阪谷町六丁目)のお庭に作られた、中に入ることもできる卵型の作品です。もうお一人は、松谷武判さん、写真3・4枚目は、芦屋市立美術博物館で、パフォーマンスをされているところと、そのホールの、「具体」の赤、「流動」の黒、ともいえる作品です。
偶然性を大切にしながらも作りこむ感じの創作姿勢と、その飾らないお人柄は、お二人に共通した魅力です。1950年代の現代美術草創期からの長いご活躍を支えるものは何でしょうか・・・、70歳代後半となられた今も、かっこいいです。
4月の活動
新年度の授業は、8日から始まりました。奈良学園(郡山校・登美が丘校)の、中一の「書写」と高校「芸術科書道」の担当です。非常勤講師ですが、20年目となりました。
書道部の活動も始まりました。5月9日~28日まで、奈良女子大学正門前にある「旧鍋屋交番ならきた案内所」で、奈良女子大学書道部の展覧会「May展」をさせていただくことになり、新入部員の勧誘と同時に、活発に動き出しました。写真は、その看板と、展示に混ぜてもらう私の作品の一部です。蓮の花びらのような独特の形の「散華」は、お寺の法要の際に撒かれるものですが、お寺によって形が少し違うそうです。近くにある「散華美術館」のご厚意で、この用紙を分けていただきました。
自宅に、小型の電気窯(日本電産シンポ製のDAM-05D)が届きました。工房は、家を建ててもらった大工さんにお願いしました。(カヌー作りが趣味の棟梁 北川さんのブログは、「キタガワ木組工房 http://www.kigumikoubou.jp/ 」です。)お祝いだと言って、作業テーブルをプレゼントしてくださいました。とても嬉しい応援です。棚などはこれからですが、釉薬作りから始めています。
右端の写真は、4月21日の薪棚です。伊賀市西青山の法人代表のアトリエ内にあります。穴窯が焚けるだけの薪の準備はできましたが、運び込んだ間伐材があるので、8月まで薪割りをします。2年ぶり7回目の穴窯焼成は、来年3月、私が3年ぶりに主担当となりました
石田歩(弟)の展覧会
「造形作家・石田歩の世界―工作少年の造形力」と題して、京都工芸繊維大学の美術工芸資料館 http://www.museum.kit.ac.jp/ で 展覧会が行われていました。京都工芸繊維大学は、芸術系の学科を持つ工科大学です。この大学の建築設計学の松隈洋教授が、「八ヶ岳美術館」でやっていた歩の展覧会をご覧になり、学生達や一般の方に是非とも紹介したいと企画されました。
4月27日、松隈教授とのギャラリートークがあるというので、出向きました。実際に動くように作ってある部分もあえて動かさず、見る人の想像力で、この奥の迷路はここから出てどこに続くのだろう、などと楽しんで見てほしいとのことでした。建物のスケッチは、現場で2時間ほどで描き、画家の目で作った造形物(立体やレリーフ)は、毎日日曜日で2・3ヶ月かかるそうです。館内は、撮影禁止でした。写真の右は、会場入り口です。
ハノイとアンコール遺跡への旅
春休みの4月2日~7日、東南アジア通の友達と、ベトナム(ハロン湾・ハノイ)とカンボジア(アンコール遺跡)に行きました。
写真は「ハロン湾」です。追い越し車線は対向車線!が常識の運転にひやひやしながら、ハノイ市内から車で3時間、小雨の船着き場は観光客で賑わっていました。一度見たかった景色の中、船内でシーフードをいただき、のんびりクルーズを楽しむばかりと思っていましたが、途中、大きな鍾乳洞のある島に寄り、思わぬ距離を歩きました。
ハノイでのホテル(写真1枚目)は、オぺラハウスの隣で、街中をぶらぶらするには便利なロケーションでしたのに、目の前の信号のない大通りの交差点はバイクの波、とうとう道の向こう側に渡ることができず、ベトナムの活気に圧倒されたことが、一番の思い出です。
ガイドさんと運転手さん付きの車で、ハノイの観光をしました。先ず「ホーチミン廟」に行き、そのすぐ隣にある「一柱寺(写真2枚目、遠足の小学生の後の建物)」へ、次に「孔子廟(文廟)」へ、ベトナムにもあったのですね科挙、写真3枚目は大中門、本殿共に小判状の屋根瓦がおもしろいと思いました。写真4枚目は、人々の信仰を集める「西湖府」境内にて、バックは美しく広大なタイ湖です。郊外の、陶磁器の村バチャンにも行きました。
カンボジアのシェムリアップ空港から、シェムリアップの町の中心まで車で20分程、のどかな田舎町に立派なリゾートホテルが点在し、クメール王朝の旧都市(現在は遺跡となった)アンコールは、この町の北に広がっていました。午前の観光の後、ホテルに戻ってくつろぎ、再び観光に出ましたが、それが可能なくらいの距離、そして戻らないといけないくらいの暑さでした。
写真1枚目は、早起きして見た日の出、2枚目は夕刻のアンコールワット、3枚目はアンコールワットを背にして撮った夕日です。つまり、アンコールワットは西正面、春分の日と秋分の日は、中央の一番高い塔のてっぺんから太陽が昇るそうです。
写真1枚目は、城壁で囲まれた都市跡アンコールトムの、四面像を最頂部に配した南大門、ここから、日中の気温が40度近くにもなる中、よく歩きました。木陰があるとホッとします。これを「木陰様」と言います、などと言う陽気なガイドさんでしたが、日本や世界中からの支援で、遺跡の整備や地雷の撤去が進んだとおっしゃっていたことが、心に響きました。
現在1081もの遺跡が密林の中にあり、その内の半数が世界遺産に登録されているそうです。そのごく一部でしたが、タ・プローム、バンテアイ・スレイ、バンテアイ・サムレ、プレ・ループ、ニャック・ポアン、プリア・カーンなどの遺跡群、高床式の民家の見学もしました。砂岩と日干し煉瓦を組んでできた建造物は美しく、信仰と繁栄が伝わるレリーフは見事でした。私は、中世カンボジアの栄華について何も知らなかったな、と申し訳なく思いながら、時間が逆戻りしたような安らぎを覚えました。
3月の活動
私の今年度の授業は3月6日まででした。すぐに成績入力を済ませ、春休みになると、美術館や知人の個展・グループ展などにたくさん出かけました。書展では表具や落款を、誘われていった花展では花入ればかりを見ていました。桜を愛でるのも、季節の食材をいただくのも、春の弥生の楽しみでした。
6月にある京都の「二人展」に向けて、印を刻したり草稿を練ったり、ボタンを台紙に留めたりしていました。「お茶っこかりん」という商標を書きました。どれが採用されるでしょうか。
還元仕様の小型電気窯を購入し、自宅で陶芸制作をしたいと思って準備中です。学生時代の終わりに陶芸に出合ってから長いブランクがありましたが、子供達の成長と共に、8年前から陶芸を再開、「R工房(奈良市矢田原)」に通い、一角を陣取って作陶をしていました。この春から、いよいよ「早百合オリジナル」の作品作りを始めます。
今まで屋根だけあって、洗濯物を干していたスペースを、お台所から続く土間の工房に改装中、写真は、だんだんできていく様子です。4月上旬完成予定です。
早春の京都で「お茶会」
穴窯の時の服装・戦闘モードとは一変、母と一緒に、16日・17日に行われた茶道裏千家「近畿地区大会」に行きました。一日目は、「京都国際会館」で式典と、茶席はお隣のホテル宴会場であり、小間スタイルの盆手前40テ-ブルのなごやかな立礼席でした。二日目は、会場を「大徳寺」に移し、6つの塔頭で釜がかけられ「薄茶席」と「濃茶席」、本坊(大方丈)では「点心席」とお道具の展示がありました。
大徳寺の境内は、露地の隅々まで禅宗の落ち着いた空間、20ヶ寺以上の塔頭寺院の大部分は一般参詣を認めていませんので、このような機会に、塔頭のお庭や茶室を拝見することができ、感激でした。茶席は写真を撮ることができませんのでご紹介できませんが、床飾りやお道具、お菓子や参加者のお着物まで、早春の香りがしました。写真1枚目は、利休さんの木像がある「金毛閣」、5枚目は、利休さんのお墓です。
1262回目の「東大寺修二会」
奈良に春を告げる「東大寺修二会」、本業は1日から行われますが、12日には、特別大きな籠松明(写真1・2枚目:長さ8m重さ70kg)が上がります。写真3枚目は、舞台の真下にいて撮ったものです。その後3時頃まで、久しぶりにお堂の局に座り、荘厳な読経やリズミカルな下駄の音に聞きいりましたが、頭の下がる有難いものでした。
翌日もまた客人と訪れ、今度は舞台の方から(写真5枚目)間近に、見学させていただきました。映像や写真ではわからないもの、その場にいないと感じないものがあると思います。それは杉の葉の燃える<匂い>です。
「青蛾窯」の窯焚き
大学時代からの親友、陶芸家の松元洋一君の穴窯「青蛾窯(奈良市鉢伏町)」の窯焚きが、3月3日~10日の8昼夜行われていました。1枚目は窯全体の様子、2枚目は間焚きをするスタッフ、3枚目は燠掻きをする松元君、4枚目は、大きな壺がキラキラと光るのを撮ることができました。
彼は、私の穴窯の師匠です。以前、窯の温度が上がらなくて辛い時に、電話でアドバイスをもらったことがありました。その後なんとか焚き終わった報告をした時の「気持ち、よかろう」の一言に、「うん」と答えながら胸がいっぱいになったことなど、思い出します。彼の窯は、信念に貫かれた大がかりなものですから、参考になるわけではありませんが、お手伝いをしていると、自分で焚く時の根性を鍛えることができます。
2月の活動
写真1枚目は、伊賀で法人活動の一環としてやっている穴窯の薪棚、2月16日のものです。この日は、陶芸の「練り込み技法」の実技講習会がありました。寒いこの時期、作品作りは、暖かい薪ストーブのある部屋で制作しましたが、作品を置いていた部屋が、夜中に零下になったのでしょう、朝見ると、多くの作品に亀裂が入って、私の脚付きの皿などはバラバラになっていまし
た・・・、再挑戦するつもりです。
翌日は、雪も止み、8人の参加者と共に、薪置き場の屋根の修繕と、薪割りをしました。
年度の終わりの、高校生の「芸術科書道」の授業の様子です。もちろんこれまでは、机に座って授業をしてきましたが、生徒の希望で、パフォーマンス用の紙を使いました。くじ引きで4・5名の班を作り、いくつかのテーマに従って話し合い、共同作品の制作です。私は、淡墨使う?この筆使う?と用具用材と資料の提案をし、デモンストレーションに書いた時は、これを超えろ!と言いました。次年度からは芸術の授業がないせいでしょうか、生徒達はいきいきと取り組んでくれたので、写真を撮りました。
なら工藝館(奈良市阿字万字町)で、「奈良筆作り体験」があり、筆作りの工程のごく一部ですが、筆の毛の「練り混ぜ」をさせていただきました。また、筆軸に取り付けた穂に、布海苔をしつこく馴染ませ(写真3枚目)その後、糸を巻き余分な布海苔を絞り、形を整える「仕上げ」の体験もしました。奈良の伝統工芸品である毛筆が、数少なくなった工芸士さんの地味な作業によって支えられていることに感謝したいと思いました。
家では、卒業証書を書いていました。
バレンタイン♡フェスタ
奈良学園登美が丘校では、毎年バレンタインデーの頃に、実技系の教師と有志による、作品の展示とミニコンサート「バレンタイン♡フェスタ」をしています。オープニングは、バレンタインチョコをめぐる演劇部の生徒達による劇があり、吹き抜けになったサイエンスホールは、たくさんの観客でした。
私は、古代文字に興味をもってほしいと思い、印に用いた文字「亀」は、絵ではなく、文字であることを、『朝陽字鑑』も展示して解説しました。美術・音楽・技術・家庭科の他に、理科の先生による「金属の磨きとメッキ加工」のテーマで缶が展示されていました。観点が違うかもしれませんが、私は、各々の缶に写る、敷いている紙の模様がアートだ、と思いました。
1月の活動
新年は、9日から、三学期の授業が始まりました。週2回は、仕事帰りに郡山図書館に寄っています。陶芸やお茶関係の本、『芸術新潮』」や『和樂』」などの月刊誌、この頃は和服の本も見ています。
家では、頼まれた印(図象印や名前)などの草稿を、30余り考えていました。写真上段は、布字のできたものの一部です。1枚目は、古い図象印の模刻ですが、雄と雌の鳥の嘴に、「幸」「吉」の文字を銜えさせました。下の2枚は、昨年依頼された「光」「厚子」、やっとお送りすることができました。
初釜
13日、お茶の教室の「初釜」がありました。会場は、古くからの奈良の数寄者 安田家の居宅「白水庵」です。賑やかな大通りから一筋入った所にある小さな門をくぐると、そこは市中の山居といった趣です。池泉式の庭は、室町時代からの古式な地割りだそうで、さらに重森三玲の石組みが、池の中や護岸、茶室入口(写真2枚目)にみられます。写真3枚目のように、池にせり出して書院があり、その右が茶室です。
この日、茶室の床には、ご指導いただいている小西先生の父上(多川乗俊興福寺元貫首)の書「寿(ことほぎ)」のお軸、結び柳に紅白の椿、安田家先代が庭の窯でお作りになったお茶碗や水指も取り合わされていました。お庭の一隅には、今は使われていないその窯があり、会の長老さんと共に窯をバックに記念撮影(写真4枚目)です。茶席は、当代の安田ご夫妻とも同席させていただき光栄なことした。
年のはじめに
謹賀新年!年賀状冒頭の「華甲」とは、日本の「還暦」と同じ意味です。還暦は数え年61、「華」の文字は、「十」が六つと「一」から成りたっている、ともいえるそうで、「華」とだけ書くのもおしゃれかと思いましたが、説明がいるのでやめました。私が生まれた歳は、今年と同じ「癸巳(キシ)」、再び元気で迎えることができました。
といっても、新たな志もなく、今年は大きな予定もありません。お出かけには和服を着たり、お礼状を書くのにすぐ筆を執れるくらいの落ち着いた生活をしたいと思っていますが、いつのことでしょう。
元旦は、富山の実家で迎え、お茶室に炭を熾してもらい、おぼつかないお茶のお稽古をしていました。松竹梅の「三友棚」、鶴の香盒(父の作)、床には、寿(高野山宝来)と松のお軸、柳や万年青(おもと)は母が活け、お正月らしいおめでたい設えです。
我が家は、天神様(写真5枚目の右:父が描いたものです)も飾ります。神棚もあり、仏壇を初め、手を合わせるところは3か所です。書道と陶芸と茶の湯に親しんでいると、一生退屈はないと思います、感謝。